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「笑いの効用」 伊東乾さん

伊東乾先生の講義は盛り沢山の内容で、正直な話、消化不良を起こしそうになった。そこで思い切って、「笑いの効用」に絞り込んで論をまとめてみたい。

「絶望の反対は、ユーモアだと思う」

希望学を提唱する東大の玄田有史先生は、かつて、宇多田ヒカルが語ったという言葉を紹介してくれた。
ユーモアがなくなった時、人間は絶望する。
どんな困難な状況、悲惨な境遇に陥っても、ユーモアさえあれば、希望に繋ぐことが出来る。
ユーモアには、そんな「力」がある。


「吉本の漫才を聴くと、血糖値が下がる」

遺伝子工学を専門とする村上和雄先生が、吉本興業の協力を得て実証研究をした科学的知見である。
二万個以上あるという人間の遺伝子のうち、23個の遺伝子が、お笑いを聴くことで活性化する。それが人体にプラスの影響を及ぼす。
お笑いには、そんな「力」がある。

伊東乾先生の「笑いの効用論」には、上記を一歩進めて、脳科学的な解説が加わる。

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「対話というデザイン」 平田オリザさん

昨春、慶應MCCの夕学プレミアムagoraで「平田オリザさんと創る【表現力を磨く演劇ワークショップ】」を開催した。
オリザさんは受講者に、A4一枚の短いシナリオを提示する。
汽車の中、4人掛けのボックス席に、AとB(友人らしき二人)が向かいあって座っている。二人は、とりとめのない低温の会話を交わしている。そこに見ず知らずのCが登場し、コンパートメントの空席に座っていいかを確かめるとことからシナリオははじまる。

C「あの、ここよろしいですか?」
B「あぁ、どうぞ、どうぞ」
C「すいません」(雑誌を広げて読み始める)
B「いえいえ...」

この後に、Aが「旅行ですか?」とCに問い掛けるところが、このシナリオのキーポイントだという。
見ず知らずの人に、何のとっかかりもない状態で話しかける。
オリザさんによれば、このセリフが日本人は、どうにも苦手だという。

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「一輪の花に本質を見いだす感性を」 莫邦冨さん

莫邦冨さんの熱い講演の翌日、よく知る夕学受講者の方からこんな主旨のメールが届いていた。

日本人が中国の実情にうといこと、また、偏った情報しか持たないことが、よく分かりました。 ちょっと厳しい言い方ですが、日本人は豊かになりすぎて情報感度が相当鈍っているんじゃないでしょうか。

私も、自省の思いを込めつつ、強く同感する。

国家経済が、10%近い成長を20年近く続ければ、社会がどれほど豊かになるか。
私たちは、身をもって体験してきたにもかかわらず、同じ旅程を少しばかり遅れて走り出した中国に対して、あまりに鈍感ではなかろうか。

成功を妬み、失敗を喜ぶ。したたかさに目を背け、つまずきにほくそ笑む。
屈折した感情から抜けきれず、客観的な見方を持てないでいる。
中国を見下していたい。そんな潜在意識がバイアスとなって、中国の問題点にばかり目が向いてしまう。
かつて(今も?)、欧米に「エコノミック・アニマル」と揶揄された日本が、同じような視線を中国に向けている。

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第一回 アダム・スミスの「見えざる手」

先週の土曜日から、夕学プレミアムagora「竹中平蔵教授が講義する【問題解決スキルとしての経済古典】がはじまりました。
この講座の主旨はこちらを。

初回は、「アダム・スミス」でした。
自分の勉強もかねて、講義内容のエッセンスをまとめてみました。ライブ講義の場にいないと、理解は深まらないかもしれませんが、「こんな講義だったのか」という雰囲気は、お分かりいただけると思います。
あくまでも城取のメモであって、講義録ではありませんのであしからず。

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◆アダム・スミスが生きた時代 直面していた問題◆
アダム・スミス(1723-90)は、経済学の祖と言われています。
哲学や文学は、ギリシャ・ローマの時代からありました。にもかかわらず経済学は、なぜスミスの時代に生まれたのか。それは、この時代に「経済的自由」が生まれたからだと竹中先生は解説されました。

なりたいものになれる。やりたいことが出来る。
「昨日と同じ明日が来る」のではなく、「昨日と明日は違う」

そういう時代になったからです。
そんな背景を受けて、「利得」という概念も登場しました。

もっと頑張れば、もっと働けば、いまよりも豊かになれる。

「経済的動機」が人を動かすエネルギーになる時代が到来していたそうです。
「経済的自由」がもたらす新しい社会のあり様や、自由な社会を秩序だてる概念を説明してくれる人が求められていた。そんな時代にアダム・スミスは登場しました。
そして、自由がもたらす新しい秩序は「市場」というシステムで説明されることになります。

「市場」というシステムは、13世紀から19世紀の半ばまで、実に長い時間をかけて社会に定着した概念だと竹中先生は言います。
新しい概念が定着するまでには、「変革への恐怖心」という呪縛を解き放つ必要がありました。通念を変えることへの根強い抵抗と戦うことも必要でした。
その仕上げの時期を迎えようという頃に、アダム・スミスが登場しまたことになります。

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パトスの論理 村上憲郎

エグゼクティブを専門とするヘッドハンター達の間には、「外資系企業の日本法人トップ候補者」というリストがあるという。
およそ200名程度と言われるリストメンバーの中で、90年代~2000年代初頭にかけて、常に上位に名前があった人物が何人かいる。
例えば、前ライブドア社長の平松康三さん。アメックス、AOL、インテュイット等々のトップを歴任した。平松さんは、夕学にも登壇され、私は、その時の印象を「熱きストラテジスト」というタイトルでブログに書いた。

村上憲郎さんも、そのリスト上位者のひとりであった。DEC社を皮切りに、Docent社、Northern Telecom社の日本での経営を担ってきた。

平松さん、村上さん共に全共闘世代。学生時代は勉学よりも学生運動に熱中し、若くして挫折を経験した経歴も似ている。
平松さんは、「クビを宣告された日に泥棒に入られた」という貴重?な経験を講演の掴みネタにしているが、村上さんの人生も、そう大きくは違わないのではないか。
波瀾万丈の人生を、したたかに生き抜いた人である。

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agoraの講座から本が出来ました。

昨秋開催した夕学プレミアムagoraの講座 「田口佳史さんに問う【論語に学ぶ人間力】の講義内容をベースにした書籍が出来ました。

『論語の一言』(光文社)
書店に出回るのは来週早々ではないでしょうか。

著者の田口先生は、「はじめに」の中で次ような主旨のことを書いていらっしゃいます。

近年の『論語』に対する世間の関心が高まっている理由は、 「生きていくうえの、ぶれない軸が欲しい」 というものだと思います。

人間の行動や考えを支える「根っ子」を知ることが「ぶれない自分」をつくる軸になります。
この「根っ子」をは、人間なら誰もが持っているものなのです。
大事なのは、その「根っ子」に自ら気づくこと。そのために必要なのが『論語』なのです。

agoraの講義は、まさに「根っ子」に気づくための、田口先生との論語問答でありました。この本には、そのエッセンスが見事に凝縮してまとめられています。
是非、ご一読ください。


今春には中国古典シリーズ第二弾として、「田口佳史さんに問う中国古典【老荘思想】」がはじまります。
(こちらは、既に満席になり、申込受付を締め切っております)

この講座も書籍化の構想が進んでおり、『老荘の無言』(仮称)というタイトル案まで決まっているそうです。

「論語」(儒家)と「老荘」(道家)という中国古典の二大思想を、「一言」と「無言」という対比で表現されるのが、田口先生のすごいところです。

暗夜を照らす燈火を、「一言」に凝縮して伝えてくれるのが「論語」なら、
言葉は、真理の痕跡でしかないと喝破し、「無言」の教えを示すのが「老荘」。

そんな思いが込められたタイトル(案)ではないでしょうか。

「市場は創造するものである」  内田和成さん

内田和成先生には二種類の著作がある。
ひとつは、専門領域である「経営戦略」に関わる内容であり、仮にこれを「コンテンツ系」と呼ぼう。
いまひとつは、モノの見方・考え方・分析の仕方を紹介したもので、こちらは「思考系」と言える。
それぞれ、単独でも十分に面白いが、出来れば、両方の系統を並行して読まれたい。戦略コンサルタントの「頭の使い方」とその成果物として紡ぎだされた「アウトプットの独創性」の両方を見比べることが出来るからである。

今回の講演テーマ『異業種競争戦略』は、「コンテンツ系」の本だが、前回の夕学でお話いただいた『仮説思考』と今春刊行された『論点思考』という二つの「思考系」の本を踏まえて読むと、内田先生が、どういう思考回路を経て、「異業種競争戦略」という概念を構築したのかがよく理解できる。

さて、内田先生がいう「異業種競争戦略」の定義は次のようなものである

異業種競争とは
●異なる事業構造を持つ企業が
●異なるルールで
●同じ顧客ないし市場を
奪い合い競争である

内田先生は、銀行業界に起きている異業種競争の例を用いて説明をしてくれた。

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電子書籍という黒船

いよいよ、風雲急を告げはじめた。
出版業界を取り巻く内外環境の動きである。
先日は、Apple社が米国でiPadを発売した。その販売動向に世界中が注目していることは間違いない。
日本では、先月末に、大手出版社31社が集まって、日本電子書籍出版社協会(電書協)なる組織を設立した。
「出版社、中抜き阻止を目指して団結へ」という見出しがネットニュースを飾ったばかりだ。

キンドルやiPadといった電子書籍リーダーの登場を、幕末の黒船来襲に擬える声が多いが、待ち受ける側の反応をみると、まさに黒船騒ぎの再来といった感がある。

夕学プレミアムで講義していただいた半藤一利さんによれば、幕府はかなり早い時期に、オランダから長崎経由でペリー来航の情報を掴んでいたという。
老中は、内密のうちに連日の会議を開いたが、結局何ひとつ決まらないうちにペリーはやって来た。

「起きて困ることは起きない」「起きないことにしよう」「起きないと信じよう」

存亡の危機を前にして、いたずらに時間を消費し、打ち手が遅れるというのは、日本人の指導者層が持つ通癖だと半藤さんは言う。
21世紀の黒船来襲を迎え討つ出版業界の動きはどうなのだろうか。心配である。

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7/30(金) 中村桂子さん 「生命を基本に現代文明を見直す」

最終回 7/30(金)の講師は、JT生命誌研究館館長の中村桂子さんです。
東大大学院で生命科学を専攻し、民間企業の研究所や大学で、生命科学の研究生活を送ってきた中村さん。ご専門について、次のように説明されています。

生物の構造と機能を追求する生命科学(Bioscience)から、生命の単位としての細胞、ゲノム(DNA)を基本に、生物を歴史と関係の中で考える生命誌(Biohistory)という新しい知を構築している。

とあります。なにやら随分と難しい...
しかしながら、人類が登場するずっと以前から、地球上には生命が存在しました。その生命の基本構造は細胞であり、それを構成するDNAの組み合わせであります。
その事実を考える時、生物を歴史と関係の中で考えるという「生命誌」という学問が、巨視的かつ精緻な、何かを示唆してくれるのではないかということは、素人にもわかります。

思えば、夕学には、さまざまな領域の専門化=識者が登壇してきましたが、近年登壇される方々が、現在の私たちの社会のあり方について苦言を呈される際に、共通するフレーズがあります。(松井孝典氏、福岡伸一氏、中谷巌氏等々)

「ほどほどに...」

松井孝典氏福岡伸一氏中谷巌氏等々。

生物を歴史と関係の中で、現在の人間社会の営みを考えると、「ほどほど」的な感覚が皆無になってしまったことがよくわかります。

「長い生命の歴史(生命誌)の中にある人間に注目し、新しい制度・技術を考える」

今期の最後は、中村先生のスケールの大きなお話を胸に刻み込みたいと思います。

この講演にご関心をお持ちの方は、下記の講演もお奨めです。
 ・4/28(水)伊東 乾 「音楽の効用、笑いの効用
              ~脳認知の基礎研究から業務マネジメントまで~」
 ・5/18(火)佐々木 常夫 「仕事も家族もあきらめない」
 ・5/19(水)伊丹 敬之 「イノベーションを興す」

7/29(木) 佐藤賢一さん 「『フランス革命』に何が学べるか」

第24回 7/29(木)の講師は、作家の佐藤賢一さんです。
佐藤さんは、東北大大学院で西洋史を研究し、作家に転じてからも西洋中世・近世を題材にした作品を書いていらっしゃいます。
『王妃の離婚』で直木賞を受賞され、歴史作家として確固たる地位を築いた佐藤さんが、構想20年のライフワークとして取り組んでいるのが、大作『小説フランス革命』です。2年前から刊行を開始し、全12巻を5年間かけて完成させようという大構想です(ちなみに現在は5巻目)

佐藤さんによれば、現代日本と革命前夜(18世紀末)のフランスは、政治・経済状況がそっくりだと言います。
経済は破綻寸前の危機的な状況にありながら、そして改革に向けた手だては何度も取られていながら、既得権益勢力の抵抗にあって遅々として進まず、政治に対する絶望感が、庶民の怒りに転ずる寸前の状態... というところでしょうか。

フランスでは革命が起きました。10年以上の混乱の中で、国王や王妃をはじめとして多くの人々がギロチン台に送られ、戦死者も含めると200万人以上が亡くなったと言われています。
近代民主主義を獲得する過程で、致し方ない犠牲であったという見方と、「大衆による暴力」という人間の暗部が発露したという見解が併存しています。

かくて、18世紀末のフランスでは革命が起きた。してみると、現代の日本にも革命が起きているのか。かかる素朴な疑問に論を起こし、すでに結果が出ている歴史の助けを借りながら、混迷を続ける現代日本の行く末を展望する。
佐藤さんは、このように述べています。 いま、起きていることの意味やインパクトの大きさは、同時代的には、その輪郭が見えてこないといいます。 果たして、フランス革命が私たちに教えてくれるものは何か、私たちは、歴史から何が学べるのか。 65回目の夏を前に考えてみたいと思います。


この講演にご関心をお持ちの方は、下記の講演もお奨めです。
 ・5/14(金)小林 弘人 「新世紀メディア論
                ~オープン出版宣言、21世紀の出版と新しいメディアビジネス~」
 ・5/19(水)伊丹 敬之 「イノベーションを興す」
 ・7/8(木)若田部 昌澄 「危機の経済学」

7/27(火)松本健一さん 「日本の青春時代とは、何か ~『坂の上の雲』にふれて~」

第23回 7/27(火)の講師は、評論家で、麗澤大学比較文明文化研究センター所長の松本健一先生です。
松本さんは、半藤一利氏保阪正康氏と並び、幕末から昭和を専門とする在野の三大歴史家と言われる存在です。
半藤さん、保阪さんともに夕学に登壇され、素晴らしいお話をしていただきましたが、三人のトリを飾る形で、松本さんに登壇いただきます。

今回は、昨秋放映されたNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』に触れながら、日本の青春時代をテーマにお話いただきます。
司馬遼太郎賞を受賞され、『司馬遼太郎を読む』という著作もある松本さんならではのテーマ設定かと思います。

『坂の上の雲』は、秋山好古・真之兄弟、正岡子規という伊予松山出身の三人の偉人の青春時代と、近代国家草創期にあった日本という国の青春時代を重ね合わせた「明治の青春物語」です。
松本さんが定義する日本の青春時代は、明治23年の憲法施行・議会開設・民主選挙から14年後の日露戦争までだそうです。
本やドラマでは、秋山兄弟が、それぞれ陸軍大学校、海軍士官学校での研鑽の日々を経て二つの戦争を戦った時期にあたります。正岡子規は、結核と戦いながら、俳句・短歌の革新運動に、文字通り命を捧げました。

三人が、坂の上に漂う大きな雲を目指して、ひたすら坂道を上り続けていたこの時代は、実は、昭和の悲劇につながる「日本の失敗」が埋め込まれた時代でもありました。
教育勅語が発布され、元老制度がはじまり、軍備の増強と藩閥政治が確立したのもこの時代です。

坂道を登るためのハーケンとして打ち込まれた制度や仕組みが、自己増殖して、自らの身体を侵食することになることを、この時点でいったん何人の人が想定できたのでしょうか。

そんな歴史のパラドクスをお話いただけるものと思います。

この講演にご関心をお持ちの方には、下記の講演もお奨めです。
 ・4/22(木)莫 邦富 「中国から見た日本、日本から見た中国」
 ・5/19(水)伊丹 敬之 「イノベーションを興す」
 ・6/10(木)中西 進 「やまとごころを問う」

7/23(金) 種田陽平さん 「映画の中で生きる芸術」

第22回 7/23(金)の講師は、美術監督の種田陽平さんです。

映画を中心に、テレビ、舞台、イベントなどの空間美術を手がける種田監督。日本のみならず、世界が注目する美術監督です。

『キル・ビル Vol.1』
『THE 有頂天ホテル』
『フラガール』
『ザ・マジックアワー』
『アマルフィ 女神の報酬』等々

種田さんが美術監督を務め、さまざまな美術賞を受賞された映画作品です。
どの作品も、ストーリーや演技はもちろんのこと、その空間美術にも、強い印象が残っています。
『フラガール』の炭鉱住宅長屋のリアル感は見事でした。
『ザ・マジックアワー』の無国籍風の港町は、昭和30年代の日活映画を彷彿させました。

単なる映画セットではなく、映画の中で息づく「芸術」として美術を捉えようという種田監督のこだわりは、タランティーノ、三谷幸喜、是枝裕和、根岸吉太郎.など国内外の著名監督から高い評価を受けているそうです。

美術監督である僕のつとめは、登場人物たちが彼らの物語を生きるにふさわしい空間をつくること。映画美術のデザインの善し悪しは物語世界を構築できるかどうかにかかっているし、映画に満ちるアトモスフェアの醸造が大切なのです。 映画は光の芸術。セットに光が当たって初めてカメラに捉えられ、映画の中に息づく。こうした映画美術の特性をご理解頂き、映画を観る楽しみを深めて頂けたら幸いです。

と語る種田監督。
映画、アートに関心がある方はもちろんのこと、多くの方に聴いて欲しい講演です。

この講演にご関心をお持ちの方には、下記の講演もお奨めです。
 ・4/28(水)伊東 乾 「音楽の効用、笑いの効用
              ~脳認知の基礎研究から業務マネジメントまで~」
 ・6/29(火)遠山 正道 「世の中の体温をあげる」
 ・6/30(水)宮田 亮平 「ときめきを伝えるとき~自作を通して~」