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建築家の意志  槇文彦さん

西洋美術史家の池上英洋氏によれば、ルネサンス芸術に"ルネサンスらしさ"を付与している特徴は、「空間性」・「人体理解」・「感情表現」の三要素だという。

遠近法に代表される絵画技法の発達はもちろんのこと、「奥行きを創出しようとする意識」が、立体的な空間表現の源泉になった

人間の身体の構造や筋肉の動きを、より忠実に表現しようという「人体把握への意識」が瑞々しい写実性を育んだ。

人間の悲しみ、怒り、喜びといった感情表現をそのまま再現しようとする「感情表現への意識」があればこそ、観る人のこころを揺さぶる絵画・彫像を作ることが出来た。

「空間性」・「人体理解」・「感情表現」
この三つの意識を、ルネサンスの芸術家が獲得したことによって、かのダヴィンチをして、
「わたしたち画家は、芸術作品によって、"神の子孫"とみなされてよい」
と言わしめた、高らかなルネサンス宣言につながった。

この世界の万物を創造した神と同じように、芸術家は、絵画という作品を通して、神が作り賜うた人間や自然を再創造することが出来るようになったのだ。

photo_instructor_624.jpg前置きが長くなってしまったが、槇文彦さんの建築作品を拝見すると、これとよく似た「意識」というか「意志」を感ずることができる。

まったくの素人の論評という前提を置かせてもらうが、わたしは、槇さんの建築作品に、いくつかの共通点を感じた。

どの建築も、天井高が高く、吹き抜けを多用している。階層の"際"を感じさせない広がりがある。
窓がやたらと大きく、しかも天井から床近くまで、ガラス面が配置されている。外部との"際"を取り去った開放感がある。

例えば、これこれ

これらの特徴によって、建築から「空間・開放感・オープンネス」を感じ取ることが出来る。建築とは、人間の創造的な活動や思索、あるいは交流・コミュニケーションといったつながりを産み出す装置であるべきだという「人間理解」に根ざしているように思える。

「空間」そのものを楽しむ。
「空間」の使い方を楽しむ。
「空間」があることで生まれるものを楽しむ。
そんな豊かな人間性、感情を大切にしたいという、建築家の意志を受け取ることができる。

もうひとつの共通点は、どの建築も「白い」ということだ。
ギリシャのパルテノン神殿やローマのコロッセオに、どこか似ているように感じたのは気のせいだろうか。
ルネサンスの芸術家達は、古代ギリシャ・ローマの世界に、自らのクリエイティブの範を求めた。槇さんの作品にも、同じ精神があるのではないか。

「Fumihiko Maki」という建築家が、世界で評価される所以のひとつかもしれない。

行動観察は、「声なき声」「見えない言葉」を可視化する  松波晴人さん

photo_instructor_621.jpgのサムネール画像
全ての答えは顧客(現場)にある。
顧客が答えを知っているわけではない。

このふたつの言葉は、一見矛盾するような命題だが、多くの業界で語られる信念体系でもある。

全ての答えは顧客(現場)にある
現場主義を標榜する小売業やサービス業、製造業では必ずそう言われている。
頭の固い保守的な上司を動かして、業務革新や制度変更を行わなければならない時に「これが顧客の声です」というひと言は、究極の殺し文句になる。

顧客が答えを知っているわけではない
マーケティングや商品開発の専門家は、「どんな商品が欲しいですか?」という問いを顧客に発することは絶対にしない。それは愚問だということを知っているから。
顧客は商品を評価することは得意だが、提案することは苦手なのだ。

顧客(現場)にある答えは、「声なき声」「見えない言葉」でしかない。

二つの命題を統合する理論的な概念を、学術的な言葉では
「情報の粘着性」という。
顧客が持っている情報は、粘着性が高くて、容易に他者に移転することが出来ない。移転するにはコスト(時間や手間)がかかる。

大阪ガス行動観察研究所所長の松波晴人さんが推進する「行動観察」というメソッドは、これに対するひとつの答えなのではないか。

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知を産み出す職場とは 妹尾大さん

photo_instructor_620.jpg日本発で、世界で認知された経営学理論はそれほど多くはない。
数少ないひとつが野中郁次郎先生等が提唱する「知識創造理論」であることに異論を挟む人はいないであろう。

知識創造理論は、「知識を創造する装置」として組織を捉える。暗黙知と形式知の二種類の知識を定義し、その相互交換プロセスを循環させることで知識は創造されるとする。
「SECIモデル」という概念図はあまりに有名である。
SECICycle.jpg

野中先生の愛弟子のひとりである妹尾大氏が、知識創造理論の知見をベースにして、学者生涯を通して追求するテーマは、
「個人と組織の動的プロセスに関する理論構築」
だという。
ひらたくいえば、「個人は、組織とのかかわりのなかで、どうやってヤリタイコトを見つけ、どうやってそれを実現していくのか?」を明らかにすることである。

妹尾先生が着目したのは、職場(オフィス)であった。
物理的な環境としての職場(オフィス)というよりは、そこで働く人々が相互作用の中で何らかの意味を生成するような心的駆動力をもった意味空間としての職場(オフィス)である。

私たちが、仕事上の課題に直面するときに、職場で同僚や他の職場の人々と刺激し合い、アイデアを出し合い、それを共有化し、自分のものとして練り上げて解決策を作り出していく、そんな創造的なスパイラルループを産みだしていくためにはどうすればよいか、ということであろう。

妹尾先生は、研究当初はオフィスの空間・環境=ワークプレイスを変えることに着目した。
レイアウトやパーテーション、ミーティングスペースなどを工夫することで職場がどう変わるのかを研究した。
当然ながら、ワークプレイスの変更がもたらす成果は限定的であった。

ついで、働き方(ワークスタイル)にも着目した。
個人が動き回り、異質な知と交流し、それを巻き込んでいくような働き方をすることが重要だと考えたからだ。
ワークプレイスの変更は、創造的なワークスタイルと相互作用することではじめて機能する、と考えた。

いまは、職場で働く人々の主体性に着目している。
外部の専門家が理想的なオフィス空間を設計し、あるいは創造的な働き方を提唱して、それを人々が受け入れることで変化が起きるのではない。
自分たちが当事者として、より創造的なオフィスを作ろうとするプロセスを自主形成することが鍵になると考えている。

創造的な仕事をしたいと志向する個人同士が、ワイワイガヤガヤと議論することで、
既成概念を取っ払い、新しいやり方に柔軟に取り組むことで、
ヤリタイコトは見つかるし、実現への道筋も見えてくるはずだ、と考えている。

クリエイティブオフィス、クリエイティブワークスタイルという普遍的なものがあるわけではない。 よりクリエイティブにするためにどうすればよいか、という工夫のプロセスが知識創造の母体である

プロセスは動的なものである。常に駆動させていなければならない。
駆動には動力源が必要である。

経営の目的は何か、私たちは、なぜ働くのか。
それ以上の動力源はない。だとすれば、その思いの強さと純度が全てを決めるのではないかと思う。

囲碁を打つ喜び 吉原由香里さん

photo_instructor_627.jpgわが社の保谷範子は、吉原由香里さんの小学校時代の同級生である。
彼女によれば、小学生時代の「ゆかりちゃん」は、なんでもできるスーパーガールだった。
勉強は出来る。運動神経もいい。とびきり可愛い。
しかも囲碁という、普通の小学生には不可知の世界で大活躍をしているらしい...。
周囲からは、そんな天才少女に見えた。

当然ではあるが、ご本人の意識は少し違ったようだ。
負けん気が強いという生来の気性もあって、がんばったことは事実だが、本音を言えば、「星一徹」化した父親に引っ張られるように、囲碁の世界を泳いでいた。
「父が喜ぶ顔をみるのがモチベーションだった」とのこと。

早熟な棋士は、男女を問わず幼少期からプロを目指すものらしい。
小学校六年生でプロになる人もいる。
そういう人達に比べると、どこか「本気度」が薄い。
それをご本人が一番よく自覚していたようだ。

自覚は、「本番に弱い」という形で現れた。
肝心の時に限って、勝てるはずの対局に負けることが多かった。
中二でプロを目指す決心をしたが、プロ試験には落ち続けた。

日本に女性のプロ棋士は80人しかいない。
プロ試験は年に一回。しかも一位になった者しかプロにはなれない。
とてつもなく狭い門である。
何年も落ちるのも当たり前なのかと素人は思うが、本人にはそうは思えなかった。

吉原さんの場合は、実力的には抜き出ていると自他ともに認めているのに、プロ試験の時だけは二位にしかなれない。
いざという時に勝ちきれない。

ついには、18歳、慶應SFC入学と同時に、囲碁から離れ大学生活を謳歌する生活を選んだ。
このあたりの挫折と葛藤は、バイオリニストの千住真理子さんとよく似ている。
天賦の才に恵まれている人間であっても、逆にそういう人間だからこそ、我々にはうかがい知れない悩みがある。

吉原さんは、大学三年の時、再度プロ挑戦を決意した。
囲碁の道を拓いてくれた父親の死が、吉原さんの「本気度」に火を付けてくれたのかもしれない。

卒業と同時期にプロ試験に合格する。
慶應卒の美人棋士を囲碁界は放っておかなかった。対局とテレビ出演で、たちまち忙しくなった。順調に段位を昇る一方で、監修した漫画『ヒカルの碁』が大ヒット。
若者、女性の間で空前の囲碁ブームが沸き起こり、その主役のひとりになった。

ただ、「本番に弱い」というクセはなかなか抜けなかった。
タイトル戦は準優勝ばかり。どうしても最後で勝ちきれない。
思い悩んでメンタルトレーニングを受けたりした。
そんな時に、テレビでイチロー選手のインタビューに出会った。

「プレッシャーはどうしたってある。重要なのはプレッシャーがある状態でどう戦うかだ」

自分は、いつもプレッシャーを抑えつけようとして失敗していた。抑えるのではなく、受け入れたうえでどう戦うか。
そう思えるようになったことで、ひと皮むけることができたという。
2007年に女流棋聖戦を初めて獲得し、以降三連覇を成し遂げる。

学生時代、囲碁から離れていた頃に、自分を見つめ直す機会があったという。
これまでの人生の喜び、楽しみ、興奮etc。こころに残る経験の全てが、囲碁を通してのものであることに気づいた。

いま、吉原さんは、昨年生まれたばかりのお子さんを慈しみながら、家事・育児・対局・囲碁プロ-モーションと多忙な毎日を送っている。
囲碁ファンを増やすためにIGO AMIGOという楽しそうな活動もはじめている。

父と分かち合うことからはじまった囲碁を打つ喜びが、多くの人へと広がっていることを実感できること。それがいまの吉原由香里さんのモチベーションなのかもしれない。

史実からみた天皇の実像  本郷和人さん

photo_instructor_619.jpg本郷和人先生が在籍されている東大史料編纂所は、江戸時代に起源を持ち、幕府、明治新政府、東京帝大と引き継がれた歴史ある修史研究所で、我が国の日本史研究の基礎となる第一級の史料を数多く所蔵しているという。

この由緒正しい研究機関が、組織的に取り組んでいる仕事のひとつが、「大日本史資料」の編纂である。
これは、1901年から現在まで続けられている国史編纂事業のようなもので、年月日順に、何が起こったのかをコツコツと記録編集する作業だという。
1年分の記録を編纂するのに10年かかる。学者人生30年として、一人の学者が一生をかけて3年分。
いま現在で、寛永16年(1639)までが刊行されているとのこと。
途方もなく壮大というか、気の遠くなるような地味な仕事というか...。
まあ、たいへんな仕事である。

一方で、本郷先生は、大河ドラマ「平清盛」の時代考証もやっている。
週に一度はNHKに出掛け、視聴率も気にしながらも、皆でワイワイと歴史ドラマを作っている。ユーモアに満ちた明るい人である。

そんな本郷先生が語る「天皇論」
ご専門である、中世日本の「国のかたち」を研究するうえで、天皇の存在は大きなポイントになるようだ。
この時代の「国のかたち」の変容は、天皇制が変質していく歴史に他ならないのだから。

昨今、皇位継承問題、女性宮家創設問題など、天皇・天皇制を巡る議論は、ひとつの政治課題でもある。いろいろな考え方があるのはよいことだが、歴史学者の立場でみると、少し違和感がある。
科学的な根拠(史実)に基づいた「天皇の実像」が語られていない。
本郷先生は、そんな感想をもっている。

本当のところの天皇はどんな存在だったのか。
天皇制が変質していった日本の中世を本郷先生はどう観ているのか。
きょうの夕学は、こういう話であった。

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