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「言葉」が政治を動かす時代 佐藤賢一さん

「フランス革命」はフランス人にとって、語るのが苦手なテーマらしい。
「王家の伝統」と「自由・平等の価値観」という、ふたつの「フランスの誇り」が激しく対立し、結果的に「王家」を断絶させてしまったという事実を、フランス人は、いまだに消化できないでいるのではないか。
フランスを舞台に数多くの歴史小説を書いてきた佐藤賢一さんの見立てである。

だからこそ、外国人であり、作家である自分が語る。
客観的な視点から全体を俯瞰し、歴史的事実から抜け落ちている部分を直観とひらめきで埋めれば、本当の「フランス革命」に肉薄できるかもしれない。
構想5年、全12巻の大河小説『小説 フランス革命』に取り組む理由がここにある。

日本とフランスは、よく似ている点と大きく違う点があるという。
欧州の歴史家は、江戸幕藩体制とフランス絶対王政は、よく似た封建主義形態と認識しているらしい。中央に王権(将軍家)が君臨する一方で、各地の領主にも封建的な統治権を認めている。

一方で、フランス革命と明治維新は、大きく異なる。
フランス革命は庶民が動いた革命である。名もない庶民達が、バスティーユ監獄を陥落させたことから革命は始まったのだ。
「自分達が動くことで歴史は変わる」フランス人の深層には、そういう意識があるという。
だからいまでも、デモ・ストが頻発する。時に暴動さえも肯定する。
庶民による直接民主主義の最も過激な意見表明形態だという認識である。

明治維新は、庶民が動いた革命というよりは、下級武士が主導した体制内革命と考えたほうがよい。(これは磯田道史先生の意見と同様)
庶民から見たら「誰かがやってくれた」ものという深層心理がある。
変革に対する、庶民の非当事者意識は、現代にもあてはまるようだ。「現代の坂本龍馬を探せ!」「高杉晋作よ、出でよ!」といったヒーロー願望論が、そこから生まれてくるという。

相似と相違は、現代の日本とフランス革命にあてはまると佐藤さんが言う。
現代の日本とフランス革命前夜の相似点は、社会に漂う絶望感である。
構造的な財政赤字。ころころと変わる政治リーダー。既得権益の壁をどうしても破れない閉塞感。当時のフランスなら、貴族や聖職者層の特権、現代日本でいえば、官僚主義かもしれない。
社会に蔓延する不満が頂点に達した時、フランスでは革命が起きた。奇しくも昨年、日本では政権交代が起きた。

フランス革命は、「言葉」が政治を動かした稀有な時代だったと佐藤さんは言う。
この点も現代日本にもあてはまりそうだ。総理の「言葉」への不信感が政治を動かす力を持っている。
「言葉」の象徴は、フランス革命時でいえば、「人権宣言」であり、日本の場合は「マニュフェスト」になるのだろう。

バスティーユ陥落から2ヶ月後、国民議会で制定された「人権宣言」には、あまりにも有名は「自由・平等・博愛」の理念が、声高らかに謳い上げられている。
しかし、フランス革命は、その「言葉」ゆえに、つまり「人権宣言」ゆえに、革命が過激化し、粛清の嵐が吹き荒れた。
掲げられた高邁な理想に対して、その通りにならない現実との乖離が人々を苛立たせることになった。
「言葉」へのこだわりは権力闘争に変わる。必然として「言葉」に忠実な原理主義者が勝つ。原理主義者は「言葉」の実行を妨げる勢力を圧殺する。 王家は旧体制の象徴として処刑される。
この結果、幼い子供や女性を含めて、1.7万人がギロチン台の犠牲になった。
原理主義者が、一気に共和政に突入したことで、フランスは混乱期に陥った。やがてナポレオンの登場、戦争、帝政と共和政の転変等々を経て80年近い争乱の時代を経験して、ようやく民主主義が定着したのだ。この間に約200万人の国民が、争乱に命を落としたとされる。

日本では、「マニュフェスト」を守れそうもないことが表面化してきた。
フランス革命初期とよく似た混乱状態に入りつつある。
フランス革命を含めた、歴史から学ぶというスタンスに立てば、これからの日本はどうなるのか。
「言葉」のエスカレーションは必要なのかもしれない。佐藤さんは、ドキリとくる発言をする。

歴史を繙けば、多くの変革は三段階を経て成し遂げられるという。
まず、破壊者が現れ、旧体制を徹底的に壊す(カエサル、信長)
続いて、陽性のまとめ役が混乱を収束する(アントニウス、ナポレオン、秀吉)
最後に、着実な建設者が秩序を作る(アウグストゥス、家康)
「言葉」の政治は、破壊と相性がよい。
「言葉」の力で、旧体制が破壊されるプロセスを経なければ、変革は出来ない。
現代日本にあてはめれば、既得権益の破壊 官僚主義の妥当がそれにあたるのだろう。
現代の変革に、フランス革命のような大量に血を流すことは許されないが、破壊なくして創造はない。
それが、歴史が教えてくれることである。