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「やまとごころ」を、胸を張って誇りたい  中西進さん

中西進先生に対して、「やまとごころを問う」という演題をお願いしたのは、あまりに直截過ぎて、“やまとごころ”っぽくないことだと心配していた。
幸いにして、その心配は杞憂であった。
受け取り上手、聞き上手の中西先生は、「本歌取りを使った高度なお題をいただきました」
と受け止められた。少しだけ楽しんでいただけたようだ。


靖国神社に併設された「遊就館」という資料館に入ると、入り口に和歌が飾られている。

敷島のやまと心を人とはば、朝日に匂う山桜花(本居宣長)

はじめて「遊就館」を訪れた時に、こういう施設の最も象徴的な場所に、この句が掲げられていることに対して、直感的な違和感を抱いた。
句の意味(特に後半)は、実に私達の心情にピッタリとくるけれど、それゆえに靖国の象徴にして欲しくはないという感覚である。

中西先生なら、どう料理してくれるのか。
そんな思いで、「やまとごころを問う」という演題をお願いした。

先生は、浅はかな思惑を全て見透かしたうえで、想像以上の巨視的なスケールで、しかも極めて日本的に(曖昧に)お話を展開してくれた。

中西先生は、「つきつめたところ、日本人の心には3つの特徴がある」と喝破する。
(1)バランス感覚 (2)センスのよさ (3)進取の気性の三つである。
(1)バランス感覚とは、「受け取り上手」とでも言おうか。
いつの時代も、周囲からの先進文明を、巧みに「受け取り」、いつの間にか自家薬籠のものにしてしまう感性を言う。
松岡正剛氏のいう「日本という方法」である。

(2)センスのよさとは、「象徴」を使いこなす能力である。
モノ・コトを写実的・科学的に理解するのではなく、特徴をデフォルメして、何かに「見立てる」ことで表現する。
日本国旗は、朝日をシンボライズしているが、なぜ、日本が朝日なのかという論理性はない。独立時と現在の州の数をシンボライズした米国国旗や、自由・平等・博愛をトリコロールで表現したフランス国旗に比べるとわかりにくい。
この感覚は、非科学的に過ぎて外国人には理解できないらしいが、象徴という器に入れることで、あらゆるものを所有できるという神秘性を秘めているという。

(3)進取の気性とは、聞き上手、もらい上手ということだ。
日本語における敬語の重要性に見られるように、他者に対する尊敬の念に満ち、人間関係を円滑にすることを第一義に考える。
だから、相手は、気持ちよく話し、与えてくれる。
力づくで奪う「北風」的な進取ではなく、知らぬ間に相手が与えてくれる「太陽」的な進取である。

3つの特性に集約できる「やまとごころ」はどのようにして形造られたのだろうか。
中西先生は、アジア文化の形成プロセスで説明してくれた。

アジア文化の多くは、インドを出発地とする。
インドの力は、仏教に代表されるように、豊かなイマジネーションを持つ「想像力」である。

インドで生まれた文化は中国で花開く。
中国の力は、儒教思想に見られるように、合理性や合目的性を重視する「論理力」にある。

アジア文化は、朝鮮半島を経て、日本で完結する。
日本の力は、宣長の句にあるような、感じる力、感じて楽しむ力、つまり「感傷力」である。
「感傷とは、固有の情念に至る前と後にある...」三木清『人生論ノート』
喜びや怒り、悲しみといった感情の到達点に至る前の、なんとなく感じる感覚。曖昧の極致にある感覚こそが、「感傷力」である。

インドで興り、中国で花開き、日本で完結する。
アジア文化はそうやって形成されてきた。
したがって、「やまとごころ」とは、想像力や論理力を咀嚼吸収したうえで到達した、成熟した大人の感性である。
だから、わかりにくいのは当たり前。 いや、むしろ、わかりにくさを誇るべきだ。
中西先生の論を、デフォルメして理解すると、そんな感じだろうか。


中西先生は、日本文化論を、壮大な時間軸で読み解くこともしてくれた。
有史(5世紀)から12世紀までの第一期国造り期。
この700年間は、「情念」の文化を核にして国を造ってきたという。その到達点が『源氏物語』になる。

12世紀(鎌倉)から明治維新(19世紀末)までの第二期国造り期。
この700年間は、「知」の文化が形成された。伊能忠敬や華岡青洲を生んだ江戸期の文化・技術水準を見ればよくわかる。

明治維新から26世紀までが、第三期国造り期になるだろう。
この700年間は、「意(志)」の文化が形成されねばならない。
「意(志)」の文化とは、善を求める道徳において発露されるはずだ。
国家主導の頭ごなし、全員一律の道徳ではない。
西洋から取り入れた「個人」の思想基盤の上にあって、社会や集団の正義・幸福に向けて発現される個人発の道徳心や倫理観。
それが中西先生のいう「意(志)」の文化であろう。

歴史を振り返れば、「情念」の文化、「知」の文化を完成させるのに費やした700年のうち、前半の350年には、大きな混乱や危機が繰り返し起きた。
同じように、明治近代150年でしかない日本は、混迷の時代にある。「善を求める道徳において発揮される意志」という抽象的な説明を聞いて、ストンと腹に落ちる人の方が、圧倒的に少ないかもしれない。
しかし、「国家のこころ」というものは、700年 20世代を経て形成されるものだと聞くと、少し気持ちが楽になる。

日本人は、曖昧でいい。わかりにくくて当たり前。聞き上手に徹していればよい。
「やまとごころ」を、胸を張って誇りたい。