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ゴリラを通して人間を考える 山極寿一さん

京都大学の生態学・人類学研究は、サル学研究の創始者と言われる今西錦司氏をはじめとして、「照葉樹林文化論」を提唱した上山春平氏や、「文明の生態史観」というユニークな文明論を論じた梅棹忠夫氏など、日経新聞『私の履歴書』に登場するような大学者を排出してきました。
また、今西錦司氏は京大探検部の生みの親でもあり、探検部系列には、梅棹氏をはじめ、KJ法の川喜多二郎氏、朝日新聞の本多勝一氏などが連なり、世界中の秘境や極地を探検したと言われています。
いわば、「知性と野生の両刀遣い」の文化が脈々と受け継がれています。

山極寿一先生は、その伝統を継ぎ、ゴリラの生態研究を専門とし、30年以上も中央アフリカの熱帯雨林ジャングルに通いつめ、調査研究を続けています。研究室に入るには、研究者としての高い知性と同時に、ジャングルで2~3ヶ月生き抜くことが出来る野生の体力が求められるそうです。

さて、山極先生の専門である霊長類学という学問は、「人間以外の動物を通して、人間の性質を知る」ことを目的にしているとのこと。
人間に最も近い動物であるゴリラの生態を研究することで、私達のはるか祖先 原初人類の生活や行動進化の過程を解明しようとしたのが山極先生の30年間でした。

今回のテーマは、「暴力」です。
先生によれば、人間だけが、戦争という残忍な殺戮行為を行うそうです。だとすれば、人間の暴力の起源は、ゴリラの生態の中から推察できる可能性があるというわけです。
1970年代まで、一般人のみならず学会の常識として、「ゴリラは、凶暴な性質をもった危険な動物である」とされていました。
キングコングが巨大ゴリラであるのも、映画『猿の惑星』で、ゴリラ族が好戦的な軍人集団として描かれるのも、この常識の影響でした。
この常識に立てば、同じ類人猿であった原初人類も、ゴリラのような暴力性を性質として受け継いでおり、その暴力性は、進化の過程で高度化・集団化し、戦争へと変質していったということになります。
実際に、70年代まで主要学説であった「キラー・エイプ仮説」(レイモンド・ダート)によれば、原初人類が進化する過程で、狩猟の道具であった石器を、戦いの武器へと変えていったとされていました。

この流れを大きく変えたのが山極先生等の日本のゴリラ研究でした。
山極先生が、生態をつぶさに観察してみると、ゴリラは、人間よりはるかに道徳的であり、暴力に抑制が効いていました。一見暴力的に見える行為(例えばドラミング)は、実は戦いを避けるための示威行為・ジェスチャーであることがわかったそうです。
では、なぜ人間は暴力性を持つようになったのでしょうか。

「人類の進化が暴力性を産み出した」というパラドクス的な説が立てられると山極先生は言います。

例えば、食物を保存し、分配するという行為は、人間だけにある社会的行為だそうです。捕食した食べ物を、力のあるものが独占せずに、弱いものや子供にも積極的に分け前を与え、皆で一緒に食べる。この行為は、人間が、家族を越えた集団(一族、ムラ)を作り、守ること=コミュニティー化することにつながりました。
集団をつくることは、他の集団からの侵略や獣の襲撃から身を守るための「知恵」であり、人間が社会化という進化を遂げた証左でもあります。

また、人類が、直立歩行の結果として、大きな脳を持ったことも、社会生活の進化を促しました。脳は他の器官に比してエネルギーを必要とするため、養分が脳に取られてしまい、身体の発達が遅れがちになります。結果として大人になるのに時間がかかってしまいます。
子育てに時間がかかることは、オスの育児参加や、ヘルプ役として閉経後の女性の長寿につながり、家族関係がより強固になっていきます。
種を守ろうとする本能が、家族化という進化をもたらしました。

集団化や家族化は、人類の生存力を高め、長距離移動を可能にしました。彼らは15万年前にアフリカを旅立ち、全世界へと広がっていきました。
やがて5万年前に言語が生まれ、1万年前には農耕が始まります。定住化した人類は、土地に価値を見いだします。豊饒な土地への執着は、縄張り意識を醸成し、縄張りをめぐって集団間の戦いが発生しました。

また、集団化や家族化は、集団への帰属意識を引き出し、死者への弔いをイベントとして重視することで、精神的紐帯を発芽させていきました。
アイデンティティを共有することでコミットメントが強くなった集団は、戦闘力の向上もたらし、集団間の戦いは、戦争へと発展していきました。

こうして考えると、松井孝典さん風に言えば、「人間が、動物圏というシステムから枝分かれし、人間圏というサブシステムを構成した時点で、暴力の激化=戦争は宿命づけられた」ということになります。

山極先生は、現代社会は新たな暴力を産み出しているのではないかと言います。
グローバル化により境界は消滅し、祖先崇拝がなくなったことでアイデンティティが喪失し、情報化によりコミュニティーは崩壊しました。
人類は、混沌の中で、集団再生の本能に突き動かされるように、新しい暴力の形態を産み出しているのかもしれません
無意識のうちに、巨大な仮想敵を作り出し、集団再生のために戦争に向かう。
敵対する相手が、かつてのようにリアルな敵でなく、無意識世界に共有化されたバーチャルな敵であったとしたら... ちょっと暗い気持ちになってしまう夜でした。