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「結び」に込められた持論  佐山展生さん

photo_instructor_600.jpgのサムネール画像佐山展生氏に初めてお会いしたのは、2003年の秋頃と記憶している。MCCで『実践M&A』というプログラムを共催しているMIDCの酒井雷太氏が、講師の一人として紹介推薦していくれた。

当時、佐山さんは、ユニゾン・キャピタル代表として、勃興期にあった日本のM&A業界でも注目される存在であった。バイアウトファンドという新しい投資形態を日本に持ち込み、東ハトやアスキー等への投資とEXITが成功したことで話題になっていた。
2004年秋には、夕学にも登壇していただき、「M&Aと企業再生」という演題で講演をしていただいた。

佐山さんは、その後M&Aアドバイザリーという、これまた日本では聞き慣れない業務に特化したGCAを立ち上げた。
阪急・阪神買収騒動では、阪急・阪神側のアドバイザーとして、あの村上世彰氏と真っ向対峙した。 ワールドのアドバイザーとして、非上場化という斬新な企業再建策を成功させた。 ほどなくして一躍、時の人となり、テレビ等でお顔を拝見するようになった。

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「顔の見える人」が担うエネルギーシフト 飯田哲也さん

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「起きて困ることは起きない」
「起きないと信じよう」
「起きないことにしよう」

昭和史研究で知られる作家の半藤一利氏は、近代日本のエリート層が陥る通癖的思考をこのように表現する。
自分達にとって都合の悪い危機から目をそらして、いたずらに時間を消費し、発生した時には手遅れになる。最後のつけは、立場の弱い人々(国民)が一身に背負う。

ペリー来航を予見していながら手を打っていなかった江戸幕府の幕閣。勝てないと知りながら泥沼の戦争にのめり込んでいった陸海軍の高級参謀。皆同じ陥穽に嵌っていたという。

飯田哲也氏の話を聴くと、いわゆる「原子力ムラ」の住人達も同じ思考に陥っていたことがわかる。はからずも、それが露呈したのが3.11であった。

飯田氏は、官邸の災害対策本部が、地震発生当日の夜に発表した資料を示した。

【東京電力((株))福島第一原発 緊急対策室情報】2011/3/11 22:35
○2号機のTAF(有効燃料頂部)到達予想、21時40分頃と評価。
炉心損傷開始予想:22時20分頃
RPV(原子炉圧力容器)損傷予想:23時40頃
○1号機は評価中 
  
※現物はこちら

京大大学院の原子核工学専攻を出て、自らも「原子力ムラ」の一員として仕事をした経験を持つ飯田氏は、これを見て「とんでもないこと(メルトダウン)が起きた」と即応した。原子力のプロなら皆同じ危機感を持ったはずだと、飯田氏は言う。

ところが、原子力安全委員会の斑目委員長を筆頭に「原子力ムラ」の指導者達が見せた脊髄反射的な反応は、冒頭の通癖そのままであった。

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文楽は「摺り合わせ型」芸術  豊竹咲大夫さん

photo_instructor_587.jpg10数年前、ある方に連れられて国立劇場で初めて歌舞伎を見た。演目は忘れたが、中村福助・橋之助が兄弟競演をしていたと思う。

「橋之助は、華(花)があるね!」

案内してくれた人がそう話すのを聞いて、なるほど、これが歌舞伎の見方なのか、と妙に納得した記憶がある。
歌舞伎に限らず、芸能一般において、演者の秀逸さを評する際に用いる「華(花)がある」という表現は、世阿弥に始まるという。
世阿弥がはじめて、芸能における「花」という概念を創出した。

「花」という概念を端的に言うと、「観客の心を掴むこと」だとされる。
世阿弥は、芸能の本質は、観客の心を掴むことによって成し遂げられることを喝破した。

「ウンッワハッ、ウンワハッ」という時代者の笑い方をひとつで、観客の心を掴んでしまった豊竹咲大夫師匠には、間違いなく「花」があった。

『花伝書』を読むと、世阿弥が、「花」はひとつではないと考えていたことが分かる。
春の桜のごとくに季節の盛りの花(時分の花)もあれば、円熟を迎えた花(まことの花)もある。何もしないのに存在感を感じさせる枯れた花(老年の花)もある。

文楽を知らない私が、咲大夫師匠はどの花かを評する能力はないが、お話から推察すれば「まことの花」の頂点にあって、来るべき「老年の花」を見据えている、といったところだろうか。
22才の時に初演をした「日向嶋」を、ずっと演じ続け、昨年になってはじめて「やれた」という感覚を掴んだという。40年かけてやっと熟成する。しかもわずかな期間にだけ花が咲くという無常観が、日本の伝統文化「文楽」の魅力かもしれない。

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「安心」と「リスク」の是と非  村上陽一郎さん

photo_instructor_586.jpg村上先生によれば、「科学技術の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図る」ことを目的に作成された「科学技術基本計画」(第二期2001年制定)には、次のようなスローガンが掲げられていたという。

「(科学技術の振興によって)安全で安心した社会を創出する...」

ここに象徴されるように「安全」と「安心」とはセットで語るべき言葉だというのが私たちの通念といってよいであろう。
論理的にいえば、「安全が保証されて、安心が生まれ、それが継続して信頼が得られる」
それが、科学技術と「安全」「安心」を巡る社会的認知の理想的な展開である。
しかし、実際はそうならない。それはなぜか。
村上先生の話は、そこから始まった。

「安心」に相当する英語は見当たらないのだという。
私たちは、「安心」を「気にかけないで済むこと」と理解し、よいイメージを持っている。前述のように究極の実現目標にもなり得る。

ところが西洋では違う
村上先生によれば、「気にかけないで済むこと」というのは、Securityという言葉の原義に近いという。(ラテン語でsed=without=それなしで、 cure=concern=気にかける)

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音楽が好きで、好きで仕方ない ピーター・バラカンさん

photo_instructor_585.jpg人間は、個人的体験や出来事についての記憶を、脳内の長期記憶貯蔵庫に、ほぼ無制限に保管することができる。
ただし、脳内倉庫の奥にしまい込まれた、記憶箱の中身を探し出すには、中身を示す「ラベル」が必要になる。
人間は、洋の東西を問わず、歌や音楽をその「ラベル」に使ってきた。
ほこりだらけの箱に何が入っているのか、歌や音楽という「ラベル」によって識別できることを本能的に気づいたのかもしれない。
ある音楽を聴くことで、脳の奥底に眠っていた懐かしい記憶を鮮やかに思い出すことができる理由は、そういうメカニズムである。

歌や音楽は、人生物語のインデックスになる。
多くの人は、歌や音楽を手がかりに、個人的体験や出来事を想い起こし、その時の喜びや痛みを再現することができる。

ピーター・バラカンさんの場合、音楽は記憶ラベルであると同時に、それ以上の意味もあったようだ。家族の思い出、時代の象徴、仕事そのもの、として記憶に入り込み、好きな音楽を話すことが、自身のライフバリューを語ることに等しくなる。
そんな音楽漬けの人生がよくわかる二時間であった。

音楽の原体験は、ラジオから流れてきた子供向けのノベルティソングだった。
Charlie Brown /The Coasters
untitled.bmpのサムネール画像のサムネール画像


11才の時に聴いたビートルズの衝撃はいまも忘れない。
Twist and shout /The Beatles
ビートルズ.jpg

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宇宙研究の最前線  村山斉さん

photo_instructor_584.jpg村山斉先生が機構長を務める「東大数物連携宇宙研究機構」は、「数学と物理が連携して宇宙を研究する」ことを目的として設立された。
近代科学を代表する思考ツールの熟達者が解明しようとする宇宙の謎は、実に素朴なものである。

・宇宙はどうやってはじまったのか
・宇宙に終わりはあるのか
・宇宙は何でできているのか
・宇宙のしくみは何か
・宇宙にどうして我々がいるのか。

一神教が「神が万物を創造した」というテーゼを提示して以来、人類は、「神の意図」「神の設計図」を、なんとか知りたいと考えてきた。その情熱が、ギリシャ哲学を再発見し、近代科学を産みだした。
その先端、いわば人類4千年の知的営みの最前線を担うのが、数物連携宇宙研究であろうか。

それにしても、宇宙は広い。
「光の速さ」という人間が認知できる最も早いスケールをあてはめてみると、そのとてつもない広さがわかる。
光の速さで、月までの距離は1.3秒、太陽までは8.3分、海王星まで4時間、太陽系の外で一番近い星まで4.2年、銀河系の中心まで28,000年、すぐ隣の銀河、アンドロメダまで250万年、宇宙の果てまでは137億年。
上記の問いが、如何に壮大(途方もない)難題なのか、直観的に理解できる。

しかし、近年の宇宙研究で分かってきたことも多いという。
ひとつは「暗黒物質」
宇宙全体の23%を占めながら、その姿を捉えられないできた謎の存在が、おぼろげながらも、輪郭を現そうとしている。
すばる望遠鏡を用いた観測技術とエックス線を使った撮影技術の組み合わせにより、目には見えない「暗黒物質」の可視化に成功したのだ。
村山先生が紹介してくれた「暗黒物質」の姿は、薄ぼんやりとしたモヤのように見える。「暗黒物質」は、宇宙に一様にあるのではなく、まばらに広がりながら偏在し、多くの銀河団に重力エネルギーを及ぼしていると想定されている。

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芸術とは人間そのものである  千住博さん

photo_instructor_583.jpg「私は芸術について、こう思っています」「皆さんはどうですか?」

千住博さんは、二時間の講演を通して、何度もこのフレーズを繰り返した。やがて私たちは、この問い掛けが、本講演の主題「芸術的発想「「美的発想」そのものであることに気づいていった。
千住さんは、講演という行為を通して「芸術的発想「「美的発想」を、目に見える形で実践してくれたのではないかと思う。
それは、グローバリズムが席巻しつつある世界に向けた文明論であり、哲学の提示でもあったのではないだろうか。

「芸術とは何か」 この命題に対して、千住さんは和風洋食(例えば納豆パスタやカツカレー)を喩えに、分かり易く解説する。

「芸術とは、ある枠組み(制約)の中で、まったく異なるものが調和を奏でることである」

異質なものが個々の存在感をしっかりと主張しつつも、ある枠組み(制約)を受け入れることで、全体の調和を創造する。この意味で、納豆パスタやカツカレーと、オーケストラや絵画は、同じ構造と言える。

では、「芸術的な発想」とはどういうことだろうか。
千住さんは、「仲良くやる知恵」を発揮することだと言い切る。
伝えにくいこと、伝わりにくいことを伝えようという努力。しかも不特定多数の人々に向けて表現しようという工夫。
いわば、自分のイマジネーションをコミュニケーションしようとする思いの強さが、「芸術的な発想」ということである。

「私は芸術について、こう思っています」「皆さんはどうですか?」
このやりとりが、「芸術的な発想」が具現化された姿なのだ。

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日本海の架け橋  加藤嘉一さん

photo_instructor_582.jpg 中国というのは、「1+1=2」にならない国です。

新進気鋭の中国ウォチャーである加藤嘉一氏が、「中国ってどんな国ですか?」と問われた時に、決まって答える言い方である。

常識が通用しない。コロコロと方針が変わる。すぐに裏をかいてくる、網の目をくぐることに頓着しない。言うこととやることが違う。
巷間、中国の異質性について語られる逸話をあげたら枚挙にいとまがない。
しかし、中国人にとっては、いずれも合理性のある行動なのだろう。そうすることで社会の秩序が維持されてきた面もある。

平田オリザさん流に言えば「コンテキストのズレ」という現象なのかもしれない。「国柄や地域・文化によって異なる個性」に過ぎない。
そのズレ方が、少しばかり豪快であり、国土も人口もケタ違いだから目立つだけなのだ。

考えてみれば、日本が世界との「コンテキストのズレ」に悩んだ時代もあった。
幕末から明治の半世紀は、まさにそういう時代であった。
当時、世界の人々が、日本と世界のズレを嘲笑的に観察していた様子は、英国人画家チャールズ・ワーグマンの「ジャパン・パンチ」という風刺漫画に残されている。
日本の近代史は、近代思想・制度を必死になって導入することで西洋列強との「ズレ」を解消しようとした歴史であったとも言える。

近代思想・制度の導入が、国家的な「ズレ」の解消努力であったとすれば、別のアプローチで汗をかいた人々もいた。
「ズレ」は個性であって「遅れ」ではないこと、日本の個性の中に、西洋人が共鳴できる崇高な知性や倫理があること、を主張した知識人・言論人の存在である。

内村鑑三新渡戸稲造岡倉天心の三人は、その代表であろう。
彼らに共通するのは、青春時代に優れた外国人の影響を受けたことと、海外で暮らした経験である。海外に触れることで、自分(日本)と世界を相対化し、第三者(西洋)が見た日本を強く意識した点にある。
やがて、彼らは壮年期になって、相次いで「英語での日本論」を発表する。
内村は『Representative Men of Japan(代表的日本人)』を、新渡戸は『The Soul of Japan(武士道)』を、岡倉は『THE BOOK OF TEA(茶の本)』をそれぞれ書いている。
いわば、日本人論、日本精神論、日本文化論といったところであろう。

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