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藝術は身近なものである  宮田亮平さん

いま慶應MCCのagoraで、受講生に混じって「老荘思想」を勉強している。
こちらをご覧ください)
「太上は、下之有るを知るのみ」
『老子』の一節にある言葉だ。
優れたリーダーは、下の者からは何をやっているのかわからないほど存在感を消している、というような意味である。

「水のような人間であれ」
老子が繰り返し強調しているメッセージである。
水は何処にでも流れる。清流も、汚濁も、小川も、大河も、変わらずに流れる
水はだれにも合わせられる。相手の良いところを得て、何色にも染まる。
水は全てを洗い流す。汚辱、混乱、腐敗、あらゆるものを清める。
水は万物を育む、実りをもたらす。万物の母であり、父である。

宮田亮平先生は、まさに「水の如く」ある人ではないだろうか。

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失敗しても納得できるのは、自分のやりたいこと  遠山正道さん

およそ社長らしくない雰囲気を漂わせる人である。
いでたちはオシャレというより奇抜に近い。企業経営者の装いではなく、クリエイターや芸術家のそれである。
それもそのはず、コンランショップのパッケージデザインやイデーの家具デザインなどを手がけ、ニューヨークや青山などで個展を開いている芸術家肌の人である。
「三菱商事初の社内ベンチャー」で、日本の社内ベンチャーでも希有な成功例、Soup Stock Tokyoの創業社長ということで、立て板に水のように美しく戦略論を語る人かと思ったら、まったく違うタイプの人である。

この数年、経営学(戦略論、組織論)の世界で注目されている概念に「ストーリーテリング」という考え方がある。
経営戦略や理念・ビジョンを社内外に浸透させる際に、ありありとした魅力的な物語を語るという手法である。
一橋大の楠木健先生によれば、

「イケてるストーリー」「その線でやってみようじゃないの!」という気にさせる

というものだ。
分析的で客観的であることより、感覚的で主観的であることに特徴がある。
「自分はこれがやりたい!」
そういう熱い意志がたっぷりと詰まったストーリーが、他者をその気にさせる。

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一隅を照らす 野口吉昭さん

コンサルテーションという言葉の語源は、ラテン語のconsultare (協議する)という言葉に由来するといわれている。分解すれば、 con(共に)+sedere(座る)=共に座る、という意味になる。
コンサルティングには、元来クライアントとの協働という概念が包含されているのだ。

社会心理学の泰斗エドガー・シャインは、もう一歩進めて、プロセスコンサルテーションという概念を提唱した。

「クライアントとの関係を築くこと。それによって、クライアントは自身の内部や外部環境において生じている出来事のプロセスに気づき、理解し、それに従った行動ができるようになること」
人間は他者にしてやれることは、人が自ら気づき、行動するための支援活動しかない、という人間観がベースになっている概念である。

野口吉昭さんが率いるコンサルティングファーム HRインスティテュートは、クライアントの「主体性を挽きだすこと」をミッションに掲げている
自分のため、人のため、人々のため、個人ン・チーム・組織の可能性を挽き出すことで社会を変える支援をすることにある。
ここに、野口さんの、コンサルタントとしての明確で、揺るぎない立ち位置がある。

野口さんは、「コンサルタントの仕事術」というお題に対して、3つの能力を説明することで解答とした。
1)ストーリー力
2)質問力・解答力
3)習慣

具体的な内容については、是非野口さんの著書をお読みいただきたいと思うが、これらに共通するのが、「相手軸」で考えるというスタンスであろう。
相手(クライアント)が気づくための質問。
相手(クライアント)を動かすための解答。
相手(クライアント)をその気にさせるためのストーリー。
相手(クライアント)に寄り添い、相手の主体性を挽きだすためのスキルを駆使することが、コンサルタントの仕事術に他ならない。

クライアントを部下、社員、顧客に置き換えれば、リーダーとして、経営者として、営業マンとしての仕事術にも、そのままあてはまる。
人間が、他者にしてやれることは、人が自ら気づき、行動するための支援活動しかないのだから。

一隅を照らす
最澄が語ったという言葉を、野口さんは座右の銘にしているという。
「今、あなたのいる、その場所を照らしなさい。
 そう今、まさにいるその場所を。
 あなたの周りの家族、職場、地域社会を。」

日本を取り巻くマクロ環境を分析すると、世界のおける日本の位相は大きく変わろうとしている。経済規模や豊かさを誇る時代は終焉を迎えつつある。
成熟社会・成熟経済の日本にあって、「一隅を照らす」活動はどこにあるのか。

野口さんは、ソーシャルアントレプレーナー(社会起業家)と呼ばれる若者達に、来るべき社会のモデルを感じているという。
フローレンスの駒崎弘樹氏
マザーハウスの山口絵里子氏
カタリバの今村久美
みやじ豚.comの宮地勇輔氏
かものはしプロジェクトの村田 早耶香氏
若い社会起業家をゲストに招き、語り合うラジオ番組「Yokohama Social Café」という番組を自ら企画・スポンサードし、DJもやっているという野口さん。
これもまた、野口さんにとっての「一隅を照らす」ことに他ならない。

電気自動車というイノベーション

SFCの清水浩という先生が、八輪駆動の、ユニークな形状の電気自動車を開発している、という話は、以前から知っていた。
夕学五十講にお呼びしようという話も何度か出たが、その頃はまだ、「夢を追う研究」という認識で、どうせ将来の夢なら、クルマというすでに存在するものではなく、もっと新奇性のあるものを、などと思い、お声掛けを遠慮したという経緯がある。

「この2年で劇的に変わった」
当の清水先生が言うように、電気自動車に対する社会の期待は、「夢のクルマ」から「現実のクルマ」へと変容した。おりしもこの日、三菱自動車が「i-MIEV」を200万円台の価格で発売予定という記事が新聞紙上を飾った。
清水先生は、「夢を追いかける研究者」から「クルマを変えるイノベーター」へ、その評価を変えつつある。

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苦を苦として認めること 小池龍之介さん

小池龍之介さんは5時過ぎに会場入りし、別室で一時間ほど瞑想に入った
きょうの講演に向けて、意識を集中するためである。

簡単な打ち合わせを終えて、6時15分からは、開演前のステージ上で座禅を組み、再び瞑想をした。
会場の光、音、温湿度など環境情報が自分にどんな感情を呼び起こしてくれるのか、わずかな心身の働きに意識をフォーカスするためである。

講演は、ささやくような小さな声であった。
聴衆の意識を意図的に集中させるための仕掛けのようにも思える。
(あまりに小さくて、マイクで拾いきれなかった面もあったようです。たいへん申し訳ありませんでした)

話の合間に、わずかな間、沈黙がある。よく見ると目を細め、仏さまのような半眼瞑想のようでもある
いま、この瞬間に自分の心に浮かんでくる感情や思いに耳をすませていているのかもしれない。


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第三回 シュンペーターの「創造的破壊」

夕学プレミアムagora 竹中平蔵教授が講義する【問題解決スキルとしての経済古典】
いよいよ佳境に入って来ました。下記は第三回の内容です。

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前回の「ケインズの異論」から一ヶ月経ちましたが、この間に、日本の政治状況には大きな動きがありました。鳩山首相(当時)が辞任し、菅直人氏が新首相に就任。
菅新首相が打ち出したのが、日本版「第三の道」構想です。
先の所信表明演説で掲げられたスローガンは「強い経済・強い財政・強い社会保障の実現」でした。
竹中先生は、菅首相の認識に対して冷静な反論をいくつか展開したあとに、「強い経済を実現するための経済理論として、欠かすことに出来ない人です」ということで、本日の主役「シュンペーター」に言及をしていきました。

◆シュンペーターが生きた時代、直面した課題
エーゼフ・アロイス・シュンペーターとケインズは同じ年(1883年)に生まれました。
20世紀を代表する天才経済学者に数えられる二人ですが、その着目するところは大きく異なりました。
ケインズが、眼前にある世界大恐慌にどう立ち向かうべきかを説いたのに対して、シュンペーターは、資本主義のダイナミズムを解明することに目を向けました。
「問題」に着目したケインズと「本質」を問い掛けたシュンペーター。
ふたりの立ち位置の違いは対称的ですが、現在の経済問題を考えるうえで、示唆深い、普遍的な理論を展開したという点では共通しているのかもしれません。

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「やまとごころ」を、胸を張って誇りたい  中西進さん

中西進先生に対して、「やまとごころを問う」という演題をお願いしたのは、あまりに直截過ぎて、“やまとごころ”っぽくないことだと心配していた。
幸いにして、その心配は杞憂であった。
受け取り上手、聞き上手の中西先生は、「本歌取りを使った高度なお題をいただきました」
と受け止められた。少しだけ楽しんでいただけたようだ。


靖国神社に併設された「遊就館」という資料館に入ると、入り口に和歌が飾られている。

敷島のやまと心を人とはば、朝日に匂う山桜花(本居宣長)

はじめて「遊就館」を訪れた時に、こういう施設の最も象徴的な場所に、この句が掲げられていることに対して、直感的な違和感を抱いた。
句の意味(特に後半)は、実に私達の心情にピッタリとくるけれど、それゆえに靖国の象徴にして欲しくはないという感覚である。

中西先生なら、どう料理してくれるのか。
そんな思いで、「やまとごころを問う」という演題をお願いした。

先生は、浅はかな思惑を全て見透かしたうえで、想像以上の巨視的なスケールで、しかも極めて日本的に(曖昧に)お話を展開してくれた。

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「企業の使命と責任」 坂本光司さん

いまから80年ほど前、第一次大戦の後遺症と世界恐慌の傷を癒しきれていないオーストリアに、若きピーター・ドラッカーがいた。
彼は、欧州にヒタヒタと広がる全体主義と社会主義に強い違和感を抱いていた。

一国の利益、個人の利益の最大化を追究する経済至上主義は、人々を幸せにすることはできない。

新しい時代は、人間を歯車として扱うのではなく、自由意思を持った生身の存在として機能させるできである。

その主役は、政治・行政ではなく、挑戦意欲とイノベーション精神をもった企業であるべきだ。


そう信じたドラッカーは、米国に渡り、『CONCEPT OF CORPORATION』(邦題:「企業とは何か」)という本を書いて、世に出た。
そして、新時代の主役である企業が発展拡大するためには、「マネジメント」が鍵を握ることに辿り着き、以降「マネジメントの発明者」として大活躍する。

遅れること50年、ドラッカーが愛した日本で、坂本光司先生は、6000社に及ぶ中小企業を「はいずり回るように」訪ね歩きながら、同じ問題意識を抱いていた。

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