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不平の徒の論理 佐高信さん

-世の通説によれば、在野精神の早稲田に対して、慶應には、体制側のお坊ちゃんというイメージがありますが、それは間違い。私こそが慶應の本道です。-

講演冒頭、佐高さんは、いつもの悪戯っぽい笑いを浮かべながら、話し始めました。

政府、権力におもねらず、在野にあって常に批判する。
確かに、評論家 佐高信が貫いてきた姿勢は、福澤諭吉の生き方と相通ずるものがあります。
佐高さんの基本的な立ち位置は、タカよりはハト、権力側よりは民衆側、中央よりは地方、イデオロギー重視よりは暮らし重視とはっきりしているので、大きなものを守るために小さなものが犠牲になることは絶対に許さないという姿勢に貫かれています。
したがって、有名な人はたいがい、佐高さんの妖剣に切りつけられることを覚悟しないといけません。しかも少々の脅しにはびくともしない人なので、批判にカッとなって歯向かうと手痛い返り討ちにあってしまいます。
また、権力者の金銭に関する身綺麗さに関して「お金はどうやって手にいれたかよりは、何のために使ったか」を重視するという基準を持っているそうで、「クリーンなタカよりはダーティーなハト」という判断軸もよく知られたところです。

佐高さんが今世紀に入ってから、一貫して批判し続けてきたのが、小泉-竹中改革でした。(この両者とも慶應ゆかりの人であるところが皮肉ではありますが)
つい3年ほど前までは、反小泉論は旗色が悪く、経済界はもちろんのこと、大衆も、マスコミも、小泉-竹中改革の応援団でありました。その中で、エキセントリックまでに批判を繰り返す佐高さんは、時代から浮いている感さえありました。
ところが、今回の経済危機をターニングポイントとして風向きが百八十度変わり、いつのまにか、佐高さんの論調がメインストリームになりつつあります。
この変化は、時代が時に“熱”を帯びることがあり、その熱量が巨大なエネルギーとなって言論を席捲することがあることを示唆してくれているような気がします。

さて、佐高さんは、夕刊フジ紙上で「福澤諭吉紀行」なる半年間の連載を終え、それを『福澤諭吉伝説』というタイトルで出版しました。
この本は、福澤そのものではなく、その周辺の人々を丹念に描くことで、福澤諭吉の思想と生き方を浮き立たせるという手法を取っています。

佐高さんは、この本の冒頭にある「増田宗太郎」なる人物の評価を福澤と対比することで、「時代の熱」に惑わされない、福澤の思想と生き方を描き出したと言います。
増田宗太郎は、福澤と同じ、大分県中津の出身で、又従兄弟にあたる姻戚筋でもありました。尊王攘夷の思想家で、維新後は西洋化を嫌い、西南戦争に馳せ参じて、西郷に殉じたという人物だそうです。
中津は、小さな街ではありますが、学問を尊ぶ風土で、いたるところに学者の旧邸や資料館があります。その中にあって、福沢諭吉の旧宅邸と資料館はとりわけ有名で、多くの見学者が訪れます。
そのすぐ隣に、増田宗太郎の旧宅邸も残っているのですが、こちらは訪れる人もなく、地元の人でも知らないとのこと。
1万円札の顔になるほどの近代日本最高の知識人と、名もなき草莽(そうもう)の攘夷家では比べるのがおかしいのかもしれませんが、太平洋戦争中の地元での評価は、まったく違っていたとそうです。
福澤は鬼畜米英の手先として毛嫌いされ、旧邸には石が投げ込まれることもあったほどでした。一方の増田宗太郎は、皇国精神の体現者として尊ばれ、大きく顕彰されていたと言います。
「中津でのシーソーゲーム」とも呼べる両者の関係は、「時代の熱」の凄まじさを証明するものだと言います。

時代が狂ってしまい、世の中が熱病に侵食されている時に、平熱を保ちつづけるということは、相当に覚悟がいることです。
「暗殺の危険を背負うこと」と佐高さんは言いますが、福澤諭吉も幕末から明治初頭にかけて、何人もの攘夷家や不平士族に命を狙われました。増田宗太郎も福澤を狙った刺客の一人でした。
多事争論というのは、きれい事ではなく、命を張るだけの覚悟がいることでした。
佐高さんは、そんな福澤の生き方を「平熱の思想家」と名付け、高く評価しています。

平熱を守るためには、独自の哲学・スタンスが必要になります。
佐高さんは、慶應法学部の恩師である法哲学者 峯村哲郎教授の言葉を紹介してくれました。

「不平等なものは、不平等に扱うのが、平等である」

権力を持つ側、体制の側にいるものに対抗することは、それだけですでに不平等な戦いである。権力側に対して、より厳しく対応してはじめて平等が実現できる。
そんな意味合いでしょうか。
法哲学者が語った言葉であることを考えると一層の含蓄を感じます。

そう言われてみると佐高さんの生き方は、常に不平等な人々の側にあって、「見せかけの平等」の欺瞞を暴くことを使命としているように思います。そして脅しや圧力といった言論圧殺の危険を背負って戦っている、「平熱の言論人」であるとも言えます。

「公正の論は不平の徒より生ず」

佐高さんは、自著へのサインと、そうしたためてくれました。