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「男おひとりさまは女縁に学べ」 上野千鶴子さん

『男おひとりさま道』という本は、中年男には、けっして気持ちよく読める本ではない。
「オレが大黒柱だ!」と鼻をうごめかせている男どもの前に、上野先生がツカツカとやって来て、「アンタ達、だからダメなのよ。これでも読みなさい」と、見たくなかった現実を突きつけたような本である。
上野先生も、本音を言うと、この本を書きたいとは思っていなかったようだ。
「だから男おひとりさまについて書くのは嫌だといったでしょ。明るい話にならないもの」
という記述が本書にはある。
『おひとりさまの老後』が75万部のベストセラーになり、色気が出た編集者が、「先生、男のおひとりさま本も必要ですよね」と無理やり口説き落としたのかもしれない。
いや、つまらぬ憶測はやめよう。
「アンタ、だからダメなのよ」と上野先生から叱られそうだ。

上野先生の講演は、理論整然、論旨明快。皮肉とユーモアを随所に織り込んで進んでいく。身につまされながらも、男のバカさ加減に思わず笑ってしまう。そんな2時間であった。

男であれ、女であれ、老後を「おひとりさま」で過ごす人々の数は、ますます増えていく。
それは、成熟社会に入ったわれわれが直面する当然の帰結であって、望むと望まざるとにかかわらず起きる事象である。
だとすれば嘆いたり、文句を言ったりする前に、せっせと準備をしないといけない。
上野先生はそう指摘する。

おひとりさまの問題は、家族に変わる代替ネットワークが存在しないことだという。
環境が変わった(少子化、家族観の変容)のに、いざという時に頼りにする杖は昔のまま(子供)で、すでにすっかり弱くなっていることに気づいていないことだ。

「家族持ち」から「人持ち」へと、上野先生は提唱する。
結婚がデフォルトである時代が終わり、なおかつ少子化が進めば、家族・親族ネットワークは縮小していく。いざという時に頼りになる「第三のネットワーク」を持つことが幸せな暮らしに繋がっていく。
「選択縁」
上野先生は、このネットワークをそう名付けている。
巷間叫ばれる地域コミュニティーの再生ではない。自分の意志で「選択」でき、自発性とゆるやかな所属によって成り立つ新しい「縁(えにし)」のあり方である。

加入・脱退が自由で、
強制力がなく
包括的コミットメントを要求しない
それが「選択縁」の定義になる。

「選択縁」のノウハウは、圧倒的に女の世界が先行しているという。
例えば転勤族の妻達に代表されるように、女性達は、デラシネ的生き方をいち早く適応してきた。
知り合いがいない。親戚がいない。頼る人がいない。自分でゼロからネットワークを結び直さねばならない。
女性達は、そういう環境で、ネットワークを培う術を身につけてきた。
上野先生は、これを「女縁」と呼ぶ。
子供の預け合い。料理のお裾分け、お土産や心遣い。礼服の貸し借り。冠婚葬祭の手伝い。なんと不倫の手助けまで、彼女達は相互扶助的ネットワークを築くことが巧みである。
「女縁」の達人のネットワークマップを分析すると、複数の性格の異なる集団に所属し、いずれもアクティブに活動している。しかも、ネットワークのコンパートメント管理が出来ており、いくつもの顔を集団の性格に応じて使い分けることができる。
「こちらがダメなら、あちらがある」
というリスクマネジメントが為されているのである。

男達は、女性達のネットワーキングメソッドに、謙虚に学べばよい。
ところがそれが出来ない。
数少ない「男縁」の存在を調べてみると、実に心もとないという。
「こいつと知り合うと役に立ちそうだ」という下心が透けてみえる。力関係や権限にこだわる。名刺がないと自己紹介が出来ない...。
ビジネス世界で染みついたノウハウを、そのまま持ち込んでしまうのだ。
しかも、上手にやっている人達は、決まって出世していない。
仕事の成功とおひとりさま道の幸せは比例しないようだ。 

だとすれば、先行している「女縁」にあとから入れてもらうのが得策だ。
「女縁」も、異質性の加入は、限度を超えなければウェルカムとのこと。
その時に必要なのは、「下り坂をおりるスキル」だという。
自分の「弱さ」を正直に吐露することだ。
男同士で張り合いながら助け合うより、「女縁」に入って、上手に弱音を吐くことだという。
なるほど、確かにこれは真理だという気がする

「イノベーターは、人の心に火をつける」 伊丹敬之さん

伊丹敬之先生の東京理科大学での役職名「総合科学技術経営研究科長」をカタカナ表記すると「ソウゴウカガクギジュツケイエイケンキュウカチョウ」となる。
案の定、ご紹介の際に言い間違えてしまったところ、
「当校の学長も正確に言えたことが一度もない。やっぱり彼も間違えた(笑)」
「こんな舌を噛みそうな名前は止めて、シンプルにしようということで“イノベーション研究科”になる予定です」
とのこと。
たいへん失礼をいたしました!!

さて、伊丹先生が「イノベーション」を重視するのは、大学院の名称問題だけではない。
日本の産業の生きる道が、「イノベーション」に集約されると考えているからである。
少子・高齢化が劇的に進む日本では、内需振興には限界がある。
外に目を転ずれば、中国大陸という巨大市場が、いままさに開花の時期を迎えている。この巨大新市場は、日本の産業構造を決定する可能性を秘めている。
戦後日本の産業構造が、アメリカ大陸という市場の要求に応えること決定してきたように、中国大陸を発信源とした産業構造転換が起きなければ日本は成長できない。
その鍵を握るのは、「イノベーション」に他ならない。

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「自分で選んで歩く」 佐々木常夫さん

「誰が選んでくれたのでもない。 自分で選んで歩き出した道ですもの...」

大女優 杉村春子 生涯の当たり役「女の一生」の名台詞である。
遊女の私生児として広島の色街で生まれた女性が、日本の近代演劇を代表するカリスマ女優にまで上り詰めた、杉村春子の生涯を象徴するような台詞として、あまりに有名である。

この台詞に力を与えるのは、強烈なまでの「自己決定の原理」である。

「人間は、生まれながらにして自由なのではない。自由な意志を行使する限りにおいて、自律的な存在であるゆえに、自由なのだ」

カントはそう言った。

佐々木常夫さんの人生は、壮絶なる「男の一生」である。
年子で生まれた三人の子供の育児。
自閉症を抱え、しばしば問題行動を起こす長男の世話。
肝臓病に加えてうつ病を患い、20年間で43回の入院と3回の自殺未遂を繰り返した妻の看護。
東レの戦略スタッフ、経営幹部としての激務と度重なる転勤。
その全てを引き受けて、破綻することなく、それでいて飄々とやり抜いた。
想像を絶する、凄まじい一生である。

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「自分だけの本、自分だけの雑誌」 小林弘人さん

小林弘人さんは、インターネット黎明期から、IT・ネットと出版のクロス領域をドメインにしたメディアビジネスを次々と興し、成功させてきた人である。
大ベストセラーになった『FREE』の監修・解説も手がけ、フリミアム(FREEMIAUM)と呼ばれる新しいマーケティングの啓蒙者としても知られている。

小林さんは、「誰でもメディア」の時代が到来したと言う。
メディアがひと握りの専門家による独占から解き放たれ、企業活動も個人生活や思考もメディアになり得るという意味である。
Webサイトやブログを持つこと、ツイッターでつぶやくことが「誰でもメディア」ではない。
あるテーマについて、秀でたコンテンツ制作力・編集力を持ち、自らを核にして、少なくとも数千人レベルのコミュニティを作り、維持できる求心力と牽引力を持った存在でなければならない。
これが、至るところに勃興していることを称して「誰でもメディア」と名付けているのである。

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第二回 ケインズの異論

先週土曜日に行われた 夕学プレミアムagora「竹中平蔵教授が講義する【問題解決スキルとしての経済古典】第二回目の講義内容です。
今回は、ケインズがテーマでした。

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竹中先生は、自らを「モダレートケインジアン」だと言います。
かつて、サマーズ(現国家経済会議(NEC)委員長)も同じ主旨のことを言ったそうです。
「いまの経済学者は皆、モデレートケインジアンである」と。

圧倒的に需要が不足して、圧倒的に失業が出ている時代にあっては、「政府が公共投資を行い、需要を作り出すべきである」というケインズの考え方は、まったくその通りです。
ただ、完全雇用が達成されるような状態の時に、「大きな政府」か「小さな政府」か、と聞かれれば、「小さな政府」がいいと私は答えるでしょう。
竹中先生はそう言います。
なぜなら、政府は間違えるから。政府の中にいた私が言うのだから間違いない。(笑)
つまり、経済とは、状況に応じて判断すべきものであって、ケインズがいいか、フリードマンがいいかという類の問いは意味のないものだということです。

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「発想の考動力」は野生の思考法  三谷宏治さん

三谷宏治さんの「発想の考動力」というタイトルとコンセプトを聞いて、ジャンルの異なるふたつの逸話が頭に浮かんだ。

ひとつは、梅田望夫氏の「高速道路とけものみち」論。
もうひとつは、杉田玄白が『解体新書』を翻訳した時の苦労話である。

梅田望夫氏は、ネット社会を「高速道路とけものみち」が連続する社会だと論じた。
世界がネットで繋がり、無料のフリーウェイを自由に利用することができる。何処にでも、短時間で、快適に行くことができる。
しかし、高速道路だけでは、けっして目的地には辿り着かない。料金所を下りると、そこには鬱蒼たる森に通じる「けものみち」があるだけである。
ネットという高速道路を使ってある程度の情報や知識は得られるが、真の価値を創出するためには、「けものみち」を歩き通す体力と知恵が求められるというわけだ。

『解体新書』は、安永3年(1774年)、杉田玄白が翻訳した日本で最初の西洋医学書である。
彼は、当時オランダ語(蘭語)がほとんど出来なかった。当然ながら辞書もなく、教えを請う師もいなかった。翻訳は、あたかも暗号を解読するかのような手探りの作業であったという。
中でも困難を極めたのは、鼻の項目にあった「フルヘッヘンド」という語彙だったという。
この意味がどうにもわからず、片端から文献をあたった末に、ようやく辿り着いたのが、「木の枝を断ちたるあと、フルヘッヘンドをなし、庭を掃除すれば、その塵土聚(あつま)りて、フルヘッヘンドをなす」という訳注文だった。
つまりフルヘッヘンドとは、「うずたかく盛り上がった形」という意味であったのだ。
当時の人々が、外来の先端知識を身につけるのに、いかに苦労したのかを物語る逸話である。

三谷宏治さんが主張する「発想の考動力」とは、高速道路の運転テクニックではない。
「けものみち」に求められる、動物的な生存能力である。
そして、「フルヘッヘンド」のエピソードは、江戸の知識人達が、いかようにして「けものみち」を歩いたのかを教えてくれる。
「発想の考動力」の具体例に他ならない。

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健全なる懐疑精神を持とう 松尾貴史さん

「芸能人は“運”で生きている人種です」
「自分の人生が、努力や実力を越えた次元にある“運”で左右されることを受け入れている人間が入ってくる世界だから...」
芸能人にゲンを担ぐ人や霊感を信じる人が多い理由を、松尾さんは解説する。

もちろんゲン担ぎは、芸能人だけではない。
先日夕学の登壇した伊東乾先生によれば、人間の脳は、「理性」が「情動」に勝てないように出来ているらしい。
「情動」を支配する動物的な古い脳(大脳辺縁系)の方が、「理性」を司る人間的な新しい脳(大脳新皮質)よりも、ほんの少し早く反応するからだ。
古い脳の反応は、人間の心身状態をロックインし、理性的思考に縛りを掛けてくる。

信じたいものしか信じない。信じたくないものは信じない。
それが人間である。

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