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対話と対決 今北純一さん

今北純一さんのプロフィールとみるとその華麗なるキャリアに嘆息してしまいます。
東大大学院で化学工学を専攻、大手素材メーカーの研究員を経て、米国留学、英国、スイスでキャリアを積んで、多国籍企業の経営幹部として実績をあげ、現在は欧州拠点の戦略系コンサルティングファームのパートナーを勤める。
グローバルなフィールドで活躍することを目指す日本人にとっては、究極のロールモデルといってよいでしょう。
ところが、実際の今北さんは、そんな華麗なキャリアとは対照的に、温厚で、偉ぶるところがなく、私達のような普通の人々が抱えるのと同じ平凡な悩みを、泥臭い努力によって、ひとつひとつ解消してきた人でした。

今北さんには、「世界で戦える人材」という今回の演題を、大いに気にいっていただきました。
ご自身が、30年近く欧州でビジネスする中で、常に「戦う」という言葉にこだわってきたからだそうです。
後述しますが、今北さんが話された「戦い」の例は、我々にとって身近である分、逆に「戦い」のメタファーを使うことに、違和感をあるほどです。
しかし、異文化で葛藤する外国人として、孤独な戦いを余儀なくされてきた今北さんにとって、ほんの小さなことでも「ここで負けたら終わり」という再チャレンジが許されない取り組みだったのではないかと思いました。

今北さんは、「戦い」を、「人間としての総合的な勝負である」と認識しています。
商談話法、交渉術、プレゼン技術等など、グローバルスタンダードと言われるビジネススキルではなく、武器や技術レベルではなく、生身の人間としての勝負という感じでしょうか。
身の丈にあった「対話」を続け、いざという時に腹を決めて「対決」する。それが今北さんの「戦い」です。
社名、肩書きに一切頼らず(頼れず)、個人の力で葛藤を克服することだと言います。
修羅場での個人の力を重視する価値観を、ステレオタイプな表現では「欧州の個人主義」というのかもしれませんが、金銭・権力の有無ではなく、人間の個の力を信じ、それを有した人間がはじめて評価されるべきであるとする欧州の伝統的価値観に由来するものでしょう。

今北さんは、ご自身の「戦い」の体験をいくつか紹介してくれました。
・羞恥心を乗り越えて、シンポジウムで質問できるか
・気まずさを克服して、レセプションで外国人の話の中に入っていけるか
・不安に勝って、何十枚となくエントリーシートを出し続けられるか
・自尊心を守るために、スタンドプレーに走る部下を屈服させられるか etc

新入社員の時、転職・転勤した時、引っ越しした時、はじめて海外に行った時。誰もが感じるのと同じような「感情の関」をどのようにして乗り越えるかが、「自分との戦い」です。
私達は、「そのうち慣れるから」「何事も勉強だから」という言い訳とともに、失敗を繰り返しながら乗り越えることを許されますが、今北さんにとっては、どの体験も、そこで躓いたら全てが終わってしまう、負けが許されない「戦い」だったわけです、

欧州人は、他者と接するにあたって、付き合う価値のある人間かどうかをドライに見定めると言われています。
今北さんは、「4つのレベル」という表現で彼らの対人価値観を説明してくれました。
A:対話・対決レベル、B:通用するレベル、C:無視されるレベル、D:無関心の対象レベル
欧州でビジネスをする際には、C以下のレベルと見なされた時点でゲームオーバーだそうです。それは社外に限らず、上司であれ、部下であれ同じで、C以下の人間だと判断されると、肩書きやポジションパワーは意味をなさないとのこと。この点が日本との大きな違いでしょう。
帝国主義が勃興していた時代、欧州人は相手国の民度に応じて、植民地支配の仕方を柔軟に変えていたと言われています。相手国がB以上でると判断すると紳士的な対応をしてくれますが、C以下と見たら、強圧的な支配を迫りました。
現在のグローバル交渉の場面でも見られる欧州のしたたかな一面かもしれません。
ただ逆に言えば、Aレベルの人間だと見なしてもらえれば、無名あっても付き合う価値のある存在として尊重してもらえる可能性もあるわけで、公正で合理的な価値観とも言えるのかもしれません。

今北さんのお話を聞くと、BとCを分ける鍵は、パッションにあるようです。
世間の目や経済性の有無にこだわらず、自分基準で価値を見いだす大切な何かをもつこと。そして情熱をもってその何かを相手に伝えようとすること。それがパッションです。

後がない「戦い」を経て、確信した「戦うための条件」。今北さんのお話を聞いてそれを理解することが出来ました。