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「愛でる」という感覚を取り戻す 中村桂子さん

地球上にはじめて生命が誕生したのは38億年前、深海で生まれたバクテリアのような単細胞生物ではなかったかと言われている。驚くべきことに、そのDNA構造は、我々人類とまったく同じであるという。
つまり、生命は38億年前から連綿と続いており、現在地球上に存在する多様な生物は、全て繋がっている。
生命とは、「時間」と「関係」で成り立つ巨大なネットワークでもある。

人類が登場したのは15万年前のアフリカ大陸。農耕の発明により「生物圏」から「人間圏」というサブシステムが枝分かれしたのが1万年前。産業革命により、爆発的な拡大過程に入ったのは、わずか200年前のことである。
現在、人類の拡大速度は、地球の物質循環のそれを大きく上回る「異常な状態」にある。

「異常な状態」にいる私達は、自然を制圧する対象として捉え、科学技術をその道具として開発活用してきた。
中村先生は、「その関係図式を変えよう」と言う。
科学技術と自然の間に人間が入り、両者を融合させる役割を果たすべきだ、とする。

そのためには、価値観(世界観)を変える必要がある。
産業革命以来の「機械論的世界観」から「生物論的世界観」への転換である。
自然は数式で記述でき、人間も機械のような構造体と認識する。だから要素分解することで全てが解明できる。そう考えるのが、「機械論的世界観」である。
「生物論的世界観」は、世界をあやふやで、柔らかく、変化しつづける存在として理解する。だから複雑で、曖昧で、いまもってよくわからないものと考える。

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「言葉」が政治を動かす時代 佐藤賢一さん

「フランス革命」はフランス人にとって、語るのが苦手なテーマらしい。
「王家の伝統」と「自由・平等の価値観」という、ふたつの「フランスの誇り」が激しく対立し、結果的に「王家」を断絶させてしまったという事実を、フランス人は、いまだに消化できないでいるのではないか。
フランスを舞台に数多くの歴史小説を書いてきた佐藤賢一さんの見立てである。

だからこそ、外国人であり、作家である自分が語る。
客観的な視点から全体を俯瞰し、歴史的事実から抜け落ちている部分を直観とひらめきで埋めれば、本当の「フランス革命」に肉薄できるかもしれない。
構想5年、全12巻の大河小説『小説 フランス革命』に取り組む理由がここにある。

日本とフランスは、よく似ている点と大きく違う点があるという。
欧州の歴史家は、江戸幕藩体制とフランス絶対王政は、よく似た封建主義形態と認識しているらしい。中央に王権(将軍家)が君臨する一方で、各地の領主にも封建的な統治権を認めている。

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明治の青春物語が削ぎ落としたものは何か  松本健一さん

松本健一さんは、NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の外部諮問委員も務めている。司馬遼太郎の代表作とされながら、司馬が映像化を頑なに拒否したという、いわく付の作品である。
司馬の思いがどこにあったのか、いまとなって知るよしはない。同じように在野の歴史著述家であり、生前から交流のあった松本さんの役割は、歴史的な考証と司馬のこだわりをバランスさせながら、ドラマ作りに寄り過ぎる余りに、ありえない設定・描写に走らないよう、台本をチェックすることだったという。

『坂の上の雲』は歴史書ではなく、物語である、と松本さんは繰り返す。
そこには、「明治という時代」に対する司馬さんの肯定的な歴史観が反映されており、日本の青春時代を、あえて明るく描き出すために、意図的に触れなかったいくつかの史実があるという。
きょうの講演は、それを忖度しながら読み込むという『坂の上の雲』の高度な楽しみ方を教えていただいた。

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神は細部に宿る  種田陽平さん

「映画は“総合芸術”と言われますが、わたしはこの言葉が嫌いです」

実は控室で、何気なく、「映画って総合芸術ですよね」と口にしてしまったのだ。その言葉に敏感に反応した種田さんは、ソフトで紳士的な対応ではあるものの、力強く反論をされた。
そのまま講演に臨んだ第一声が、冒頭の言葉であった。
映画美術という、個別具体的な部分を担うプロフェッショナルとして、総合という、わかったようで、よくわからないタイトルで、自分の仕事を「ひと括り」にまとめて欲しくはない。そういう意志を感じた。

ふと、分子生命学者の福岡伸一さんの言葉を思い出した。

「部分をいくら集めても、全体にはならない」
「部分をいくら見ても、全体はみえない」
生命は、絶え間ない流れの中にある動的なもの、絶妙なバランスを保ちながら同一性を維持し続けている。部分の集合体は全体でない。
それが福岡さんのお話であったが、「映画芸術」とは、それと正反対のようである。

「部分に徹底してこだわることで、全体に命が宿る」
種田さんなら、きっとそう言うだろう。部分を担うプロの矜恃を持った人である。

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「共同体」ではなく、「共異体」という発想を 小倉紀蔵さん

中国のGDPが日本を追い抜くこと。
韓国併合から100年を迎えること。
韓国思想・文化を専門とする小倉紀蔵先生は、この二つの事実をもって、「日中韓2010年問題」と呼んでいる。
それは、東アジアが150年前の「正常な姿」に戻ることに他ならない。言い方を換えれば、この150年が「異常な姿」であっただけのこと。
有史以来、経済的にも文化的にも、東アジアの中心は中国であった。その差は圧倒的であったのだから。
一方で、世界は異常化する。この20年の中国の急成長は、中国の影響力がグローバルしたことに他ならず、歴史上はじめて、東アジアが世界の中心になる時代が到来したのである。
これが21世紀世界に混乱をもたらすことは間違いない。

東アジア秩序の「正常化」と世界秩序の「異常化」という流れの中で、日本と韓国の果たすべき役割は何か。かつてのように、中国に盲従的に付き従うことではないはずだ。
新たな東アジア像を構築しなければいけない。ただし、日本人が、当然のように発言する日本中心の発想からも抜け出さなければならない。
それが、小倉先生の主張である。

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クールヘッドとウォームハートの人 柳家喬太郎

「あたしゃあ、なぜ、いまここにいるんでしょうかね。いまもってよくわかんないんです」

出囃子で登場するなり、見事なつかみで、会場に笑いを起こした柳家喬太郎師匠。
「いまもっともチケットが取りにくい落語家」と評されるだけあって、きょうも春日部高校での二回の公演を終えて、夕学が、三つめの御座敷とのこと
「Noを言わせない交渉術」を誇る夕学スタッフの熱意に感じ入ってくれたのか、疲れたそぶりもみせずに、二時間たっぷりとお話していただきました。

半数の人が、落語を生で見るのは初めて、ということを知ると、芸能としての落語論をさらりと紹介してくれる。
しかも五代目志ん生六代目円生八代目正蔵(彦六)といった昭和の名人達のモノマネも随所に織り込んで、落語ファンのこころもしっかりと捉える。さすがである。

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藝術は身近なものである  宮田亮平さん

いま慶應MCCのagoraで、受講生に混じって「老荘思想」を勉強している。
こちらをご覧ください)
「太上は、下之有るを知るのみ」
『老子』の一節にある言葉だ。
優れたリーダーは、下の者からは何をやっているのかわからないほど存在感を消している、というような意味である。

「水のような人間であれ」
老子が繰り返し強調しているメッセージである。
水は何処にでも流れる。清流も、汚濁も、小川も、大河も、変わらずに流れる
水はだれにも合わせられる。相手の良いところを得て、何色にも染まる。
水は全てを洗い流す。汚辱、混乱、腐敗、あらゆるものを清める。
水は万物を育む、実りをもたらす。万物の母であり、父である。

宮田亮平先生は、まさに「水の如く」ある人ではないだろうか。

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失敗しても納得できるのは、自分のやりたいこと  遠山正道さん

およそ社長らしくない雰囲気を漂わせる人である。
いでたちはオシャレというより奇抜に近い。企業経営者の装いではなく、クリエイターや芸術家のそれである。
それもそのはず、コンランショップのパッケージデザインやイデーの家具デザインなどを手がけ、ニューヨークや青山などで個展を開いている芸術家肌の人である。
「三菱商事初の社内ベンチャー」で、日本の社内ベンチャーでも希有な成功例、Soup Stock Tokyoの創業社長ということで、立て板に水のように美しく戦略論を語る人かと思ったら、まったく違うタイプの人である。

この数年、経営学(戦略論、組織論)の世界で注目されている概念に「ストーリーテリング」という考え方がある。
経営戦略や理念・ビジョンを社内外に浸透させる際に、ありありとした魅力的な物語を語るという手法である。
一橋大の楠木健先生によれば、

「イケてるストーリー」「その線でやってみようじゃないの!」という気にさせる

というものだ。
分析的で客観的であることより、感覚的で主観的であることに特徴がある。
「自分はこれがやりたい!」
そういう熱い意志がたっぷりと詰まったストーリーが、他者をその気にさせる。

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一隅を照らす 野口吉昭さん

コンサルテーションという言葉の語源は、ラテン語のconsultare (協議する)という言葉に由来するといわれている。分解すれば、 con(共に)+sedere(座る)=共に座る、という意味になる。
コンサルティングには、元来クライアントとの協働という概念が包含されているのだ。

社会心理学の泰斗エドガー・シャインは、もう一歩進めて、プロセスコンサルテーションという概念を提唱した。

「クライアントとの関係を築くこと。それによって、クライアントは自身の内部や外部環境において生じている出来事のプロセスに気づき、理解し、それに従った行動ができるようになること」
人間は他者にしてやれることは、人が自ら気づき、行動するための支援活動しかない、という人間観がベースになっている概念である。

野口吉昭さんが率いるコンサルティングファーム HRインスティテュートは、クライアントの「主体性を挽きだすこと」をミッションに掲げている
自分のため、人のため、人々のため、個人ン・チーム・組織の可能性を挽き出すことで社会を変える支援をすることにある。
ここに、野口さんの、コンサルタントとしての明確で、揺るぎない立ち位置がある。

野口さんは、「コンサルタントの仕事術」というお題に対して、3つの能力を説明することで解答とした。
1)ストーリー力
2)質問力・解答力
3)習慣

具体的な内容については、是非野口さんの著書をお読みいただきたいと思うが、これらに共通するのが、「相手軸」で考えるというスタンスであろう。
相手(クライアント)が気づくための質問。
相手(クライアント)を動かすための解答。
相手(クライアント)をその気にさせるためのストーリー。
相手(クライアント)に寄り添い、相手の主体性を挽きだすためのスキルを駆使することが、コンサルタントの仕事術に他ならない。

クライアントを部下、社員、顧客に置き換えれば、リーダーとして、経営者として、営業マンとしての仕事術にも、そのままあてはまる。
人間が、他者にしてやれることは、人が自ら気づき、行動するための支援活動しかないのだから。

一隅を照らす
最澄が語ったという言葉を、野口さんは座右の銘にしているという。
「今、あなたのいる、その場所を照らしなさい。
 そう今、まさにいるその場所を。
 あなたの周りの家族、職場、地域社会を。」

日本を取り巻くマクロ環境を分析すると、世界のおける日本の位相は大きく変わろうとしている。経済規模や豊かさを誇る時代は終焉を迎えつつある。
成熟社会・成熟経済の日本にあって、「一隅を照らす」活動はどこにあるのか。

野口さんは、ソーシャルアントレプレーナー(社会起業家)と呼ばれる若者達に、来るべき社会のモデルを感じているという。
フローレンスの駒崎弘樹氏
マザーハウスの山口絵里子氏
カタリバの今村久美
みやじ豚.comの宮地勇輔氏
かものはしプロジェクトの村田 早耶香氏
若い社会起業家をゲストに招き、語り合うラジオ番組「Yokohama Social Café」という番組を自ら企画・スポンサードし、DJもやっているという野口さん。
これもまた、野口さんにとっての「一隅を照らす」ことに他ならない。

電気自動車というイノベーション

SFCの清水浩という先生が、八輪駆動の、ユニークな形状の電気自動車を開発している、という話は、以前から知っていた。
夕学五十講にお呼びしようという話も何度か出たが、その頃はまだ、「夢を追う研究」という認識で、どうせ将来の夢なら、クルマというすでに存在するものではなく、もっと新奇性のあるものを、などと思い、お声掛けを遠慮したという経緯がある。

「この2年で劇的に変わった」
当の清水先生が言うように、電気自動車に対する社会の期待は、「夢のクルマ」から「現実のクルマ」へと変容した。おりしもこの日、三菱自動車が「i-MIEV」を200万円台の価格で発売予定という記事が新聞紙上を飾った。
清水先生は、「夢を追いかける研究者」から「クルマを変えるイノベーター」へ、その評価を変えつつある。

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苦を苦として認めること 小池龍之介さん

小池龍之介さんは5時過ぎに会場入りし、別室で一時間ほど瞑想に入った
きょうの講演に向けて、意識を集中するためである。

簡単な打ち合わせを終えて、6時15分からは、開演前のステージ上で座禅を組み、再び瞑想をした。
会場の光、音、温湿度など環境情報が自分にどんな感情を呼び起こしてくれるのか、わずかな心身の働きに意識をフォーカスするためである。

講演は、ささやくような小さな声であった。
聴衆の意識を意図的に集中させるための仕掛けのようにも思える。
(あまりに小さくて、マイクで拾いきれなかった面もあったようです。たいへん申し訳ありませんでした)

話の合間に、わずかな間、沈黙がある。よく見ると目を細め、仏さまのような半眼瞑想のようでもある
いま、この瞬間に自分の心に浮かんでくる感情や思いに耳をすませていているのかもしれない。


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「やまとごころ」を、胸を張って誇りたい  中西進さん

中西進先生に対して、「やまとごころを問う」という演題をお願いしたのは、あまりに直截過ぎて、“やまとごころ”っぽくないことだと心配していた。
幸いにして、その心配は杞憂であった。
受け取り上手、聞き上手の中西先生は、「本歌取りを使った高度なお題をいただきました」
と受け止められた。少しだけ楽しんでいただけたようだ。


靖国神社に併設された「遊就館」という資料館に入ると、入り口に和歌が飾られている。

敷島のやまと心を人とはば、朝日に匂う山桜花(本居宣長)

はじめて「遊就館」を訪れた時に、こういう施設の最も象徴的な場所に、この句が掲げられていることに対して、直感的な違和感を抱いた。
句の意味(特に後半)は、実に私達の心情にピッタリとくるけれど、それゆえに靖国の象徴にして欲しくはないという感覚である。

中西先生なら、どう料理してくれるのか。
そんな思いで、「やまとごころを問う」という演題をお願いした。

先生は、浅はかな思惑を全て見透かしたうえで、想像以上の巨視的なスケールで、しかも極めて日本的に(曖昧に)お話を展開してくれた。

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「企業の使命と責任」 坂本光司さん

いまから80年ほど前、第一次大戦の後遺症と世界恐慌の傷を癒しきれていないオーストリアに、若きピーター・ドラッカーがいた。
彼は、欧州にヒタヒタと広がる全体主義と社会主義に強い違和感を抱いていた。

一国の利益、個人の利益の最大化を追究する経済至上主義は、人々を幸せにすることはできない。

新しい時代は、人間を歯車として扱うのではなく、自由意思を持った生身の存在として機能させるできである。

その主役は、政治・行政ではなく、挑戦意欲とイノベーション精神をもった企業であるべきだ。


そう信じたドラッカーは、米国に渡り、『CONCEPT OF CORPORATION』(邦題:「企業とは何か」)という本を書いて、世に出た。
そして、新時代の主役である企業が発展拡大するためには、「マネジメント」が鍵を握ることに辿り着き、以降「マネジメントの発明者」として大活躍する。

遅れること50年、ドラッカーが愛した日本で、坂本光司先生は、6000社に及ぶ中小企業を「はいずり回るように」訪ね歩きながら、同じ問題意識を抱いていた。

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「男おひとりさまは女縁に学べ」 上野千鶴子さん

『男おひとりさま道』という本は、中年男には、けっして気持ちよく読める本ではない。
「オレが大黒柱だ!」と鼻をうごめかせている男どもの前に、上野先生がツカツカとやって来て、「アンタ達、だからダメなのよ。これでも読みなさい」と、見たくなかった現実を突きつけたような本である。
上野先生も、本音を言うと、この本を書きたいとは思っていなかったようだ。
「だから男おひとりさまについて書くのは嫌だといったでしょ。明るい話にならないもの」
という記述が本書にはある。
『おひとりさまの老後』が75万部のベストセラーになり、色気が出た編集者が、「先生、男のおひとりさま本も必要ですよね」と無理やり口説き落としたのかもしれない。
いや、つまらぬ憶測はやめよう。
「アンタ、だからダメなのよ」と上野先生から叱られそうだ。

上野先生の講演は、理論整然、論旨明快。皮肉とユーモアを随所に織り込んで進んでいく。身につまされながらも、男のバカさ加減に思わず笑ってしまう。そんな2時間であった。

男であれ、女であれ、老後を「おひとりさま」で過ごす人々の数は、ますます増えていく。
それは、成熟社会に入ったわれわれが直面する当然の帰結であって、望むと望まざるとにかかわらず起きる事象である。
だとすれば嘆いたり、文句を言ったりする前に、せっせと準備をしないといけない。
上野先生はそう指摘する。

おひとりさまの問題は、家族に変わる代替ネットワークが存在しないことだという。
環境が変わった(少子化、家族観の変容)のに、いざという時に頼りにする杖は昔のまま(子供)で、すでにすっかり弱くなっていることに気づいていないことだ。

「家族持ち」から「人持ち」へと、上野先生は提唱する。
結婚がデフォルトである時代が終わり、なおかつ少子化が進めば、家族・親族ネットワークは縮小していく。いざという時に頼りになる「第三のネットワーク」を持つことが幸せな暮らしに繋がっていく。
「選択縁」
上野先生は、このネットワークをそう名付けている。
巷間叫ばれる地域コミュニティーの再生ではない。自分の意志で「選択」でき、自発性とゆるやかな所属によって成り立つ新しい「縁(えにし)」のあり方である。

加入・脱退が自由で、
強制力がなく
包括的コミットメントを要求しない
それが「選択縁」の定義になる。

「選択縁」のノウハウは、圧倒的に女の世界が先行しているという。
例えば転勤族の妻達に代表されるように、女性達は、デラシネ的生き方をいち早く適応してきた。
知り合いがいない。親戚がいない。頼る人がいない。自分でゼロからネットワークを結び直さねばならない。
女性達は、そういう環境で、ネットワークを培う術を身につけてきた。
上野先生は、これを「女縁」と呼ぶ。
子供の預け合い。料理のお裾分け、お土産や心遣い。礼服の貸し借り。冠婚葬祭の手伝い。なんと不倫の手助けまで、彼女達は相互扶助的ネットワークを築くことが巧みである。
「女縁」の達人のネットワークマップを分析すると、複数の性格の異なる集団に所属し、いずれもアクティブに活動している。しかも、ネットワークのコンパートメント管理が出来ており、いくつもの顔を集団の性格に応じて使い分けることができる。
「こちらがダメなら、あちらがある」
というリスクマネジメントが為されているのである。

男達は、女性達のネットワーキングメソッドに、謙虚に学べばよい。
ところがそれが出来ない。
数少ない「男縁」の存在を調べてみると、実に心もとないという。
「こいつと知り合うと役に立ちそうだ」という下心が透けてみえる。力関係や権限にこだわる。名刺がないと自己紹介が出来ない...。
ビジネス世界で染みついたノウハウを、そのまま持ち込んでしまうのだ。
しかも、上手にやっている人達は、決まって出世していない。
仕事の成功とおひとりさま道の幸せは比例しないようだ。 

だとすれば、先行している「女縁」にあとから入れてもらうのが得策だ。
「女縁」も、異質性の加入は、限度を超えなければウェルカムとのこと。
その時に必要なのは、「下り坂をおりるスキル」だという。
自分の「弱さ」を正直に吐露することだ。
男同士で張り合いながら助け合うより、「女縁」に入って、上手に弱音を吐くことだという。
なるほど、確かにこれは真理だという気がする

「イノベーターは、人の心に火をつける」 伊丹敬之さん

伊丹敬之先生の東京理科大学での役職名「総合科学技術経営研究科長」をカタカナ表記すると「ソウゴウカガクギジュツケイエイケンキュウカチョウ」となる。
案の定、ご紹介の際に言い間違えてしまったところ、
「当校の学長も正確に言えたことが一度もない。やっぱり彼も間違えた(笑)」
「こんな舌を噛みそうな名前は止めて、シンプルにしようということで“イノベーション研究科”になる予定です」
とのこと。
たいへん失礼をいたしました!!

さて、伊丹先生が「イノベーション」を重視するのは、大学院の名称問題だけではない。
日本の産業の生きる道が、「イノベーション」に集約されると考えているからである。
少子・高齢化が劇的に進む日本では、内需振興には限界がある。
外に目を転ずれば、中国大陸という巨大市場が、いままさに開花の時期を迎えている。この巨大新市場は、日本の産業構造を決定する可能性を秘めている。
戦後日本の産業構造が、アメリカ大陸という市場の要求に応えること決定してきたように、中国大陸を発信源とした産業構造転換が起きなければ日本は成長できない。
その鍵を握るのは、「イノベーション」に他ならない。

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「自分で選んで歩く」 佐々木常夫さん

「誰が選んでくれたのでもない。 自分で選んで歩き出した道ですもの...」

大女優 杉村春子 生涯の当たり役「女の一生」の名台詞である。
遊女の私生児として広島の色街で生まれた女性が、日本の近代演劇を代表するカリスマ女優にまで上り詰めた、杉村春子の生涯を象徴するような台詞として、あまりに有名である。

この台詞に力を与えるのは、強烈なまでの「自己決定の原理」である。

「人間は、生まれながらにして自由なのではない。自由な意志を行使する限りにおいて、自律的な存在であるゆえに、自由なのだ」

カントはそう言った。

佐々木常夫さんの人生は、壮絶なる「男の一生」である。
年子で生まれた三人の子供の育児。
自閉症を抱え、しばしば問題行動を起こす長男の世話。
肝臓病に加えてうつ病を患い、20年間で43回の入院と3回の自殺未遂を繰り返した妻の看護。
東レの戦略スタッフ、経営幹部としての激務と度重なる転勤。
その全てを引き受けて、破綻することなく、それでいて飄々とやり抜いた。
想像を絶する、凄まじい一生である。

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「自分だけの本、自分だけの雑誌」 小林弘人さん

小林弘人さんは、インターネット黎明期から、IT・ネットと出版のクロス領域をドメインにしたメディアビジネスを次々と興し、成功させてきた人である。
大ベストセラーになった『FREE』の監修・解説も手がけ、フリミアム(FREEMIAUM)と呼ばれる新しいマーケティングの啓蒙者としても知られている。

小林さんは、「誰でもメディア」の時代が到来したと言う。
メディアがひと握りの専門家による独占から解き放たれ、企業活動も個人生活や思考もメディアになり得るという意味である。
Webサイトやブログを持つこと、ツイッターでつぶやくことが「誰でもメディア」ではない。
あるテーマについて、秀でたコンテンツ制作力・編集力を持ち、自らを核にして、少なくとも数千人レベルのコミュニティを作り、維持できる求心力と牽引力を持った存在でなければならない。
これが、至るところに勃興していることを称して「誰でもメディア」と名付けているのである。

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「発想の考動力」は野生の思考法  三谷宏治さん

三谷宏治さんの「発想の考動力」というタイトルとコンセプトを聞いて、ジャンルの異なるふたつの逸話が頭に浮かんだ。

ひとつは、梅田望夫氏の「高速道路とけものみち」論。
もうひとつは、杉田玄白が『解体新書』を翻訳した時の苦労話である。

梅田望夫氏は、ネット社会を「高速道路とけものみち」が連続する社会だと論じた。
世界がネットで繋がり、無料のフリーウェイを自由に利用することができる。何処にでも、短時間で、快適に行くことができる。
しかし、高速道路だけでは、けっして目的地には辿り着かない。料金所を下りると、そこには鬱蒼たる森に通じる「けものみち」があるだけである。
ネットという高速道路を使ってある程度の情報や知識は得られるが、真の価値を創出するためには、「けものみち」を歩き通す体力と知恵が求められるというわけだ。

『解体新書』は、安永3年(1774年)、杉田玄白が翻訳した日本で最初の西洋医学書である。
彼は、当時オランダ語(蘭語)がほとんど出来なかった。当然ながら辞書もなく、教えを請う師もいなかった。翻訳は、あたかも暗号を解読するかのような手探りの作業であったという。
中でも困難を極めたのは、鼻の項目にあった「フルヘッヘンド」という語彙だったという。
この意味がどうにもわからず、片端から文献をあたった末に、ようやく辿り着いたのが、「木の枝を断ちたるあと、フルヘッヘンドをなし、庭を掃除すれば、その塵土聚(あつま)りて、フルヘッヘンドをなす」という訳注文だった。
つまりフルヘッヘンドとは、「うずたかく盛り上がった形」という意味であったのだ。
当時の人々が、外来の先端知識を身につけるのに、いかに苦労したのかを物語る逸話である。

三谷宏治さんが主張する「発想の考動力」とは、高速道路の運転テクニックではない。
「けものみち」に求められる、動物的な生存能力である。
そして、「フルヘッヘンド」のエピソードは、江戸の知識人達が、いかようにして「けものみち」を歩いたのかを教えてくれる。
「発想の考動力」の具体例に他ならない。

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健全なる懐疑精神を持とう 松尾貴史さん

「芸能人は“運”で生きている人種です」
「自分の人生が、努力や実力を越えた次元にある“運”で左右されることを受け入れている人間が入ってくる世界だから...」
芸能人にゲンを担ぐ人や霊感を信じる人が多い理由を、松尾さんは解説する。

もちろんゲン担ぎは、芸能人だけではない。
先日夕学の登壇した伊東乾先生によれば、人間の脳は、「理性」が「情動」に勝てないように出来ているらしい。
「情動」を支配する動物的な古い脳(大脳辺縁系)の方が、「理性」を司る人間的な新しい脳(大脳新皮質)よりも、ほんの少し早く反応するからだ。
古い脳の反応は、人間の心身状態をロックインし、理性的思考に縛りを掛けてくる。

信じたいものしか信じない。信じたくないものは信じない。
それが人間である。

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「笑いの効用」 伊東乾さん

伊東乾先生の講義は盛り沢山の内容で、正直な話、消化不良を起こしそうになった。そこで思い切って、「笑いの効用」に絞り込んで論をまとめてみたい。

「絶望の反対は、ユーモアだと思う」

希望学を提唱する東大の玄田有史先生は、かつて、宇多田ヒカルが語ったという言葉を紹介してくれた。
ユーモアがなくなった時、人間は絶望する。
どんな困難な状況、悲惨な境遇に陥っても、ユーモアさえあれば、希望に繋ぐことが出来る。
ユーモアには、そんな「力」がある。


「吉本の漫才を聴くと、血糖値が下がる」

遺伝子工学を専門とする村上和雄先生が、吉本興業の協力を得て実証研究をした科学的知見である。
二万個以上あるという人間の遺伝子のうち、23個の遺伝子が、お笑いを聴くことで活性化する。それが人体にプラスの影響を及ぼす。
お笑いには、そんな「力」がある。

伊東乾先生の「笑いの効用論」には、上記を一歩進めて、脳科学的な解説が加わる。

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「対話というデザイン」 平田オリザさん

昨春、慶應MCCの夕学プレミアムagoraで「平田オリザさんと創る【表現力を磨く演劇ワークショップ】」を開催した。
オリザさんは受講者に、A4一枚の短いシナリオを提示する。
汽車の中、4人掛けのボックス席に、AとB(友人らしき二人)が向かいあって座っている。二人は、とりとめのない低温の会話を交わしている。そこに見ず知らずのCが登場し、コンパートメントの空席に座っていいかを確かめるとことからシナリオははじまる。

C「あの、ここよろしいですか?」
B「あぁ、どうぞ、どうぞ」
C「すいません」(雑誌を広げて読み始める)
B「いえいえ...」

この後に、Aが「旅行ですか?」とCに問い掛けるところが、このシナリオのキーポイントだという。
見ず知らずの人に、何のとっかかりもない状態で話しかける。
オリザさんによれば、このセリフが日本人は、どうにも苦手だという。

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「一輪の花に本質を見いだす感性を」 莫邦冨さん

莫邦冨さんの熱い講演の翌日、よく知る夕学受講者の方からこんな主旨のメールが届いていた。

日本人が中国の実情にうといこと、また、偏った情報しか持たないことが、よく分かりました。 ちょっと厳しい言い方ですが、日本人は豊かになりすぎて情報感度が相当鈍っているんじゃないでしょうか。

私も、自省の思いを込めつつ、強く同感する。

国家経済が、10%近い成長を20年近く続ければ、社会がどれほど豊かになるか。
私たちは、身をもって体験してきたにもかかわらず、同じ旅程を少しばかり遅れて走り出した中国に対して、あまりに鈍感ではなかろうか。

成功を妬み、失敗を喜ぶ。したたかさに目を背け、つまずきにほくそ笑む。
屈折した感情から抜けきれず、客観的な見方を持てないでいる。
中国を見下していたい。そんな潜在意識がバイアスとなって、中国の問題点にばかり目が向いてしまう。
かつて(今も?)、欧米に「エコノミック・アニマル」と揶揄された日本が、同じような視線を中国に向けている。

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パトスの論理 村上憲郎

エグゼクティブを専門とするヘッドハンター達の間には、「外資系企業の日本法人トップ候補者」というリストがあるという。
およそ200名程度と言われるリストメンバーの中で、90年代~2000年代初頭にかけて、常に上位に名前があった人物が何人かいる。
例えば、前ライブドア社長の平松康三さん。アメックス、AOL、インテュイット等々のトップを歴任した。平松さんは、夕学にも登壇され、私は、その時の印象を「熱きストラテジスト」というタイトルでブログに書いた。

村上憲郎さんも、そのリスト上位者のひとりであった。DEC社を皮切りに、Docent社、Northern Telecom社の日本での経営を担ってきた。

平松さん、村上さん共に全共闘世代。学生時代は勉学よりも学生運動に熱中し、若くして挫折を経験した経歴も似ている。
平松さんは、「クビを宣告された日に泥棒に入られた」という貴重?な経験を講演の掴みネタにしているが、村上さんの人生も、そう大きくは違わないのではないか。
波瀾万丈の人生を、したたかに生き抜いた人である。

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「市場は創造するものである」  内田和成さん

内田和成先生には二種類の著作がある。
ひとつは、専門領域である「経営戦略」に関わる内容であり、仮にこれを「コンテンツ系」と呼ぼう。
いまひとつは、モノの見方・考え方・分析の仕方を紹介したもので、こちらは「思考系」と言える。
それぞれ、単独でも十分に面白いが、出来れば、両方の系統を並行して読まれたい。戦略コンサルタントの「頭の使い方」とその成果物として紡ぎだされた「アウトプットの独創性」の両方を見比べることが出来るからである。

今回の講演テーマ『異業種競争戦略』は、「コンテンツ系」の本だが、前回の夕学でお話いただいた『仮説思考』と今春刊行された『論点思考』という二つの「思考系」の本を踏まえて読むと、内田先生が、どういう思考回路を経て、「異業種競争戦略」という概念を構築したのかがよく理解できる。

さて、内田先生がいう「異業種競争戦略」の定義は次のようなものである

異業種競争とは
●異なる事業構造を持つ企業が
●異なるルールで
●同じ顧客ないし市場を
奪い合い競争である

内田先生は、銀行業界に起きている異業種競争の例を用いて説明をしてくれた。

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