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「文化が経済を作る」 蓑豊さん

『超・美術館革命』に、蓑豊さんが、美術の道を歩んだ経緯と、どのようにして美術を学んできたかを紹介している章があります。

麻布や銀座で古美術店を経営していた蓑さんのお父様は、商売というよりはコレクターに近く、惚れた作品は損得抜きで買い付けることも度々だったとか。しかしながら、その姿勢は、好事家に高く評価され、財界人との交流も多かったとのこと。
幼い頃から美術品に囲まれて育ち、慶應文学部で美術史を学んだ蓑さんは、卒業間近にエジプトでの中国陶器発掘調査に加わる機会を得ました。
そこで中国陶器に魅せられ、美術の道で生きることを決意しました。
「眼を肥やす修行」のために古美術商での丁稚奉公を経験したのち、米国に留学し、東洋美術の専門家として研究に打ち込み博士号を取得しました。
「日本人でありながら中国陶器のスペシャリスト」として希有な存在になった後は、米国各地の美術館の東洋部長として活躍し、そこでイベントの企画や資金集め等、アートマネジメントのプロとして経験も積みました。
26年間の米国生活は、蓑豊さんを、美術と経営の専門家に育てたことになります。

そんな蓑さんが26年振りに帰国した時に抱いた印象は、「美術館に子供がいないこと」だったそうです。
交通の便の悪い郊外にあり、建物は立派ながら、中に入ると閑散として寒々しい。それが多くの地方美術館の姿でした。
「子供の声が賑やかに聞こえる美術館」「家族で来られる美術館」を作りたい。そう考えていた10年前の蓑さんにとって、金沢市が構想中の新美術館は、夢を実現するうってつけの舞台だったようです。

元金沢大附属小学校の跡地で広大な敷地、交通の便も良い街中立地、市長の理解もありました。
夜10時までの開園時間。無料ゾーンをたっぷりと取った施設デザイン。どこからでもバリアフリーで入ることができる5ヶ所の入口。
障害をひとつひとつ越えながら、蓑さんの理想とする美術館を作りました。

講演では詳しくは触れませんでしたが、子供をターゲットにしたマーケティングプランはユニークなものでした。
蓑さんには、美術に触れるのに一番いい年齢は10歳(小学校4年生)だという持論があります。
低学年で集中力が続かない、高学年では異性への関心に負けてしまう。ある程度の秩序を理解でき、かつ素直な好奇心が旺盛な10歳が一番なのだそうです。
金沢21世紀美術館では、まず全小中学校の生徒4万人を無料招待し、お土産として「もう一回券」を2枚渡して、家族ぐるみでのリピート獲得を目指しました。これがズバリと当たりました。
現在は、小学校四年生に限定して、同じ企画を行っているそうです。

金沢21世紀美術館には、130万人前後の入場者があります。金沢市の人口が45万人であることを考えると驚異的な数字になります。
美術館建設に200億円の資金を要しましたが、経済効果は328億円に達し、美術館による都市の活性化は大成功しました。

「文化が経済をつくる」
蓑さんはそう言います。
加賀100万石、前田家の藩政の基本は、文化の興隆にあったそうです。
加賀友禅、輪島漆器、九谷焼などの伝統工芸は、前田家の手厚い庇護のもとに隆盛をみました。文化は地場産業となり、金沢の発展を支えてきました。
しかもいずれの産業も、高い技術を誇るブランドとして特異なポジションを獲得し、今日に続いています。
そんな文化都市金沢にあって、金沢21世紀美術館を「文化が経済をつくる」伝統を受け継ぐ存在にしたい。それが蓑さんの大きな夢です。

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