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第一回 アダム・スミスの「見えざる手」

先週の土曜日から、夕学プレミアムagora「竹中平蔵教授が講義する【問題解決スキルとしての経済古典】がはじまりました。
この講座の主旨はこちらを。

初回は、「アダム・スミス」でした。
自分の勉強もかねて、講義内容のエッセンスをまとめてみました。ライブ講義の場にいないと、理解は深まらないかもしれませんが、「こんな講義だったのか」という雰囲気は、お分かりいただけると思います。
あくまでも城取のメモであって、講義録ではありませんのであしからず。

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◆アダム・スミスが生きた時代 直面していた問題◆
アダム・スミス(1723-90)は、経済学の祖と言われています。
哲学や文学は、ギリシャ・ローマの時代からありました。にもかかわらず経済学は、なぜスミスの時代に生まれたのか。それは、この時代に「経済的自由」が生まれたからだと竹中先生は解説されました。

なりたいものになれる。やりたいことが出来る。
「昨日と同じ明日が来る」のではなく、「昨日と明日は違う」

そういう時代になったからです。
そんな背景を受けて、「利得」という概念も登場しました。

もっと頑張れば、もっと働けば、いまよりも豊かになれる。

「経済的動機」が人を動かすエネルギーになる時代が到来していたそうです。
「経済的自由」がもたらす新しい社会のあり様や、自由な社会を秩序だてる概念を説明してくれる人が求められていた。そんな時代にアダム・スミスは登場しました。
そして、自由がもたらす新しい秩序は「市場」というシステムで説明されることになります。

「市場」というシステムは、13世紀から19世紀の半ばまで、実に長い時間をかけて社会に定着した概念だと竹中先生は言います。
新しい概念が定着するまでには、「変革への恐怖心」という呪縛を解き放つ必要がありました。通念を変えることへの根強い抵抗と戦うことも必要でした。
その仕上げの時期を迎えようという頃に、アダム・スミスが登場しまたことになります。

「経済的自由」の到来と並んで、いくつかの明るい側面が、この時代の英国にはあります。
名誉革命から100年が経ち、議会政治による民主主義が定着してきました。
オランダやフランスとの覇権争いに勝利した英国は、大西洋貿易の利権を把握し、貿易は大きく伸長していました。
ハーグリーブスによる多軸紡績機の発明などの技術革新、ルソーやニュートンの登場など近代文明・文化が進歩した時代でもあります。

一方で、当時の英国はいくつかの問題を抱えていました。
問題1.社会秩序の混乱
「経済的自由」という新しい時代の到来は、社会秩序の混乱をもたらしました。
ホガースの「ビール街」と「ジン街」に象徴されるように格差と貧富の拡大が社会問題化していました。

問題2.財政赤字
フランスとの度重なる戦争は、戦費負担という形で国家財政を圧迫し、深刻な財政難をもたらしました。

問題3.米国という植民地政策
財政難を解消するために、植民地である米国への課税を強化したことで、現地の反発を招き、反乱鎮圧のために、更に財政が悪化するという悪循環も発生していました。

問題4.重商主義対策
貿易黒字を至上と考える重商主義がはびこっており、輸入規制や保護貿易への圧力にどう対処するべきかという問題もありました。

スミスは、これらの問題と向き合いながら、その解決策を探索する中で、自身の思想を深めていったといいます。


◆アダム・スミスという人物像◆
スミスは、1723年スコットランドに生まれ、グラスゴー大学に学びました。28才で同大学の論理学、29才で道徳倫理学の、それぞれ教授に就任しました。
1759年 36才の時に著した『道徳感情論』が評判となり、資産家子息の家庭教師に雇われ、3年に渡って欧州を歴訪する機会に恵まれます。
後にスコットランドに戻り、1776年 54才の時に『国富論』を書きます。
意外なことに、生涯で著作はこの二冊だけです。
華やかな学問歴とは裏腹に、生涯を独身で通し、空想癖と偏頭痛に悩まされた人生であったといいます。

竹中先生は、スミスに影響を与えた人物として、二人の偉人を挙げます。
ひとりは、四半世紀に渡る交流を繋いだデービッド・ヒューム 啓蒙主義を代表する政治思想家です。
ヒュームは、「安易で拙速な変革は秩序の混乱をもたらす」と考え、一部エリートによる傲慢な姿勢を戒めたと言います。
ヒュームが唱える、経験と慣習を尊重する漸進的な変革主義の考え方は、スミスに大きな影響を与えました。

いまひとりは、チャールズ・タウンゼント(大蔵大臣)です。
彼は、『道徳感情論』を読んでスミスに心酔し、彼を息子の家庭教師に雇った人物です。政治家としてのタウンゼントの行動は、必ずしもスミスの考え方と相容れるものではありませんでしたが、スミスの欧州歴訪の旅という見聞機会を与えてくれた意味で、チャンスの扉を開いてくれた人物と言えるそうです。


◆アダム・スミスは何を主張したのか◆
『国富論』のエッセンスを、竹中先生は次のようにまとめてくれました。

冨の源泉は労働にあり
「いかなる国家においても、労働こそが冨の源泉である」
「冨の拡大は、労働の量(人数)と質(技能水準)によって成し遂げられる」
労働の量(人口)が減少しはじめた今日の日本に必要なものが、労働の質であることを示唆してくれると竹中先生は解説しました。

分業の概念
「労働の生産性を高めるのは、分業である」
後のフォーディズムやドラッカーの分権制にも繋がる近代工業社会の基本原則の嚆矢がここにあります。
分業を成り立たせるには、市場の規模が必要であることもスミスは主張しています。
分業による生産性の向上と、それがもたらす市場の拡大の相互循環効果は、やがて労働市場の拡大につながり、下層の人々にも仕事が行き渡り、冨の再分配を促す。
「分業」の概念は、先述の「社会の問題」へのひとつの解を提示したのではないかと竹中先生は見ています。

成長の法則 資本の蓄積は労働と冨をもたらす
スミスは、自己の理論がサスティナブルであることを論理立てました。
分業により生産性が高まる → 資本が蓄積される →更なる労働力が必要になる → 賃金が上昇する → 生活が安定する → 死亡率が減少し人口が増加する → 労働力が充足し需要に応えられる → 市場が拡大する
といった正の循環サイクルが回るだろうとスミスは考えました。

経済政策の目的は、「国民が自らの力で生きていけるようにすること」
スミスは、国民一人一人が「利己心」を推進力として仕事に励み、「競争」を抑制力としてバランスを取ることによって、秩序調和が実現すると考えました。
有名な「見えざる手」という言葉は、このメカニズムを説明する際に、一度だけ記述された言葉だそうです。
この秩序調和メカニズムは、意識的な制御ではなく、無意識のうちに発生することが健全である、とスミスは考え、この表現に行き着いたとのこと。

また、重商主義については、極めて批判的な記述を残し、植民地(米国)政策については、独立容認の立場を明記しました。社会の問題に対して、明確にその主張を展開しました。
自由を実現すれば、市場が生まれる。市場が活力をもてば、結果として英国の利益に繋がるという、持論への強い自信に裏付けられたものでした。

さて、竹中先生は、スミスのもう一冊の著作『道徳感情論』についても多少触れていただきましたが、『道徳感情論』を理解することで、「見えざる手」の意味するところが、より重層的に理解することが出来ます。
詳しくは、夕学五十講の堂目卓生先生の講演録ブログをご参照ください。

スミスが考えた「見えざる手」は、強者による経済的な調整分配機能だけではなく、賢者による正義の調整機能も含んでいるのではないでしょうか。
そう考えると、「市場」というシステムは、21世紀を迎えた今日でもなお、社会定着化の過程にあり、克服すべき課題が残っていることになります。
スミスの問い掛けは、今も続いているのかもしれません。