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部分という名の幻想 福岡伸一さん

三島由紀夫はかつて、柳田国男の『遠野物語』をして「これこそが小説である」であると激賞しました。
民俗学者であった柳田が、遠野出身の青年 佐々木喜善が語った山深い故郷の昔話を、聞き書きしてまとめたというこの本に、人を慄然とさせる文学の本質を、三島は見いだしたと言います。
柳田が『遠野物語』に込めたのは、「これを語りて平地人を戦慄せしめよ...」という前文の一節に代表されるように、忘れ去られた縄文精神の代弁者としての力強い宣言でした。

科学啓蒙書としてはもちろん、文学としても高い評価を得た『生物と無生物のあいだ』という本に、福岡先生が込めたのは、生命機械観の呪縛にとらわれ、途方もない過ちを犯しているかもしれない現代科学の世界に対する、強い危機感だったようです。

福岡先生によれば、「生命とは何か」という深遠な問い掛けに、ひとつの答ええを提示したのは、デカルトの「機械的生命観」だったそうです。生命とはミクロの部品から構成されるプラモデルのようなものだという認識です。
この思想は生命科学の基底に生き続け、20世紀の中頃には、「生命とは自己複製するシステム」であるという生命観に結実しました。
ワトソン・クリックが発見したDNAの二重らせん構造は、生命が自らの中に、自己を複製する機能をもった、25,000種の遺伝子からなる高性能コピーマシンであることを証明したと言われます。

しかし福岡先生は、「生命とは自己複製するシステム」という考え方は本当だろうか?という疑問を提示します。
そして、忘れ去られた最大の発見者として、ルドルフ・シェーンハイマーという科学者を紹介されました。
分かりやすい比喩に例えて説明すると、シェーンハイマーは、生命を構成する分子の動きを追いかけるために、事前に色を塗って識別可能にした分子を食物の中に混ぜ、それを食べたマウスの体内で、着色分子がどのような軌跡を描くのかを追跡研究しました。同時にマウス体重の微細な変化さえも記録していきました。
その結果、分子はマウスの体内に入ってまもなく、タンパク質に取り込まれ、体中のあらゆる部分に分散し溶け込んでしまいました。にもかかわらず、マウスの体重は一切増加しませんでした。つまり、かつて存在していた同じ量の分子が分解・排出されたことを意味します。
彼は、ここから、「生命とは絶え間のない流れである」とする「動的平衡論」を見いだしました。
我々の身体は、食物として新たな分子を外部から取り込み、それと同じ量の分子を排出することで均衡しつつ、数ヶ月もすれば、分子レベルは全て入れ替わっているというわけです。

では、絶え間ない合成と分解を繰り返しながら、生命体としての秩序が保たれているのはなぜでしょうか。
福岡先生は、「相補性」の働きを説明されました。
生命を、複雑に組み合わさったジグソーパズルとして考えたとき、一片のピース(分子)がなくなるとどうなるか。驚くことに、生命がなくなったピース(分子)と組み合っていた周囲のピース達(分子達)が、失われたピース(分子)の再生情報を有しており、見事に合成することができるのだそうです。

ギリシャ時代に、ヘラクレイトスが説いたという「万物流転の教え」や般若心経の「色即是空」にも通じる無常観とまったく同じ真理に、数百年も経ってようやく科学は辿り着いたことになります。

「科学の意味は、古くから人間が知っていることを、わかりやすく合理的な方法で説明することである」
福岡先生は、そんな、目から鱗的な科学観を口にされました。

「相補性」の教訓は、「全てはつながっている」ことを我々に示唆しています。
部分をいくら集めても、全体にはならない。
部分をいくら見ても、全体はみえない
部分は幻想でしかない。
という真実です。

にもかかわらず、部分を切り取って、合成・複製を繰り返すことで全体性を再現しようとする「部分思考」を現代の科学はやろうとしていると、福岡先生は静かに糾弾します。
人間に備わっている高度な抽象的思考である「パターン認識」能力は、一部をみただけで、見えない部分を含めた全体を類推することを可能にしました。
その力は人間を人間たらしめ、多くの科学や思想を産み出してきましたが、こと生命科学においては、自然の摂理を破壊することにつながるのではないか、という強い危惧が、福岡先生にはあるようです。

その象徴が狂牛病だそうです。
肉骨粉を食べさせることで肉牛の早期生産を可能にした科学は、牛を草食から肉食に共生転換したとも言え、羊の風土病ウイルスを狂牛病として世界に蔓延したことにつながったのだという指摘です。
「部分思考」思考は、クローン技術や、遺伝子組み換え、再生医療、新薬創造と名を変え、あらゆる生命科学分野で、先端的研究として取り組まれています。
はたしてこれらの行き着く先にあるものはなにか。

「動的平衡」のメカニズムに、わずかな操作的介入を行うことが、「動的平衡」に取り返しのつかないダメージを与えることになりはしないだろうか。表向きの変化はすぐにはみえないとして、5年、10年、20年という年月を経て何が起きるのかはわからない。

『生物と無生物のあいだ』が多くの人々から高い評価を呼んだのは、このメッセージへの共感だったのかもしれません。