« 「動的平衡」という生き方 小黒一三さん&福岡伸一さん | メイン | 絶望の反対はユーモアだと思う 玄田有史さん »

「右か、左か」 沢木耕太郎さん

20年程前にも、沢木耕太郎さんの講演を聴いたことがある。
新聞の告知欄に載った小さな記事を見つけ、小躍りして出かけたものだ。

「沢木耕太郎の素顔を見ることができる。肉声を聴くことができる。」

沢木ファンにとっては、絶対に見逃せない機会だと思った。
当時から、テレビに出ることや雑誌・新聞のインタビューに応じることが一切なかったからだ。

話は、亡くなったばかりの色川武大(阿佐田哲也)さんにまつわるものだった。
純文学の色川武大と麻雀小説の阿佐田哲也。二つの名前を使い分けた無頼派作家である。
沢木さんは、色川さんの知り合いの中で、「最も若くて、まっとうな友人」だと言われていたという話、ギャンブルの神様と言われた色川さんの話を理解するために、教則本を熟読して麻雀を憶え、色川さんから呆れられたという逸話などを、思いつくままに披露してくれた記憶がある。

「博打的人生」という今回の講演タイトル見て、20年前の講演を思い出した。

「それは、千駄木の図書館の講演かもしれないね」

控室のやりとりの中で、沢木さんは教えてくれた。
めったに講演を受けない沢木さんだが、数少ない講演も同じ話にならないように、その都度中身を考えるのだという。色川さんの思い出と共に、沢木さんの記憶の中にとどまっていた講演なのかもしれない。

「きょうの話は、その続編と思っていただければいいですよ」

沢木さんは、笑顔で答えてくれた。

講演は、沢木さんの「きょうの出来事」を語る形で進んだ。
それぞれの話題の中に、沢木さんの作品にまつわる人やエピソードが散りばめられて、ファンにはたまらない話がつづく。

やがて、話は、沢木さんの「いまの仕事」に移っていった。
『日本文学秀作選』と銘打ったシリーズ物で、人気作家が日本文学の短編秀作を選ぶという趣向らしい。
沢木耕太郎編のタイトルは、『右か、左か』である。
当然ながら、色川さんの作品も含まれる。阿佐田哲也名の『最後の右腕』という作品だ。
講演は、ここから、色川さんの話題に移り、色川さんが博打を通して学んだという人生哲学が紹介される。
そして、沢木さん自身が、「バカラ」という博打に熱中したことで掴んだ人生論へと発展していった。

「バカラ」は、極めて単純な丁半博打で、属人的要素がなく、ほぼ天運によって勝負が決まるものだという。まさに「右か、左か」の博打である。
沢木さんは、「バカラ」は単純がゆえに面白いという。
ギリギリの選択を迫られたとき、自分は何を信じるのか、何を根拠に決めるか。自分との対話が楽しめるからだ。
あくまでも確率論に則って、ランダムに決める人。
過去の目やその場の流れを重視して、それに乗ろうとする人。
人智を超越した「天理の法則」があることを信じる人。
自分は、そのどれなのか、何に拠って決めようとしているのか。
「右か、左か」を、いままさに決めようとしている自分を見つめることがたまらなく楽しいという。

「投企」という言葉で、その感覚を説明してくれた。
自分もいつか必ず死ぬことを静謐に受け止めつつも、いま自分の前に開かれている未来を信じて、未来に向けて自分自身を放り投げること
「右か、左か」を決める時が、「投企」の一瞬である。

考えてみれば、沢木さんの人生は、幾度もの「投企」によって拓かれてきた。
入社したばかりの会社を、一日で辞めてしまった時。
経験もないままルポライターの道を歩き始めた時。
順調に入り出した仕事を放り出して2年間の欧州放浪に出た時。
小説を書き始めた時etc...。
沢木さんは、「右か、左か」を選択し、その勝負に勝ってきた。

いや、人生に勝ち負けはないはずだ。沢木さんは「博打的人生」に勝ったわけではない。
「右か、左か」を決める瞬間を楽しむことが人生の醍醐味であることに、人よりも早く気づき、確信をもって貫いてきただけなのかもしれない。

「人生という博打」に勝つことではなく、「人生を博打のように楽しむこと」

それが沢木さんにとっての「生き抜く力」ではないだろうか。

「いつか、また」という言葉を残して、爽やかに去っていった沢木さん。
「カシアス内藤二世代の物語」が世に出る時を、ゆっくりとお待ちしています。