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「民の国」が抱える悩み 遠藤功さん

あんなリーダーしかいないのなら、(日本は)原子力発電をやってはいけない」

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日本の原発不安がピークに達していた4月に、遠藤先生がフランス人から言われた言葉だという。
ドイツ本社のコンサルティングファーム、ローランド・ベルガーの日本法人会長でもある遠藤先生は、欧州で行われたグローバルミーティングで、期せずして日本国の代表として、欧州知識人の厳しい糾弾の矢面に立たされることになったという。

世界の原発推進国であるフランスから見れば、日本という国には、原発という未成熟・未完成な技術を使いこなす高度なマネジメント能力が欠如しているというわけだ。

あまりに的を射ており、反論できないという悔しさと、日本の現場を支えている、多くの無名の現場リーダーの存在が、彼らの目には見えていないことへの絶望感に、JAPANブランドが失墜していくさまを見ているような気がしたという。

「中央」のリーダシップが担うべき求心力と「現場」のリーダシップが担う遠心力。
この二つが、バランスを取りながら発揮されることでしか、原子力発電という高次な技術は使いこなせない。
同じことが、きょうの講演テーマ『日本品質』にも言えることだという。

遠藤先生が昨年、『「日本品質」で世界を制す!』という本を出した裏には、「日本品質」が揺らいでいるという表層的な論調に対する反論の意図があった。
確かにこの数年で、日本を代表する企業で品質問題が頻発した。
パナソニックのファンヒーター事故、トヨタのリコール問題、花王のエコナ製品の販売自粛等々。

しかし、遠藤先生の認識は、日本の技術が劣化したのではなく、より高次な次元に進化しようとしている故に直面した新たな壁である、というものだ。

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文化としての「ソングライティング」 佐野元春さん

「詩=言葉」は力を失ってしまった、とよく言われます。現代詩が文学ディレッタントに終始するかぎり、そう言われても当然です。しかしどうでしょうか。唄の詩人達=ソングライターたちの言葉は、深く人々の心に届いています。そう考えると、ソングライターたちこそが、現代を生きている詩人といえるのではないかと思います。

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佐野元春さんが、母校立教大学の公開講座であり、NHK教育テレビのドキュメンタリー番組でもある「ザ・ソングライターズ」の企画に際して寄せた文章の、冒頭にある一節である。

夕学の講演も、同じメッセージから始めた。
唄の詩人達=ソングライターたちの充実した仕事ぶりと社会への影響力を見れば、「ソングライティング」という知的営みは、文学、演劇などの他の表現と同様に、現代のパフォーミングアーツとしてアカデミズムの研究対象になり得る一級の表現形式であるはずだ、という自負と確信を持って、佐野さんは「ソングライティング」を語る。

日本語には、伝統的に秀でた言葉のビート(韻律)の文化があったと佐野さんは言う。
例えば、俳句。
五・七・五の形式は、言葉の数の決まり事だが、その裏には、4拍×4小節の韻律が隠されている。

♪♪♪「古池や / 蛙飛びこむ / 水の音 / ・・・・/」♪♪♪

佐野さんが、指でビートを取りながら、この句を詠むと、芭蕉もラップに聞こえてくるから不思議だ。
最後の1小節は無言ではあるが、韻律はしっかりと刻まれる。だから余韻が残るというわけだ。

現代の、唄の詩人達=ソングライターたちもこの系譜を受け継いでいるのだ。

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波に乗りながら、波をおこす 阿部秀司さん

「夢に満ちてはいるけれど難しい」それが映画ビジネスであろう。
とりわけ、アニメ以外の「邦画」にそれがあてはまるようだ。

言語と文化の壁があるので、マーケットが国内に限定される。
ハリウッド映画は別格としても、例えばデンマークのような小国でも映画産業が盛んであるのは、最初から5億人のEUマーケットを視野に入れることができるからだ言われている。
競合は激化する一方である。テレビ、ネット、ゲーム、カラオケ、ケータイetc...。娯楽は次々と生まれている。
技術革新は進み(CG・3D)、最新の表現方法を追いかければ巨額の投資が必要になる。

市場は頭打ちで、費用と投資は右肩上がり。どんどん儲かりにくくなっている。

映画業界も、手をこまねいていた訳ではない、時代に適応すべく変化してきた。
コンテンツの二次利用、三次利用モデルを確立し、興行だけでなく、DVD・テレビ放映権までを含めて、製作費を回収しようとしてきた。
テレビ番組を映画化するという手法を見いだし、企画のリスク低減とメディア連動型マーケティング展開でヒットを飛ばした。
制作委員会方式という投資スタイルを作り、リスク分散型の製作方式を産み出した。
近年では、コミックやベストセラー本を原作とすることで、企画リスクを更に抑えようとしている

しかし、いずれも絶対的なモデルではない。失敗もたくさんある。パッケージは売れなくなった。製作委員会の組成も簡単ではない。原作の映画化権利獲得競争は激化する。
映画製作プロデューサーの仕事は、難しくなるばかりといったところか。

阿部秀司さんは、構造的変革期にある映画業界において、新しい波に積極的に乗りながら、自らも波をおこしてきた人である。
きょうの話を聴くと、成功パターンを作りつつも、それに安住せずに、いつも新しい切り口を取り入れるイノベーターであろうとしている方のようである。

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「お座敷」は、日本文化の集約センター 紗幸さん

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文化人類学(社会人類学)とは、人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的なありかたを研究する学問である。
そのために、文化人類学者は、対象とする人々や社会にその一員として入り込み、共に暮らし、同化することで、さまざまな生活事象を体験・観察し記録していくのである。
例えば、アマゾン奥地で、原始的狩猟・採集生活を続ける原住民族を調査するために、彼らと一緒に茅葺きの小屋に寝起きし、キャッサバやピラニア、昆虫を食べ、幻覚剤に酔い、死と再生の祭りに参加する。
それが文化人類学者である。

15歳の時、一年間の交換留学生としてオーストラリアからやってきた紗幸さんは、もう一年、さらに一年と滞在期間を延ばして慶應大学を卒業した。
その後は、オックスフォード大学でMBAと人類学の博士号を取って学者になった。
もう一つの顔では、テレビプロデューサーとして比較文化ドキュメンタリー制作にも携わってきた。

日本文化に親和性を持ち、人類学者で、ドキュメンタリー制作者、という紗幸さんが、そのクロス領域として、日本の花柳界に興味関心を持ったのは自然なことだったのかもしれない。
外国人が日本で一度会ってみたいと思う人気No1は、いまも「ゲイシャ」であり、日本文化の象徴として、純粋な興味関心の対象である。
花柳界は、前近代的な因習が色濃く残り、猥雑な側面もあったので、日本の学者が研究対象とすることは少なかった。
しかしながら、花柳界の、ある側面を切り離して捉えることができれば、日本を代表する文化であることは誰もが認めることであろう。
日本人と外国人の両義的存在である紗幸さんは、それが躊躇なく出来た。

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B to H(human,heart)のマーケティング 魚谷雅彦さん

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ブランド論の知見によれば、ブランドには二つの機能がある。
ひとつは「識別機能」 目印、保証、安心の証である。
「中身はよくわからんけども、このブランドなら大丈夫だろう」と思わせてくれる働きである。商品・サービスそのものの基本価値が蓄積されて構成される伝統的な機能である。

もうひとつは、「想起機能」
そのブランドを見ることで、なんらかの(良い)イメージが想い起こされるというものだ。
商品・サービスに付随した付加的活動の集積によって構成される機能である。

魚谷さんは、前者を「INTRINSIC」、後者を「EXTRINSIC」と呼び、ブランドは両者のバランスの妙だという。

コカ・コーラは、「INTRINSIC」な価値が100年以上変わらないユニークなブランドだが、それでいて6兆円のブランド価値と評価される(2009年 インターブランド社)所以は、「EXTRINSIC」な価値を絶えず確信し続け、鮮度を保ってきた証左であろう。

魚谷雅彦氏という存在も、日本コカ・コーラというブランドの「EXTRINSIC」価値を高める役割を果たしていると考えると分かり易い。
186センチの長身にロンドンストライプの紺のスーツと明るいエンジのネクタイがよく似合う。オープンで包容力があり、誰の話にも耳を傾けてくれ、明るく励ましてくれる。
うつむき加減が続く日本社会に求められているリーダーの理想像である。

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文明論という「視座」で電子書籍を読み解く 佐々木俊尚さん

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佐々木俊尚さんが会場入りする前に、控え室で旧知の出版社編集長と電子書籍事情について雑談をした。
衝撃的なiPadの登場から一年。昨年末には各社の電子書籍端末や配信サービスが出揃い。電子書籍市場が花開くと言われた。半年経過時点で、業界人の見方はどうなのか。


「騒がれたほどには売れていない」

それが衆目の一致する意見だという。

「紙の本の20分の1ですね」

編集長によれば、紙の書籍で100部売れる大ベストセラーで5万ダウンロードが、現時点での電子書籍市場の相場だという。
理由はいろいろと言われている。
出版業界の閉鎖構造がどうのこうの、端末の使い勝手がどうのこうの、値段がどうのこうのetc。

「それらは、すべで本質論ではない」

それが佐々木さんの見解である。
電子書籍やタブレットの登場は、ビジネス戦略や出版・書店業界の再編といった文脈で理解すると本質を見誤る。視野を目一杯広げて、壮大な「文明論」として位置づければ、自ずと見えてくるものがあるという。

書籍を、「知の伝播システム」として意味づけたときに、システムを構成するのは、コンテンツ=本の中身、コンテナ=配信システム、コンベヤ=媒体の三層であると佐々木さんはいう。
この中で、コンテンツ=本の中身は「知」そのものであり、最も重要なことは言うまでもない。
また、コンベヤ=メディアは、歴史を紐解けば多くの変遷をとげてきた。古代の粘土板・石版からはじまり、竹簡、パピルス、羊皮紙、紙、そして電子書籍端末、やがては電子ペーパー... 進化するのが当たり前のものであった。iPadもキンドルもそのひとつと考えれば、革新的な製品ではあっても、文明のパラダイムシフトを促すほどの変化ではない。

むしろ、コンテナ=配信システムが大きく変わろうとしていることの意味を考えるべきだという。

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