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「古事記に家族愛を見る」 浅野温子さん

photo_instructor_609.jpgのサムネール画像作家の阿刀田高さんによれば、地域・民族の文化度を推量する目安のひとつは「豊かな神話を持っていること」だという。

例えば、西欧文明が持つ立体感は、ギリシャ神話の豊かさに支えられている。
ルネサンスの彫刻・絵画の題材として、ダンテ、ニーチェ、カミュの創作モチーフとして、現代日本演劇を代表するNINAGAWA演出(「オイディプス王」「王女メディア」)もギリシャ神話を重要視している。

古事記に代表される日本の神話も、歴史の古さでは負けるが、豊かな寓意性はギリシャ神話にひけを取らない。
イザナギ・イザナミの悲恋、海彦・山彦の兄弟確執、ヤマトタケルの英雄譚等々。
長きに渡って、童話、小説、演劇に格好の素材を提供してきた。いまでもマンガやスーパー歌舞伎のモチーフとして、ファンタジー(「火の鳥」)やスペクタクル(「ヤマトタケル」)のエンタテイメントに貢献している。
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その意味で、神話はいまも生きている。

洋の東西を問わず、神話は、オーラル文化としての語り残されてきた伝承や逸話にその淵源を持つ。口承を担ったのは、多くの場合、詩人や語り部であった。
「イリアス」「オデュッセイア」の作者だとされるホメロスは、各地を放浪して歩いた盲目の吟遊詩人であったという。
天武天皇の命により古事記を暗誦したのは、稗田阿礼という女性であった。朝廷に仕える巫女ではなかったかと言われている。時に神懸かりをして、依り代となって神の言葉を語り伝えた。

ライフワークとして、「日本の神話 よみ語り」に取り組んでいる女優 浅野温子さんは、現代の語り部と言えるかもしれない。

注連縄を巻いた小さな木樽だけのセット。真っ白なシャツにジーンズ、真紅の毛せんの上に素足で立つ姿は、巫女の装いに、どこか似ている。

トレンディドラマで見慣れていたはずの長い髪をかき上げながら、身体をくねらせ、よみ語る様子は、神に仕え祭祀を担った「アメノウズメ」を連想させる。

神様はもちろん、老人から幼女まで、はては大蛇までをも、自由自在に使い分ける演技力には、芸能の始祖「ワザオギ」を思わせる。

浅野さんと、パートナーである脚本家阿村礼子さん(脚本家)が、古事記の中に見いだした寓意性は、「家族愛」だという。

例えば「天の岩屋戸」の物語では、高天原で狼藉を働くスサノオに対するアマテラスの苦悩の思いをはせ、「自分の居場所を探してもがき苦しむ弟」に寄せる姉ならではの愛惜をよみ語る。

「ヤマタノオロチ」の物語では、命がけで娘達を守ろうとするアシナヅチ・テナヅチ夫婦の親子愛に心打たれたスサノオが、オロチもまた子を思う親である事に気づき、思いを深くする様を丹念によみ語る。

古事記には、ふたつの顔がある。
ひとつは、大和朝廷の正史として、光り輝く天皇家の系譜を語り継ぐための表の顔。
もうひとつは、各地で語り伝えられてきた「神々のものがたり」を後世に語り伝えるための裏の顔。
性格の異なる二つの意図を持った伝承を一つの歴史書として編纂してみせた太安万侶(おおのやすまろ)の編集力には驚嘆せざるをえないが、古事記を「ふることふみ」と呼ぶ名称には、古き神々のものがたりとしてまとめたかった安万侶の思いも、見え隠れする。

それが証拠に、古事記には、敗者の物語が多い。
勝った者だけでなく、敗れていった者達の思い、生き様を語り伝えることが、真の勝者の姿であるべきだとする豊かな人間性を感じる。

浅野さんが古事記に見いだした「家族愛」も敗者(スサノオやオロチ)に哀惜の目を向けたことで立ち上がった物語である。
そう考えれば、因幡の白ウサギも、ヤマトタケルも、敗者の物語である。
敗者の人生に立ち現れてくる人間の愛情を謳い上げる物語である。
だからこそ、長く語り伝えられるのであろう。

人間が何に感動するのか、心打たれるのかという真理は、1300年前から何も変わってはいない。

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