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21世紀型グローバリゼーションへの対応 野口悠紀雄さん

1990年代の日本は、バブル崩壊とその後に続いた「失われた10年or15年」の苦難に喘いだ時代でした。
同じ時期、「世界ではグローバリゼーションの大転換が起きていた」と野口先生は言います。
「形のあるモノが国境を越える」20世紀型グローバリゼーションから
「形のないモノ(情報・お金)が国境を越える」21世紀型グローバリゼーションへの

パラダイムチェンジです。
日本は負の遺産を整理し、ようやく水面下に顔を出してホッとしているけれど、世界の風景が一変していることに、いまだ気づいていないのではないか。
野口先生は、その事に強い警鐘を鳴らしています。

きょうの夕学では、野口先生はまず、日本の世界でのポジションを確認することからはじめました。
20世紀型グローバリゼーションの優等生だった日本は、90年代初頭まで、一人あたりGDPでは、OECD加盟国で第2位にありました。
それが2005年時点では、第14位と低迷し、下降のトレンドは更に続きそうな気配です。

これに対して、21世紀型グローバリゼーションの優等生、イギリスとアイルランドは、いずれも10ポイント以上順位を上げ、日本のはるか上を行きます。
イギリスの活況については、夕学では、チャールズ・レイクさんが成功モデルとして寺島実朗さんが、ああなってはならないという他山の石として取り上げられたのが印象的でしたが、野口先生のスタンスは前者です。

アイルランドは、かつては産業革命を起こせずに農業国にとどまっている欧州の貧国の代表であったものが、IT大国として、世界有数の豊かな国に数えられているとのこと。

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歴史というものの意志 「海舟がみた幕末・明治」(第5回)

1963年(文久3年)5月10日 長州藩は、馬関海峡を通る米商船ペンプローグ号に向けて発砲、その後も海峡を通る外国船に次々と砲撃を加えました。
長州に苛め抜かれて、一橋慶喜が苦し紛れに発した攘夷実行命令を、長州ただ一藩が実行したという皮肉な結果に形になりました。
この攻撃で長州の意気は上がります。京都でも、過激なテロや攘夷決行を促す詔勅偽造が頻発します。挙句の果てには、天皇を宮中から奪取し、攘夷戦の先頭に打ちたてようという真木和泉の策謀も発覚し、その過激さに孝明天皇は不快感を募らせていきます。
京での微妙な風の変化を受けて、薩摩の盛り返しも始まり、反長州の流れが勢いを持つようになりました。

7月2日、3日には、生麦事件の報復を理由とした薩英戦争が勃発。薩摩は奮闘したものの、7隻の英国艦隊により、薩摩市内を砲撃され、市内全域が消失する痛手を蒙ります。この戦いで薩摩は攘夷論を完全に放棄し、自らが中心となって公武合体を進めながら開国を目指す方向で一気に進み始めます。

反長州の動きは、「八月十八日の政変」として結実しました。
これは長州が握っていた朝廷の権力を奪い、京から放逐しようという長州追い出しクーデターでした。三条実美らの親長州公卿らも都を落ち延びていきました。

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現場で磨いた人脈力 藤巻幸夫さん

一週間ほど前、慶應MCCでも教えていただいている法政大学大学院の高田朝子先生から、ビジネスパースンの「人脈」についての実証研究成果を聞く機会がありました。

高田先生曰く、「人脈とは“いざという時に、自分のために働いてくれる人”である」

知り合いが多いこと、顔が広いことは「人脈」でなく、自分の為にひと肌脱いでくれる人が多いことを「人脈がある」というそうです。
納得感の高い定義ですが、藤巻幸夫さんは、その最も分かりやすい成功モデルと言えると思います。

控室でお聞きしたところでは、藤巻さんの携帯電話には、常時1000人程のアドレスが登録されており、頻繁にコミュニケーションを取っているとのこと。
しかもその1000人の多くが、“いざという時に、自分のために働いてくれる人”である点が、藤巻さんの特徴です。

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顧客を有機的に育てる 井上哲浩さん

消費者意識の成熟と情報化社会の進化は、企業と消費者間の「情報の非対称性」を逓減させることになりました。
未熟な消費者を前提にした伝統的なマーケティング(例えばマス広告、企業ブランド、メーカーによる流通支配等々)が限界を迎え、新しいマーケティングのあり方が求められるようになりました。
例えばそのひとつに、ピンポイントマーケティングがあります。
分かりやすく言えば、「欲しい人に、欲しいモノを、欲しい時に提供する」ことを目指そうというものです。
Amazon.comに代表されるリコメンデーション機能やそれを支えるデータマイニングなどの技術がそれにあたります。

井上先生は、その方面の先端的な研究者でもありますが、それゆえに、ピンポイントマーケティングの問題点にも気づいたと言います。

先端的なリサーチ理論や情報技術を、「顧客を刈り取ること」だけでなく、「顧客を育てること」に使うべきではないかという発想です。
井上先生は、顧客を有機的に育てていくという意味を込めて「オーガニックコミュニケーション」と呼んでいます。

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追い詰められる幕府 「海舟がみた幕末・明治」第四回

文久2年(1862年)7月、薩摩の働きかけによって、幕府の政権は、一橋慶喜(将軍後見職)と松平春獄(政治総裁職)の二人に委ねられました。
慶喜、春獄コンビは、すぐに大胆な政治改革に着手します。

朝廷と大名に対しては、強調路線を狙う融和策。幕府内に対しては、積極的な人材登用が、その柱でした。
朝廷に対しては、それまで幕府が任命していた京都御所の九つの御門の警備に、朝廷の意向を聞くことや、皇室御陵の改修に費用を出すことを承諾します。
諸藩に向けては、隔年だった参勤交代を三年に一度に改め、江戸に留め置いた大名妻子の帰国を認めるなど、家光依頼の締め付け策を緩めていきます。
幕府内では、開国論者であった、大久保忠寛、勝麟太郎を大抜擢します。

矢継ぎ早で改革策を打ち出した二人でしたが、大きな勇み足もありました。
国事犯の全面的赦免を決定し、桜田門外の変、坂下門外の変などの襲撃犯までをも名誉回復をしてしまったことでした。
半藤さんは、この決定が「政治的なテロ行為も、いつかは赦免されるという認識を攘夷派に広める結果となり、天誅という名の暗殺行為を誘発する一因になった」と考えています。

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家庭と仕事を分けるのではなく、統合する 高橋俊介さん

工業化と民主主義に象徴される近代社会は、その必然として、二つの基本概念&システムを産み出したと言われています。
「分業による効率化」「官僚型の管理システム」です
複雑な仕事を分業化し、限定された役割に集中することで、生産性は向上します。
各自の役割と権限を明確にし、分業を連結するための手続きをルール化することで、適切に制御された自由が実現します。

一方で、それ以前の前近代社会は、「家内制工業」のよる家族主義的な経営が営まれ、家庭と仕事の際はありませんでした。地縁・血縁による「相互扶助システム」が家庭と仕事の両方を支えていました。
子供を背負いながら機を織り、よその子も一緒に夕飯を食べる光景が当たり前のように広がっていました。

私は、高橋先生の提唱する「これからの働き方」とは、近代以前と以降のふたつの基本思想のどちらか一方を選択するのではなく、その両方をデュアルに持ち、必要に応じて自由に乗り換えることだと理解しています。


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第25回(7/30) 冷泉貴実子さん

最終25回(7/30)の講師は、冷泉時雨亭文庫 常務理事の冷泉貴実子さんです。

冷泉家は、藤原定家を祖に持ち、「うたの道」を800年以上守り続けてきたお公家さんです。
京都今出川通り、同志社大学の近く、京都御所前にある冷泉家は、現存する唯一の公家住宅だそうです。
冷泉家は、明治の遷都以降、在京の公家が天皇とともに、上京し、それゆえに衰退してしまった公家の年中行事や生活文化を、いまもしっかりと守り続けています。

その直系である冷泉貴実子さんは、大学教授であるお婿さんを当主に迎え、その生活を支える一方で、公家文化や和歌の魅力を多くの人々に語り伝えるお仕事をされてきました。

「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」

定家が残したこの和歌を、松岡正剛さんは激賞しています。

見渡しても何もない秋の風景を表現しているに過ぎないのに、日本海沿いの寂しい苫屋の情景がありありと目に浮かんでくる。しかも800年後の日本人にも、その心象風景を共有できる。
見えないものを見る、聞こえない音を聞く。
これぞ、侘びさびに繋がる日本独特の感性です。

今回の講演では、江戸時代まで使われていた太陰暦に着目し、和歌に詠まれた月の季節感や年中行事が、日本の文化に多大な影響を及ぼしたことを解説していただけるそうです。


第24回(7/24) 亀山郁夫さん

第24回(7/24)の講師は、ロシア文学者で東京外語大学長の 亀山郁夫先生です。

昨年光文社が復刊したドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は、ちょっとした古典新訳ブームを巻き起こしました。
全5巻累計で30万部を超えるベストセラーになったと聞いております。
難解なことで名をはせたロシア文学の古典が、新訳で生まれ変わったことで、格段に読みやすくなり、ブームに繋がったとのこと。

その新訳を担ったのが亀山先生です。

いま、なぜドストエフスキーなのか。 たっぷりとお聞きしたいと思います。

「玉」をめぐる暗闘 「海舟がみた幕末・明治」第三回

安政2年(1855年)、勝麟太郎の提案によって開校された長崎伝習所は、攘夷論の激化、財政逼迫等の理由により、安政6年(1859)年には閉鎖となりました。わずか4年の短い運命でした。
半藤さんは、わずか4年ながら、長崎伝習所が果たした功績は大きかったと言います。
近代兵学を修めたこの伝習所が、のちの日本海軍の黎明となったことはよく知られたところですが、それ以上に、各藩から集まった青年達にいくつかの意識変革を促した点で大きな意義があったと半藤さんは考えています。

1.藩を超えた日本という国家を意識させ、「世界の中の日本」という視点を自覚させたこと
2.西洋兵学の修養を通して、西洋の合理的思考に対する認識を深めたこと
3.人材登用への機運を盛り上げ、封建的身分制度の限界を認識させたこと。

軍艦操縦や大砲射撃という科学技術の粋を学んだことで、国家観、近代合理主義、民主的思想といった近代国家の礎となる知識と態度を96人の若者たちに植え付けたことが、後の世に対する大きな貢献となったわけです。教頭として彼らをまとめた勝海舟の果たした役割もまた、大きいものでした。

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第23回(7/23) 松岡正剛さん

第23回(7/23)の講師は、編集工学研究所所長の松岡正剛さんです。
「知の巨人」「博覧強記」という言葉で思いつくのは、西洋ではレオナルド・ダヴィンチ、日本なら南方熊楠でしょうか。
いま、生きている人でという注釈がつくと、私は真っ先に松岡正剛さんの名前が思い浮かびます。
若くして、伝説的な総合雑誌『遊』を創刊、編集者として培った情報編集の方法論を「編集工学」としてまとめあげ、世に問うてきました。
一貫して在野にあって、歴史・哲学から科学・情報技術まで幅広い領域に精通し、驚異的な読書量と深い思索は、多くの知識人から賞賛を得ています。
なかでも、書評サイト「千夜千冊」は、その質と量において、他を圧倒する超人的な書評として有名です。

この10年は、特に日本文化論に注力を傾け、日本を「方法の国」として捉える独自の日本論を提唱しています。
古くは中国伝来の「漢字」を「万葉仮名」という独自の文字体系に編集し、掌中のものしてきたことからはじまり、文化、宗教、政治・経済の仕組み等々、日本には、外来の「知」を、その良さを活かしつつ、日本流の意味や機能を付加して、多義的、立体的な「知」に作りかえてきた、「方法の国」としての強みがある、と松岡さんは主張します。

圧倒的な知識、大胆な視点転回、はっとするような鋭い解釈等々。
知の巨人、松岡正剛に。快く浸る2時間になるでしょう。

第22回(7/16) 猪瀬直樹さん

第22回(7/16)の講師は、作家で東京都副知事の猪瀬直樹さんです。

夕学には4年振りの登壇となる猪瀬直樹さん。
思えば、前回は小泉内閣のもとで、猪瀬さんが執念深く取り組んだ道路公団改革が、一応の決着をみたばかりの頃でした。
「よくやった」という声と「骨抜きにされた」という賛否両論に評価が割れた一連の取り組みでしたが、高速道路パーキングに次々と大手ファーストフードチェーンや小売り・サービス業が進出し、民営化が目に見える形で進んでいるのを思うと、間違いなく、改革が進んだと言えるのではないでしょうか。

猪瀬さんが、「日本国の研究」で道路施設協会なる公団傘下の天下り組織の問題を指摘して10年以上立ちます。
道路建設による膨大な赤字の一方で、独占企業体として大きな富を蓄積していた協会が、公団職員の天下り機関として守られている実態を暴き、その後、道路公団改革の当事者として白羽の矢を立てられるきっかけになりました。
改革の途上でみせた、猪瀬さんの、執拗なまでの真実追究の姿勢は見事なものでした。外から言いたいことだけを言うのではなく、当事者として問題に切れ込んでいくエネルギーは、大きな仕組みの改革者に求められれるモデルを示してくれたものと思います。

さて、現在は東京都副知事として、国際都市東京の改革に取り組んでいます。
東京が抱える問題は、日本の問題の縮図でもあります。
格差社会の解消と国際競争力の強化という、ともすれば二項対立に陥りがちな、難問を同時に解決するためには、どうすればよいか。
猪瀬さんの取り組みをお聞きしたいと思います。

第21回(7/15) 横山禎徳さん

第21回(7/15)の講師は、社会システムデザイナーの横山禎徳さんです。

横山さんは、マッキンゼーのトップコンサルタントとして30年近く活躍をされてきた方です。
マッキンゼーを定年まで勤め上げるというのも凄いキャリアですが、退任後は関心領域を更に大きく広げ、「社会システムデザイン」というコンセプトを掲げ、みずから社会システムデザイナーとして活躍されています。

「社会システム」を「生活者・消費者への価値提供の仕組み」と定義し、それをデザインすることで社会の問題を解決していこうというアプローチとのこと。
今回は、特に現在の日本が直面する「超高齢化社会」という問題に対峙し、「社会システムデザイン」を使って、新たな展望を提案してくれるそうです。

ちなみに、横山さんは、高橋俊介さんがマッキンゼーでコンサルタントの道を歩みはじめた時の上司だそうです。
今回は、高橋さんの推薦&仲介もいただいてご登壇いただくことになりました。