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「神秘」を「理論」に転換する 佐藤勝彦さん

宇宙に関連する今年最大の話題は、先週の「皆既日食」でしょう。
アジアを中心に、おそらく何億人という人々が、空を見上げ、真昼の太陽が陰っていく光景を見つめていたのではないでしょうか。
有史以来、人類は「皆既日食」に何度遭遇してきたのかは知りませんが、中国やメソポタミアでは、2500年以上前の記録に、その不可思議な現象が記されているといいます。
日本では、記紀にある「天岩戸隠れ神話」が、古代人の「皆既日食」体験をモチーフにしているのではないかと推定されていることはご承知の通りです。
古今東西、宇宙の営みは、壮大なる神の力を感じさせる「神秘」の対象とされてきました。
佐藤先生のお話を聞くと、近代の宇宙論研究は、宇宙創生という「神秘」を科学の英知を使って解き明かし、「理論」に転換していく長い道のりであったことがよくわかりました。

近代宇宙論は、100年前、アインシュタインからはじまったと言います。
時間・空間と物質・エネルギーの関係性を方程式化した「相対性理論」の登場によって、「そもそも宇宙とはいったい何なのか」を科学的に研究することが可能になりました。
当時、アインシュタインは、宇宙は永遠不変の静的な存在であると信じていました。

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昭和史の聞き取り部として 保阪正康さん

「その時、あなたはどう思いましたか」

昭和史をフィールドにして、4000人余の人々に聞き書きを行ってきた保阪正康さんは、その問いかけを繰り返してきたと言います。
返答を聞きながら、相手の体験を共有化し、自分がその場に生きていたらどうしたかを、今度は自らに問う。
それが、保阪さんの歴史との向き合い方です。
歴史の語り部ならぬ「聞き取り部」と言ったところでしょうか。昭和史の当事者の話を「聞き取る」ことで、歴史を残していこうとする職人肌の歴史家という印象を持ちました。

保阪さんは、昭和という時代を3つに区分しています。
・前期:昭和元年~20年までの「戦争期」
・中期:20年~27年までの「占領期」
・後期:27年から64年までの「復興・発展期」
昭和という時代は、3つの区分毎に、着る服(制度やシステム)を大きく変えました。
外見は劇的には変わったが、では、中身(精神)はどうだったのか。
それは、3つの時代を象徴するリーダーの人間像を分析することで見えてくると保阪さんは言います。
前期のリーダーは、東条英機であり、彼が目指したものは、軍事国家体制でした。
中期を象徴するリーダーは、吉田茂であり、彼が心血を注いだのは外交(対米・対GHQ)交渉でした。
後期を代表するのは田中角栄であり、彼が体現したのは、経済(金)が幸福を決めるという価値観でした。
言わば、一身三世とでも言い得るように、昭和という時代は、外見と中身を変化させていったわけです。
ちなみに、3人のリーダーの共通点を探してみると「ムショ暮らし」が上げられるとのこと。東条はAQ戦犯として巣鴨プリズンに収監され、吉田は、親米危険思想の持ち主として戦争末期に官憲に捕らえられ、田中は二度の疑獄事件を起こしました。
3人の監獄経験は、3つの顔を変幻させてきた昭和という時代に、縦串を通す意味を持つ「軸」に関係しています。「アメリカ」という軸です。
「昭和史は、アメリカを抜きにしては語ることは出来ない」
と保阪さんは言います。
日本は、アメリカと敵対し、降伏し、支配を受け、同盟を結び、市場とする、ことで昭和という時代を歩んできました。
その結果として、「アメリカと不即不離の関係でいることがよい」という現代に繋がる価値観が形成されていったと言います。

昭和を貫くもう一つの軸が、「天皇」であると保阪さんは見ています。
大日本帝国憲法下の国民は、天皇の臣民でありました。
日本国憲法下の国民は、天皇を象徴として掲げる主権者です。
天皇と国民の関係の劇的変化が起きたわけですが、不可思議なのは、その変化を、天皇自身が積極的に受け入れ、推進していった点にあります。
天皇は、なぜかくも鮮やかにチェンジできたのか。彼の内面に何があったのか。保阪さんは、天皇が残した短歌、側近のメモ、記者会見記録をつぶさに読み解くことで、天皇分析を試みました。

その結果、天皇とアメリカという昭和を貫く二軸の交差点に行き着きました。昭和20年の秋に行われた「天皇-マッカーサー会談」です。
「この会談は、二人の目には見えない戦いではなかったか」
保阪さんは、そう分析しています。
天皇は、不本意な戦争を防ぐことが出来なかったという慚愧の念を内に抱えつつも、今度こそ身を挺して日本を守ろうという使命感を秘めて会談を希望しました。
マッカーサーは、日本の占領政策を成功させることで、間接型統治のモデルを完成させ、大統領選へと繋げたいという野心を胸に会談を受け入れました。
二人の会談で、どんな会話が交わされたのかは、今もって全てが明らかにされたわけではありませんが、行き着いた先にあったのが「天皇制下の民主主義体制」という選択でした。

「天皇制下の民主主義体制」を実現するために、天皇は自らがその体現者として積極的に関わっていった。それが「二人の約束」だった。
保阪さんはそう見ているそうです。

昭和という時代は、「戦争」、「占領」、「復興・発展」という3つの衣装を着替えながら、外見とともに中身を変えることで続いていきました。
一方で、その変化に大きな影響を与えた「アメリカ」と「天皇」という二つの軸は、敵対から共生へと関係性を変えつつも、昭和という時代を支え続けました。

昭和史の「聞き取り部」保阪正康さんが、一番聞き取りをしたかったのは、昭和天皇とマッカーサーだったのではないでしょうか。
「その時、あなたはどう思いましたか」
二人に、そう語りかける保阪さんをイメージした夜でした。

史実とフィクションのあいだ 山本博文さん

私は、歴史(特に日本史)が好きで、大河ドラマを毎週見ています。
家族と一緒に大河を見ていて一番困る(というか返答に窮する)のが、「これって本当なの?」という質問です。
例えば、現在の『天地人』であれば、「直江兼継ってイケメンだったの?」とか、「秀吉はお化粧していたんだ」という類のものです。
なぜなら、そういうことを聞かれても、自信を持って、「これは本当」「これは作り話」と言えないことがおおいのです。所詮、素人の歴史好き程度の人間は、歴史小説の読み過ぎで、さまざまなバイアスがかかっており、史実か否かという点について怪しげなものです。
司馬遼太郎を批判的に評価する人は、彼の小説があまりに広く読まれ、影響力を持ってしまったので、彼がイメージを膨らませて著した人物や事件が史実と混同され、歴史認識を固定化してしまったと言います。

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苦しみに向き合うこと 上田紀行さん

春風亭小朝師匠が従兄弟、奥様がNHKの武内陶子アナ、という「しゃべりのプロ」に「縁起」のある上田紀行先生。
ご本人も、負けず劣らず弁舌は滑らかで、随所にジョークを散りばめながら、湧き出るような知識と想いを語っていただきました。

20年以上前、スリランカの「悪魔払い」のフィールドワークの知見から「癒し」の重要性を提唱し、「癒しの上田さん」と呼ばれたこともあるそうです。
ただ、上田先生の主張する「癒し」は、アロマや温泉・マッサージなどのグッズ・体験に偏った「癒し」ブームのそれ(上田先生曰く「小さな癒し」)ではなく、「大きな癒し」とのこと。
「大きな癒し」とは、きょうの講演主題である。「生きる意味」「仏教の役割」に直結するこころの根本に働きかけることでありました。

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覆いを取り去ること  なかにし礼さん

歌謡曲の黄金時代があったとすれば、それは1960年代後半から80年頃までの十数年間になるのではないでしょうか。
私はその時代を小学生から二十歳までの多感な時期に過ごしたので、あの頃の歌謡曲の隆盛をよく知っています。日本レコード大賞に、いまとは比較しようもないほどの権威があり、他局を含めた年末の賞レースは、芸能界の一大イベントでありました。
その年のレコ大の受賞曲は、子供から老人まで、誰もが口ずさむことが出来ました。
今にして思えば、あの頃の主役は、歌い手よりも作り手だったのかもしれません。
なかにし礼さんはもちろんのこと、船村徹、阿久悠、山口洋子、平尾昌晃、三木たかしetc、作詞家、作曲家の名前が次々と出てきます。
歌が時代と共に、そして大衆と共にあった時代でした。

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「合気道」的な仕事術

ピンクのパーカーにショートパンツ,白い野球帽にビーチサンダル。
およそ丸の内に似つかわしくない装いで現れた箭内道彦さん。
「こんな格好でスイマセンね」とペコペコと頭を下げながら、何を言っても、何をやっても許されそうな「脱力系」のオーラを発散させて会場を見回します。
自らの広告作品を紹介しながら、裏話で聴衆の笑いを誘因し、少しずつ会場の力を自分に引き込んでいく。自分に不似合いな場も、その不似合いさを力にして変えていく。
箭内さんの「合気道」的な仕事術の一端を見たような講演でありました。

箭内さんのいう「合気道」とは、相手の力を受け止め、その力を使って作品を創り出すことだそうです。
とかく個性や独創性で勝負しがちなクリエイターですが、逆にその個性が邪魔をして周囲と軋轢を生み、そのストレスがクリエイターのやる気喪失に繋がることもままあるとか。
そんな現場を数多く見てきて、自分自身も力を発揮する場を与えてもらえずに悶々とする日々を何年間も過ごしてきた箭内さんが、苦労の末に辿り着いた到達点が「合気道」的な仕事術でした。

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何のための「No」かを忘れないこと 森田汐生さん

アサーティブネス(Assertiveness)は「自己主張する」ことと訳されます。
日本語の「自己主張」という言葉は、エゴや自分勝手といったマイナスの文脈で語られることもあり、奥ゆかしさを旨とする日本人には、必ずしも良いイメージのある言葉ではありません。
しかし、アサーティブネスであることは、自分の意見を押し通すこととは異なり、むしろ相手との建設的で継続的な関係づくりを前提とします。
相手の権利や感情を損なうことなく、自分の要求や言いたいことを、誠実に、率直に、上手に伝えること。それがアサーティブネスだそうです。

アサーティブネスは、「アサーション」と呼ばれることもあります。個人的には、20年近く前に、「アサーション」という概念を耳にしておりました。
控室で森田さんにお聞きした話をもとに、少し調べてみると、アサーティブネス・アサーションの歴史は下記のようになるようです。

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自分の言葉で語る強さ  漆紫穂子さん

いま、日本で一番のリーダーシップ育成機関であるISLの創設者&代表で、夕学にも登壇いただいたことのある野田智義さんは、リーダーシップを旅に擬えて次ぎのように語ります。

村のはずれに不気味な沼地がどこまでも広がっていて、周囲を暗い森が囲んでいる。村には「この沼を渡るな、沼を渡って戻ってきた者は誰もいない」という言い伝えがある。 しかし目を凝らしてみると、沼の向こうにほのかに明るい光が見えるような気がする。豊かな草原と青い空が待っているように思える。 不安や恐れに包まれながらも、沼の向こうに広がる素晴らしい世界を信じて、じめじめとした暗い沼地を歩き続けること。それがリーダーシップの旅である。

旅の一歩を踏み出すのはリーダーの仕事です。
はっきりとは見えない希望を信じて、暗闇の沼地に足を踏み入れること。つまり「はじめの一人になる」人が、はじめてリーダーに名乗りを上げることが出来ます。
冷たい水。引き込まれるような恐怖。不気味な静けさ。それを打ち消して、はじめの一人になり、ふと気づいて振り返ったら、何人かの人々が付いてきていた。それがリーダーシップの旅のはじまりです。

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株式会社とは、資本市場を使いこなせる会社制度である 上村達男さん

小泉構造改革の時代、ホリエモンや村上ファンドが颯爽と登場し社会の注目を一身に集めていた頃、アカデミックな立場から反市場・反規制緩和の論陣を張っていた上村達男教授。
当時は、守旧派の代表として孤軍奮闘という印象でしたが、時代の風は大きく変わり、いまや、上村先生の主張が世の中の主流になりつつあるような観があります。

「どんなに分かり易く話そうと思っても難しいのが法学者の話です」
という前置き通り? 多岐細部に渡る上村先生のお話は、私の知識では上手くまとめることができません。そこで、思い切って大づかみで理解した私なりの解釈を書くことにいたします。

「株式会社とは、資本市場を使いこなせる会社制度である」
上村先生は、そう定義します。
法律的には、あたかもひとつの人格をもった個人として扱われる会社という「法人」が、有限責任のもとに「市場」からお金を集め、自由な競争の中で切磋琢磨しながら、社会のニーズに応える活動をするための最も効率的な道具であり手段が、株式会社の本質であります。
いわば、「法人」と「市場」という二つの要素の高度結合体が株式会社制度ということになります。

ところが、上村先生によれば、この「法人」と「市場」に対する基本的な考え方の違いが、株式会社の性格を大きく変えていると言います。
なぜならば、「法人」と「市場」は、人間の「個」の意義を削減させる二大危険要素であるからとのこと。
国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重するに際して、「法人」と「市場」は、そのパワーの裏返しとして、マイナスの働きをする性質を持っているそうです。

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