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声に出すことで立ち上がる力 谷川俊太郎さん・覚和歌子さん

今夜の丸ビルは、ハリウッドスターが来場したとのことで、1Fのエントランスはファンの人だかりと物々しい警備体制で騒然としておりました。
対称的に7Fのホール内は、時折の笑い以外はシンと静まり、谷川俊太郎さんの詩ではないですが、それこそ“耳を澄まして”お二人の話と朗読に聞き入る2時間でした。

「言葉の力」という今日のテーマを受けて、対談内容を構成されたのは谷川さんだそうです。言葉の素晴らしさ。言葉の魅力。そんなお話を展開されるのかと思いきや、以外なことに、言葉のネガティブな側面を語り合うことから入りました。

「あなたが傷ついた言葉は何か」
「他者を深く傷つけてしまった言葉は何か」
お二人は、体験談をもとに、「言葉の力」のマイナス面を語り合いました。
幼い頃、父母から叱られた時の言葉。友人に思わず口にしてしまった言葉。そんな言葉や経験が、実はその後の生き方や物事の考え方に影響を与えていることを確かめ合うように。

谷川さんは、「言葉の力」には、二つの側面があると言います。
ひとつは「意味の力」 言葉を文字として記述し、意味をもった文章にすることで発生する力です。論理の力と言ってもいいかもしれません。
ふたつ目は「声の力」 言葉を文字ではなく、声に出すことで立ち上がってくる力です。感情の力と言えるかもしれません。

この解説を聞きながら、夕学で「言葉」について言及された何人かの講師の話を思い出しました。
例えば惑星科学者の松井孝典先生は、「人間圏の誕生」という文脈の中で、言葉の力を解説してくれました。

人類が「言葉」を持ち得たことで、情報伝達が飛躍的に高まった。それは、人間が抽象概念を核に強固な一体性を持つことを可能にした。私はこれを「共同幻想」と名付け重視している。「共同幻想」は、原始宗教にはじまり、各種の宗教を産み、哲学や思想を導きだすことに繋がったからである 
                          2008年2月15日 「夕学五十講」

一方で、歌人の佐々木信綱先生は、言葉を古代人の精神世界に位置づけて話されました。

万葉の時代、歌は作るだけでなく、声に出して詠じることに意味があった。「言霊」の力を信じていたからである。言葉には力がある。生命がある。神と繋がることができる。古代人はそう考えていた。31文字からなる和歌の形式は、「言霊」が最も発現しやすい形だとされていた。しかも、口に出して詠じることで「言霊」の力はより一層強く発揮されると信じていたのだ 
                          2009年1月30日 「夕学五十講」

松井先生は、「意味の力」を、佐々木先生は「声の力」をそれぞれお話されたのでしょう。
詩人である谷川さんと覚さんが、後者の力を重視されていることは、対談をお聞きになった方はご承知の通りです。
「言霊」と言われても、私達が実感として理解することは困難ですが、お二人の朗読を聞くと、文字を読むのとはまったく違うイメージが立ち上がって来ることが実感できたことと思います。
特に、覚さんが開拓したという「朗読するための物語詩」というジャンルは、万葉人が信じた「言霊」の存在を、現代詩という表現形態を使って、私達に再現してくれたのではないかと思いました。覚さんの素晴らしい朗読を聞きながら、私は、古事記編纂に関わったという伝説的人物 稗田阿礼を想起してしまいました。

また、お二人は、日本語の豊かな擬態語・擬声語についても言及されました。
どうやら、日本語は、他言語に比して擬態語・擬声語の数が圧倒的に多く、しかもどんどん増えているとのこと。この擬態語・擬声語が、日本文学の世界を一層豊かにしてくれます。そういえば、宮沢賢治の名作『風の又三郎』も「どっどど どどうど どどうど どどう」という独特の擬態語とともに始まります。
先述の「みみをすます」にある、足音の擬態語、「ヒタヒタ」「ペタペタ」「コツコツ」etcは翻訳者を大いに悩ませたとか。
擬態語の豊かさは、声に出す言葉が生来的に持っている幼児性・身体性を表しており、言葉を声に出すことによって立ち上がってくる感情の力と関連するものです。
対談の冒頭で、言葉のネガティブ側面を、お二人の幼い頃の体験談に擬えながら紹介されたのもわかるような気がします。

さて、対談の締めくくりとして、お二人は、現代の私達への警鐘的なメッセージも伝えてくれました。
「わからないことへの不安に負けないこと」です。
言葉は、本来明晰なものではありません。もっと曖昧でふわふわしたもの。全てがすぐにわかることの方が不思議なものだそうです。
いま、わからなくても、いつかわかる時が来るかもしれない。それを含めて言葉を楽しむことが人生なのではないかとのこと。
言葉という文字を人生に置き換えてもあてはまるような含蓄のある表現だと思いました。