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第四回 「ハイエク、フリードマンが描いた自由な経済」その1

参議院選挙の前日、6年前の選挙の思い出を語ることではじまった竹中先生の経済古典講座第四回。今回は「ハイエクとフリードマンが描いた自由な経済」です。
今回は、二回に分けて、まずはハイエク編です。

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ケインズの登場は、ケインズ革命と称されます。
資本主義の未来を悲観的に予測した言説(マルクスのように)に対して、「こうすれば資本主義は崩壊しない」という処方箋を提示したという意味において、ケインズの登場は画期的といえるかもしれません。
しかし、ケインズ政策は、第二次大戦後、広く取り入れられたわけではありませんでした。
オープンエコノミーのもとでは、ケインズが言うような財政政策・金利政策をとると、確かにGDPは増えるけれども、「クラウドアウト」効果を引き起こし、逆の圧力も発生することが分かってきたからです。

ケインズ後の新たな経済問題に対処した存在が、きょうの主役であるハイエクとフリードマン、そして少しだけ言及したブキャナンだと竹中先生は言います。
彼らのケインズ政策に対する問題意識は次の三つに集約されます。
1)集産主義の弊害
2)スタグフレーションへの対応
3)財政赤字の増大
竹中先生は、1)についてはハイエクを、2)に関してはフリードマンを、そして3)の問題ではブキャナンを論じることで、彼らに共通する「自由な経済」の思想を解説してくれました。

◆ハイエクの生きた時代
F・Aハイエクは、1899年ウィーンで生まれました。当時のウィーンは、ハプスブルク家の支配するオーストリー・ハンガリー帝国の終末期にあたります。ハプスブルク家一族の暗殺が相次ぎ、1914年の皇太子暗殺(サラエボ事件)を契機に、第一次世界大戦が勃発したことで、帝国は崩壊していきます。
ハイエクを含むオーストリー学派の思想的特徴である「懐疑主義」は、こういった時代背景を色濃く反映しているそうです。
人間は所詮非合理な存在であり、情報は不完全なものである。従って人間の理性には限界がある。
そう考える「懐疑主義」は、ハイエクが唱えた「自律・分散」の思想の基層を形成するものだと竹中先生は解説してくれました。

1929年、30歳の時に、英国のフェビアン協会の招きで英国に渡ったハイエクは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで職を得て、徹底したケインズ批判を展開することで、経済学の表舞台に登場します。
フェビアン協会は、当時勢力拡大期にあった英国の社会主義右派の団体でした。
社会主義勢力が、社会主義を猛烈に批判することになるハイエクを引き上げたというのも「歴史の皮肉」であろうと竹中先生は言いました。
ちなみに、1934年にロシア革命が成立し、1932年には、ドイツでナチが、34年にはイタリアでファシストが政権を握ります。さらには38年にはドイツがオーストリーに侵攻します。
19世紀に民主主義を産み落とした欧州で、20世紀の初頭には、「共産主義・社会主義」と「全体主義」がひたひたと台頭していました。
そんな時代の中で、ハイエクは、やがて経済学者から社会哲学者へと、そのスタンスを変え、20世紀後半に花開いた「自律・分散」の政治哲学を説くことになります。


◆ハイエクが主張したこと 
<集産主義の弊害>
ハイエクデビューを飾った「ケインズ批判」は、ケインズの貨幣論に向けられました。
「不況の原因は需要不足である。消費と投資を喚起するためには、金利引き下げが不可欠である」
というのが、ケインズの貨幣論の骨子ですが、ハイエクは、金利引き下げの効果を否定し、マクロの集計的数字だけに目を向けるケインズのスタンスを批判しました。
更には、ケインズ経済学の主役を演ずる「政府」の限界を指摘しました。
人間の合理性・理性の限界を認識するハイエクは、政府による中央集権的・計画的な政策判断の限界を見通していたと言われます。

中央集権的・計画的な政治体制を是認する思想を「集産主義」と呼びます。
レーニンによる「大粛清」では68万人が処刑され、63万人が収容所に送られました。
ヒトラーの「ホロコースト」では、数百万人のユダヤ人が虐殺されたといいます。
中国の「文化大革命」では、餓死を含めれば1億人近い人々が犠牲になりました。
人間の生活を守るはずの政府が、多くの人間を抑圧するという根本的矛盾。
共産主義であれ、全体主義であれ、中央集権的な強権政府は、その宿命として暴走するという陥穽を、ハイエクは世界の誰よりも早く理論化していました。

<自律・分散の思想>
「集産主義」に対比するのが、「自律・分散」の思想です。
ハイエクは、「自律・分散」には、個人主義的な社会が必要だと考えました。
「市場メカニズムは過ちを犯すこともあるかもしれないけれど、所詮のところ不況やインフレを引き起こす程度である。何百万の虐殺を招く政府の過ちに比べれば、ずっと影響は少ない。だとしたら、自由な社会が持つ自生的な秩序を第一義とし、経済的にも、政治的にも、その調整機能に委ねるべきである」
と考えたのです。

竹中先生は、ハイエクが主張したいくつかのの見解を紹介してくれました。

「経済的な自由は、何ものにも優先する」
政治的な自由は、経済的な自由があってはじめて実現するものであって、その逆ではない。従って、経済的自由を奪うことは、全ての自由を奪うことになる。
なぜなら、経済統制は無制限に拡大していく危険性があるからだ。ハイエクはそう主張したと言います。
「欲しがりません、勝つまでは!」というスローガンのもと沸き起こった経済統制のエスカレーション現象が、自己増殖の結果、あらゆる自由を奪っていく恐怖を体験した日本は、経済統制の暴走が引き起こす悲劇を骨の随まで味わいました。

「真の自由主義に、中庸の道はない」
ハイエクはそう断言したと言います。
多くの人々が信じている「自由な経済」と「集産主義的な経済」の間にある中庸の道は幻想でしかないとハイエクは言いました。
「いいとこ取りのミックス政策は、一見理想に思えるけれど、それは何の問題も解決出来ない中途半端な結果しかもたらさない。」
たして2で割る問題解決に慣れ親しんだ私達には、随分と乱暴な見解に聞こえます。
これについて竹中先生は、次のように解説してくれました。
「究極の二元論ではない。現実問題として必要になる政策的妥協をする上において、絶対にはずしてはいけない原理・原則を忘れるなという示唆と受け止めるべきであろう。」
なるほど、という感じですね。

「中央集権的な計画化は、逆の方向に作用する」
「例えば「平等」「所得再分配」という思想を具現化する政策は、中央集権的な政府のもとで実現し易いことは事実だが、一歩間違うと、一部特権階級への富の偏在を招くこともある。」
かつてのソ連、いま北朝鮮で起きている悲劇を思い浮かべると、達見と言わざるを得ません。

1991年ソ連は崩壊します。
その映像を見届ける時を待っていたかのように、翌年ハイエクは世を去ります。
かつてケインズに無視されたハイエクの思想は、「集産主義」の完全敗北という勝利を得たことで成就したのかもしれません。

竹中先生は、ハイエク論の最後に「回想 ケインズとケインズ革命」というハイエクの論文を、「これはかなり面白い!」と注釈を加えたうえで紹介してくれました。

そこでハイエクは、かつて貨幣論批判に対して、ケインズから肩すかしのようにあしらわれた思い出を述べた後に、次のように喝破しました。

「ケインズは高い知性をもった稀有な人間であったことを間違いないが、普遍的な理論構築を旨とする経済学者ではない。ある状況の断片を切り取って、特殊な処方箋を書き上げる直感的な芸術家のようなものだ。」
「彼の著書『雇用、利子および貨幣の一般理論』の一般理論は、けっして普遍性のある一般理論ではなく、特殊な環境においてのみ有効な「特殊理論」と言うべきものである.....」

「いまの経済学者は皆、モダレートケインジアンである」
そう喝破したというサマーズの言葉を引き合いに出してケインズ論をはじめた竹中先生の第二回講義を思い起こす時、名声という点では、いまもってケインズの後塵を拝すハイエクが、墓場で高笑いしている姿が目に浮かぶようであります。

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