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糸川からイトカワへ 川口淳一郎さん

東京駅前OAZOにあるJAXAの展示室には、日本発の実験用ロケット「ペンシルロケット」の実物大レプリカが飾ってある。全長23センチ。ペンシルとはよく名付けたもので、その昔、観光地のお土産屋に並んでいた、色鮮やかな"大きな鉛筆"を思い出してしまった。
小さなロケットは、形状はペンシルであっても、すでにロケットシステムとして成立しうる画期的な開発であった。
日本のロケット開発の父と言われる糸川英夫博士が主導した「ペンシルロケット」が発射実験を行ったのは1954年のこと。プロジェクトの年間予算は、560万円。
日本の宇宙開発は、いまも昔も予算との戦いでもあった。

それから56年。今年の6月、日本の小惑星探査機「はやぶさ」が7年間の旅を終え、ミッションを果たし、無事帰還した。
「はやぶさ」のミッションは、糸川英夫博士にちなんで命名された小惑星「イトカワ」に着陸し、世界ではじめて「サンプルリターン」の技術検証をすることであった。

糸川からイトカワへ。「はやぶさ」7年間の旅は、半世紀に渡る日本の宇宙開発研究の成果を知らしめる旅でもあった。

「サンプルリターン」とは、探査機で宇宙の天体に行き、着陸して、地表の物質を採集し、地球へ帰還する、ということである。
「はやぶさ」は、世界ではじめてこの偉業を成し遂げたという。
プロジェクトディレクターを務めた川口淳一郎先生によれば、「はやぶさ」の構想が立ち上がったのは25年前のことだという。
当初の計画は、小惑星ランデブーであった。非球形である小惑星は、いびつなゆえに、天体が生まれた当初の痕跡をそのまま残しており、宇宙の歴史を知るうえで重要な情報を提供してくれるという。
地球に近い軌道を回る「イトカワ」を調べることで、地球を知ることができるわけだ。

小惑星ランデブー計画は、NASAのせいで幻に終わる。
川口先生等のアイデアを聞いたNASAは、巨額予算にものを言わせて開発を先取りし、いち早く小惑星ランデブーに成功してしまった。
「NASAが真似をしようと思わない計画でないとダメだ」
そう考えた川口先生等が、考えたのが、「サンプルリターン」という壮大なテーマであった。成算なき大風呂敷である。あまりに荒唐無稽で予算が下りないので、技術検証という現実的な研究目的に表向きを変えた程であった。

川口先生は、「はやぶさ」を支えた5つのコア技術を紹介してくれた。
・イオンエンジン 
・自律誘導航法
・弾丸発射によるサンプル採取技術
・スイングバイ
・再突入カプセル

個々の技術の革新性もさることながら、「探査機を天体に飛ばし、着陸させ、採集し、帰還する」という目的を達成するために、諸般の技術を連結させた「オリジナルな組み合わせ」に妙があったという。
シュンペーター流に言えば、イノベーション=新しい組み合わせである。

「はやぶさ」が帰還までに7年を要したのは、計画通りではない。
化学エンジンの燃料漏れや、イオンエンジンの停止など致命的な障害に何度も見舞われたという。やるべき手を全て打ち尽くし、最後は、神頼みの神社めぐりまでしながら、奇跡的な復活を繰り返してきた。
しかしながら、トラブルによる数ヶ月の遅れは、「イトカワ」の軌道と地球の軌道が近づく3年後まで、帰還を延期する事態につながってしまったのだ。

OAZOのJAXAルームでは、「はやぶさ」が大気圏に突入する際の映像を見ることができる。
カプセルを突入軌道に乗せた後の「はやぶさ」が、花火のような閃光を放ちながらバラバラに砕け散っていく。その姿を見つめるスタッフが、「はやぶさ、ありがとう!」「さようなら、はやぶさ!」と叫んでいる。
自らの生命を代償に我が子を産み落としていくかのような「はやぶさ」の姿には、神々しいまでの輝きがあった。

帰還直後にかかってきた菅総理からの電話で、「はやぶさ」成功の鍵は何だったのかを問われた川口先生は言ったという。

「技術よりも根性です!」

「はやぶさ」の成功は"運"の賜物であった。しかし実力で"運"を呼び込もうとする執念の取り組みこそが本質であった。

「はやぶさ」が我が身を犠牲にして教えてくれたものをしっかりと受け止めたい。

追記
この講演に寄せられた「明日への一言」51件です。
ありがとうございました。
「明日への一言」11月-9日-川口-淳一郎

この講演には3件の「感想レポート」を応募いただきました。
・次なる水平線の先へ (陽子さん/会社員/40代/女性)
・文系が学んだ「はやぶさプロジェクト」 (はまっこさん/パート/40代/女性)
はやぶさ ~『世界初』と『困難の克服』二つの成功を収めたプロジェクト~ (H.Sekiguchiさん/会社員/26歳/男性)