« 2011年9月 | メイン | 2011年11月 »

慶應KMD教授による講演および教授陣による説明会

10月6日の石倉洋子先生の講演ブログでもご紹介しましたが、石倉先生がこの春から所属していらっしゃる慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(略称:KMD)の入学説明会がMCCのキャンパスで開催されます。

------------------------------
◆メディアデザイン研究科の教授による講演および教授陣による説明会
http://www.kmd.keio.ac.jp/jp/news/2011/10/1041830.php

日時:2011年11月4日(金) 
開場:18:00
   (これより前に到着されましても中へは入れませんのでご注意ください)
開演:18:30、終了:20:30
場所:慶應丸の内シティキャンパスCスクエア
   (千代田区丸の内2-5-2三菱ビル10階) 地図はこちら

<プログラム>使用言語:英語

18:30-19:30
当研究科教授 石倉洋子君 講演およびQ&A
【講演タイトル】「世界の潮流、イノベーション、リーダーシップ:なぜKMDへ?新しい発見?」(英文タイトル:"Mega trends, innovation, leadership-Why KMD and what I found out at KMD")


19:30-20:30
メディアデザイン研究科委員長稲蔭正彦君による説明会(入試情報含む)およびQ&A
--------------------------------

KMDは、ビジネススクールなのか、IT系専門職大学院なのか分かりにくいという感想を持たれる方も多いかと思いますが、まさにそのわかりにくさにこそ新奇性があります
つまり、既存の大学院とは異なった新しいコセンプトに基づいているからです。

KMDのウェブサイトには、

「21世紀のグローバル時代の創造活動を先導できるリーダーは、デザイン、テクノロジー、マネジメント、ポリシーの4つの分野の創造性を理解するのみならず、それらを調和・統合することが不可欠である」

と謳われていますが、これからの時代のイノベーションは、上記4つの領域の専門性を持ちつつ、それをインテグレトすることで発現されるのではないでしょうか。

KMD立ち上げに際して、古川亨教授(元マイクロソフト)がおっしゃっていましたが、「なぜ日本からスティーブ・ジョブズやラリー・ペイジ(グーグル創業者)が育たないのか!」
という疑問に答える大学院を目指しているとのこと。

マネジメント分野の石倉先生をはじめ、
デザイン分野では、稲蔭正彦先生
テクノロジー領域では、古川 享先生
ポリシー領域では、中村伊知哉先生 等々
これまで夕学にも登壇いただいた看板教授が揃う素晴らしい大学院です。

ご関心のある方は是非、お越しください。


◆メディアデザイン研究科の教授による講演および教授陣による説明会
http://www.kmd.keio.ac.jp/jp/news/2011/10/1041830.php

「感じる」「創る」「動かす」 前刀禎明さん

photo_instructor_581.jpgiPod miniの仕掛け人として、日本でのAppleブランド復活を成功させた前刀禎明さん。

昨夜、前刀さんの具沢山てんこ盛り丼のような夕学を終えて、東京駅のホーム階段を昇っていた時、NTTドコモGALAXYタブレットの広告ポスターが目に飛び込んできた。
失礼ながら、そのキャッチコピーに、思わず苦笑いしてしまった。

「軽く、薄く、そして速く!!」

同時に、講演の中で紹介されたニュース映像が想起した。
2004年、iPod miniの発売当日の朝、銀座のアップルストアに向かおうとする前刀さんを追いかけた映像である。前刀さんの肩越しに見えるビルに掲げられた大きな街頭看板は、iPod対抗として発売されたばかりのソニーのネット対応型のMDウオークマンの広告であった。

「13000曲が入る!!」

微かに見えたキャッチコピーには、それに近い表現が謳われていた。
小型化したために、1000曲程度しか収容できなかったiPod miniとの機能面での差別化を狙った訴求であることは明らかであった。

ドコモGALAXYタブレットの広告に関していえば、日本企業の戦い方は、7年前とまったく変わっていない。
いつの時代も、勝負を掛けるのは「機能の優位性」である。

前刀さんの講演で、改めて再認識できたように、iPod mini発売にあたって、Appleの戦略は、「土俵を変えること」であった。

「Good bye MD」

MD全盛だった、日本の携帯メディアプレイヤー市場に参入するにあたって、Appleは、既存市場を否定するメッセージを発信することから始めた。
iPod miniは、五色展開のカラーバリエーションを武器に、ファッションアイテムとして売り出した。Appleが注力したのは、機能ではなく、「感性の訴求」であった。
この戦略に、日本人はまんまと乗せられてしまったわけだ。

続きを読む "「感じる」「創る」「動かす」 前刀禎明さん"

「協働のイノベーションを」 金子郁容さん

1995年は、「ボランティア元年」と呼ばれている。
キリスト教文化がない日本には、ボランティアは根付かないと言われていたにもかかわらず、阪神淡路大震災には、130万人以上のボランティアが全国から集まり、被災者の救援と復興に尽力し、大きな成果があがったからである。

「人の役に立つことは、人間の喜びにつながる」
このシンプルな原理に多くの人が気づいたからだ。

震災の3年前に、『ボランティア』という本を著し、日本のボランティア運動に最初の指針を示したと言われる金子郁容先生はそう振り返る。

2011年、「ボランティアは当たり前」になった。
東北大震災の際に、避難所の人々と支援やケア、子供達の世話、ガレキ処理等々の実働部隊として、まず期待されたのは、ボランティアであったし、期待通りの働きをしたという。
いまや、ボランティアは、公共サービスの担い手として、欠かせない存在になった。

この流れを受けて、民主党政権発足と共にスタートしたのが「新しい公共」構想であった。
「官が担う公」の時代から、「民も参画する公」の社会へ。
金子先生が座長を務めた一連の活動は、稚拙な政治に翻弄され、傷だらけになりはしたが、その理念と方向性は、間違いなく正しいものだった。

目立つことは少なかったが、成果も上げることができたという。
例えば
寄付の税額控除制度
NPOの仮認定制度

続きを読む "「協働のイノベーションを」 金子郁容さん"

安房は亀田が変える。安房から日本を変える。  亀田信介さん

photo_instructor_580.jpg先が見えない混迷の時代に求められる戦略は、「イノベーション=新しい組み合わせ」である。
10/6の夕学に登壇された石倉洋子先生の論を借りるとそうなるが、ノンプロフィット組織(行政体、学校、病院等)にイノベーションを起こすには、これまで縁の薄かった経営学の知見を活かすことだと言われている。
残念ながら、行政体や学校では、近代経営メソッドによる成功例を聞いた例がないが、病院経営には成功がある。その代表が千葉鴨川の亀田病院グループ(亀田メディカルセンター)である。

亀田信介院長は、江戸時代から続く医者の家系の11代目として、亀田病院の改革を担ってきた人物である。

ノンプロフィット組織の問題は、「ガバナンスとマネジメント」である。
亀田さんは、そう喝破した。
併せて、①ミッション・バリューの共有化、②CS経営という処方箋も一緒に提示してくれた。

亀田グループでは、医療サービスの役割を「社会インフラサービス」だと謳っている。治療や健康の維持は手段であって、医療の目的は、社会をよりよくすることだと考えている。その視野の広さが、後述する大きな構想力につながっている。

また、CS経営で重要なのは、全体ではなく個を見ること、そして顧客に向き合うスタッフへのサービスも一緒に考えること(ES)である。亀田病院はこの両方が出来ている。

亀田病院では「Team STEPPS」というシステムを採用しているという。医療におけるチームパフォーマンスを向上するためのマネジメントメソッドである。
詳細の説明は省くが、このチームの中には患者や家族・友人(人によってペットも)含まれる。

日本の病院の先駆けとしてカルテの電子化を導入したのも、患者さんがチームに参加してもらうのに情報共有が必須だったからだ。
家族サポーターの参画を得るには、時間の制限がない方がよいに決まっている。だから24時間面会可能な病棟を作った。
ペットを家族同等に大切にしている患者さんのために、ペットラウンジも設けた。
霊安室は、景観のよい最上階に設置し、隣室には湯灌のプロが常駐し、最後の見送りに備えている。

こうした経営革新もあって、亀田病院は、いまや私立の一般病院としては、日本最大の規模と人員を誇るまでになった。

続きを読む "安房は亀田が変える。安房から日本を変える。  亀田信介さん"

「もうひとつの絆」 山折哲雄さん

photo_instructor_579.jpg山折先生が、震災後の東北を始めて訪れたのは4月中旬のことだったいう。3日間かけて、松島から気仙沼まで、甚大な被害を受けた沿岸の町々を北上した。そこに広がっていたのは、賽の河原かと見紛うほどの、荒涼とした光景だった。

しかし、顔を上げると、澄み切った春の青空が目に飛び込でくる。一瞬だけ眼前の現実を忘れてしまうほどの美しさであったという。

大自然の持つ「凶暴さ」と「美しさ」。 太古から、人間は自然の二面性を受け入れ、両方と付き合い続けている。だからこそ、自然に「希望」を見いだすことができる。
山折先生は、このことを改めて認識したという。

津波に襲われた沿岸部では、亡骸を葬る場所もなく、至る所に簡易の集合墓が造られ、土葬で見送られたご遺体が、盛土に立札だけで弔われていた。

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍 ....

山折先生は、その光景を見て、万葉集に収められた大伴家持の歌を思い浮かべたという。
ここで歌われる「屍」とは、物理的存在ではない。亡骸から離れ、自然に還ろう(溶け込もう)とする「魂」を意味する。
生のすぐ隣に死があった時代の「鎮魂のうた」だという。

私も始めて知ったが、万葉集の半数近くは「挽歌」であるという。
しかも、詠われる死者のほとんどが、今でいう異常死である。災害、行き倒れ、刑罰等々非業の死を遂げた人々の魂をどう鎮めるか。万葉の昔は、それが多くの人に共有された精神的な課題であった。
死とは今よりももっと身近なもの、常に生の隣にあって、どう付き合うべきかを考えねばならぬもの。ここにも自然の二面性が垣間見える。


続きを読む "「もうひとつの絆」 山折哲雄さん"

「自分のことは自分で決める」 工藤公康さん

photo_instructor_578.jpg
「自分は引退したわけではない。どの球団にも所属していないだけで、現役の野球選手である。従って、元○○球団選手ではなく"野球浪人"である。」

工藤選手に、夕学でご紹介する際の肩書きをお尋ねした際の返答である。

確かに一年前、戦力外であることを通告された。しかし、それはいまの日本のプロ野球界の見方であって、正しいとは限らない。自分の限界を他者に決めてもらいたくはない。
そんな反骨精神が伝わってくる発言と言えるだろう。

ただし、工藤さんのこだわりは、反骨のための反骨、意地のための意地ではないようだ。

「自分のことは自分が一番分かる 自分のことは自分で決める」
30年近いプロ人生を貫いてきた、「自律の精神」に従ったものに違いない。
だから明るく、自信たっぷりに"野球浪人"を自称できる。


(肩を)開くな! (ヒジを)下げるな! (からだを)残せ! (前に)突っ込むな!

野球ファンならずとも一度は聞いたことがある指導法である。速いタマを投げるために、そして肩を壊さないために有効な合理的な指導ポイントであることは確かなようだ。

ところが工藤さんによれば、プロ野球の投手コーチで、「それは(具体的に)どういうことか」という問いに対して答えられる人は皆無だという。
「肩が開く」ということは、身体のどの筋肉や関節がどのように動いていることなのか、どのコーチも説明することはない。
ただ、開くな! 下げるな! 残せ! 突っ込むな!を繰り返すだけだという。

工藤さんは、若い頃から、これが我慢できなかったようだ。

続きを読む "「自分のことは自分で決める」 工藤公康さん"

「戦略とキャリアのシフト論」 石倉洋子先生

photo_instructor_577.jpg

「きょう、このタイミングで、この話題に触れないわけにはいきませんね」

石倉洋子先生は、まずスティーブ・ジョブスの話から始めた。
彼の人生年表を見て、誰もが気づくことは、ジョブスの56年の生涯は「戦略とキャリアをシフトする」人生であったということだろう。
アップルを創設し、内紛で放逸され、再び復帰した。
PC、携帯音楽プレイヤー、携帯電話、タブロイド端末...いずれもそれまでの概念を大きく変える商品を作り出した。
ジョブスが創造した商品とともに、アップルという会社の戦略も変わってきた。
石倉先生の「戦略とキャリアのシフト論」のイメージを伝えるに相応しい人物だったのかもしれない。

さて、本題。
石倉先生のグローバル時代認識は、「不安定」「不確定」な世界であるということである。中心なき世界では、権力の逆転や秩序の大転換があっという間に起きる。人もお金も情報もオープンに世界を動き回る。

人類の歴史を振り返れば、混乱の時代、乱世は何度かあった。
しかし、混乱はやがて安定し、乱世は統一に向かうのが歴史の必然でもあった。
ところが、今回はそれがあてはまらないようだ。「不安定」「不確定」は当分の間続く、それが多くの人の一致した見解であるという。
「何が起きるか、先はどうなるのかは誰も分からない」
この認識が当たり前になることを受け入れなければならない。

先の見えない混迷な時代に、明日に向かって生きる希望はあるのだろうか。
石倉先生は、「毎日が戦いの場である」と言った。
茂木健一郎氏の言葉を借りれば「不確実性を楽しむ」鷲田清一先生に言わせれば「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」ことと同じ意味として理解させていただいた。
つまりは、考えようによっては、可能性がいくらでも開かれている、面白い時代が到来したということである。

続きを読む "「戦略とキャリアのシフト論」 石倉洋子先生"

第25回 1/31(火) 武石彰さん

第25回 1/31(火)の講師は、京都大学大学院経済学研究科教授の武石彰先生です。

武石先生は、日本を代表するイノベーション研究者のお一人です。一橋大大学院にいらっしゃる頃から夕学にお呼びしようと思っていましたが、ようやく実現することができました。

かつてのベンチャーブームの際にも、MOTが騒がれた時も、新産業育成が国家的課題だとされる現在も、いつもその中心には「イノベーション」の必要性が謳われていました。

さらにいえば、シュンペーターが「イノベーションは新しい結合である」と喝破してから100年。「イノベーション」は企業経営にとっても、経済政策においても、常にド真ん中のテーマでありました。

「イノベーションとは、単なる技術革新のことではない。それは経済成果をもたらす革新のことであり、革新を通じて経済社会を変革することである。イノベーションを実現するには、優れた技術を創造するだけではなく、経済社会に対する主体的、創造的な働きかけが必要である」

武石先生は、今回の講演にあたって、このように述べています。

どうすれば「イノベーション」が起こせるのかというHow toよりも、なぜ「イノベーション」が必要なのかというWhyをじっくりと考えてみたい講演です。

第24回 1/25(水) 宗次德二さん

第24回 1/25(水)に登壇いただくのは、株式会社壱番屋創業者特別顧問の宗次德二さんです。

宗次さんが、夫婦で始めた喫茶店の看板メニュー「カレー」を武器にして、カレーハウスCoCo壱番屋を名古屋に創業したのは、1978年のことだったそうです。以来33年、CoCo壱番屋は国内外に1300近い店を構える一大カレー店チューンに成長しました。
「ココイチ」の愛称で親しまれるその味、ライス、辛さ、トッピングまで細かいスペックで独自に選択できる注文システムは、差し詰めマーケティング理論でいうところの、「マスカスタマイゼーション」の成功例かと思います。

宗次さんは、10年程前に経営の一線を退き、クラシック音楽の普及などの社会貢献活動に注力をされています。

今回の演題は「夢を持つな!目標を持て!」
ゼロから事業を立ち上げた、筋金入りの創業経営者らしい芯のあるお話が伺えそうです。

第23回 1/24(火) 吉田都さん

第23回 1/24(火)に登壇いただくのは、バレリーナの吉田都さんです。

吉田さんは、9歳でバレエをはじめ、18歳の時に英国ロイヤルバレースクールの留学。1988年より2010年まで22年間にわたって英国の2つのロイヤル・バレエ団(バーミンガム・ロイヤル・バレエ団、ロイヤル・バレエ団)でプリンシパルを務めました。

日本が生んだ世界最高峰のバレリーナと呼ばれています。
西欧の宮廷文化から生まれたバレエという身体芸術を、体格も生活文化も異なる日本人が演じるということは、スタートの時点で大きなハンディキャップを背負ってしまうのではないかと、わたしのような素人は思います。
実際に、吉田さんの英国生活は、劣等感との戦いから始まったと言います。

一方で、吉田さんは10代にして、英国バレエ団の専門家が舌を巻くほどに卓越した技術を身に付けていたとも言います。

周囲の高い評価と本人に抱く劣等感。それを埋めるためのチャレンジが吉田さんのバレエ人生だったのかもしれません。

昨年ロイヤルバレエ団を退き、新しいステージに立とうとしている吉田さんが、次に何に挑戦しようとされているのか。じっくりとお聞きしたいと思います。