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第1回 10/5(月) 小黒一三さん&福岡伸一さん

第一回目は、小黒一三さん福岡伸一さんの対談セッションです。

“スローフード、スローライフ、ロハス”
現代社会の都市生活者が抱く漠然とした渇望感に応えるライフスタイルを、小黒一三さんは、雑誌『ソトコト』を通じて提唱してきました。

“動的平衡”
生命科学の知見が明らかにした生命の不可思議なメカニズムを、福岡伸一さんは、独特の語句表現を使って、私達の眼前に提示してくれました。

二人は、問題意識と志を共有する仲間同士でもあります。

「ロハス」と「動的平衡」を繋ぐものはなんでしょうか。
ひとつは、「私達人間が、長い間続けてきた食生活や生活習慣には、必ず意味がある」とう真理です。
いまひとつは、「成長・発展、分析・計画というパラダイムからは、上記の意味は見えてこない」という問題意識です。

生命は、行く川のごとくに流れの中なかにあり、私達が「食べること」「暮らすこと」は流れを止めないための営みとのこと。
私達が便利になることは、流れをせき止めたり、流路を変えることで、行く川の流れのどこかに無理を強いてきたことを忘れてはいけません。

「ロハス」と「動的平衡」
二つのキーワードをめぐって、日本人の「いま」と「これから」を考えます。

小黒一三さん

福岡伸一さん


夕学申込はこちらへ
http://www.sekigaku.net/index.htm

夕学の申込が開始されました

お待たせいたしました。

夕学五十講2009年度後期の申込受付が開始されました。
今期は10/5~1/28まで全25講演となります。

今期は
・希望社会を求めて
・未来を創る経営
・実践 仕事の方法論
・私がみたニッポン
・生き抜く力を磨く
の5つのテーマを掲げております。

それと、まだ確定はしていませんが、上手く事が運びますと、もう一人、ビッグゲストの追加講演を出来るかもしれません。
26回になっても全回予約の料金は変更しませんので、その場合は一回お得ですね。

ブログでもきょうから、いつものように講師紹介をしてきますのでお楽しみに!

仏像と対話する

今春開催された国立博物館の「阿修羅展」は、95万人の入場者を記録しました。
興福寺の参加者が年間100万人程度だといいますから、たった2ヶ月で本家本元の一年分に匹敵する人が、阿修羅像を見たということになります。

空前の「仏像ブーム」と言われる所以ですね。
モデルのはなさんや、イラストレーターのみうらじゅん氏など、仏像ファンを自認する芸能人も多く、仏像の魅力は多くの人に広まっているようです。

その「阿修羅展」を手がけたのが、金子啓明さん(現興福寺国宝館館長)です。
金子さんは、慶應大学院で美学を修め、長らく国立博物館で仏像彫刻の研究や企画展示に携わってこられました。
昨年は「薬師寺展」も企画され、こちらも大きな反響を呼びました。

慶應アート・センターとの共催講座として、金子さんに仏像をテーマにした講座をお願いします。
「慶應義塾大学アート・センター【アート深耕! 仏像―祈りの造形―】」

私は、「阿修羅展」は残念ながら見逃してしまいましたが、昨年の「薬師寺展」は1時間半の行列待ちに耐えて、観てまいりました。

お寺に置かれた仏像は、堂内の光量や拝観者との距離もあって、お姿をじっくりと拝見することは出来ません。阿修羅像のように、宝物館に収められているものも、ケースに隔てられていたり、他の所蔵品と肩を寄せ合うように置かれていることもあって、見物するのに限界があります。

「薬師寺展」の時は日光・月光菩薩の展示が目玉企画でしたが、仏像に触れることができるような間近な距離で、しかも三百六十度ぐるりと廻りながら見ることができました。
少し離れた場所には、普段見上げるばかりの仏像を、少し上から見下ろすように鑑賞できる通路も用意をされていて、こころゆくまで堪能することが出来る仕掛けになっていました。

「薬師寺展」「阿修羅展」に見られるような、仏像とのインタラクティブな鑑賞法は、金子さんが提唱しているものだそうです。

「仏像と対話する」

金子さんは、そう呼んでいます。

例えば、興福寺の阿修羅像の場合は、3面の顔は、闘争の神である阿修羅の成長を表現していると言います。少年-青年-壮年へと変化する様子を、目鼻の位置や顔の大きさを微妙に変えることで表しているそうです。
こういう繊細な部分は、間近でじっくりと鑑賞することでしか確かめることができないでしょう。

今回の講座で取り上げるのは、白鳳時代から天平時代前期、大陸や朝鮮半島からの影響を受けつつも、日本独自の造形表現が刻まれるようになった時代の仏像を取り上げるそうです。
阿修羅像はもちろんのこと、中宮寺の弥勒菩薩や、法隆寺の阿弥陀三尊、薬師寺の薬師如来像etcなどをじっくりと勉強&鑑賞します。

仏教伝来から2世紀近くが経ち、松岡正剛氏が「日本という方法」と呼んだ、日本ならではの外来文化咀嚼法が、仏像造りの世界でも花開き始めていたのかもしれません。

古代にあって、上記のような仏像芸術を作ることは、莫大な金銀と最新の技術を必要とする一大事業でありました。時の権力者が、権勢の象徴として造作を命じたに違いありません。
しかし、若き仏師達は、もっとしたたかに、自分の仕事に打ち込んだのではないでしょうか。
ひょっとしたら、発注者である当時の権力者には見えないように、何百年後の未来のオーディエンスに向けて、何かのメッセージを埋め込んでいるのかもしれません。

彼らが、仏像に込めた祈りの造形とは何なのか。
まさに仏像と対話するようにして、数百年前に仏師達が、蝋燭の炎だけを頼りに作りだし、仏像に込めた造形表現の意味を問い掛けていくのが、新しい鑑賞法なのかもしれません。


実際に国立博物館を訪れ、文化財の新しい鑑賞法であるミュージアムシアターを体験するフィールドワークも組み込まれています。

秋の夜長を、仏像を拝みながら過ごすのも一興かと思います。

いまのあなたにしか書けないことがある

あなたには書く力がある。

いまのあなたにしか書けないことがある。

あなたが書くものを待つ人がいる。

秋のagoraとして、山田ズーニーさんに文章表現ワークショップをお願いした際に、ズーニーさんが提案してくれた企画案の冒頭三行に記された短い言葉の中に、この講座のコンセプトが的確に表されていました。
どこかで聞いたことのあるような理屈を、あれこれとこねくり回すことを一切せずに、ストレートに、しかも相手のこころに響く表現で伝える。

“言葉の産婆”を自称する文章表現のプロならではの技を見せていただいたように思います。

「山田ズーニーさんとワークショップ【伝わる・揺さぶる!文章を書く】」

さて、この講座、コンセプトはすんなりと共鳴したのですが、進め方については、少しばかり議論をすることになりました。

進研ゼミの小論文編集長として文章表現の世界に入った山田ズーニーさんは、独立後、有名になった「ほぼ日刊イトイ新聞」の連載をはじめとする文筆活動の一方で、大学生(慶應大、九州大など)を対象としたライティング技法講座や、企業研修のコミュニケーション研修も数多く手がけられています。

その経験から、100人近い大人数を対象とした講座の方がよい、という考え方を持っていました。
同質化しがちな集団の場合、ある程度の人数を対象とすることで異質性を取り込むチャンスを増やすことができるという経験則に基づいたものでした。

「自分にしか書けないもの」を見つける作業というのは、ひとりで行う孤独な作業ではなく、他者との会話の中で発見・醸成されるものだという信念をお持ちだということもあります。

私達は、その有効性は理解できるものの、「agora」は年齢も、職業も、置かれた環境も異なる受講生が集う異質な集団であることから、少人数での関係性にこだわりました。
ズーニーさんと受講者個人が、そして受講者同士が、顔の見える関係性の中で、「自分にしか書けないもの」を紡ぎ出すプロセスを大切にしたいと主張しました。

結果的には、ズーニーさんも私達の主旨に賛同してくれ、24名定員のワークショップになりました。
毎回の各自の文章作成課題に目を通していただくので、ズーニーさんには随分と手間のかかる仕事になってしまうかもしれません。
その分、皆さんに提供できる価値は上がると信じております。

ズーニーさんは、「自分にしか書けないもの」を探す行為を「深層心理の海に潜る」と表現されます。
自分の内面に広がる、深くて暗い海に、何度も繰り返しダイビングをして、岩の陰や砂地の下に潜んでいる「自分の想い」を掴みだし、言葉に変換する行為。そんな深層心理との交信作業のことを、「考える」と言うのではないか。ズーニーさんはそう言います。

「考える」ための道具が、「問い」であり、繰り返し潜るということは、何度も自分に問いかける「自己問答」に他なりません。

文章が上手くなりたいと思う人は多いでしょう。
文章が上手くなるためのスキルやコツを説く解説書も巷に多く存在しています。
しかし、人を感動させる、人を動かす文章というのは、単なるテクニックではなく、自分でも気づかずにいる「内なる何か」を、熱いパッションと冷静な表現で伝えることです。

4時間×6回のダイビングを通して、深層心理の海の中から、キラリと光る何かを見つけ出してもらえたらと思います。


自分なりの歌舞伎の楽しさをみつける

私が歌舞伎を観るようになったのは、中村勘三郎さんの襲名披露公演の年ですから、4~5年のことです。世紀の襲名披露とのことで、随分と大騒ぎをしていたので、どんなものだろうかと歌舞伎座を訪れたのが最初です。
以来、年に3~4回程度は観ていますが、いつも思うことがあります。
「なぜ、自分と同年代の人(男性)が少ないのか」
ということです。
女性は若い方からご年配の方まで幅広い客層であるにもかかわらず、男性は仕事をリタイヤされた大先輩の姿ばかりが目立ちます。
男ばかりの芝居ですから女性客が中心なのはわかりますが、演目内容には、大義と私情の相克に悩む話なんぞも多くて、「組織人の悲哀」に通ずる世界観に満ちています。
ゴルフに行く回数を減らして歌舞伎を観てもいいのになあと、いつも思います。

日本を訪れる海外の知識人は、必ず歌舞伎を観るといいますから、グローバルコミュケーションの一助として、日本のビジネスパースンも歌舞伎について多少は語れるというのもよろしいのではないでしょうか。


そんな思いで、agoraの歌舞伎講座を企画いたしました。

日本の伝統芸能を愛でる・楽しむ【Fun!歌舞伎】
講師は、京都造形芸術大学の田口章子先生にお願いしました。
北白川瓜生山にあるキャンパスを訪れて、いろいろとお話しましたが、歌舞伎ファンが高じて歌舞伎の研究者になったという筋金入りの歌舞伎好きです。
幼い頃、お祖母様に連れられて歌舞伎をはじめて観た時に、「なんて綺麗な着物だろう」と感動したというのが、最初の歌舞伎経験だそうです。

学習院で歌舞伎を研究し、京都造形芸術大学には、市川猿之助さんのご推薦で移られたと聞きました。
キャンパスには、猿之助さんが監修したという素晴らしい劇場があります。花道や廻り舞台も設置され、本格的な歌舞伎公演も出来るようになっています。
田口先生は、この劇場を使って、歌舞伎や文楽などの公演を開催するプロデューサー的な役割もしているアクティブな方です。
夕学にも登壇いただいた若手の注目株 市川亀治郎さんは、亀治郎の会と称する独自公演を開催し、評判になっていますが、最初の頃は、こちらの劇場を使って開催していたといいます。

今回の講座は、「比べて楽しむ」というコンセプトで田口先生が構成してくださいました。
・同じ芝居を役者の違いを比較しながら観る。
・江戸歌舞伎と上方歌舞伎の違いを観る。
・同じ演目を文楽と歌舞伎で比べてみる。
等々の趣向を凝らします。

義太夫狂言で重要な役割を果たす竹本と呼ばれる歌舞伎義太夫の実演者も招いて、プロの芸談もじっくり聴くことができます。

最終回は、都内で開催されている、その月の歌舞伎を皆さんで観劇するミニーツアーもセットされます。

きっと、歌舞伎を何度観ても楽しめる、面白さを発見できる「自分なりの楽しさ」を見つけられるのではないでしょうか。

プロ倫を通して資本主義を考える

前期の夕学では、「資本主義はどこへ行く」というテーマで6回の講演を行いました。

中谷巌さん
佐高信さん
今北純一さん
竹森俊平さん
原丈人さん
上村達男さん

お陰様で、このテーマは多くの皆様からタイムリーな企画であると評価をいただきました。
これからの世界経済、そして日本の行く末に、皆様の関心が高いことを再認識した次第です。

6回の講演を終えて、あらためて必要だと感じているのは、本質的な議論をより深く掘り下げてみることの必要性です。

私達は、数十年間に渡って「自由と資本主義」を標榜してきました。
そしていま、それが内包する矛盾や脆弱性にも気づきはじめています。
とはいえ、たとえ不完全ではあっても、代わりがない以上、上手に付き合っていかなければならないことも事実です。
だからこそ、「自由と資本主義」とは何かを真っ正面から考えてみたいと思い、agoraで下記の講座を企画しました。

古典を通して考える【自由と資本主義】

コーディネイターは、慶應商学部の菊澤研宗先生にお願いしました。
経営哲学学会会長を務め、組織や戦略を考える際にもそれを支える思想や哲学が重要だと考える先生です。
菊澤先生も、この講座をたいへん楽しみにされ、力が入っています。

「自由と資本主義」を考えるにあたって、よいテキストはないものか。いろいろ考えた末に、行き着いたのがマックス・ヴェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(通称『プロ倫』)でした。

ヴェーバーはこの本で、英米の資本主義発展を支えたエートス(精神)としてプロテスタンティズムを指摘しました。
そしてエートスを失った時に起きるであろう、資本主義の暴走を暗示したとも言われています。

同じキリスト教社会でありながら、大航海時代の先進国であったスペインやポルトガルでは、産業革命以降の近代的な資本主義が発展せず、英国やドイツ、そして米国が資本主義の主役に躍り出たのはなぜなのか。
その理由を、ヴェーバーはプロテスタンティズムに求め、神と直接繋がろうとした彼らの仕事観・労働観が資本主義の発展を支えたと論じています。
資本主義とは何かを考えるうえで有用な古典として、あまりにも有名な本ですが、私もふくめて、実務家の皆さんで、この本をじっくりと読んだことにある方は多くはないのではないでしょうか。
 
ヴェーバーがこの本を書いたのは約100年前です。
20世紀の米国の著しい発展、英国病とサーチャー革命、更には新自由主義の興隆と今回の金融危機まで、一連の流れを考えながら読んでみると、なるほどと思える点、疑問に思える点、いろいろと出てきそうです。

今回の講座では、前半3回はプロ倫を読み解き、後半はプロ倫を離れて、ハイエクや東洋思想、そして近代日本の資本主義思想として、渋沢栄一と福澤諭吉へと、範囲を広げて考えていきます。

学生時代に戻って、骨のある古典に取り組み、自分のビジネス経験に照らし合わせながら、議論を楽しんでみる。
そんな講座にできればと思います。

自分の心で「論語」を読む

2009年前期「夕学五十講」が終了したことと、夏休みその他もろもろがありまして、しばらくブログをお休みしましたが、きょうから復活したいと思います。

きょうからしばらくは、この春から始めた新企画 夕学プレミアム「agora」について書きます。
5講座でスタートしましたが、お陰様で大好評のうちに終了いたしましたので、10月から秋シリーズを5講座開講することになりました。

きょうは、「田口佳史さんに問う【論語に学ぶ人間力】」についてです。
春のagoraでも論語講座を開講しまして、こちらはすぐに満席になりました。聞くところによると「論語ブーム」なるものも起きているそうで、そのお陰もあったのかもしれませんね。
個人的には、論語は、ブームと呼ばれる現象の対極にあるものではないかと思っています。
画期的なコンセプトや目新しい視点を提供してくれるのではなく、人間が長いこと向かってきた普遍的で抽象的なテーマを扱うものだからです。

でも、普遍的だからこそ、人々が強い関心を寄せたという見方もできるのかもしれません。
「明日から使える」「誰もがわかる」的な訴求をする書籍やセミナーは、相変わらず多いようですが、良識ある人々は、とっくに、その「まやかし」に気づいていることは間違いありません。
「論語」に関心を持つ人が増えているとすれば、「論語」の持つ世界観に“何か”を感じているのではないでしょうか。

以前も書きましたが、私は、「論語」とは何か?と問われれば、
「個の自律を謳いあげる書」ではないかと考えています。

「論語」と聞くと、戦前にあったという「修身」の授業や教育勅語、軍国主義を想起する人も多いかと思います。実際に、「論語ブーム」を支える人達には、右派的な思想に共鳴する人々が多いかもしれません。
「かつての「論語」の教えを、現代の文脈に置くこと」が重要だと考える人はそう思うでしょう。

私が「論語」に惹かれたのは、その正反対で、
「現代の文脈の中で、新しく「論語」を読み直すこと」が必要だと考えています。

今回、講師をお願いした田口さんはにその事をお話した際に、次の言葉を教えていただきました。

「心照故教」  ※ちなみにこれは論語ではなく、禅の教えだそうですが...
自らの見方・考え方を持って、古(いにしえ)の教え(=論語)を読み替えてみるという意味だそうです。

「論語」を、日本人が失った古き良き教えとして復活させるのではなく、いまの日本人が直面する課題として意訳してみることです。

混沌とした先の見えない時代にあって、行き先を示してくれる海図や羅針盤を欲する気持ちは、痛いほどよくわかりますが、突き詰めれば、自分の行く道は自分で決めるしかありません。

大航海時代に、ヨーロッパの冒険家達が、聖書を携えて、未知なる大海に漕ぎ出したように、先行きの見えない人生という航海に携えていく「個の自律を謳いあげる言葉」を論語の中に見つけ出せるのではないでしょうか。

ちょっとオーバーでしたか!?