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「決断は、いつだって非論理的」  山崎将志さん

200万部を越えたという『もしドラ』には及ばぬものの、31万部を売り上げたという山崎将志氏の『残念な人の思考法』。続編とも言える『残念な人の仕事の習慣』と並んで、2010年を代表するビジネス書になった。

控え室で伺ったところでは、山崎氏は、かつて『夕学五十講』を何度か受講されたことがあるそうだ。建て替え前の新丸ビルの地下1階大会議室でやっていた頃だというから、7年以上前のことになる。山崎氏は、まだアクセンチュアのコンサルタントだったという。
夕学も今年で10周年になるが、受講者だった方が、講師として登壇されたことははじめてであろう。(逆のパターンはたまにありますが...)

さて本題、山崎氏は、なんでも自分で試したいタイプの行動派コンサルタントとお見受けした。
2003年の独立以降、5つもの新規事業を立ち上げている。
「経営かくあるべし」を説くコンサルタントは、「自分で起業をしてみたい」という欲求に駆られることがあると聞く。
「そうは言うけれど、実際のビジネスは、あなたの言うようにはいきませんよ」という反応をする実務家に対して、「このヤロー」と思う気持ちもあるだろうし、「自分がやれば、もっと上手くやれる」という自負もあるだろう。
そのくらいの自信がなければ、コンサルタントは出来ない。

そうやって、ルビコン川を越えるコンサルタントも少なくはない。成功した人もいるが、失敗した人も何人か知っている。
山崎氏も、ルビコン川を渡ったタイプだが、5つもの事業を次々と立ち上げた人は珍しいだろう。
その成功の秘訣は何か。

「ビジネスは、いつも少しだけ非論理的」

この事実にいち早く気づいたからであろう。(講演の中でも何度か口にしていた)

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「習合性」という力 鎌田東二さん

「日本の聖なるもの、神なるもの」というタイトルは、私が考えて、鎌田先生にお願いした「お題」である。この中に、無自覚に盛り込んでいた「もの」という言葉を解説することから、鎌田先生の講義ははじまった。

古語の「もの」という言葉自体が、対極にある二つの含意をもっていたという。
ひとつは、物質としての「もの」であり、いまひとつは、神聖としての「もの」である。
(例えば、原始神道の形態を色濃く残しているといわれる大和の古社 大神神社の祭神は、「大主大神(おおものぬしのおおかみ)」であり、国津神の代表 大国主神の別名とされている。神聖の象徴でもある)

「もの」という言葉は、マテリアル(物質性)とスピリチュアル(精神性)という、相反する意味を併せ持つ「習合性」に満ちた言葉であった。
習合とは、異なるものの「融合」ではなく、弁証法的な「統合」でもない。A+BからCが生まれるのではなく、AとBの両義性を持ちながら一体化されるという意味である。

日本における「神」も「習合性」から成り立っている。
鎌田先生は、銀行のM&Aと一緒だ、という。例えば「三井住友銀行」のように、本来肌合いが異なり、競い合う関係にあったもの同士がひとつになりながら、互いの名前を降ろすことはしない。
日本の「神」も同じように、勝者の神が、敗者の神・土地の神を習合しながら、いくつもの顔を併存させて存在している。だから別名をいくつも持っている。

「神」とは、日本列島における特定の聖なるものの存在・威力・はたらき・情報などの総称、つまり「聖フォルダ」である。
鎌田先生は、そう定義している。

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幅允孝さんからのメール

きょう、ソニーとシャープの電子書籍端末が同時に発売になった。
どちからというとITは苦手で、スマートフォンは欲しいとも思わないし、ipadもあまり関心はない。でも電子書籍端末だけは「買ってみようかなぁ」と思っている。
カバンの中に常時本が3~4冊入っている。平日はそんなに読めないのだけれど、たとえちょっとの時間でも、「読みたい時に、読みたいモノを、読みたい」という欲求があるので、どうしても何冊か持ち歩いてしまう。
最近、とみにその重さが負担に思えてきたので、電子書籍は魅力的だ。

週末にでもお店に見にいこうかと思っていたら、ブックディレクターの幅允孝さんからメールが来た。(「いつもお世話になっている皆様へ」という一斉メールですが...)
幅さんには、一年前に夕学に来ていただいたからだろう。

「SONY Reader Storeのお店づくりに協力しました」という内容だったので、早速覗いてみたら、ここで連載を持つようだ。

本の匂いや手に取った時の質感、めくった時のパラパラ感などを重視する人だったので、電子書籍について、どういうことを言うのか,興味深いところである。

白いご飯は箸で食べるのが一番だけれど、カレーライスやリゾットは、スプーンの方が圧倒的に食べやすい。料理の種類が増えれば、新しい道具が出てくるのは当たり前のことだ、とある。
なるほど、その通りだ。

「読みたい時に、読みたいモノを、読みたい」という読書スタイルには、新しい道具があってしかるべきなのだ。

たしか、塩野七生の「ローマ人の物語」文庫版の冒頭に、文庫サイズという本の形態は、グーテンベルクの活版印刷の匹敵する大発明だったというようなことが書いてあった。
洋服の内ポケットに入るサイズの本が生まれたことで、読書は、はじめて書斎を飛び出すことができた。
電子書籍により、今度は、本棚ごと持ち歩くということが可能になるのだろう。

とはいえ、いかにも幅さんらしい一面もある。
「紙で味合う一冊」というコーナーがあって、この本は、紙の束でないと味わえないよ、という本が紹介されている。
今月は、
「本を愛しなさい」 / 長田弘 (著) / みすず書房
が紹介されていた。

なぜか、この本が読んでみたくなった。
まんまと幅さんにしてやられてしまった(笑)

ストレスを生きる糧に変える  河合薫さん

よりよいキャリアを切り拓く方法には、大別して二つのアプローチがある。
ひとつは、デザインアプローチ。「本当に自分のやりたいことは何なのか」を吟味し、ゴールに至る道筋をデザインすることを重視する。
もうひとつは、ドリフトアプローチ。自分の関心ある方向に向かって、意志をもって歩き出すことを重視し、歩きながら道を拓いていく。
河合薫さんのキャリアを見ると、典型的な後者の道を歩いている人であろう。
ANAの客室乗務員、テレビの気象予報キャスター、社会人大学院生として博士号の修得と、一見脈略がないようにみえても、彼女の中では、首尾一貫した意味づけがなされたキャリアなのであろう。

さて、不勉強ながら「健康社会学」という学問分野名をはじめて知った。
心理学、医学、社会学のクロスする部分にあり、心身の健康を「自分要因」と「環境要因」の両面から解明しようというものだ。
こころであれ、からだであれ、健康を阻害する原因は、自分だけにあるのではない。環境に起因することも多い。
であるならば、健康になるためには、自分が節制するだけではなく、環境を利用することも重要だと考えることに特徴がある。

「他人の力を使う」
河合さんはたいへん分かり易い言葉を使って健康社会学の勘ドコロを紹介してくれた。

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「人間性」という強み  杉山愛さん

スポーツや芸術のように、限られた時間にエネルギーを凝縮して注ぎ込むことを求められる世界で長く生きてきた人には、独特の緊張感のようなものが漂っていることが多い。
分かり易い例で言えば、イチローが醸し出す求道者のような雰囲気である。

夕学に来ていただいた井村雅代さん(シンクロコーチ)、宇津木妙子さん(女子ソフトボール監督)、そして最近では、スピードスケートの清水宏保さんにもそれを感じた。
にこやかな表情の中にも、射抜くような鋭さを感知し、緊張したものだ。

杉山愛さんには、それをまったく感じない。
初対面の我々にも、トレードマークでもある笑顔を振りまき、壁を作らない
相手の気持ちを瞬時に掴み、的確な対応を返してくれる。
「この人といつまでも話していたい」「一緒に何かをしたい」
そう思わせるような、懐の深さがある。
きょうのお相手役を務めていただいた田中・ウルヴェ・京さんが、杉山さんを知るスポーツ関係者に、その人となりをヒアリングしたところ、異口同音に話してくれたのが、「人間性の良さ」であったという。

スポーツ選手としては、異質とも思える「特性」は、実は、杉山愛というテニスプレイヤーの基本部分を形成する大きな原動力にもなっていたようだ。

杉山さんは、グランドスラムのシングルス連続出場62回というギネスレコードを持つ。足かけ16年間に渡る記録である。
その間、大きなケガ・病気をすることなくコンディションを維持し続けるということは並大抵なことではない。地味なルーティンを黙々と繰り返すことでもあるからだ。
杉山さんの「フラットな人間性」は、人の見えないところで、コツコツと何かを積み上げることへの忍耐を可能にしたのではないか。

彼女の「人間的な魅力」は、努力して培った語学力と相まって、海外生活への順応力を高めることとなった。
チーム愛のスタッフも、外国人選手、海外のプレスも、杉山愛の笑顔と人間性を愛した。

ダブルスで発揮された無類の強さも、杉山さんの「人間力」を抜きには語れないであろう。個性の強い外国人選手も、杉山さんの懐に抱かれて、なお一層輝きを増したのであろう。

「人間性」という彼女の強みが、17年間のプロ生活を支えた、そして、その強みは、引退後のこれからの生活に、なお一層必要とされるものである。
杉山さんの前途は間違いなく明るい。


追記
この講演には45件の「明日への一言」が寄せられました。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/12月-7日-杉山-愛/

この講演には、下記の「感想レポート」を応募いただきました。
・自分を探す?創る?発見する?(加島弘敏/会社員/49歳/男性)

「庭師と植物学者は違う」  竹中平蔵さん

竹中先生が、好んで引用する言葉のひとつに、経済学者ポール・クルーグマンの言葉がある。

「庭師と植物学者は違う」

よい庭を造るためには、植物学の知見は必須である。植生を知らずして庭を造ることはできない。
しかし、植物学者が良い庭を造ることができるとは限らない。理論に詳しい人が実践に強いわけではない。

経済学者である竹中先生は、植物学者の側に位置する人である。しかし、小泉政権の経済閣僚として、庭師的な実践=政策立案と実行を担った人でもある。日本で数少ない、ひょっとしたら唯一の「庭師を経験した植物学者」である。
だからこそ、クルーグマンの言葉の重さが身に染みている。
実際の経済政策を語る際に、理論や思想に逃げ込もうとする学者・評論家が如何に多かったか。
基本的な理論も理解せずに、無茶苦茶な政策論を通そうとする政治家が如何に多かったか。
その両者の間にあって、批判と憎悪の矢面に立ち、論駁の責務を一手に担いながら、現実の問題に対処した。庭師と植物学者の違いを、身をもって認識し、違いを埋める重要性を痛感した人でもある。

庭師と植物学者の違い認識しつつ、相違を埋めるために、どうすればよいか。
そのヒントが、「経済古典」を読み直すことにある、と考えた竹中先生が、MCCで担当されたのが、【問題解決スキルとしての経済古典】という講座であり、その講義をまとめたのが『経済古典は役に立つ』という書籍である。
きょうの、夕学は、両者のダイジェストと言えるものであった。

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「へとへと」「わざわざ」「じりじり」 清水勝彦さん

「"戦略""総合"という名称が付いた部署名がたくさんある会社は要注意ですね。」
かつて、ある高名コンサルタントから聞いた言葉である。○○戦略部、戦略□□部、総合○○室、総合□□本部等々が氾濫している会社は、組織として迷走していることが多いという経験則に依拠している。
「総合戦略本部長」という名刺の人がクライアント側の責任者になった時、その案件は失敗を覚悟せねばならない、というオチまで付いていた。

15年振りに日本に帰国した清水先生が抱いた日本企業に対する印象もよく似ていた。
世の中に溢れかえる「戦略」というコトバ。
その一方で、「戦略」とは対極にあるはずの「現場の猛烈ながんばり」に頼っている多くの企業。
「戦略」の本質が理解される前に、「戦略」というコトバがコモディティ化してしまった日本の状況に驚かされたという。

きょうの夕学は、この不可思議な状況の描写とそこから抜け出すための道筋を示してくれる講演であった。

清水先生が主張したキーワードは三つ。
「へとへと」  「わざわざ」  「じりじり」
である。

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