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阿刀田高さんと読み解く【旧約・新約聖書とキリスト教】その2

「私は、在って、在り続ける者だ」

この講座が始まる前に、ちょっとしたウォーミングアップのつもりで、セシル・B・デミルの『十戒』を鑑賞し直しました。8530436.jpg
『旧約聖書』の出エジプト記を題材にした名画です。
モーセ(チャールトン・ヘストン)率いるイスラエルの民が、海を割って出エジプトを果たすシーンや、モーセが神から十戒を授かる場面が有名ですが、私は冒頭の一言が妙に心に引っかかりました。・

エジプト王の子として育ったモーセは、イスラエル人を酷使する政策に憤り、エジプトを飛び出して放浪生活を送る中で、シナイ山の麓で「神の啓示」を聞きます。
あなたは誰ですかと問うモーセに対して、神が告げるのがこの言葉でした。

「在って、在り続ける者...」
いったい何のこっちゃろう? これで意味がわかる人がいるのかしらん?
強い違和感が胸に残りました。
自分で言うのも何ですが、いま考えてみると、この言葉に引っかかったのは、結構いいポイントを突いていたのではないかと思います。
なぜならこの言葉に、「旧約聖書」のコアがあると思うからです。

英語で言うと、「 I am that I am 」だそうです。
私は「ある」という者である...? もっと意味がわかりませんね。

実は、この言葉こそ「唯一絶対」「全知全能」の一神教を象徴する表現のようです。

神とは神なのだ。神はこの宇宙が生まれるずっと前から存在し、万物の創世主である。
神に造ってもらった人間が、神とは何かを問うこと自体がおかしい。
神に間違いなどない。矛盾もない。疑ってもいけない。
人間が遭遇する如何なる悲劇も、辛酸もすべて、神が人間に与えた罰であり、試練である。

そんな神と人間の関係を規定するのが『旧約聖書』に他なりません。

モーセが神から授かる十戒のうち、2~4は現代のキリスト教社会では形骸化しつつありますし、5~10は聖書に書かれずとも人間なら当たり前の禁忌です。

ただひとつ、一番目の約束「唯一全能の神であること」だけが、現代のキリスト教社会においても厳然として聳え立つ偉大な教義である。

「大バカ野郎」と叱責されるのを覚悟のうえでうそぶくならば、そう言えるのではないでしょうか。

さて、阿刀田先生に講義していただいた『旧約聖書』を解説的に概観してみるとこうなります。

  • 『旧約聖書』はイスラエル(ユダヤ民族)建国史として読める。
  • BC20世紀頃ユーフラテス川流域の地を何らかの理由で追われたユダヤの民が、神のお告げのもとに、西の果てカナンの地を目指して苦難の旅を続け、エルサレムを築いていく歴史を中心に描かれている。
  • BC10世紀頃、イスラエルが最も隆盛を極めていた時期に伝承されはじめた民族の歴史物語が、BC5世紀頃までにアラーム語に纏められた。以降ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語、英語へと翻訳され世界に広まっていった。
  • イスラエル(ユダヤ民族)の起源を著す書としてユダヤ教の教典でもあるが、ユダヤ教では「タナク」と呼ばれ他言語に翻訳はされていない。ユダヤ教から派生したイスラム教にも影響を与えている。
  • 有名な「アダムとイブの物語」「ノアの箱船」「バベルの塔」「モーセの十戒」「ダビデ王の英雄譚」「サムソンとデリラの逸話」「シバの女王」等々、内容は知らなくても聞いたことはある多くの物語が納められている。

阿刀田さんは、イスラエル(ユダヤ民族)建国史として理解するために、スルメ構造という独特の表現で『旧約聖書』を分類しています。

  • 天地創造から人間の原罪(後述)を描いている創世記(神話)部分をスルメの頭に擬え、建国史部分は「アイヤー、ヨッ」の掛け声とともに、アブラハム-イサク-ヤコブ-ヨセフと親子遍歴の歴史で始まる。
  • ヨセフの子孫であるモーセがジプトを脱出し、その子ヨシュアが、カナンの地(エルサレム)にイスラエルを建国する。黄金時代とも言えるダビデ・ソロモンの時代までの歴史物語が、スルメの胴体部分を形成する。
  • その他、いくつかの預言書やエピソードがスルメの足のようにくっついている。

というものです。

スルメ構造と「アイヤー、ヨッ」は、阿刀田流『旧約聖書』論におけるクリエイティビティの象徴とも言えるもので、「この二つのおかげで『旧約聖書を知っていますか』は累計百万部以上売れたベストセラーになった」と阿刀田さんは振り返っています。


「 I am that I am 」とともに、『旧約聖書』の話を聞いて「なるほどなぁ」と合点がいったのは、西欧人の逆境・苦難に対する強さ、ポジティブ思考についてです。

創世記 アダムとイブの逸話には、「人間の原罪」が描かれています。

天地や草木、動物達を創造した神は、最後に生物を支配する存在として自分(神)に形を似せて人間の男・女(アダムとイブ)を造る。生物の中でも優等生的存在であったアダムとイブは、獣たちと同様に、全裸でおおらかな楽園生活を満喫していた。
ところがある日、蛇にそそのかされた二人は、神から「けっして食べてはいけない」と禁止されていた「善悪を知る木」の実(禁断の木の実)を食べてしまう。
この瞬間、人間は善悪を知る能力=知恵を身につけてしまったのだ。
知恵を得るということは、人間が他の生物から一歩抜けだし、神に近づこうとすることでもあった。
これを知った神は、烈火のごとく怒り、二人を楽園から追放し、苦難の道を歩むことを命じた。

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人間は、神に逆らい、善悪を知ること=知恵を得ることで人間になりました。そして、その代償として、けっして逃れられない苦難を繰り返し経験することを宿命づけられたのです。

人間が遭遇するあらゆる苦難は、人間が神に逆らった罰であり、神の意志に他ならない。

天災であれ、飢餓であれ、戦争であれ、疫病であれ、不景気であれ、人間の苦難・逆境・のすべては、かつて人間が犯した「原罪」の代償であり、神の意志である。

彼ら(西欧人)は、困難に遭遇する度にそう思うのでしょう。
しかも、神は、苦難から救済される道として「祈る」という方法も教えてくれました。

神を信じ、祈り続ければ、必ず救世主が現れて、救済してくれる。
自らを信じ、祈り続けたものだけを救済する。
これもまた神の意志なのでしょう。

西欧人の逆境・苦難に対する強さ、ポジティブ思考、犠牲や痛みを伴う改革への躊躇のなさ、日本人には真似の出来ない思い切りの良さも、ここに由来するのかもしれません。

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