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ふたつのZONE  為末大さん

photo_instructor_647.jpg「運動会で前の子を"ビューン"と抜いていく時の感覚」

人生最初の記憶が走ることだったという為末大さん。
15歳(中学三年)の時には、100M、200M、400M、走り幅跳び、三種競技A(100M、砲丸投、走高跳)、同B(砲丸投、走幅跳、400M)の記録が、全国ランク1位だった。

「その時の100Mの記録は、15歳時のカール・ルイスより速かった」
というから、とてつもない早熟の天才タイプだったようである。

しかし、高校、大学へと進むにつれて伸び悩んだ。
170センチの身長は中学時代で成長が止まり、身体能力の違いが決定的に影響する短距離では、徐々に勝てなくなっていた。

十代後半の多感な時期に自分の限界を知ったことが、「走る哲学徒」とも言える為末さんの自我を形成していったのかもしれない。

二つの「ZONE」
それが、為末さんが一貫して追い求めた対象であった。

ひとつは、どうやれば「短期的なZONE」に入ることができるか。
「短期的なZONE」とは、スポーツ選手が時折体験するという忘我的な極限集中状態である。
心理学者のチクセント・ミハイは、「フロー状態」と定義し、宗教者は「悟り」「無我」などと呼ぶ。

もうひとつは、「継続的なZONE」を維持すること。
為末さんは、「夢中」という言葉を使ったが、モチベーションマネジメントと言い換えることも出来るだろう。

為末さんの20年近い競技人生は、二つの「ZONE」を追い求め、自分に向き合った歳月であった。

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組織能力としての「模倣」  井上達彦さん

photo_instructor_646.jpg「明確な意図と工夫を伴って、選択的に意思決定される「模倣」は、立派な経営戦略です」

井上達彦先生の話は、企業活動における「模倣」に市民権を付与することからはじまった。

まずは、競争戦略としての「模倣」
井上先生によれば、多くの成功企業は「Fast Second」戦略で勝ち抜いてきた。
同業リーダーが多大なコストを投じて開発した革新的な製品やサービスを、いち早く模倣することで、開発コストを抑え、その分を製造や流通に回して、低価格・大量生産を可能にし、一気に市場を席巻していく戦略である。
サムソン、LGが半導体や薄型テレビで日本企業を凌駕した戦略である。かつては、日本企業が米国を相手に同じ戦略で勝ち抜いてきた。

歴史を振り返れば、同じような例はいくつでもある。
オランダで生まれた株式会社がイギリス帝国主義の動力機関となった。
欧州で発明された自動車はアメリカで工業化社会を開花させた。
模倣とは、競争への対応として避けられない経営戦略である。
ただし、昨今のグローバル化、デジタル化、ネットワーク化の波は模倣に要するタイムラグを劇的に短縮した。かつて100年かかった模倣が、20年、4年と縮まり、いまでは1年半で世界中から模倣される運命にある。

井上先生が着目するのは、もうひとつの模倣、イノベ-ション戦略としての「模倣」である。

「模倣も徹底すればオリジナリティになる」
井上先生は、ドトールの鳥羽社長の言葉を引き合いに出しながら、模倣がイノベ-ションにつながる理由を説明してくれた。
模倣に必要な能力とイノベーションに必要な能力を要素分解してみると、ほとんど同じあることに気づく。
つまり、模倣を徹底して突き詰めると、イノベーションを産み出す能力を高めることになる。

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・・ンなこたぁないだろう(でももしかしたら) 磯﨑憲一郎さん

photo_instructor_633.jpg芥川賞作家 磯﨑憲一郎さんは、東京のベッドタウンとして開発が進んでいた1960代の千葉県我孫子で生まれ育ち、都立上野高校では軽音楽部、早稲田大では競艇部で日々を過ごした。大手商社では鉄鋼部門に所属し、7年間の米国駐在も経験した。
中学時代に1時間半の通学時間をつぶすために北杜夫を読み耽った以外は、小説もさほどは読まなかったという。
文学青年でも、小説家を志していたわけでもない。いたって普通のサラリーマンとして30代半ばまでを生きてきた。

けっして文学のプロではない。たまたまの縁で、たまたま小説家になった人間として、というよりは、そういう人間だからこその「私的小説論」
この日の夕学は、そんな話であった。


「小説の歴史を俯瞰すると1920年代に断層がある。この時に「小説というジャンル」が完成したのではないだろうか」

磯﨑さんは、そう見ている。
例えば、セルバンテスの『ドン・キホーテ』という歴史的名作(1605年)がある。
この本を読むと、もしこの時代(17世紀初頭)に映像表現という手段があったら、セルバンテスは小説ではなく、映画『ドン・キホーテ』を作ったのではないか。
磯﨑さんは、そう思えてしかたないという。

ところが、1920年代以降の作品、例えばカフカの『城』を読むと、まったく異なった感覚を持つ。

「カフカは、小説でなければ表現できないことを、小説で書こうとしている」...

なぜ、磯﨑さんは、そう思うのか。
ここのところの説明はやや難解で、正直言って的確に再現できる自信はないが、私なりの解釈はこうである。

カフカの『城』には、「これは、絶対に映像では表現できない」と確信できる描写がある。そこには、あまりに強引な論理飛躍があって視覚表現にはなじまないのだ。
前に書かれている文章を前提にして次の一文を読み進めなければならない、という「小説の構造」を逆手にとったような強引な力技を、あえて使って場面を動かしている。

こういう強引な反転展開は、1920年代以降の小説の特徴だと、磯﨑さんは言う。

「・・ンなこたぁないだろう(でももしかしたら)」と思わせるもの。
磯﨑さんは、タモリのよく使う表現を借りて、読者を惹き付ける現代小説の魅力を言い表してくれた。

この感覚は、磯﨑さんが考える「小説が存在する理由」にも通底するものだ。

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OTAKIFICATIONの時代がやって来た 前野隆司さん

日本の何が問題なのか?

こういう問いを投げ掛けられた時に、「ここがおかしい!」という文句が言える人は無数にいる。

では、どうすればよいかと重ねて問われた時に、「全体をよく見て考える必要がある」というところまでは、多くの人が言える。 

しかし、「具体的にどうやるのか」という答えがない。

それが、よく見受けられる光景ではないかと前野隆司先生はいう。

photo_instructor_645.jpgのサムネール画像

「具体的にどうやるのか」
その答えが「システムデザイン・マネジメント」学=SDM学にある。
SDMの専門家を「システムエンジニア」と呼ぶ。「システムエンジニア(SE)」と響きが似ているが、役割は大きくことなる。

日本にはなじみがない「システムズエンジニア」を育成するための、高度専門教育機関が慶應の新しい大学院、慶應システムデザイン・マネジメント研究科(慶應SDM)である。
前野先生はそこの研究科長でもある。

システムデザイン・マネジメントとは、
「問題をシステムとして俯瞰的にとらえ、全体として整合性のある解を導く方法」
だという。

世の中のあらゆる問題は、SDMで対応できる、というよりも、SDM的にアプローチしなければ、現代の多くの諸問題は解決できない、とも言える。

例えば、「イノベーション」という問題
イノベーションは技術革新ではない、ということは多くの人が語っている。
技術とデザイン、技術と人間、技術と経済性、技術とサービスetc... 
技術にプラスαされるべき諸要素を、全体として整合性をもって描かなければイノベーションにはならない。
日本はそれが苦手だと言われている。

前野先生によれば、イノベーションの条件は下記の三つである。
1.見たことも聞いたこともない
2.実現可能であること
3.物議を醸すこと
見たことも聞いたこともない概念は人を戸惑わせる。それを眼前に実現して見せられると人の反応は大きく分かれる。だから物議を醸す。

前野先生は、100年前ライト兄弟が有人動力飛行に初めて成功した時に、当時の科学者の多くが実験の信憑性に疑義を呈する声明を出したという事例を引き合いにだして、イノベーションにまつわる現象を説明してくれた。

しかしながら、前野先生の真骨頂は、ここからもう一歩突っ込んでいくことにある。

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ルネサンスはどうやって起きたのか 池上英洋さん

西洋人の精神と思考の基底に流れているのは「古代ギリシャ・ローマの文化」と「キリスト教」だと言われている。
ただし、この両者は、本質的には相容れない性質のものである。

古代ギリシャ・ローマは多神教。キリスト教は言わずと知れた一神教。原理が違う。
ギリシャ神話を読むと、最高神ゼウスのむき出しの欲望は半端ではない。気にいった女性がいれば、人妻だろうが構わずに自分のものにしてしまう。
その自由奔放さは、キリスト教的倫理観と対極にあるものだ。

実際に、古代ギリシャを範として国作りをしたローマ帝国は、当初の数百年間キリスト教を徹底的に弾圧した。
逆に、キリスト教的世界観が社会を覆い尽くした中世ヨーロッパでは、ホメロスやプラトンは忘却の彼方に置き去られた。

両者が約千年の時間を隔てて、再度出合い、大輪の華を咲かせたのが「ルネサンス」であった。
そこには、出合うための理由があった。
池上英洋先生の話は、そういう話であった。

池上先生は、このふたつの絵画を比較しながらルネサンス美術の三つの特徴を解説してくれた

マゾリーノの「アダムとエヴァ」     マサッシオの「楽園追放」
35074cef-s.jpgのサムネール画像img_1137286_43271194_4.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像

三つの特徴とは「空間性」「人体把握」「感情表現」である。
なるほど、ほぼ同時期に描かれた二つの絵画なのに、右側の「楽園追放」には、それがあり、左側の「アダムとエヴァ」には欠けていることが一目瞭然であろう。

テーマは同じ宗教画であっても、そこに豊かで瑞々しい表現力を加味することで、芸術性が増す。
ルネサンス期の芸術家達に、それを教えてくれたのは、忘れ去られていた「古代ギリシャ・ローマの文化」であったという。

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現場を知る方法論  西川善文さん

photo_instructor_644.jpg「ラストバンカー」西川善文氏のバンカーとしての背骨を形成したのは、入社3年目、25歳から6年間を過ごした調査部の経験だったという。
調査部で、西川さんが担当したのは、マクロ経済の分析を担うシンクタンク的な調査ではなく、個別企業の経営状況を、微細まで立ち入って調べ上げる信用調査に近いものであった。
どちらかと言えば泥臭い仕事である。

西川さんはこの仕事が性に合ったようだ。調査部6年というのは、当時の住友銀行では異例の長さだったという。

西川さんが調査部で形成した、バンカーの背骨とは何か。
それは「現場を知る方法論」ではなかったか。

調査対象の多くは、非上場の中小企業である。 財務諸表の行間や裏側を読む必要がある。
西川さんは、対象企業にお願いして、伝票類まで丹念に目を通したという。
疑問があれば、役員や社長に直接質すこともしばしばあった。
対象企業を切り捨てるためではない。どうすればこの会社をよりよく出来るかを考えるためである。
実際に、緊急の救済融資を仲介して、窮地を救ったこともあったという。

この時身につけた「現場を知る方法論」は、西川さんのバンカースタイルを決定づけた。

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粋ということ  金原亭馬生師匠

photo_instructor_643.jpgのサムネール画像金原亭馬生師匠の著書『落語家の値打ち』の中に、師匠が先代(10代目馬生)のもとで送っていた修業時代のエピソードがある。
金原亭一門の、師匠と弟子とおかみさんの関係性が伝わる部分なので、ちょっと長いけれども引用しておきたい。


私はよくおかみさんに肩揉みを頼まれました。居間に師匠がいて、台所にいるおかみさんが「ちょっと肩揉んでよ」って。おかみさん肩こり症なんです。
揉むんですが、なかなか「はい、いいわよ、ご苦労さん」って言わない。それで、あんまり長いときはね、「あ、いけね、滑りました」って、おっぱい触ったりなんかするんです。
すると、居間にいる師匠におかみさんが、
「お父ちゃん、馬治(馬生師匠)はね、私のおっぱい触るのよ」
っていいつける。そうすると、師匠が、
「おいおい、人のかみさんのおっぱいなんぞ、やたらと触るもんじゃないよ」
ってなこと言うんです。またおかみさんのおっぱいが大きいんですよ。

遠慮がなく冗談好き、それでいて愛情と信頼に溢れている。
そんな心温まる関係がわかるエピソードである。

馬生師匠が結婚したての前座時代、除夜の鐘が聞こえる時分に、六畳・三畳のアパートで貧しく年を越そうという弟子のもとに「お父ちゃんには内緒だよ」と言いながらおせちの詰まったお重を持って来てくれたのもこのおかみさんだという。

理想的な徒弟制度のもとで芸を磨いた馬生師匠は、兄弟子八人を抜いて亡き師匠の大名跡を受け継いだ。持ちネタの数は現役落語家の中でも1~2という実力派である。

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