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身体知としてのトイレ掃除 加護野忠男さん・大森信さん

photo_instructor_625.jpgのサムネール画像photo_instructor_626.jpg「トイレ掃除で会社がよくなる」

理論的には「ありえない」はず。しかし現実的には「ありえている」ようだ。
実際に、永守重信氏(日本電産)、鍵山秀三郎氏(イエローハット)、塚越寛氏(伊那食工業)等々。トイレ掃除の重要性を指摘し、全社活動として実践している経営者は多い。

そうであれば、なぜ「ありえる」のかを、研究してみよう。
そこに新たな経営学の萌芽があるかもしれない。
これが、大森先生がトイレ掃除研究に取り組んだ理由であり、師である加護野先生が力強く後押しをした理由である。

経営学とは、
「正しいことを上手に成し遂げるための方法を研究・教育する学問」
である。
加護野先生は、そう喝破する。

学術用語で言えば、「正しさ」とは、目的の妥当性の検証で、「上手に」とは、手段の妥当性の検証により判明する。
合理主義に傾斜し過ぎた現代経営学は、後者(手段)にばかり目を向けて、前者(目的)を疎かにしてきた。
トイレ掃除の研究は、その流れに楔を打つ、大きな意味がある。
加護野先生は、若い門下生の研究を、そう評価した。

自らも企業に入り込み、社員と一緒にトイレ掃除に精を出すエスノグラフィ的な研究をしてきた大森先生は、「トイレ掃除の効用」を次ぎのように分析する。

トイレ掃除の効用は、掃除そのもの、ましてや綺麗になった便器がもたらすのではない。
自分の会社のトイレを掃除しつづける人間が、企業に効用をたらすのである。
大森先生は、それを「間接的効用」と呼ぶ。

では、具体的にどんな効用があるのか。
大森先生によれば、
トイレ掃除をし続けている人間は、知らないうちに、いろんなことに、「気づいている」、「考えている」
それは、前向きで、肯定的な「気づき」や「思考」である。
ただし、何に気づくのか、誰を見て気づくのかは人によって違う。
とにかく、「気づいている」「考えている」

掃除という同じ型の行動が、多様な気づき・思考を生み、仲間意識をつくる。
行動の同型化が、思考の多元化と集団の凝集性を醸成している。

しかも、掃除を継続することで、従業員の感情はある方向へと収斂されていくという。
有形の喜び(綺麗になった)から、無形の喜び(一体感、愛着感)へ。
「自分のためにやる」から「他人のためにやる」へと発展し、やがて「みんなのためにやる」へ。
最後がゴールではない。いろんな段階の社員が、ひとつの組織にいることで多様性が生まれる。

実は、トイレは継続して清掃していると、すぐに綺麗になるものらしい。そこまでいくと目に見える変化が生じない。マンネリに陥りがちである。しかしそこからが勝負。

地味で、それ以上の即効性が望めず、何のためになるのかよくわからないこと、をやり続けるためには(組織に根付かせるためには)、その過程で必ずストーリーが生まれるものだ。

日本の昔話や童話に存する「正直者賛歌」「愚直さ物語」のようなものが、会社のそこここに生まれてくる。
それが、組織と仕事へのコミットメントにつながる。

さらに言えば、トイレ掃除が根付いた結果、意外な時に、意外なところで意図せざる結果をもたらしてくれる。
言わば、童話「笠地蔵」のような効果を実感できる時が来るのだという。

身体を使うトイレ掃除は、組織に根付きにくい。
しかし身体を使うからこそ、できること、わかることもある。
身体を使うことで、人間の感情を揺さぶり、多様な気づきや思考を促すことができる。
それが「トイレ掃除の効用」である。


トイレ掃除の効用には、致命的な欠点がある。
「やってみなければわからない」ということだ。
なぜなら、人によって、効果の内容も、タイミングも違う。
いつ、どういう効果が期待できることを明示できない。
しかも、本人が無自覚に慣性的な振る舞いとして身に染みついていないといけない。
いちいち語ったり、説明したりするものではないのだ。

「つべこべ言わずにやってみろ、そのうちわかるから」
日本なら、そういえば済むだろう。
しかしながら、加護野先生によれば、中国人やアメリカ人には、この論法は通用しない。
「トイレ掃除の効用」は、他者(特に文化的背景が異なる人々)には伝えにくい。

しかし、考えようによっては、だからこそ競争優位になるということではないか。
すぐに真似できるけれども、誰も真似をしようと思わないこと。
そんなコアコンピタンスがあってもよい。

トイレ掃除は、やり続けないと全体の好循環ループが停止する危険性がある。小事が大事。気づいた時には間に合わない。

グローバル経営の名のもとに、いま日本企業は、当たり前のこと、として踏襲してきた多くの慣行や習慣を廃止しようとしている。
しかし立ち止まって、よくよく吟味した方がよいかもしれない。

合理性を理由にして、日本の組織が持っていた強みまでも自ら放棄してはいないか。
トイレ掃除の経営学には、そんな含意もある。

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