« 2009年1月 | メイン | 2009年3月 »

アートが繋ぐ新しい絆

人類最初の芸術が生まれたのは、約1万5千年ほど前のヨーロッパ大陸だと言われています。「ラスコーの洞壁画」もそのひとつです。教科書でご覧になった記憶のある方も多いかと思います。
この壁画を描いていた人々が暮らしていたのは、近くに大きな森があり、鹿やバイソンが群れなす豊かな場所でした。彼らは岩場の日当たりのよい場所を選んで生活の場としていたと思われます。
しかし、壁画が描かれたのは、光溢れる生活の場ではなく、地中奥深くまで続く暗闇の洞窟の中でした。
中沢新一さんによれば、ある種のイニシエーションを受けた人々が、暗闇の洞窟で、わずかな灯りを頼りに、バイソンや鹿の姿を描いていたとのこと。
それは、限られた者達が、神と交流するための宗教的な儀式であったと考えられています。

こうした、暗闇の中の、未知の神との交信として始まった、絵を描く行為が、明るい陽の光の中で行われる行為へと変わっていった原動力は何であったのか。
夕学にもご登壇いただいた千住博さんは、著書『美は時を超える』の中で、古代ギリシャの詩人ホメロスの言葉を引用して説明しています。

「芸術とは、人に知らせたくなる行為のこと」

もっと明るい場所で「多くの人に見てもらいたい」という本能が、神の領域であった「美」を、人間の領域の「美」へと転換させていったのではないか、と千住さんは言っています。
多くの人の目に触れ、批評を受けることが、描く側の創作意欲を刺激し、次の作品が生まれていったに違いありません。
「描く」・「創る」と「見る」・「評価する」という相互作用のもとで、芸術は発展してきました。

さまざまな地域で、同じように発展した芸術は、やがて普遍的な見方・評価を伴っていきました。芸術観、鑑賞法とも呼ばれるものです。
それは、人間が、長い年月をかけて積み上げた芸術に関する「知」の蓄積でもあります。
美術館や博物館は、「知」の蓄積をもとに、多くの人に、芸術の楽しみ方を伝える装置です。
慶應義塾大学アート・センター所長の前田富士男先生によれば、美術館や博物館には、作品をより深く理解してもらうための文化的なコンテクスト(文脈)が用意されているそうです。

-たんに自分の好悪の感覚ではなく、大きな歴史や世界のひろがりに触れる場です。感性とは直接的な感情ではなく、コンテキストを踏まえた知覚、のびやかなイメージ理解の他なりません。それを身につける場が美術館です-

かつて私たちの祖先が、神と交信するための絵を描いたのは、陽の光の遮断された洞窟の暗闇でした。恐らく、神と繋がるためには、日常生活の場ではなく、非日常的な異空間を必要としたのかもしれません。
今日の美術館や博物館にも、非日常的な価値があります。日常の喧噪から隔絶した、静かで、大きな空間の中だからこそ、感性を研ぎ澄まし、作品と触れあうことができます。

「agora」で、前田先生をはじめ慶應義塾大学アート・センターの協力のもとに企画した「アート深耕! 芸術からはじまる新しい絆」では、美術館や博物館の楽しみ方を含めて、芸術を通した新しい人間の結びつきを目指しています。
“自ら美術品を選ぶ”ことを通して、作品と能動的に関わる出発点を発見して欲しいと思っています。
美術品を選ぶとき、そこには、選ぶ目的、基準、着眼点、方法など、作品を多角的にとらえる行為が欠かせません。それは同時に、美術品が持つ感性的価値を通じて自らの感性に気づき、それを表現する営みでもあります。
創作者、美術館長、学芸員、古美術商など美術の専門家の示唆に導かれながら、日頃敷居が高いと感じられるアートの世界との新しい対話を楽しみます。
“自ら美術品を選ぶ”ことで、相手のことを思い、目的を考え、場をイメージする。アートを通して、人と人、人と美術、人と場等など、新しい絆を見つけることができるはずです。

演劇を学んで何になる 

劇作家の鴻上尚史さんが夕学に登壇された際に、「この前、整体師の先生から聞いたのだけど...」と前置きされて、ユニークなボディワークを教えてくれました。

・椅子に座り、靴を脱いで、全身をリラックスさせる。
・5本の足の指を大きく開く(実際に開けなくても、開いた感じでOK)
・親指と小指を大地に着けたまま、残りの3本の足指を浮かす感覚をイメージする

というものです。
よろしければ試してみてください。こうすると(こうしようと努力すると)、ふくらはぎに微妙な力が入るかわりに、足裏全体から力が抜けて、軽い浮遊感のような感覚を得ることができます。
「通常では感じることができない不思議な感覚を知ることができる」
と鴻上さんは言います。

続きを読む "演劇を学んで何になる "

古典を楽しむということ

西洋の文化的基盤、社会的規範は、古代ギリシャ・ローマの文化とキリスト教の二つから成り立っていると言われています。
しかしながら、ギリシャ・ローマの文化が2500年以上連綿と続いてきたわけではなく、8世紀から12世紀まで約四百年の断絶時代がありました。
7世紀にアラビア半島に生まれたイスラム教は、あっという間にその支配圏を広げ、8世紀には、イタリアはもちろんのこと、イベリア半島からピレネー山脈を越え、現在のフランスの大部分にまで勢力を広げることに成功しました。イスラム帝国の時代です。
彼らは、ギリシャ・ローマの文物を残らず収奪し、イスラム世界に持ち去ってしまったといいます。その後、ヨーロッパのキリスト教勢力は、長らく不遇の時代を過ごし、ギリシャ・ローマの歴史は遠い彼方に忘れ去られていました。
ようやく12世紀に入って、キリスト教社会は勢力を盛り返し、数世紀を費やした「国土回復運動」によって、イスラム勢力を駆逐し、かつての領土を奪い返します。
イスラム勢力が逃げ去った領土には、彼らが遺棄していったギリシャ・ローマの文物が残されていました。すでにアラビア語に翻訳されていた、それらの文物を通じて、キリスト教社会の人々は、改めてギリシャ・ローマの文化に触れたと言います。
彼らは、その時はじめて、アリストテレレスやプラトンを知り、その思想が自らの社会的規範の原型であったことに気づきました。
こうして、古代ギリシャで尊ばれていたという「リベラルアーツ」は、西欧文化の基礎として再編成され、西洋の古典として継承されてきました。


続きを読む "古典を楽しむということ"

「強い映画」

「映画産業の斜陽化」というフレーズは、テレビの登場以降、幾度となく使われてきましたが、『踊る大捜査線』の大ヒットをエポックとして、企画から興行まで、映画が全てにおいてテレビに依存せざるをえないという一方的依存体制が定着してきた感があります。
現在、興行収入10億円以上のメガヒットを狙うことができるのは、ジブリアニメかテレビ局製作ものだけで、老舗映画会社の作品は、漫画やベストセラー本の映画化で、安全パイを狙うという路線に安住しているようです。
その昔「5社協定」などという、いかにも日本的な護送船団方式を作り上げていた大手映画会社のうち、大映、日活が姿を消し、他社も往事の隆盛見る影なしといった状況です。

そんな映画界にあって、「agora」で映画の講座を担当していただく李鳳宇さんは、ひときわ光彩を放つ、異色の存在と言われています。

続きを読む "「強い映画」"

論語のもつ自律的学習観

夕学プレミアム「agora」で論語講座をやろうと思い立ってから、論語をはじめとした東洋思想の本を、随分と読みました。
これまで論語や東洋思想については、まったく理解がなかったのですが、たいへん勉強になりました。
東洋思想・東洋的視点については、夕学で田口佳史さんがわかりやすくお話してくれましたが、個人的には、キャリア論、セルフリーダシップ、自由と自己責任など、90年代以降に人材開発の世界で盛んに取り上げられてきたテーマと近い部分があるという印象を持ちました。

論語は、近代に入って、教育勅語や修身教科書に取り込まれ、戦前の皇国史観や既成秩序維持のための思想教育に使われていたという負の歴史を持っています。
私個人としては、それを過剰に意識して、「食わず嫌い」で遠ざけてきたというのが、正直なところです。
「説教臭い」 「教条主義」 「右っぽい」etc。
そんなイメージを論語に抱いておりました。

ところが実際に、論語や東洋思想を勉強してみると、大きく印象が異なりました。
特に論語は、その自律的学習観に共鳴するところ大です。
なかでも、孔子の「学び」ついての考え方は、私が日頃から思っている「学習観」とピッタリ合いました。このブログでも度々紹介してきました。
2500年前、遠い中国で生まれた論語の教えが、現代の「大人の学び」の本質を語り得るというところに、時代を超えて生き抜いた普遍の真理を実感します。

続きを読む "論語のもつ自律的学習観"

「人間力」を磨く

世の中には、「感覚としては分かるけれども、言葉にするとピンとこない」概念があるものです。
「人間力」という概念は、その典型かもしれません。

企業組織において、「人間力」と言う時には、知識・スキルといった表層的な能力ではなく、もっと奥底・芯にあるもので、人間として最も重要な、コアになるような力を意味することが多いようです。

数年前、政府の諮問会議において、若者就業問題を論じる文脈で、「人間力」という言葉が登場した際には、随分と批判が沸き起こりました。
その急先鋒の一人が、夕学にも登壇された本田由紀先生(東大)でした。
本田先生は、「人間力」をコミュニケーション力、問題解決力、決断力等と定義したうえで、それらが、家庭・幼児教育など環境の影響が大きく、本人の努力では如何ともしがたい能力であると言います。
そして、いたずらに「人間力」を強調することが、スタートに遅れてしまった若者達を、どうしようもなく追い詰めていると指弾しています。

また、「人間力」を否定的に捉える人には、使う人の恣意的な概念でしかなく、共通の定義や実測できる科学的な方法がない、あやふやなものにもかかわらず、あたかも人間に共通する根本的な能力のような使い方をすることの誤りを指摘する人もいるようです。
なるほど、その通りで、「人間力」を要素分解的に定義したものを見ると、どこかで目にした「○○力」「▲▲力」の集合体でしかなく、「なんか違うよナ~」という印象が否めません。

続きを読む "「人間力」を磨く"

夕学プレミアム「agora」を開催します

春から、慶應MCCの新しい試みとして、夕学プレミアム「agora」という講座を起ち上げます。
夕学をやっていると、この先生の講義を深掘りして聴きたいという声をよくいただきます。
夕学会場の丸ビルの隣にあるメインキャンパスでは、経営学系のプログラムを年間70本以上開催しており、このニーズに対応しているのですが、文化・教養系のプログラムは、未開拓領域で、昨年試験的に半藤一利さんの講座(「海舟がみた幕末・明治」)を開催しました。
お陰さまでこちらはたいへん好評で、昨年末には『幕末史』という本にまとまり、こちらもベストセラーに顔を出していると聞いております。

そこで、文化・教養系の講座に本格的に挑戦しようというのが「agora」です。
「agora」というのは、古代ギリシャのポリスにあった市民が集う広場のことです。「agora」には祭壇や泉が設けられ、市場が立つと同時に、政治談義や哲学論議が繰り広げられていました。
ソクラテスやプラトンも、ここで弁舌をふるったと言われています。
古代ギリシャには、プラトンが作ったという「アカデメイア」と呼ばれる学園があって、こちらが言わば「知の殿堂」であったのに対して、こちらは「談論風発の場」で言えるのかもしれません。

慶應MCCとしては、文学、歴史、芸術、身体論、社会、サイエンスなど、多彩なテーマを掲げ、同じ問題意識・関心を持つ、多様なバックボーンの人々が、「ひとつのテーマを深く掘り下げる」ことを通して、新たな知識を得ることを楽しみ、人間観・社会観・歴史観等を培い、感性を語り合いたいと思います。

慶應MCC夕学プレミアム「agora」
http://www.sekigaku-agora.net/index.html

今期が終了しました。

昨夜の菊澤研宗先生の講演をもって今期の25回が全て終了しました。
いつも思うことではありますが、昨秋10/17も一回目(高橋洋一さん)から始まって、あっという間に5ヶ月がたってしまいました。

あの頃は、すでに金融危機は始まってはいたものの、まだ日本企業に現在ほどの切迫感はありませんでしたね。
トヨタが09年3月の業績予想の下方修正を最初に発表したのが11月でした。「トヨタショック」と騒がれたその発表の数値は連結営業利益が6000億円(当初予想比▲1兆円)になるというものでした。
その後2度下方修正して6日の予想では連結営業赤字が4500億円ということですから、3ヶ月間で更に1兆円の減額となります。
粛々と夕学五十講をやっている数ヶ月の間に、凄まじい勢いで環境変化が起きていたことに改めて驚かされます。

来期の夕学は4/13から、受付開始は3/4からとなっております。
一ヶ月後、二ヶ月後、日本を取り巻く経済環境がどう変わっているか、読み切れないのが正直なところかも知れませんが、せめて私たちのマインドだけは、前向きな姿勢に変わっていたいものです。

「組織の不条理を克服するために」 菊澤研宗さん

経営学をかじったことがある方ならご存じの名著に『失敗の本質』という本があります。
一橋大の野中郁次郎先生が、防衛大学に籍を置いていた当時の同僚の方々との共同研究がベースになったもので、「日本軍の組織論的研究」という副題が付いています。なぜ、旧日本軍は失敗したのか。その原因を経営学の理論フレームワークを使って分析したものです。
防衛大の後輩筋にあたる菊澤先生は、あたかも『失敗の本質』を発展的・批判的に継承するかのように、「組織の不条理」を研究しています。
『失敗の本質』を含む通説によれば、日本軍の失敗は、無知と非合理性にあるとされています。
戦略のグランドデザインもなければ、戦術として選択できるオプションも少ない。属人的な意思決定構造で批判を許さず、過度な精神主義がはびこっていた。「だから日本は負けた」というものです。

菊澤先生は、この支配的な見方とは違った視点で研究を進めてきました。
旧日本軍上層部には、当時最高の知的エリートが揃っていた。愚かであったはずがない。だとすれば、合理的だったにもかかわらず失敗する別の理由があったのではないか。
それは、現代頻発する企業不祥事のメカニズムを説明することにもつながるはずだ、という問題意識です。

続きを読む "「組織の不条理を克服するために」 菊澤研宗さん"

「見えざる手」の真意 堂目卓生さん

人間は利己的な存在である。自らの利益を最大化するために、資本家は富を求め、起業家は事業拡大を求め、労働者は賃金最大化を求める。それが結果として経済を活性化させ、富の再分配を促し、社会を繁栄させる。利己的な個人の利益追求行動が、意図せざる結果として、豊かな社会をもたらす。かつてアダム・スミスはその働きを「見えざる手」と呼び、規制のない自由な市場こそが繁栄への道だと説いた...

専門家からのお叱りを承知のうえで、ステレオタイプのアダム・スミス論をまとめると、上記のようになります。
それは、そのままステレオタイプの反アダム・スミス論にもつながり「市場原理主義」の原初的啓蒙者としてアダム・スミスのイメージを植え付けることになりました。

堂目先生が、この通俗的なイメージに対する反論として書いたのが『アダム・スミス』という本でした。きょうの夕学では、この本に沿って、アダム・スミスの真実をお話いただきました。


続きを読む "「見えざる手」の真意 堂目卓生さん"

来期の講演予定が決まってきました。

毎期恒例のことですが、年明けの1ヶ月間は、春からの夕学の講師依頼の季節です。
お陰さまで、25講演の予定がほぼ決まりました。明日会場のお越しいただいた方には速報版を配布できると思います。
「明日は行けないが早く知りたい」という方はMCCまでお問い合わせいただければと思います。

これからタイトルや肩書きなどの詳細事項の確認を経て、3月初から購入・予約開始の予定です。
来期もこれまでと同様に、素晴らしい方々にお越しいただけます。
皆さま、乞ご期待!!