ポピュラーミュージックのイノベーター 菊地成孔さん
芸術やスポーツが、大衆エンタテイメントとして成立するためには、条件がある。
ズブの素人からその道のプロまで、幅広いファンを抱え、それぞれに異なった楽しみ方が存在することである。
例えばサッカーであれば、ルールが分からない人でも、贔屓チームの勝ち負けや人気選手のプレーに一喜一憂できる。一方で、サッカー経験者やオタク的ファンは、監督の采配や戦術、選手の技術論についてウンチクを開陳し合って楽しむ。選手・コーチ同士や職業評論家は、隠されたプロフェッショナリズムを忖度しようとするだろう。
それぞれの人が、各々の鑑賞リテラシーレベルに応じて、自分なりの楽しみ方を味わえる。それが、エンタテイメントとしての深みにつながる。
菊地成孔氏の問題意識は、自身のホームグランドであるポピュラーミュージックの世界には、「リテラシーレベルに応じた多様な鑑賞スタイルがない」ということである。
特に、音楽をたしなむ実践者やコアなファン層の間に、ポピュラーミュージックの技術論や構成テクニックに目を向けて、分析的に鑑賞するという習慣がないということだ。
彼の造語表現を借りれば「ポップアナリーゼ」という鑑賞メソッドの欠落である。
大衆エンタテイメントのど真ん中にあるポピュラーミュージックにおいて、あってしかるべき「ポップアナリーゼ」(実際に西欧社会には存在するという)が、なぜ日本の音楽シーンに根付かないのか。
菊地氏は、音楽理論史のフレームワークを使った壮大なる仮説を示しながら、その理由に迫る。
