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コストマネジメントという専門性 栗谷仁さん

「経営の目的は何か」
所説あることは承知しているが、最も狭義の考え方に則れば、「利益の最大化」ということで衆目の意見は一致するだろう。
そして、下記のシンプルな計算式にも異論は生じない。

利益=売上-コスト

二元論的に言えば、利益を上げるということは、「売上を上げるか」、「コストを下げる」かの選択である(正確には、両方を同時にやるという選択肢もあるが)

MBAには、「売上」を上げるために必要な知識を学ぶ科目は多い。経営戦略、マーケティング、人材マネジメントetc。
一方で、「コスト」を下げることにフォーカスした科目はない。栗谷氏が卒業したハーバードのMBAにも「コストマネジメント」という科目はなかったという。

コスト削減には、マイナスのイメージが強い。「人減らし」「下請けいじめ」という言葉がすぐに連想されることでもわかるだろう。
しかし、それでいいのかという思いも強い。

「欲張らない」「ほどほどに」「節度を持って」
それが世界の経済社会の共通認識になりつつある成熟化の時代には、売上を上げること以上に、コストを下げることに、陽の目があたってもいいのではなだろうか。
前向き、論理的にコストを考える。「コストマネジメント」の思考法が、求められる時代になったと思う。

ATカーニー社の調べては、10産業×上位5社=50社の平均値を取ると、会社の総コストの11.1%を、間接材コストが占めている。(ちなみに人件費は6.4%)
「そのうちの10%は削減できる」
それが、多くのコスト削減コンサルティングを手がけてきたATカーニー社の経験則だという。

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人権アクティビストという仕事 土井香苗さん

1996年 ひとりの女性(当時21歳)が、アフリカのエリトリアという国に渡った。
エリトリアは、1993年にエチオピアから独立したばかりの若い国。女性の名は、土井香苗さん、東大法学部三年で司法試験に合格してすぐのことであった。
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中高生時代から、世界のどこかで苦しむ人達の力になりたいと考えていた土井さんは、ピースボートのボランティアに名乗りをあげ、まだ湯気が立ち昇っているようなアフリカの新国に赴いた。
一年間、エリトリア法務省で刑法作成の手伝いをしながら、国作りに情熱を燃やす多くの若者達と出会った。
そこは、国家の草創期の熱に溢れ、知的梁山泊のような雰囲気に満ちていたという。

ところが、帰国後弁護士になった土井さんに届いたのは、エリトリアが戦争を再開し、2001年に独裁国家に転じたという情報であった。
共に学び、議論した若者の多くが、弾圧・拘束され、収容キャンプに送られた。処刑された者もいたという。
国家は、人権を守ることもあれば、蹂躙することもある。だからこそ、厳しくウォッチし続けなければならない。
その決意が、土井さんが、人権弁護士になった理由、ヒューマンライツウォッチの活動に入った理由であるという。


「人権」という言葉は、幸いなことに、現代の日本では深く議論する必要がない概念である。年末に行われる人権啓発運動には、「思いやり」「優しさ」といったほのぼのとした言葉が頻出している。
しかし、土井さんは言う。

「そんな甘っちょろいものではない」

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「母-オモニ-なるもの」 姜尚中さん

姜尚中先生は、政治学者ながら、NHK日曜美術館の司会を務めていた(3月まで)。
番組で取り上げた絵画の中でも、暗示的であったという意味で強い印象が残るという一枚の絵画の話から、講演ははじまった。
16世紀ネーデルランドの画家ブリューゲルの「死の勝利」という絵である。
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そこには、全ての者に訪れ蹂躙する死の圧倒的な存在と、それに対する人々の儚い抵抗が描かれている。

先月末、姜先生は、テレビ番組の取材で福島第二原発の30キロ圏内を訪れたという。そこで見た光景は、「死の勝利」を彷彿させる衝撃的なものだった。見渡す限り広がるガレキの山を眼前にして、自然の圧倒的な力の前に、人間がいかに無力な存在でしかないかを感ぜざるを得なかったという。

「前向きのオプティミズムの柱が、ポッキリと折れたような気がする」

3.11の衝撃について、姜先生は、そう語る。
前向きのオプティミズムとは、開発・発展・成長への傾斜であり、人間の欲望をエネルギー源とする進歩的社会観である。
戦後の日本を支えてきた観念と言ってもいい。 それがポッキリと折れてしまった。

今回の震災が我々に突きつけた問題は三つあるという。
1)科学への信頼
2)不可知・不可分なるものの受容
3)歴史の忘却 
の三つである。

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「人口の波」が日本を襲う 藻谷浩介さん

東日本大震災で、我々が強烈に思い知らされたのは、巨大な「波」の力であった。
先人達によって語り伝えられてきた知恵と近代科学技術の集積(と信じてきた)多くのものが、巨大な津波に飲み込まれ、流れ去っていく光景を目にした時、圧倒的な「波」の前に、多くの人々が無力感を感じたのではないだろうか。

藻谷浩介氏は、津波とは異なる、もうひとつの「波」が、日本列島全体に押し寄せている、否、すでに飲み込まれつつある、と指摘する。
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それが「人口の波」である。
一瞬にうちに押し寄せ、引き去っていった海の「波」とは違い、「人口の波」は、100年という長い年月をかけて、ひたひたと押し寄せている。それゆえ我々は、「波」の到来に気づかない、いや「波」の恐ろしさに鈍感にならざるをえない。

海の「波」は、押し寄せると同時に、破壊をはじめたが、「人口の波」は、最高到達点に達するまでは、破壊ではなく、創造と発展をもたらしてくれた。ある局面までは、天恵であった。
ところが、一線を越えた時に、巨大な引き潮となって、衰退という黒い海原へ人々を引きずり込んでいく。
「人口の波」は、いま(2011年)最高到達点に達しつつある。
巨大な引き潮が、日本経済を飲み込み始めている。
藻谷さんの指摘は、そういうことではなかったか。

「引用はご自由」にというお言葉をいただいたので、藻谷さんが使用された12枚のスライドを下記に添付する。
人口の波(藻谷浩介氏発表資料より引用).ppt

スライドショーにして、最初のページから「Enter」キーをポンポンと叩いてみて欲しい。
パラパラマンガのように「人口の波」が左から右へと押し寄せていくのが分かるであろう。

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第25回 7/28(木) 長岡健さん

第25回 7/28(木)に登壇いただくのは法政大学教授で、社会学者の長岡健先生です。
(※長岡先生の肩書きは、当初産能大学教授でご案内していましたが、4月から法政大学教授に就任されました)
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長岡先生は、「学習と組織」をめぐる現象について、社会理論、学習理論、コミュニケーション論の視点から読み解くことを研究テーマとしていらっしゃいます。

社会人の学び(特に企業内研修)を考える時、常に大きなテーマあり続けてきたのが「如何にしてプロを育てるか」ということでした。
学習論的な言い方をすれば、「熟達化」について論じられてきたと言えるかと思います。
組織が蓄積してきたノウハウや、その仕事特有の専門知識・技能・マインドに「熟達」した人材を育てることが、企業の競争力に直結するという思想が背景にあります。

しかしながら、大胆なパラダイムシフトが求められる変革期には、「熟達化」が、逆に足かせになることもあります。
そこで、これまでの価値観・方法を大きく変化させるうえで必要なアプローチとして、「アンラーニング(学習棄却」」が重要な人材育成課題になっています。

米国の人材開発コンサルタントウィリアム・ブリッジスは、「何かを始めようと思うのなら、その前に何かを捨てなければならない」と説いています。
それは、人間が苦労して身につけたものを捨てること=アンラーニングが難しいという事実の裏返しでもあります。

長岡先生の講演は、「アンラーニング」を社会人学習のホットイシューとして掲げ、なぜアンラーニングが必要なのか、何がアンラーニングの障害となるのか、どうすればアンラーニングを実現できるのかを考えます。

7/28(木)「アンラーニングが求められる時代~大人の学びの新たな展望~」 長岡健氏

第24回 7/26(火) 玄侑宗久さん

第24回 7/26(火)の講師は、僧侶で芥川賞作家の玄侑宗久さんです。
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玄侑さんのご実家で、住職を務めていらっしゃる福聚寺は、福島県三春町にあります。今回の震災では被害を受けられました。玄侑さんのwebサイトによれば、「お寺の山門横の塀が倒れ、六地蔵が倒れ、墓地もかなりやられた」とのことです。

それでも三春町は、幸いなことにライフラインは傷ついておらず、沿岸部の被災者が数多く避難してきているそうです。
一方で、福島原発からの距離は45キロ。避難地域外ではありますが、心理的な不安、さまざま風評被害を含めて、いまもなお、強い緊張状態に置かれていることは間違いないでしょう。

そんな中で、玄侑先生は、新聞のインタビューや寄稿記事、ご自身のwebサイトを通じて、冷静に、しかし強い憤りをもって、福島県の状況を伝えていらっしゃいます。

福島県には、地震・津波の直接的被害を受けた被災者、避難場所として被災者を受け入れた地域、原発事故で避難を余儀なくされた方々、農作物の出荷制限・自粛策により多大な被害を受けた農家、まったく問題ないのにも関わらず福島というだけで深刻な風評被害に見舞われている大部分の農家等々、いろいろな皆さんがいます。
いずれも地震・津波の被害者である点は同じですが、置かれた立場、求めていることは大きく異なるでしょう。

政府は、もっときめ細かい状況把握と対策策定が急務です。
マスコミには、自分たちの震災報道が及ぼす社会的影響への想像力が必要です。
私達には、冷静な判断と勇気ある行動が求められています。

講演がある7/26には、状況が大きく改善され、復興が進んでいることが期待されます。

7/26 (火)  「荘子に学ぶ~のびやかな生き方~」 玄侑 宗久氏

第23回 7/22(金) 鷲田清一さん

第23回 7/22(金)にご登壇いただくのは、大阪大学学長で哲学者の鷲田清一先生です。
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鷲田先生について、そして鷲田先生の考えていらっしゃる「知的な体力」に関しては、私が拙い紹介文を書くよりは、こちらの講話録を,是非ご一読ください。

鷲田先生が、今春、大阪大学の卒業式で述べられた「祝辞」です。
ネットで話題になっているのでお読みになった方も多いかと思いますが、本当の知性とは何かを説く素晴らしいお話です。

7/22 (金)  「知的な体力について」 鷲田 清一氏

詩集 『絶対空間』

昨年春に開催したagora「覚和歌子さん・谷川俊太郎さん【詩の教室】」の受講者の皆さんが、講座の課題として取り組んだ詩作を、私家版の詩集にまとめました。

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本当は、ここまでやる予定はなかったのですが、覚さんが講師の枠を越え、クリエイターとして本気モードで添削・指導していただいたことと、その指導を受けて受講者の皆さんも、これまた本気モードで取り組んでいただいたことで、いずれも劣らぬ力作が揃い、どうせなら形あるものとして残そうということになりました。

タイトル『絶対空間』は、ある受講者の作品名を使わせていただいたと聞いています。
講座の一環として、受講者全員で言葉をつないで作った詩に、作曲家の丸尾めぐみさんが曲を付けてくれた記念歌「東京朝歩」も譜面付きで納められています。


私事ですが、昨年山口の中原中也記念館を訪れました。
中也は30歳で早逝して天才詩人ですが、生前に出版した自作の詩集は、たった一冊『 山羊の歌』しかありません。
記念館で改めて資料を見学すると、『山羊の歌』を出版するために中也がいかに苦労をしたのか、そして思い入れをもっていたのかがよくわかります。
いくつもの出版社に断られ、ようやく決まった小さな出版社でも思うように事が進みません。

中也が、装幀や表紙のデザインに強くこだわり、コストが合わずに話が頓挫しそうになったこともあったようです。
なんとか出版にこぎ着けて初版で刷ったのは、わずか300部。そのうち100部を中也が引き取り、自分で番号を振って、友人・知人に送ったとのこと。

『山羊の歌』出版の翌々年には、子供を亡くしたショックもあって、精神が不安定になり、結核も患って、世に出ぬままに、この世を去りました。

まさに、生命を犠牲にして、渾身を込めて送り出した詩集でありました。


覚さんは、巻末に「あとがきにかえて」と題して次のように書いています。

詩を書くことは自己表現か。 そうありたいと思わないけれど、結果としてそうならざるを得ないのが、表現というものなのでしょう。 詩作品を読むことは、書き手の深層意識に向かい合うことをさけられないという意味で、具体的な出来事を伏せられたままで聞く人生相談に似て、なかなかにエネルギーが必要であると、今回の皆さんを相手にして初めて思い知りました。・・・・

人間が自分と向き合い、こころの深海に沈め置いていた意識を掴み出す作業は、きわめて緊張感を伴う精神作業です。
それを言葉に換え、他者に伝える行為には、それ以上の気力と知力が求められます。

限定25部の、小さな詩集にも、語り尽くせぬ人生が、しっかりと詰まっているのでしょう。

覚さんの「詩の教室」は今年も開講します。

覚 和歌子さん・谷川俊太郎さん【詩の教室】

第22回 7/19(火) 沖大幹さん

第22回 7/19(火)の講師は、東京大学生産技術研究所 教授の沖大幹先生です。
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沖先生は、地球水循環システムを専門とし、気候変動がグローバルな水循環に及ぼす影響を研究しているそうです。
震災の被災地では、深刻な水不足が続いていますし、東京でも現時点(4/5)でコンビニの棚にはミネラルウォーターはほとんどありません。

世界でも稀な水資源大国である日本が、改めて水資源の重要性を認識する機会になったとも言えます。
世界では、恒常的な水不足に苦しんでいる人々が数億人単位でいます。中国人が北海道の原生林を買っているという理由も、良質な水源地を確保することにあると言われています。

私達の知らない間に、水資源を巡る国際間の駆け引きや戦略的な動きは進んでおり、日本もその渦中に巻き込まれていることは間違いないようです。

世界の「水」に、いま何が起きているのか。それは日本の「水」にどのような影響を及ぼすのか。
冷静に考えてみたいと思います。

7/19 (火)  「世界の『水』に何が起きているのか」 沖 大幹氏

第21回 7/13(水) 結城昌子さん

第21回 7/13(水)に登壇いただくのは、アートディレクターの結城昌子さんです。
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結城さんは、「アートと人を繋ぐ」ことをミッションに、アートとの新しいコミュニケーションを提案する書籍を多数企画、構成、執筆しています。

書籍以外にも、子どもとアートをつなぐ活動や、「名画に挑戦」と銘打ったオリジナルのワークショップや講演等も精力的に行っています。

結城さんによれば、アートは、ちょっとした知識や見方を憶えれば、実に多面的な楽しみ方を私達に提供してくれるそうです。
それが「名画は遊んでくれる」という含意になります。

丸の内にも美術館が出来て(三菱一号館美術館)アートに触れる機会が増えましたが、意識してみると、私達には名画に触れる機会・場がふんだんにあることに気づきます。世界の美術館・博物館を訪ねる目的で海外旅行に出かける人も多いでしょう。

人類は、文字を持つ前、いいえ言語を持つずっと前から、絵を描くことをしてきました。私達のDNAに刻みこまれているはずの「絵ごころ」を信じて、「名画と遊ぶ」時間を過ごせたらと思います。

7/13 (水)  「名画は遊んでくれる」 結城 昌子氏

第20回 7/12(火) アレックス・カーさん

第20回 7/12(火)に登壇いただくのは、東洋文化研究者のアレックス・カーさんです。
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30年以上前から京都府亀岡市に居住し、京町家の再生事業、景観コンサルタント、日本伝統家屋の修築保存活動に取り組んできたカー氏。
日本の伝統文化と暮らしをこよなく愛し、その維持・保存に強い熱意を持っていらっしゃいます。

講演のタイトルは著書名でもある「犬と鬼」
何のことやらと思われる方もいるかもしれませんが、カー氏から寄せていただいた講演要旨には次のようにあります。

昔、中国のある皇帝が画家に、「何が描き易く、何が難しいか」と尋ねたら、画家は「犬難(いぬはかたし)、鬼易(おにはやすし)」と答えた。中国の古典『韓非子』に出てくる語である。つまり犬のように身近な存在は、正しく捉えることが難しいが、想像の産物である鬼は誰にでも描けるという意味である。この言葉は実に奥が深い。日本の景観を考えるとき、どのような結果になるかを考えたい。

想像物は誰にでも書ける。でも毎日見ているはずの身近な存在を正確に描写することは難しい。
日本人の脳天に、キツイ一撃を与えてくれる逸話です。
私達は、まだ見ぬ未来の暮らし、夢の生活を想像することばかりに関心が向かい、自分たちが育った街・家・暮らしの姿を忘れてはいないでしょうか。
急速に失われつつある、日本の伝統的景観に対する日本人の関心の薄さを見て、カー氏はそう思うのかもしれません。

折しも、今回の大震災は、東北地方沿岸部に残っていた伝統的な漁村・港町の景観を完膚無きまでに破壊してしまいました。
これからはじまる復興への取り組みは、防災への備えをより確かにすると同時に、失われた伝統をどこまで再現するかという問題を問われることになります。

7/12 (火)  「犬と鬼~景観の課題~」 アレックス・カー氏