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子供と一緒に夢を見ている。 石川勝美さん

photo_instructor_617.jpg開講前の控室、石川勝美氏に全米プロの話題を振ってみた。
石川遼選手は、初日1アンダー15位と健闘したが、2日目に崩れて、予選落ちに終わったばかりである。

「いまの遼は、あの程度ですよ、初日が良すぎただけです。」

勝美氏は、即座にそう返答された。それは達観というよりも、はるか遠くを見透したうえで、今はひたすら藻掻く時期だと割り切っているかのようだった。

石川遼選手は、1年半ツアーで勝っていない。最後の勝利は2010年11月の三井住友VISAマスターズのことだ。
勝美氏は、この勝利の後に、一冊の本を息子に渡したという。
森鴎外の『高瀬舟』。読んで欲しかったのは「高瀬舟」ではなく、その中に収められた「杯(さかずき)」という短編小説だった。
 
「わたくしの杯は大きくはございません。それでも、わたくしはわたくしの杯で戴(いただ)きます」
主人公の女性が、毅然とした態度で、そう述べる。

そのころの遼選手は、外国人選手のショットやスイングの真似ばかりしていたという。
真似をいくらしたところで遼はウッズやミケルソンにはなれない。勝美氏にはそう思えた。
しかし、言葉で言うのではなく、それまでもそうしてきたように、一冊の本を差し出すことで、思いを告げたのである。

人によって、能力に違いはある。しかし、持って生まれた能力を変えることも出来ない。
自分の能力(杯)でやっていくしかないのだ、と。

「やっぱり...」
読んで欲しかったのは、「杯」だと告げられた遼選手は、そう答えたという。

父は戒めを言葉にせずに、本に託した。
子は父の戒めをすぐに理解した。
何とも気持ちのよい親子である。

幼い頃の遼少年は、アトピー性のぜんそくに悩んだという。
夜になると激しく咳き込み、6種の薬を常用する時期もあった。
けっして器用な子供ではなかった。
プラモデルづくりも、野球も上手くはなかった。
水泳は得意だったが、県大会では最下位に終わる。

ゴルフだけは手を抜かなかった。
4歳で初めてクラブを握って以来、父子でのめり込んでいった。
ゴルフというスポーツは、運動神経が邪魔になることもあるという。教えるとすぐに出来るようになる子は、型が身につかない。
遼少年のように、憶えるのに苦労して、何度も練習して身につけた型は忘れない。
愚直な練習が財産になる

360日/年練習場通った。練習場は頼み込んでタダに、コースは子供料金(2千円~3千円)、勝美氏はプレーせずに付き添った。
塾通いと同じ程度の費用で、ゴルフに打ち込んだ。

初ラウンド(小学校二年)のスコアは132だったとのこと。今では、100を切る子供もいる中では目立つスコアではない。
しかし、愚直な練習を続け、めきめきと腕を上げた。
小学校四年でパープレー、小5で全国小学生大会で優勝、小6の連覇では、8アンダーで回った。

遼少年は、やがて「マスターズ優勝」という夢を口にし始めた。

勝美氏夫妻は、子供の夢を応援しつつも、子供をゴルフ馬鹿にはしなかった。
全てをゴルフに結びつけながら、勉強、礼儀作法、言葉使いの重要性を説いた。
英語も遼選手が自分の意志で始めたという。

遼選手には専属コーチはいない。
その代わり、ジャンボ尾崎、中島常幸らが、折にふれアドバイスをくれる。
素直な少年には誰だって応援したくなるものだ。

「子供を育てながら育てられている」
「子供と一緒に夢を見ている」
勝美氏は、何度かそんな言葉を口にした。

「50歳でマスターズに勝つと考えれば、20歳のいまは、まだ道程の半分にも来ていない」
「そう考えると私は幸せ者です」

改めて思う。
何とも気持ちのよい親子である、と。