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イノベーションは経済社会を変えること  武石彰さん

photo_instructor_599.jpg慶應MCCのagora講座で、ドラッカーシュンペーターの著作を読み込んだことがある。
二人とも、19世紀末のウイーンで生まれ、上流階級の父親同士が友人で、幼い頃から交流があったと言われている。
第一次世界大戦で故国(オーストリー・ハンガリー帝国)が消滅する悲劇を経て、米国に渡り学者として名をなした二人に共通するのが「イノベーション」という概念である。

「経済発展の原動力は、野心に富んだ企業家によって起こされるイノベーションである」
シュンペーターは、そう言った。(『経済発展の理論』)

「企業は社会の機関であり、その目的は顧客の創造である。そのために企業に必要な機能はイノベーションとマーケティングである」
ドラッカーはそう喝破した(『現代の経営』)

共通するのは、イノベーションは、社会を変えること。その担い手は企業家であること。ということであろう。

一方で、現代のイノベーション論議には、こんな意見が必ず出てくる。
「イノベーションの重要性はわかった。どうすればいいのかを教えてくれ」
「イノベーションを産み出す手法、マネジメント、組織の作り方、能力は何なのか」

ドラッカーや、シュンペーターが生きていれば、きっとこう答えるだろう。
「それを問う前に、お前は何のためにイノベーションを起こしたいのか」

残念ながら、両者の距離は随分と遠い。
武石先生の立ち位置は、両者の間を経営学の知見を使うことで埋めることかもしれない。

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真似の出来ない生き方をすれば、真似の出来ない会社が育つ  宗次徳二

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「CoCo壱番屋は、なぜ一人勝ちできるのか?」
外食産業の業界人、コンサルタントの間で、七不思議のひとつとして語られる疑問だという。
牛丼チェーンなら吉野屋・すき家・松屋。ラーメンチェーンは幸楽苑・リンガーハット・日高屋。開店すしチェーンだったら、かっぱ寿司・スシロ-・くら寿司などなど。
主な外食産業は、チェーン展開する大手が必ず複数あって、激烈な競争を繰り広げている。
その中にあって、カレー専門店チェーンは、CoCo壱番屋の店舗数約1300店が突出しており、調べた範囲では、それに続くのはゴーゴーカレー(知ってましたか?)の39店とのこと。
「柳の下にドジョウは三匹いる」と豪語した経営者を知っているが、通常なら、どこかが成功すれば(市場を拓いてくれれば)そこに参入するライバルが現れるものである。カレーのような国民食であればなおのことであろう。

宗次さんによれば、これまでに、上場している大手外食産業4~5社がカレー専門店に参入してきたというが、ひとつも成功していないという。
資金力、食材調達力、チェーンストアノウハウ、人材etc、外食チェーンを成功させるKFSと言われるものはいくつかあるが、CoCo壱番屋のコアコンピタンスは、そのどれでもないようだ。

CoCo壱番屋の強さの不思議を体現しているのが、創業者の宗次徳二氏であろう。とにかく異端の人である。

経営はすべて自己流。戦後の小売・サービス業の成功者達が、必ずといって参考にしてきた米国流のチュエーンストア理論を一切信じていない。
船井総研や、タナベ経営、日本リテイリングセンターといった、この業界に精通すると言われるコンサルティング会社の指導を仰いだことは一度もない。(呼ばれれば喜んで講演するそうですが)
全てが我流。それでいて会社は一貫して成長し続けてきた。

宗次氏の発言も、経営学でいう「よい会社」の理論をすべて否定するものである。
・明示的な経営理念や社是は掲げない。
・長期的な経営ビジョンは描かない、夢などいらない。
・先のことは考えない。いまだけを見る。
・ライバルのことは一切気にしない。
・価格競争は絶対にしない。
・お客様の声は謙虚に聞くが、値下げ要請は断固拒否する。

社長が誰よりも早く起きて、誰よりも多く仕事をして、贅沢はせず、遊びにも背を向け、会社や店の回りを一生懸命に掃除して、社会貢献に尽くし、仕事と会社に自らの全てを捧げる。引き際は潔く、子供を後継者になどしない。

それを何十年もやり続ければ、必ず成功する。ココイチが強い理由は、簡単なこと。他の会社では、社長がこれをやり続けることができないからだ。
講演の要旨は、そういうことであった。

一代で大企業を育て上げた創業経営者は何人もいる。
恵まれない環境で生まれ育った経験をバネに立派になった人も何人もいる。
365日、24時間仕事をすると豪語する社長も何人かはいる。

しかし、ここまで清々しく、真っ直ぐに、楽しそうに生きている経営者はいるだろうか。孤児院で育ち、養父にも恵まれなかった極貧の過去を、「実は、賢きところのご落胤かもしれないと思っているのです...」と笑いに変えるウィットもある。

経営者が真似の出来ない生き方をすれば、真似の出来ない会社が育つ。そういうことであろう。

「天賦の才」を支える「普通の人」感覚  吉田都さん

photo_instructor_594.jpgごくごく稀なことではあるが、スポーツや芸術の世界には「天賦の才」というものに恵まれた人がいる。
そういう人は、幼い頃から周囲が才能を賞賛し、大きな期待を寄せられて育つので、普通の人間が、大人に成長する過程の通過儀礼として経験する挫折や敗北を味わう機会が少ない。その結果、どこか傲慢であったり、てらいがあったりする。それが魅力のひとつとなり、オーラを作る。
イチローや中田英寿がそうであるし、古くは美空ひばりや棟方志功にも、そういう面があったと聞く。

吉田都さんのバレリーナキャリアだけを聞くと、そうなってもおかしくない人である。
9歳でバレエを始め、17歳の時のローザンヌ国際バレエコンクールでのローザンヌ賞受賞、英国バレエスクールへの留学、サドラーズ・ウェルズ・ロイヤルバレエ団への入団、わずか4年でプリンシパルに昇格、世界三大バレエ団のひとつ英国バレエ団への移籍。
いずれも、吉田さんの類まれな才能を見抜いた人達が、引き立て、背中を押してくれた道であった。
小さい頃から思い描いていた夢を叶えた、というよりは、大好きなバレエに打ち込んでいたら、自ずと道が拓かれてきた、という感覚のようだ。
まぎれもなく「天賦の才」に恵まれた人の人生である。

にもかかわらず、吉田都さんの「普通の人」感覚はどうであろう。
体格もけっして大きくはない。普段着を着て外を歩けば、すっと街に溶け込んでいくだろう。話し方もフラットで、「世界で戦ってきました!」という力みのようなものを感じさせない。
慣れない夕学の場を前に、緊張して、口数が少なくなる。終わるとホッとしたように笑顔が戻る。
どこまでも「普通な人」である。

きっと、その「普通の人」感覚が、吉田さんの「天賦の才」を花開かせた理由なのかもしれない。
普通の人と同じように緊張し、普通の人と同じように他者の声に耳を傾ける。自分の強みと弱みを冷静に分析して、足りない部分を謙虚に埋めようと努力する。
普通の人と同じようにホームシックにかかり、ファンの温かい声援を力に変えられる。
「普通の人」感覚があればこそ、世界の才能が集まる英国ロイヤルバレエ団で、10年以上に渡って、プリンシパルを務めることができたのではないか。
そんな気がしてならない。

いま、英国ロイヤルバレエ団には5人の日本人バレリーナがいるという。吉田さんがパイオニアとして切り拓いた道を受け継ぐ後輩達である。
日本のちょっとした街には、バレエ教室がある。公演を打てるバレエ団がこれほど多い国は珍しいという。世界中からバレエ団がやって来て、ファンの目も肥えている。

しかし、プロのバレリーナが、バレエだけに打ち込める環境にはなっていない。練習場、身体のメンテナンス、専門の医師etcさまざまなサポート体制を確保することは、吉田さんであっても苦労することが多いという。

バレリーナ人生の終幕を日本で迎えるために戻ってきた吉田さんの眼前に広がる光景は、必ずしもバラ色とは言えないようだ。
しかし、その困難を与件として受け止め、その中で何が出来るかを考えるという「普通の人」感覚が、吉田さんにはあるはずだ。

簡単にわかった気になってはいけない 川田順造さん

「ルビンの壺」と呼ばれる錯視図形がある。企業研修で、モノの見方・考え方の多様性を促す比喩として使われるので、ご存じの方も多いであろう。
ルビン~1.JPGのサムネール画像
「ルビンの壺」の原理は、地と図の転換である。
視点を地の部分(上記でいえば黒い部分)に置けば、向き合った人間の顔に見えるし、図の部分(白い部分)に視点を落とすと壺に見える。

「日本とはどういう国か、日本人とはどんな人間か」という問いもこれに近いもの、というより、「ルビンの壺」を二次元ではなく、三次元、四次元にまで複雑化したものと言えるかもしれない。
これが日本的と思っていることも、視点を変えて観察してみると、異なった絵姿に見えてくる。
「日本とはこういう国です」「日本人とはこういう人間です」
ということを簡単に言えるほど単純なものではない。
川田先生の話を聞いて、つくづくそう思った。
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日本のグローバル化は、その逆説的効果として、「自分達は何者か」を語ることを要請する。かつては、ひと握りの知識人に任せておけばよかった日本と日本人に関わる説明責任を、われわれ普通のビジネスパースンも担わねばならなくなった。その必然として、日本と日本人の深層に対する関心は高まっている。
そんな問題意識もあって、agoraではこんな講座も開催したほどだ。
『田口佳史さんに問う【東洋思想と日本文化】』

今回の夕学も、「人類学の知見から見た日本論」というビッグピクチャーを見せてくれるのではないかという素人発想の期待を持っていた。

そんな期待を見事に裏切ってくれた。
「簡単にわかったような気になってはいけない」
川田先生に、そうたしなめられたような気がする。

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マーケティングとはマッチングである  池尾恭一さん

photo_instructor_597.jpg随分と昔のこと、マーケティングの勉強を始めた頃に、コトラーのマーケティングの定義を丸暗記したことがある。

「マーケティングとは、顧客のニーズや欲求を満たすために、製品・サービスの交換と価値の創造を行うプロセスである...」

というような文言ではなかったか。
これみよがしに会議で話したところ、「要するにどういうことなん?」と突っ込まれて、しどろもどろになった記憶がある。

いまなら、もう少し上手に言うだろう。
「マーケティングはマッチングですよ」と。
顧客のニーズと製品の機能を結びつけ、価値を産み出すこと。それがマーケティングである。

かつて、マッチングはきわめて属人的な機能であった。
日本であれば、富山の薬売りに代表される回遊型商人であり、米国であれば、幌馬車で大陸を廻る隊商の人々がマッチングを担っていたと言える。
どこそこの地域の人々は何を望むのか、どこそこにはどんな名産や技術があるか、両者を的確に把握し、マッチングすることで商売が成り立った。

マッチングの役割は、やがて問屋へと移り、工業化とともにメーカー主導型の販売代理店がその機能を引き継ぎ、いまは顧客に寄り添う購買代理業的な存在がメインプレイヤーになっている。
本質が「マッチング」であることは変わらない。

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変化は、終わったのではなく、渦中である  夏野剛さん

photo_instructor_596.jpg夏野剛さんが、夕学に登壇されるのは3年振り(2008年10月以来)である。
2008年10月というのは、夏野さんがNTTドコモを退社して4ヶ月、iPhone3Gが日本で発売されて3ヶ月というタイミングであった。

当時、「ガラケー」という言葉が盛んに喧伝されていた。
日本という特殊な環境に適応すべく、高度に進化してしまったばかりに、世界のマーケットニーズに適合しない。日本企業の視野狭窄性、閉鎖性を象徴するビジネスモデルとして、「ケータイ」の将来性には疑問符がつけられていた。
iモードを世に送り出し ガラケー化の先鞭をつけたと言われた夏野さんには、過ごし心地のよい時期ではなかったのかもしれない。
あの時の夏野さんには、表層的な事象をみて、後付けの理屈を使って、もっともらしく「ケータイ」を論じる世の中の風潮にモノ申したいといういらだちがあったように思う。

「ケータイに出来ることはまだまだたくさんある」
Iモードが出来てまだ10年しか経っていない。IT革命の恩恵は、大企業を中心としたビジネス界とネットを所与に成長してきた若者層にすこし広がっただけ。まだまだ未開拓領域が圧倒的に大きい。「ケータイの未来」は無限に近い。
それが3年前の夏野さんのメッセージであった。

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森は、いのちの生産工場である  宮脇昭さん

photo_instructor_592.jpg宮脇昭氏 83歳、世界各地で植樹を推進する現場主義の植物生態学者である。

「木を三本植えれば、"森"に、五本植えれば"森林"になります。まずは出来ることからはじめましょう。あなたの家族、あなたの子孫のため。いのちの森を育てましょう」

小さな身体から、湧くが如くに迸りでる言葉にはとにかく説得力がある。
そうやって、賛同者を募り、国や企業を説得し、国内外1700カ所以上で植樹指導をしてきた。植えた樹木は4000万本を越えるという。

宮脇方式はシンプルな原理である。
「潜在自生植生」にこだわる
「鎮守の森」等、僅かに残る痕跡を探り、その土地に本来生えていた自然の樹木を見つけ出す。その樹木のドングリを拾い集め、発芽させて小さな「ポット苗」を作る。しかも一種ではない、複数種の「ポット苗」を作り混植して、競わせる。

深く根が張る土壌づくり
植えるべき場所の土を掘り返し、ガレキと混ぜて、ホッコリとしたマウントをつくる。これにより根は隙間を探して深く伸び、呼吸がしやすくなる。

森の当事者と一緒に植える
実際に植えるのは、森の当事者でなければならない。社長や行政のトップが、「ポット苗」を持ち、子供達や市民・社員と、人が足りなければ宮脇先生が組織するボランティアと一緒に植える。これによって「自分たちの森」になる。

わずか30センチほどの苗木が、2~3年で人の背丈ほど、10年もあれば十数メートルの森に育つ。その間、ほとんど手入れを必要としないという。

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歌人が語る歌人の妻 永田和宏さん

photo_instructor_595.jpg「二足の草鞋」、しかも、いずれも、とびっきりの「金草鞋」をはく心境は、一足の草鞋も満足にはけない我々凡人には想像しにくいことである。
古くは、森鴎外(陸軍軍医総監と小説家)、少し前までなら堤清二(経営者と小説家)、今なら石原慎太郎(政治家と小説家)が二足の草鞋の先達であろう。

前三人ほどの派手さをないものの、細胞生物学者と歌人という二つの金草鞋をはいてきた永田先生の40年は、凡人には分からない葛藤を抱えるものだったという。
同僚やライバルからの冷たい視線、自分自身のうしろめたさとの戦いであった。

それでも短歌と科学の両方の道を歩んできたのは、二つの道を歩くことで、一方の道を行く自分を相対化できたからだと、永田先生は言う。
ひとつの道で立ちすくんでいても、もうひとつの道では前に進んでいる。落ち込んではいられない道がもうひとつあり。
それが、永田先生の力になってきた

いまひとつの理由は、昨年夏に亡くなられた妻、河野裕子さんの存在であろう。(ちなみに永田先生は講演中に、妻は、とは言わずに「河野」と呼ぶ。ここでも相対化が出来ている)
永田先生にとって河野裕子さんは、恋人、妻、歌のパートナー、ライバル等々多義的な意味を持つかけがえのない存在であった。

ふたりが終生にわたって交わした相聞歌は、互いに500首近くに及ぶという。

きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり

(永田和宏)

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
(河野裕子)

世の中を見る際の座標軸として、夫(永田さん)に全幅の信頼を寄せつつ、現代短歌の旗手として夫よりも早くに世に出た妻(裕子さん)を、永田さんは慈しみ、歌人として、目標にして生きていた。

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哲学の遠望鏡で現代を見る  竹田青嗣さん

photo_instructor_591.jpgこの仕事をやっていると、「これは秀逸だなぁ」と感心する講演タイトルに出会うことがある。
今回の「哲学の遠望鏡で現代を見る」というタイトルはその典型と言えよう。
現代とはどういう時代なのか、哲学という思考ツールを使って考えてみよう。それが今回のテーマであった。

竹田先生がこのタイトルを付けた理由のひとつには、近代哲学と近代社会の関係性があるようだ。

「近代哲学が近代社会のブループリント(青写真)を描いた」

竹田先生は、そう言う。
近代を語る代名詞としてあげられる「資本主義」「民主主義」「自然科学」は、いずれも近代哲学から生まれ落ちた。デカルト、ホッブス、ルソー、カント、ヘーゲル等がいなければ存在しなかったかもしれない。

しかして視線を現代に転じた時、現代社会の基底となる「哲学」はあるだろうか。
脱近代が叫ばれて久しいにもかかわらず、そこにはブループリントと呼べるものがない。
講演タイトルは、いまこそ、現代社会のブループリントたりうる「哲学」が必要だ、という竹田先生の問題意識の裏返しである。

竹田さんの考える「哲学」とは、絶対真理・究極原因の探求ではない社会の「共通理解」を創出するための思考の「原理」である
絶対真理は、宗教教典のごとくにアンタッチャブルな存在だが、「原理」は、時代に合わせて絶えず前に進むべきものだ。スパイラルに進化するものである。
「哲学」とは、オープンな議論のテーブルで揉まれて、民族・文化の枠を越え、その時代の世界を説明する言語ゲームである。

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アリが教えてくれるもの   長谷川英祐さん

photo_instructor_590.jpg遺伝子工学がもたらした成果のひとつは、「地球上のあらゆる生命体は、共通の祖先を持つ(起源はひとつ)」という事実を明らかにしたことにある。

DNAの暗号解読研究によって、目に見えない微生物も、大海原を泳ぐクジラも、大腸菌もヒトも、まったく同じ遺伝子暗号を使っていることが分かった。
地球上のあらゆる生命体は、同じ生命から枝分かれしていった。38億年前の生命誕生時に遡れば、同じ親を持つ兄弟である。

それを本能的に知っていたのか否か、人類は有史以来、他の生命体の形態や振舞いから多くのことを学んできた。
武術家は動物の動きから新たな技を考案し(ツバメ返し)、発明家は熱帯の植物の形状にヒントを得てグライダーを作った。災害ロボットのメカニズムは、へびの動きを参考にしていると言われる。

アリ、ハチといった集団(コロニー)を作って生きている社会性昆虫の生態を研究している長谷川先生の話を聞くと、アリの生態を知ることも、人間社会にとって、実に示唆的だということがわかる。

例えば長谷川先生はこのように言う。

個体の利益を最大化できない集団(コロニー)は滅びる。

アリに限らず、およそすべての生命進化の大原則は、「生き物は、個体の利益を最大化する」ことにある。
アリやハチも、他者のために、自分が犠牲になることはない。
巣を襲う外敵に立ち向かう無数の働きハチの映像は、一見すると、他者のため我が身を犠牲にしているかのように見えるけれども、実は、彼らは自分のために戦っている。
「自分たちの遺伝子を後世に残す」という利己的な本能に忠実なだけなのだ。

ハチの集団(コロニー)は、親である一匹の女王とその子供である多くの働きバチたちで形成されている。彼らは、ハチという種を守っているのではない。自分たちと同じ遺伝子を持つ家族を守ることで、自分たちの遺伝子をより多く、効率的に残そうとしているのである。
利他的行動と利己的本能が一致することで、アリの集団は維持されている。

彼らは、人間のように、歴史や文化といった抽象概念を共有する組織(国家や会社)のために身を犠牲にすることはない。人間が作りだした美しき倫理は、生命の原則には一致しない。

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「制約」の上手な使い方  本田直之さん

photo_instructor_589.jpg私は、書店で過ごす時間が長い。丸善丸の内店には、週に2~3度は立ち寄り、時間があれば2時間近くいることもある。
当然ながら、この数年、書店での本田直之著作本の存在感には気づいていた。「レバレッジシリーズ」は次々と刊行され、どれもよく売れているようだ。

しかし、本を手に取ることはあっても、買うことはなかった。
「できるだけ少ない労力で、より多くのリターンを得よう」というレバレッジの考え方には違和感があった。
私は、「投じたエネルギー量の多さが達成感に比例する」という古いタイプの考え方を持つ人間である。(むしろ、本田さんの奥さんの価値観に近いかもしれない)

今回は、「是非、呼んで欲しい」という元スタッフの熱望もあって、違和感の正体を確かめるのもよいかもしれないと思った次第である。

一年間のうち、6ヶ月をハワイで、4ヶ月を東京で、2ヶ月は世界を廻って過ごすという本田さんのライフスタイルは、多くの人が思い描く夢の体現者である。
そのライフスタイルをつかみ取るために本田さんがこだわったのは「制約にしばられない」ことだったという。
 「時間」「場所」「人」「お金」「働き方」「服装」「思考」
私たちの仕事、生活、モノの見方・考え方をしばる、さまざまな「制約」を取っ払う生き方である。

では、どうすれば「制約」から逃れられるのか。
「考え方」「スキル」「実践方法」の3つの切り口で提示してくれた、本田さんの体験的方法論が、講演のキモに当たる部分であった。

最初は中国古典の「荘子」によく似ているな、と思った。
「多くのものにとらわれて、不自由に生きている自分を発見せよ」
「不自由を脱ぎ去ることをせよ」
「こだわりを捨て、かみしもを外せ」
それが「荘子」のメッセージである。

本田さんの口からも、「捨てる」「減らす」「止める」「使わない」「持たない」「残さない」といったキーワードが次々と出て来た。

でも少し違う。
本田さんは、絶対自由の境地を求め、隠遁的な「無」を生きようとはしていない。
アイアンレースはやるし、ワインも大好き、ペンには凝るし、ファッションにもこだわりがありそうだ。
断じて「無」ではない。

荘子は、全ての「制約」から自由になることを希求したが、本田さんは違う。
実は「制約」を上手に使っているのではないか。
複業を持つという「制約」、留学時代に1日2.5ドルで生活しようと決めた「制約」、タイムマネジメントという「制約」etc。
本田さんの人生や生活には、自分をドリブンするための「制約」がいくつも埋め込まれているようだ。

本田さんが捨てたのは、他者が決めた「制約」、自分にはストレスになる「制約」である。そして、それらを捨てた代わりに、自分で決めた「制約」、自分にとって意味のある「制約」を取り入れている。
「制約」に動かされるのではなく、「制約」を使って自分を動かしている。
本田さんにとって、重要なのは、「制約」を自分で決めること、自分で使うことではないだろうか。

そう考えると、本田さんの生き方は、エドワード・L・デシが説いた「内発的動機づけ」の理論にピッタリと一致する。
何事も自分で決めるという感覚(自己決定感)
こうすれば上手くやれるという感覚(有能感)
「内発的動機づけ」に必要なのは、この二つの感覚を得られるかどうかだとデシは言う。
本田さんの生き方は、まさにこれである。

違和感の正体を確かめようと聞き始めた話であったが、いまは、違和感が随分と的外れであったなぁと反省している。


この講演に寄せられた「明日への一言」はこちらです。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/12月8日-本田-直之/

「結び」に込められた持論  佐山展生さん

photo_instructor_600.jpgのサムネール画像佐山展生氏に初めてお会いしたのは、2003年の秋頃と記憶している。MCCで『実践M&A』というプログラムを共催しているMIDCの酒井雷太氏が、講師の一人として紹介推薦していくれた。

当時、佐山さんは、ユニゾン・キャピタル代表として、勃興期にあった日本のM&A業界でも注目される存在であった。バイアウトファンドという新しい投資形態を日本に持ち込み、東ハトやアスキー等への投資とEXITが成功したことで話題になっていた。
2004年秋には、夕学にも登壇していただき、「M&Aと企業再生」という演題で講演をしていただいた。

佐山さんは、その後M&Aアドバイザリーという、これまた日本では聞き慣れない業務に特化したGCAを立ち上げた。
阪急・阪神買収騒動では、阪急・阪神側のアドバイザーとして、あの村上世彰氏と真っ向対峙した。 ワールドのアドバイザーとして、非上場化という斬新な企業再建策を成功させた。 ほどなくして一躍、時の人となり、テレビ等でお顔を拝見するようになった。

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「顔の見える人」が担うエネルギーシフト 飯田哲也さん

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「起きて困ることは起きない」
「起きないと信じよう」
「起きないことにしよう」

昭和史研究で知られる作家の半藤一利氏は、近代日本のエリート層が陥る通癖的思考をこのように表現する。
自分達にとって都合の悪い危機から目をそらして、いたずらに時間を消費し、発生した時には手遅れになる。最後のつけは、立場の弱い人々(国民)が一身に背負う。

ペリー来航を予見していながら手を打っていなかった江戸幕府の幕閣。勝てないと知りながら泥沼の戦争にのめり込んでいった陸海軍の高級参謀。皆同じ陥穽に嵌っていたという。

飯田哲也氏の話を聴くと、いわゆる「原子力ムラ」の住人達も同じ思考に陥っていたことがわかる。はからずも、それが露呈したのが3.11であった。

飯田氏は、官邸の災害対策本部が、地震発生当日の夜に発表した資料を示した。

【東京電力((株))福島第一原発 緊急対策室情報】2011/3/11 22:35
○2号機のTAF(有効燃料頂部)到達予想、21時40分頃と評価。
炉心損傷開始予想:22時20分頃
RPV(原子炉圧力容器)損傷予想:23時40頃
○1号機は評価中 
  
※現物はこちら

京大大学院の原子核工学専攻を出て、自らも「原子力ムラ」の一員として仕事をした経験を持つ飯田氏は、これを見て「とんでもないこと(メルトダウン)が起きた」と即応した。原子力のプロなら皆同じ危機感を持ったはずだと、飯田氏は言う。

ところが、原子力安全委員会の斑目委員長を筆頭に「原子力ムラ」の指導者達が見せた脊髄反射的な反応は、冒頭の通癖そのままであった。

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文楽は「摺り合わせ型」芸術  豊竹咲大夫さん

photo_instructor_587.jpg10数年前、ある方に連れられて国立劇場で初めて歌舞伎を見た。演目は忘れたが、中村福助・橋之助が兄弟競演をしていたと思う。

「橋之助は、華(花)があるね!」

案内してくれた人がそう話すのを聞いて、なるほど、これが歌舞伎の見方なのか、と妙に納得した記憶がある。
歌舞伎に限らず、芸能一般において、演者の秀逸さを評する際に用いる「華(花)がある」という表現は、世阿弥に始まるという。
世阿弥がはじめて、芸能における「花」という概念を創出した。

「花」という概念を端的に言うと、「観客の心を掴むこと」だとされる。
世阿弥は、芸能の本質は、観客の心を掴むことによって成し遂げられることを喝破した。

「ウンッワハッ、ウンワハッ」という時代者の笑い方をひとつで、観客の心を掴んでしまった豊竹咲大夫師匠には、間違いなく「花」があった。

『花伝書』を読むと、世阿弥が、「花」はひとつではないと考えていたことが分かる。
春の桜のごとくに季節の盛りの花(時分の花)もあれば、円熟を迎えた花(まことの花)もある。何もしないのに存在感を感じさせる枯れた花(老年の花)もある。

文楽を知らない私が、咲大夫師匠はどの花かを評する能力はないが、お話から推察すれば「まことの花」の頂点にあって、来るべき「老年の花」を見据えている、といったところだろうか。
22才の時に初演をした「日向嶋」を、ずっと演じ続け、昨年になってはじめて「やれた」という感覚を掴んだという。40年かけてやっと熟成する。しかもわずかな期間にだけ花が咲くという無常観が、日本の伝統文化「文楽」の魅力かもしれない。

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「安心」と「リスク」の是と非  村上陽一郎さん

photo_instructor_586.jpg村上先生によれば、「科学技術の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図る」ことを目的に作成された「科学技術基本計画」(第二期2001年制定)には、次のようなスローガンが掲げられていたという。

「(科学技術の振興によって)安全で安心した社会を創出する...」

ここに象徴されるように「安全」と「安心」とはセットで語るべき言葉だというのが私たちの通念といってよいであろう。
論理的にいえば、「安全が保証されて、安心が生まれ、それが継続して信頼が得られる」
それが、科学技術と「安全」「安心」を巡る社会的認知の理想的な展開である。
しかし、実際はそうならない。それはなぜか。
村上先生の話は、そこから始まった。

「安心」に相当する英語は見当たらないのだという。
私たちは、「安心」を「気にかけないで済むこと」と理解し、よいイメージを持っている。前述のように究極の実現目標にもなり得る。

ところが西洋では違う
村上先生によれば、「気にかけないで済むこと」というのは、Securityという言葉の原義に近いという。(ラテン語でsed=without=それなしで、 cure=concern=気にかける)

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音楽が好きで、好きで仕方ない ピーター・バラカンさん

photo_instructor_585.jpg人間は、個人的体験や出来事についての記憶を、脳内の長期記憶貯蔵庫に、ほぼ無制限に保管することができる。
ただし、脳内倉庫の奥にしまい込まれた、記憶箱の中身を探し出すには、中身を示す「ラベル」が必要になる。
人間は、洋の東西を問わず、歌や音楽をその「ラベル」に使ってきた。
ほこりだらけの箱に何が入っているのか、歌や音楽という「ラベル」によって識別できることを本能的に気づいたのかもしれない。
ある音楽を聴くことで、脳の奥底に眠っていた懐かしい記憶を鮮やかに思い出すことができる理由は、そういうメカニズムである。

歌や音楽は、人生物語のインデックスになる。
多くの人は、歌や音楽を手がかりに、個人的体験や出来事を想い起こし、その時の喜びや痛みを再現することができる。

ピーター・バラカンさんの場合、音楽は記憶ラベルであると同時に、それ以上の意味もあったようだ。家族の思い出、時代の象徴、仕事そのもの、として記憶に入り込み、好きな音楽を話すことが、自身のライフバリューを語ることに等しくなる。
そんな音楽漬けの人生がよくわかる二時間であった。

音楽の原体験は、ラジオから流れてきた子供向けのノベルティソングだった。
Charlie Brown /The Coasters
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11才の時に聴いたビートルズの衝撃はいまも忘れない。
Twist and shout /The Beatles
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宇宙研究の最前線  村山斉さん

photo_instructor_584.jpg村山斉先生が機構長を務める「東大数物連携宇宙研究機構」は、「数学と物理が連携して宇宙を研究する」ことを目的として設立された。
近代科学を代表する思考ツールの熟達者が解明しようとする宇宙の謎は、実に素朴なものである。

・宇宙はどうやってはじまったのか
・宇宙に終わりはあるのか
・宇宙は何でできているのか
・宇宙のしくみは何か
・宇宙にどうして我々がいるのか。

一神教が「神が万物を創造した」というテーゼを提示して以来、人類は、「神の意図」「神の設計図」を、なんとか知りたいと考えてきた。その情熱が、ギリシャ哲学を再発見し、近代科学を産みだした。
その先端、いわば人類4千年の知的営みの最前線を担うのが、数物連携宇宙研究であろうか。

それにしても、宇宙は広い。
「光の速さ」という人間が認知できる最も早いスケールをあてはめてみると、そのとてつもない広さがわかる。
光の速さで、月までの距離は1.3秒、太陽までは8.3分、海王星まで4時間、太陽系の外で一番近い星まで4.2年、銀河系の中心まで28,000年、すぐ隣の銀河、アンドロメダまで250万年、宇宙の果てまでは137億年。
上記の問いが、如何に壮大(途方もない)難題なのか、直観的に理解できる。

しかし、近年の宇宙研究で分かってきたことも多いという。
ひとつは「暗黒物質」
宇宙全体の23%を占めながら、その姿を捉えられないできた謎の存在が、おぼろげながらも、輪郭を現そうとしている。
すばる望遠鏡を用いた観測技術とエックス線を使った撮影技術の組み合わせにより、目には見えない「暗黒物質」の可視化に成功したのだ。
村山先生が紹介してくれた「暗黒物質」の姿は、薄ぼんやりとしたモヤのように見える。「暗黒物質」は、宇宙に一様にあるのではなく、まばらに広がりながら偏在し、多くの銀河団に重力エネルギーを及ぼしていると想定されている。

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芸術とは人間そのものである  千住博さん

photo_instructor_583.jpg「私は芸術について、こう思っています」「皆さんはどうですか?」

千住博さんは、二時間の講演を通して、何度もこのフレーズを繰り返した。やがて私たちは、この問い掛けが、本講演の主題「芸術的発想「「美的発想」そのものであることに気づいていった。
千住さんは、講演という行為を通して「芸術的発想「「美的発想」を、目に見える形で実践してくれたのではないかと思う。
それは、グローバリズムが席巻しつつある世界に向けた文明論であり、哲学の提示でもあったのではないだろうか。

「芸術とは何か」 この命題に対して、千住さんは和風洋食(例えば納豆パスタやカツカレー)を喩えに、分かり易く解説する。

「芸術とは、ある枠組み(制約)の中で、まったく異なるものが調和を奏でることである」

異質なものが個々の存在感をしっかりと主張しつつも、ある枠組み(制約)を受け入れることで、全体の調和を創造する。この意味で、納豆パスタやカツカレーと、オーケストラや絵画は、同じ構造と言える。

では、「芸術的な発想」とはどういうことだろうか。
千住さんは、「仲良くやる知恵」を発揮することだと言い切る。
伝えにくいこと、伝わりにくいことを伝えようという努力。しかも不特定多数の人々に向けて表現しようという工夫。
いわば、自分のイマジネーションをコミュニケーションしようとする思いの強さが、「芸術的な発想」ということである。

「私は芸術について、こう思っています」「皆さんはどうですか?」
このやりとりが、「芸術的な発想」が具現化された姿なのだ。

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日本海の架け橋  加藤嘉一さん

photo_instructor_582.jpg 中国というのは、「1+1=2」にならない国です。

新進気鋭の中国ウォチャーである加藤嘉一氏が、「中国ってどんな国ですか?」と問われた時に、決まって答える言い方である。

常識が通用しない。コロコロと方針が変わる。すぐに裏をかいてくる、網の目をくぐることに頓着しない。言うこととやることが違う。
巷間、中国の異質性について語られる逸話をあげたら枚挙にいとまがない。
しかし、中国人にとっては、いずれも合理性のある行動なのだろう。そうすることで社会の秩序が維持されてきた面もある。

平田オリザさん流に言えば「コンテキストのズレ」という現象なのかもしれない。「国柄や地域・文化によって異なる個性」に過ぎない。
そのズレ方が、少しばかり豪快であり、国土も人口もケタ違いだから目立つだけなのだ。

考えてみれば、日本が世界との「コンテキストのズレ」に悩んだ時代もあった。
幕末から明治の半世紀は、まさにそういう時代であった。
当時、世界の人々が、日本と世界のズレを嘲笑的に観察していた様子は、英国人画家チャールズ・ワーグマンの「ジャパン・パンチ」という風刺漫画に残されている。
日本の近代史は、近代思想・制度を必死になって導入することで西洋列強との「ズレ」を解消しようとした歴史であったとも言える。

近代思想・制度の導入が、国家的な「ズレ」の解消努力であったとすれば、別のアプローチで汗をかいた人々もいた。
「ズレ」は個性であって「遅れ」ではないこと、日本の個性の中に、西洋人が共鳴できる崇高な知性や倫理があること、を主張した知識人・言論人の存在である。

内村鑑三新渡戸稲造岡倉天心の三人は、その代表であろう。
彼らに共通するのは、青春時代に優れた外国人の影響を受けたことと、海外で暮らした経験である。海外に触れることで、自分(日本)と世界を相対化し、第三者(西洋)が見た日本を強く意識した点にある。
やがて、彼らは壮年期になって、相次いで「英語での日本論」を発表する。
内村は『Representative Men of Japan(代表的日本人)』を、新渡戸は『The Soul of Japan(武士道)』を、岡倉は『THE BOOK OF TEA(茶の本)』をそれぞれ書いている。
いわば、日本人論、日本精神論、日本文化論といったところであろう。

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「感じる」「創る」「動かす」 前刀禎明さん

photo_instructor_581.jpgiPod miniの仕掛け人として、日本でのAppleブランド復活を成功させた前刀禎明さん。

昨夜、前刀さんの具沢山てんこ盛り丼のような夕学を終えて、東京駅のホーム階段を昇っていた時、NTTドコモGALAXYタブレットの広告ポスターが目に飛び込んできた。
失礼ながら、そのキャッチコピーに、思わず苦笑いしてしまった。

「軽く、薄く、そして速く!!」

同時に、講演の中で紹介されたニュース映像が想起した。
2004年、iPod miniの発売当日の朝、銀座のアップルストアに向かおうとする前刀さんを追いかけた映像である。前刀さんの肩越しに見えるビルに掲げられた大きな街頭看板は、iPod対抗として発売されたばかりのソニーのネット対応型のMDウオークマンの広告であった。

「13000曲が入る!!」

微かに見えたキャッチコピーには、それに近い表現が謳われていた。
小型化したために、1000曲程度しか収容できなかったiPod miniとの機能面での差別化を狙った訴求であることは明らかであった。

ドコモGALAXYタブレットの広告に関していえば、日本企業の戦い方は、7年前とまったく変わっていない。
いつの時代も、勝負を掛けるのは「機能の優位性」である。

前刀さんの講演で、改めて再認識できたように、iPod mini発売にあたって、Appleの戦略は、「土俵を変えること」であった。

「Good bye MD」

MD全盛だった、日本の携帯メディアプレイヤー市場に参入するにあたって、Appleは、既存市場を否定するメッセージを発信することから始めた。
iPod miniは、五色展開のカラーバリエーションを武器に、ファッションアイテムとして売り出した。Appleが注力したのは、機能ではなく、「感性の訴求」であった。
この戦略に、日本人はまんまと乗せられてしまったわけだ。

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「協働のイノベーションを」 金子郁容さん

1995年は、「ボランティア元年」と呼ばれている。
キリスト教文化がない日本には、ボランティアは根付かないと言われていたにもかかわらず、阪神淡路大震災には、130万人以上のボランティアが全国から集まり、被災者の救援と復興に尽力し、大きな成果があがったからである。

「人の役に立つことは、人間の喜びにつながる」
このシンプルな原理に多くの人が気づいたからだ。

震災の3年前に、『ボランティア』という本を著し、日本のボランティア運動に最初の指針を示したと言われる金子郁容先生はそう振り返る。

2011年、「ボランティアは当たり前」になった。
東北大震災の際に、避難所の人々と支援やケア、子供達の世話、ガレキ処理等々の実働部隊として、まず期待されたのは、ボランティアであったし、期待通りの働きをしたという。
いまや、ボランティアは、公共サービスの担い手として、欠かせない存在になった。

この流れを受けて、民主党政権発足と共にスタートしたのが「新しい公共」構想であった。
「官が担う公」の時代から、「民も参画する公」の社会へ。
金子先生が座長を務めた一連の活動は、稚拙な政治に翻弄され、傷だらけになりはしたが、その理念と方向性は、間違いなく正しいものだった。

目立つことは少なかったが、成果も上げることができたという。
例えば
寄付の税額控除制度
NPOの仮認定制度

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安房は亀田が変える。安房から日本を変える。  亀田信介さん

photo_instructor_580.jpg先が見えない混迷の時代に求められる戦略は、「イノベーション=新しい組み合わせ」である。
10/6の夕学に登壇された石倉洋子先生の論を借りるとそうなるが、ノンプロフィット組織(行政体、学校、病院等)にイノベーションを起こすには、これまで縁の薄かった経営学の知見を活かすことだと言われている。
残念ながら、行政体や学校では、近代経営メソッドによる成功例を聞いた例がないが、病院経営には成功がある。その代表が千葉鴨川の亀田病院グループ(亀田メディカルセンター)である。

亀田信介院長は、江戸時代から続く医者の家系の11代目として、亀田病院の改革を担ってきた人物である。

ノンプロフィット組織の問題は、「ガバナンスとマネジメント」である。
亀田さんは、そう喝破した。
併せて、①ミッション・バリューの共有化、②CS経営という処方箋も一緒に提示してくれた。

亀田グループでは、医療サービスの役割を「社会インフラサービス」だと謳っている。治療や健康の維持は手段であって、医療の目的は、社会をよりよくすることだと考えている。その視野の広さが、後述する大きな構想力につながっている。

また、CS経営で重要なのは、全体ではなく個を見ること、そして顧客に向き合うスタッフへのサービスも一緒に考えること(ES)である。亀田病院はこの両方が出来ている。

亀田病院では「Team STEPPS」というシステムを採用しているという。医療におけるチームパフォーマンスを向上するためのマネジメントメソッドである。
詳細の説明は省くが、このチームの中には患者や家族・友人(人によってペットも)含まれる。

日本の病院の先駆けとしてカルテの電子化を導入したのも、患者さんがチームに参加してもらうのに情報共有が必須だったからだ。
家族サポーターの参画を得るには、時間の制限がない方がよいに決まっている。だから24時間面会可能な病棟を作った。
ペットを家族同等に大切にしている患者さんのために、ペットラウンジも設けた。
霊安室は、景観のよい最上階に設置し、隣室には湯灌のプロが常駐し、最後の見送りに備えている。

こうした経営革新もあって、亀田病院は、いまや私立の一般病院としては、日本最大の規模と人員を誇るまでになった。

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「もうひとつの絆」 山折哲雄さん

photo_instructor_579.jpg山折先生が、震災後の東北を始めて訪れたのは4月中旬のことだったいう。3日間かけて、松島から気仙沼まで、甚大な被害を受けた沿岸の町々を北上した。そこに広がっていたのは、賽の河原かと見紛うほどの、荒涼とした光景だった。

しかし、顔を上げると、澄み切った春の青空が目に飛び込でくる。一瞬だけ眼前の現実を忘れてしまうほどの美しさであったという。

大自然の持つ「凶暴さ」と「美しさ」。 太古から、人間は自然の二面性を受け入れ、両方と付き合い続けている。だからこそ、自然に「希望」を見いだすことができる。
山折先生は、このことを改めて認識したという。

津波に襲われた沿岸部では、亡骸を葬る場所もなく、至る所に簡易の集合墓が造られ、土葬で見送られたご遺体が、盛土に立札だけで弔われていた。

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍 ....

山折先生は、その光景を見て、万葉集に収められた大伴家持の歌を思い浮かべたという。
ここで歌われる「屍」とは、物理的存在ではない。亡骸から離れ、自然に還ろう(溶け込もう)とする「魂」を意味する。
生のすぐ隣に死があった時代の「鎮魂のうた」だという。

私も始めて知ったが、万葉集の半数近くは「挽歌」であるという。
しかも、詠われる死者のほとんどが、今でいう異常死である。災害、行き倒れ、刑罰等々非業の死を遂げた人々の魂をどう鎮めるか。万葉の昔は、それが多くの人に共有された精神的な課題であった。
死とは今よりももっと身近なもの、常に生の隣にあって、どう付き合うべきかを考えねばならぬもの。ここにも自然の二面性が垣間見える。


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「自分のことは自分で決める」 工藤公康さん

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「自分は引退したわけではない。どの球団にも所属していないだけで、現役の野球選手である。従って、元○○球団選手ではなく"野球浪人"である。」

工藤選手に、夕学でご紹介する際の肩書きをお尋ねした際の返答である。

確かに一年前、戦力外であることを通告された。しかし、それはいまの日本のプロ野球界の見方であって、正しいとは限らない。自分の限界を他者に決めてもらいたくはない。
そんな反骨精神が伝わってくる発言と言えるだろう。

ただし、工藤さんのこだわりは、反骨のための反骨、意地のための意地ではないようだ。

「自分のことは自分が一番分かる 自分のことは自分で決める」
30年近いプロ人生を貫いてきた、「自律の精神」に従ったものに違いない。
だから明るく、自信たっぷりに"野球浪人"を自称できる。


(肩を)開くな! (ヒジを)下げるな! (からだを)残せ! (前に)突っ込むな!

野球ファンならずとも一度は聞いたことがある指導法である。速いタマを投げるために、そして肩を壊さないために有効な合理的な指導ポイントであることは確かなようだ。

ところが工藤さんによれば、プロ野球の投手コーチで、「それは(具体的に)どういうことか」という問いに対して答えられる人は皆無だという。
「肩が開く」ということは、身体のどの筋肉や関節がどのように動いていることなのか、どのコーチも説明することはない。
ただ、開くな! 下げるな! 残せ! 突っ込むな!を繰り返すだけだという。

工藤さんは、若い頃から、これが我慢できなかったようだ。

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「戦略とキャリアのシフト論」 石倉洋子先生

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「きょう、このタイミングで、この話題に触れないわけにはいきませんね」

石倉洋子先生は、まずスティーブ・ジョブスの話から始めた。
彼の人生年表を見て、誰もが気づくことは、ジョブスの56年の生涯は「戦略とキャリアをシフトする」人生であったということだろう。
アップルを創設し、内紛で放逸され、再び復帰した。
PC、携帯音楽プレイヤー、携帯電話、タブロイド端末...いずれもそれまでの概念を大きく変える商品を作り出した。
ジョブスが創造した商品とともに、アップルという会社の戦略も変わってきた。
石倉先生の「戦略とキャリアのシフト論」のイメージを伝えるに相応しい人物だったのかもしれない。

さて、本題。
石倉先生のグローバル時代認識は、「不安定」「不確定」な世界であるということである。中心なき世界では、権力の逆転や秩序の大転換があっという間に起きる。人もお金も情報もオープンに世界を動き回る。

人類の歴史を振り返れば、混乱の時代、乱世は何度かあった。
しかし、混乱はやがて安定し、乱世は統一に向かうのが歴史の必然でもあった。
ところが、今回はそれがあてはまらないようだ。「不安定」「不確定」は当分の間続く、それが多くの人の一致した見解であるという。
「何が起きるか、先はどうなるのかは誰も分からない」
この認識が当たり前になることを受け入れなければならない。

先の見えない混迷な時代に、明日に向かって生きる希望はあるのだろうか。
石倉先生は、「毎日が戦いの場である」と言った。
茂木健一郎氏の言葉を借りれば「不確実性を楽しむ」鷲田清一先生に言わせれば「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」ことと同じ意味として理解させていただいた。
つまりは、考えようによっては、可能性がいくらでも開かれている、面白い時代が到来したということである。

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新しい「大人の学び論」を!  長岡健さん

photo_instructor_573.jpg長岡健氏の研究テーマは、「学習と組織」をめぐる現象を読み解くことである。
その立ち位置は「ストレンジャー」であることに徹している。
「学習と組織」をめぐる諸問題を扱うのは、経営学では「人的資源開発論」と呼ばれている分野になる。ひらたく言えば、「経営に資する人材をどのようにして育てるのか」を考えることだ。
ストレンジャーである長岡氏は、非経営学、脱人的資源開発論の視座から、「学習と組織」をめぐる現象に切り込もうとしている。
ストレンジャーらしく、批判的に、異なったメガネを用いて見ることに特徴がある。

人的資源開発論の文脈で言うと、この10年(特に5年ほど)の大きなパラダイムは、「人が育つ場としての仕事・職場」をどう設計するかにあった。
長岡先生は、「熟達化」という言い方をし、人的資源開発論の専門家は、「経験学習」という。
人は組織の中で、
・適度に難しく、明確な課題を与えられ、
・結果に対するフィードバックを受け
・誤りを修正する機会を繰り返し、
・時に他者との対話を通して内省することで
初心者から一人前へ、さらには熟達者へと成長していくという考え方である。
(詳しくは、大久保恒夫さん松尾睦先生の夕学ブログをご覧いただきたい)

ストレンジャー長岡氏は、この考え方に「限界」を見ている。
なぜなら、「経験学習」を語る企業の人事担当者の多くが、「自分のことを差し置いて」社員や部下の事ばかりを言うからである。
果たして、一人前になった人は、もう学ばなくてもよいのだろうか。

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いまは「のびやか」にはなれないけれど... 玄侑宗久さん

photo_instructor_572.jpgはじめにお詫びを言うべきであろう。
受講者の皆さんと講演者である玄侑宗久さんに対してである。
震災から四ヶ月、いまだ困難の中の渦中にある福島県人 玄侑さんに 「荘子」を語っていただくのは無理があったのかもしれない。

荘子は、超越的、脱世俗的を特徴とする思想である。あまりに雄大でスケールが大きい。いまの困難も俯瞰してみれば些細なこと、大きな流れの中で移ろいゆく、よしなし事のひとつに過ぎないと喝破する。
世俗の価値や基準から解き放たれて、自由に、のびやかに生きることを説く。

しかしながら、いまの福島には、玄侑さんを荘子から世俗の世界へ引き戻す強力な磁場が働いている。
のびやかに生きることを説こうと試みても、のびやかにはなれない自分がいる。
玄侑さんが、そんな苦しみの中、渾沌の中で、お話しせざるをえなかったことに、講演企画者として忸怩たる思いがある。

玄侑さんは、福島県三春町福聚寺の住職である。
ご自身も被災者のおひとり、地震でお寺の塀は倒れ、お墓も多くが倒壊した。檀家さんに死者はなかったとはいえ、親戚縁者には亡くなられた方も多いだろう。 お墓はいまだに修復しきれていないという。

玄侑さんは、政府の復興構想会議の委員でもあった。
苦しむ東北の庶民の声を届けるために、そして被災した宗教界の代表として、会議に臨んだという。 しかし徒労感も大きかったという。

玄侑さんは、純文学から、対談、エッセイまで幅広く手がける作家でもある。
いつの日か、今回の体験も文学作品に昇華して世に問わねばならない。

そんな複雑な思いを抱えたまま、荘子の世界を語ることは、玄侑さんにとっては、つらいことであったに違いない。聴く側にもそのつらさが伝わってきた。
いまの玄侑さんにとって、それほどに世俗の力は大きいのだろう。


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わからないことが「知的な体力」を鍛える  鷲田清一さん

photo_instructor_571.jpg小学生時代の私は、手先がひどく不器用で図画工作や家庭科を大の苦手にしていた。
ある年の夏休み、家庭科の宿題は「鍋つかみ」の作成であった。家庭の余り布を材料に、足踏み式ミシンで縫ってくることが課題であった。(そういう時代でした)
最初は途方に暮れ、やがてすっかり忘却の彼方に置き去り、短い夏休みが終わろうとする日の夜、私は母にすべてを「丸投げ」した。
私の能力をよく知る母は、「しょうがないわね」と言いながら、ササっと片付けてくれた。
それを見ていた父親が、「自分でやるべきことはやらせないと駄目だ」と怒り出し、それに対して母親が「ミシンの針に糸も通せないこの子に、出来るはずがない」と、我が子を庇うのか、馬鹿にするのかわからないような反論をして、言い争いが始まった。
自分の不始末のせいで起きた家庭内論争を前にして、私はどうにも居心地が悪く、かといって逃げるわけにもいかず、ずいぶんと困った記憶がある。
見かねた姉が、「あんたが名前ぐらいは自分で縫いなョ」と取りなしてくれて、事なきをえたと記憶しているが、あの時の居心地の悪さはよく憶えている。

つまらない話を延々と書いてしまったが、鷲田先生の「知的体力」論を聴きながら頭に浮かんだ思い出である。


さて、ここで話題を思い切きり振って、鷲田先生がよく主張されている「価値の遠近法」について確認しておこう。

「価値の遠近法」とは、あらゆる事象・物事を次の四つに分けることである。
①絶対に必要なもの、失ってはならぬもの
②あってもいいけどなくてもいいもの
③なくてもいいもの
④絶対に不要なもの、あってはならないもの
鷲田先生は、これが上手に仕分けられる能力を「教養」と呼び、その重要性をいろいろなところで紹介している。

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世界の水の問題解決に向けて  沖大幹さん

photo_instructor_570.jpg沖大幹氏の専門は「水文学」である。
専門的に言えば「地球の水循環システムの研究」となる。
平たく言えば「水に関わる森羅万象を研究すること」だという。

地球上の水の多くを占める「海」、雨の恵みの元となる「雲」、天然水資源貯蔵庫ともいえる「雪氷」、水の存在を知らしめてくれる「植物」。
水循環システムを構成するこれらの要素が、気候変動や人間活動によって、地球規模でどのように影響を受けているのかを科学的に解明する。

まずは沖先生が示してくれた水に関わる基礎データを紹介しよう。

・世界の自然災害による死者数のうち洪水によるものが55%、旱魃によるものが31%。
水は人類を生かすこともあれば、殺すこともある。

・1km以内に1日20L/人の水(安全な水へのアクセス基準)を確保できる人は、世界人口の1/7でしかない。
水は人間の命を繋ぐ。

・日本人が1日に使う飲み水は2L~3L/人、洗濯や風呂など健康で文化的な生活を維持するのに必要な水道水は1日に200L~300L/人、必要な食糧生産にしようする雨水・灌漑水は1日あたり2000L~3000L/人に相当。
私たちは、毎日は驚くほど大量の水を使用している。

・上水道の単価は100年/トン程度。(米や肉、生乳などはその1000倍)
水は信じられないほど安価である。だから大量に使うことができる。

水は、地球上の貴重な資源、だから大切にしなければならない...というけれど、そんなに単純なものではないらしい。
水資源はストックではなく、フローである。地球上のどこかで流れたり、降ったり、注がれたりしている。

フローの総量は年間4万キロ立方メートル、そのうち人類が使っているのは4千キロ立方メートル、1/10に過ぎない。量的には充分にある。
ただ、それが地理的にも、時間的にも偏在していることが問題なのだ。

かといって、充足している国(例えば日本、雨期の東南アジア)から不足している国(中央アジア、アフリカ)へ運べば、あるいは貯蔵しておけばいいかというと、それが出来ない。
貧しい人も使える程度に安価でなければ意味がないが、水は重く、かさばるので運搬や貯蔵に莫大なコストがかかってしまうからだ。ぺットボトルの水は貧しい人には買うことは出来ない。

偏在を所与の条件として受け止め、その中で安価で安全な水を行き渡らせるにはどうすればよいのか。複雑な方程式を解かねばならないのが実情のようだ。

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友人のように名画と付き合う  結城昌子さん

photo_instructor_569.jpg結城昌子さんを、ひと言で表現するならば「やわらか~な」人である。
饒舌ではないけれど、聴衆の意識をそらせない絶妙な間の取り方、身体全体で醸し出す雰囲気が印象的な人である。
なによりも、これまでにない、新しい絵の楽しみ方を見つけ出そうとする柔軟な視点が素晴らしい。


結城さんにかかると、ゴッホの絵は「うずまきぐるぐる」になり、
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ピカソの絵は「あっち向いてホイ」になる。
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確かに言われてみれば、ゴッホの月光や陽光の描き方は「うずまき」に見えるし、ピカソが描く人物像は、「あっち」を向かんばかりに見える。
画家の創造性が、「これまで誰もしなかった新しい描き方」にあるとすれば、これまで誰も試みなかった、新しい絵画の楽しみ方を見つけ出すのが結城さんの才能なのかもしれない。

アートは、人類(先人)が残してくれた宝物。額縁に入れて厳かに飾り置くのではなく、お気に入りのオモチャのように、愛しみ、撫で回し、いつも傍らに置いて楽しむ。
「親しい存在にする」ことが、結城さんがこだわるアートの楽しみ方である。

『原寸美術館』という企画は、アートの新しい楽しみ方を探し求めた結城さんが辿り着いたひとつの到達点だという。
多くの絵画は、全図ではけっしてわからない魅力を秘めている。
例えば、修復がなったばかりの「最後の晩餐」は420 x 910 cm の巨大なものである。全図では、食卓テーブルに描かれた晩餐の内容まではわからない。
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この絵を、ひとつのお皿にフォーカスして原寸で再現してみると、皿の料理は魚の切り身(結城さんにはサバの塩焼きに見えるとか)だと分かる。しかも添え物のレモンスライスの輪郭が銀食器に映り込むさまも、詳細に描かれていることに気づく。ディティールに込められたダヴィンチの魂を感じることが出来るという。

「いい絵というのは、いろんな見方を許してくれると思います」
結城さんは言う。
だから、名作はいくら見ても飽きない。見れば見るほど新しい見方、楽しみ方が見つかる。

絵を知るということは、友人を理解することと同じだとも言う。
その人のプロフィールを調べてから友人を作る人はいない。なんとなく意気が合うと感じる人と付き合いながら、互いの理解を深めていく。
同じように、名画を見るのに事前の知識は必要ない。感性で惹かれた絵を、何度も何度も、いろんな角度、やり方で眺めて見る。調べてみる。もし見れば見るほど新しい見方、楽しみ方が見つかれば、その絵とは一生の付き合いが出来る。

講演の最後で、結城さんから聴衆ひとり一人に名画のポストカードがプレゼントされた。
ちなみに私がもらったのはボッティチェリの「ビーナスの誕生」であった。
今秋のagoraで「阿刀田高さんと読み解く【古代ギリシャ・ローマの知恵】」という講座をやる予定なので、ピッタリだ。
オリンポスの神々を虜にしたという美の女神アフロディテ(ラテン語でヴィーナス)の艶やかな物語をもう一度読み直すことにしよう。


この講演に寄せられた明日への一言はこちらです。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/7月13日-結城-昌子/

この講演には「感想レポート」を応募いただきました。
名画は遊んでくれる(オトマカス/会社員/40代/男性)

日本の失敗  アレックス・カー氏

日本は近代化に失敗した」
「日本は日本ではなくなった」

photo_instructor_568.jpgアレックス・カー氏が9年前に上梓した『犬と鬼』には、日本人には耳の痛い辛辣な言葉が並んでいる。
日本をロクに知らない嫌日派の戯れ言であれば聞き流せばよい。しかし、五十年近い日本在住歴を持ち、日本文化をこよなく愛する、とびっきりの日本通が呈する苦言だけに、胸にトゲ刺す思いがする。

いったい、日本のどこが失敗なのか。何をもって日本が日本でなくなったのか。
講演では、"景観"という観点から、失敗の具体例を紹介してくれた。カー氏が日本をくまなく歩いてカメラに収めた「現在の日本」の姿である。

護岸をコンクリートで覆われた清流、電柱で電線が煩雑に交差する町並み、「夢」「~トピア」「人にやさしい」というキャッチが冠せられた観光スポットetc。

正直に言うと、信州の田舎で育った人間である自分には、何が失敗なのか、すぐに分からなかった。
地方に車を走らせれば、どこにでもある、当たり前な光景ばかりである。私はすでに、そばにあり過ぎるものを見えなくなっている。

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「脳を鍛える」ということ 川島隆太さん

photo_instructor_553.jpg川島隆太先生が脳科学を志したのは中学生の時だったという。
好きな女の子に振られ、自分の気持ちが伝わらない、相手の心がわからない、いったい人間のこころとは何なのか、という思春期特有の悩みに直面した。
その悩みの末に、「人間の心は脳の中にどう表現されているのかを知りたい」という関心を持ったというのが、脳科学の道に進む出発点になったとか。
ニュートンを彷彿させる思考・関心のジャンプが出来たあたりは、早熟の天才科学少年だったのかもしれない。

さて、川島先生によると、「脳は小宇宙」という俗説的な表現は、実に理にかなったものだという。
大脳の平均ニューロン数は2×1010個。銀河の星の数とほぼ同じだという。
その統計情報処理能力は4×1015bit。最先端PCのCPU処理能力が64bitであることを考えると、とてつもない高性能マシンでもある。
わからないことが、まだいくらでもあるわけだ。

川島先生の専門を、分かり易い言葉にすれば、「脳を鍛える」方法の開発である。
具体的には、脳の「前頭前野」の機能を高める方法を開発することだ。
人間の前頭前野は、思考、集中、意思決定、行動・感情制御、意欲、コミュニケーションといった機能を受け持つ。人間を人間たらしめる、いわば"人間らしさ"を所管する場所である。
残念なことに、前頭前野の働きは、加齢とともに緩やかに減少することが分かっている。従って、「脳を鍛える」ことで、この減少を抑えることができる。あるいは、若年層であれば、機能そのものを向上させることもできる。

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よりよく生きるための自己表現 佐藤綾子さん

「自己表現の科学」
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佐藤綾子氏の提唱するパフォーマンス学を簡潔に表すとこう言える。
表情、声、言葉、立ち居振る舞いといった自己表現の諸要素を科学的に分析し、根拠にもとづいて最も効果的な表現方法を提示することを目指している。

佐藤氏は、研究対象とする数十分の自己表現(例えばオバマ大統領の就任演説)を言葉、表情筋の動き、視線の動き等に要素毎に分けて、秒単位(時にはコンマ単位)でコード表に落とし、どの要素を、どの程度、どういう組み合わせで使うことで、人を感動させたのかを分析する。

「私の話は一分間に266文字です」
「好感がもてる人かどうかの60%は顔の表情で決まります」
「人の感情は2秒で読み取れます」

自己表現のありようを極めて具体的に語れるのも、それが自らの研究調査に基づいた根拠のある数字だからである。

サウンドバイト=分かりやすくて響きがよく、覚えやすい言葉を使うことで聴衆を掴む
例:「自民党をぶっ壊す」

連辞=似た意味、似た響きの言葉を連呼することで聴衆を掴む
例:「恐れず、ひるまず、とらわれず」

ブリッジング=聴き手の身近な話題を投げかけることで、相手との間に橋をかける
例:「湯布院とかけて自民党と解く。そのこころは、先が見えない」

小泉純一郎、進次郎父子という天才演説家の例を使いながら説明してくれたメソッドは、効果と使い方を憶えれば、誰にでも再現性がある。

自己表現が科学である所以である。


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日本人らしさとは何か 田口佳史さん

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天の命ずるをこれ性と謂う

私はこの2年間で田口さんの講義を二十回以上聴いてきたが、高い頻度で引用されるのがこの言葉である。(四書五経のひとつ『中庸』の冒頭文)

天が人間に分け与えたもの、つまり人間を人間たらしめているものを「性」という。性とは、精神であり、意識であり、魂である。

我々が使う「人間性」という言葉の意味が、ここにある。

日本(人)にも、日本(人)「性」がある。
日本(人)を日本(人)たらしめている日本"らしさ"。精神・意識・魂がある。
それが日本文化と日本人の根幹にある。
田口さんのお話は、そういうことであった。

日本性・日本らしさは、日本の地理的特性に由来したものだ、と田口さんは見る。
ひとつは「森林山岳国家」という特性。
豊かな森と聳え立つ山に囲まれて生きてきた日本人は、自然の中に人智を超えたとてつもなく大きな存在を感じてきた。
それはかつて、「隈(クマ)」と呼ばれ、「カムイ」「カミ」へと変化していった。
日本の「神信仰」はこうして生まれた。
「神信仰」は、鋭い感性と深い精神性に支えられていた。
だから、日本の神には、西洋のようなアイコンは必要なかった。偶像も、聖遺もいらなかった。自然の中に、見えないものを感じ取り、こころを尽くすことができた。見えないものと共生する意識を持っていたからだ。

もうひとつの地理的特性は、「ユーラシア大陸の東端」であったということ。
あらゆる文化・思想・宗教は大陸を西から東へと渡り、日本に辿り着いた。日本は思想の集積地であり、そこに「溜まり」発酵をみた。
儒教も、仏教も、老荘思想も、禅も、日本人の鋭い感性と深い精神性によって発酵し、日本性・日本らしさを強化する理論的な裏づけとして根付いていった。

日本性・日本らしさとは、「鋭い感性と深い精神性によって、目には見えない、形にならない、文字には表せない抽象的世界観をリアルに感じ取り、他者と共有すること」と言えるのではないだろうか。

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プロセスにこだわる経営 辻井隆行さん

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パタゴニア社の創業者イヴォン・シュイナードは、ユニークな経営者である。
経営者としてのモットーは「MBA」。といっても"Master of Administration"ではない。
イヴォンの場合は、"Management By Absence(不在による経営)"
1年の半分は会社を留守にし、世界中の自然を渡り歩き、サーフィン、フライフィッシング、クライミングを楽しみながら、使用者の立場から自社製品への意見フィードバックをしているという。
「いい経営者は社員を見張らない」が口癖だと言う。

日本支社長の辻井隆行さんのキャリアもイヴォンに負けないくらいにユニークである。
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大卒で就職した大企業を二年で退職。早稲田の大学院で「日本人の自然観」を研究した。
修了後は、シーカヤック専門店の店員やスキー場のパトロール、シーカヤックガイドで暮らしの糧を稼ぎながら、アウトドアースポーツにどっぷりと浸かる生活を送った。
パタゴニアに入ったのは三十歳を過ぎてから、パートタイムスタッフとして渋谷の店で働き始めたのがきっかけだったという。

二人とも、経営者になろうと思ってなった人ではない。好きなことにのめり込み、こだわっているうちに、いつのまにか経営者になっていた。
そんな感じであろうか。

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21世紀の日本発イノベーションとは  辻野晃一郎さん

「いまの大学生は、井深大・盛田昭夫という名前を知らないのです」
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辻野晃一郎さんは、自分の故郷であるソニーの創業者二人の名が、日本社会で急速に忘れ去られようとしている現実に驚いたという。
一方で、二人の名前は、シリコンバレーのITベンチャーの間では、今も語り継がれている。
1999年、スティーブ・ジョブスは、アップルの新製品発表スピーチの冒頭で、前日に亡くなった盛田昭夫の偉績に触れた。
トランジスタ、トリニトロン、CD、ホームビデオ、ウォークマンetc... 既に過去のものとなった技術も含めて紹介しながら、MORITAのようになることが若い頃の夢であったと語った。

2007年、Googleに入社した辻野さんは、わずか20時間滞在という強行スケジュールで訪日したエリックシュミット(当時のGoogle CEO)と初めて顔を合わせた。
辻野さんがソニー出身だと聞いたエリックは、ソニーがいかに素晴らしい会社であったかを熱く語ったという。

ソニーとGoogleの共通点は何か。
「イノベーションを宿命とした会社であること」
辻野さんは、そう喝破する。
先述のソニーのイノベーションが、世界のエレクトロニクス産業を変え、人々のライフスタイルを変えたように、Googleの検索エンジンは、情報探索の方法を変え、知のあり方を変えた。クラウド・コンピューティングは、マイクロソフトやインテルが作り上げた20世紀型IT産業の力学構造を変えようとしている。

「イノベーションは、リスクを取ることから始まる」
だから、異能・奇才が活躍できる。

ソニーは、創業者のカリスマ性や、創業期に入社した冒険心溢れる世代が作り出した企業文化が、異能・奇才を育んだ。これまでに夕学の登壇した出井伸行氏、天外司朗氏、そして辻野さんもその一人だろう。
創業者が亡くなり、カリスマの余韻が消えるとともに、冒険者世代が退場したことで、いまソニーは、普通の大企業に変わろうとしている。

Googleは、もっとシステマティックに異能・奇才に場を与えようとしている。
自由な服装、遊び感覚溢れるオフィス、24h無料食堂etc...。いずれも、仕事とプライベートの境界を取り去り、異能・奇才の遺伝子を24時間ONの状態にするために設計された意図的な環境である。
だから仕事に「のめり込む」ことが出来る。泥臭い、地道な作業も厭わない。
すべては、イノベーションを生み出すために、考えられた生態系維持システムである。

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ヒットの方程式は「e=mc²」 干場弓子さん

photo_instructor_564.jpg出版というのは、新規参入が難しい業界だという。
腕利きの編集者が、著名作家との個人的繋がりを武器に独立する例は多いようだが、それはあくまでも個人事務所の域を出ないものであって、企業として、ある程度の規模に成長させるのは難しいとされる。
干場さんによれば、幻冬舎とディスカヴァー・トゥエンティワンの二社が希有な例で、他にはほとんどないという。

端的にいえば、業界構造が閉鎖的で、新規のビジネスモデルが入り込む隙間が少ない業界のひとつになるだろう。
そんな業界にあって、ディスカヴァー・トゥエンティワンは、この数年、特色のある書籍でヒット作を出し続ける注目企業と言えるだろう。
無名だった勝間和代氏を世に出し、知る人ぞ知るコンサルタントであった小宮一慶氏をベストセラー作家にした。
『ニーチェの言葉』は百万部の大ベストセラーになった。

同社を設立し、育ててきたのが、干場弓子さんである。
2年前に、小宮一慶さんに夕学に登壇いただいた際に、「面白い人ですよ」とご推薦をいただいてから、いつかお呼びしようとタイミングを狙っていた。

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「水を治める」ということ 中村哲さん

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「人々を飢えと洪水から救うこと」

私の中国古典の師である田口佳史さんによれば、古代に中国の政治リーダーに求められた最大の仕事は、「治山・治水」であったという。
豊かな恵みをもたらす一方で、時に激しく荒れ狂う大黄河を、治めることが出来るかどうか、が指導者の最大の眼目であった。

豊潤で深淵な思想文化が花開いた古代中国に、唯一絶対の一神教が生まれなかった理由もここにあるという。
人間の救済は、人間のみが可能である。
「水を治める」ことが出来るのは、神でも仏でもない。治山・治水の技術に長けた現世のリーダーである。
それが、中国古典の底流に流れる合理的な精神にも通じるという。

中村哲さんのお話を聞くと、アフガンにも同じことが言えるようだ。
アフガンの地は、ヒマラヤの根雪を源流とするインダス河水系の河川が支える農耕の土地であった。気まぐれな河の流れとどう付き合うかに、人々は腐心をしてきた。
しかも、地球温暖化の影響を受けて、渇水と洪水の厳しさは、年を追う事に振れ幅が大きくなり、深刻なものになっている。

パキスタンのハンセン病治療のボランティアとして、彼の地の渡った中村さんは、病気の治療云々の前に、アフガンの地に厳然と屹立する「生きる」という問題に立ち向かわざるを得なかった。

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「好きか、好きでないか」 石坂浩二さん

「この数年、(慶應に)こき使われておりまして...(笑)」

photo_instructor_575.jpg石坂浩二さんの講演は、ため息気味の愚痴を披露することで、会場をほぐすことから始まった。

確かに慶應義塾は、2008年の創立150年記念事業にちなんだ数々のイベントで
石坂さんに頼り切りであった。

・記念講演会『学問のすゝめ21』岡山会場での講演

・天皇皇后両陛下を迎えた記念式典での司会

・東京・大阪・福岡で開催した『福沢諭吉展』での音声ガイドナレーション

ここ一番という役回りで、石坂さんに大役を引き受けていただいた。
そして、今回の『夕学五十講』
石坂さんも、もういい加減十分だろう、と思っていらしたに違いないが、150年記念事業室長として、上記のイベントを仕切った慶應の岩田光晴さんに仲介をいただいて実現した。

岩田さん、ご尽力ありがとうございました。
石坂さん、本当に感謝をしております。

石坂浩二さんは、慶應義塾高校在学中に「通行人役」としてテレビに出演するようになって以来、半世紀以上途切れることなく、重要な役どころで活躍をされてきた希有な俳優である。
映画、テレビ、舞台。
大河ドラマ、ホームドラマ、時代劇、クイズ・情報番組。
役者、司会、回答者、コメンテーター、ナレーター。
その幅の広さには驚嘆する。
しかも、絵画、写真、作詞、骨董鑑定等々。文化人としても玄人領域に達している世界がいくつもあるという。
芸能界の「知の巨人」といってよいだろう。

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夢の力 武田双雲さん

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武田大智少年(双雲さんの本名)の少年時代を想像してみる。
休み時間になると、いつも机の回りに友人達が集まり、輪ができる。
中心にいる、ひときわ身体の大きな大智少年は、やたらと大きな声でしゃべりながら、なにやら絵を描いている。
それは、先生や友人の似顔絵かもしれないし、昨日のテレビドラマの主人公かもしれない。
彼がひと言冗談を発するたびに、笑いが広がり、ひと筆鉛筆を走らせるたびに、驚嘆が起きる。
始業のベルが鳴っても大智少年の言葉と手の動きは止まらず、教室にやってきた先生は「またか!」という表情で、一喝する。
怒られながらも、大智少年の笑顔は消えることはない、叱りながらも、先生の口元は笑っている。
ちょっと調子もので叱られることも多いが、いざという時には目の色を変えて集中する。
クラスの中心で、誰からも好かれる。きっとそんな少年だったに違いない。

35歳になり、書道家武田双雲として、脚光を浴びるようになったいまも、天性の明るさと人懐っこさは変わらない。
身体中から正のエネルギーを発散し、周囲からも引き出すことができる人。"気の元"になる人である。

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「民の国」が抱える悩み 遠藤功さん

あんなリーダーしかいないのなら、(日本は)原子力発電をやってはいけない」

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日本の原発不安がピークに達していた4月に、遠藤先生がフランス人から言われた言葉だという。
ドイツ本社のコンサルティングファーム、ローランド・ベルガーの日本法人会長でもある遠藤先生は、欧州で行われたグローバルミーティングで、期せずして日本国の代表として、欧州知識人の厳しい糾弾の矢面に立たされることになったという。

世界の原発推進国であるフランスから見れば、日本という国には、原発という未成熟・未完成な技術を使いこなす高度なマネジメント能力が欠如しているというわけだ。

あまりに的を射ており、反論できないという悔しさと、日本の現場を支えている、多くの無名の現場リーダーの存在が、彼らの目には見えていないことへの絶望感に、JAPANブランドが失墜していくさまを見ているような気がしたという。

「中央」のリーダシップが担うべき求心力と「現場」のリーダシップが担う遠心力。
この二つが、バランスを取りながら発揮されることでしか、原子力発電という高次な技術は使いこなせない。
同じことが、きょうの講演テーマ『日本品質』にも言えることだという。

遠藤先生が昨年、『「日本品質」で世界を制す!』という本を出した裏には、「日本品質」が揺らいでいるという表層的な論調に対する反論の意図があった。
確かにこの数年で、日本を代表する企業で品質問題が頻発した。
パナソニックのファンヒーター事故、トヨタのリコール問題、花王のエコナ製品の販売自粛等々。

しかし、遠藤先生の認識は、日本の技術が劣化したのではなく、より高次な次元に進化しようとしている故に直面した新たな壁である、というものだ。

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文化としての「ソングライティング」 佐野元春さん

「詩=言葉」は力を失ってしまった、とよく言われます。現代詩が文学ディレッタントに終始するかぎり、そう言われても当然です。しかしどうでしょうか。唄の詩人達=ソングライターたちの言葉は、深く人々の心に届いています。そう考えると、ソングライターたちこそが、現代を生きている詩人といえるのではないかと思います。

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佐野元春さんが、母校立教大学の公開講座であり、NHK教育テレビのドキュメンタリー番組でもある「ザ・ソングライターズ」の企画に際して寄せた文章の、冒頭にある一節である。

夕学の講演も、同じメッセージから始めた。
唄の詩人達=ソングライターたちの充実した仕事ぶりと社会への影響力を見れば、「ソングライティング」という知的営みは、文学、演劇などの他の表現と同様に、現代のパフォーミングアーツとしてアカデミズムの研究対象になり得る一級の表現形式であるはずだ、という自負と確信を持って、佐野さんは「ソングライティング」を語る。

日本語には、伝統的に秀でた言葉のビート(韻律)の文化があったと佐野さんは言う。
例えば、俳句。
五・七・五の形式は、言葉の数の決まり事だが、その裏には、4拍×4小節の韻律が隠されている。

♪♪♪「古池や / 蛙飛びこむ / 水の音 / ・・・・/」♪♪♪

佐野さんが、指でビートを取りながら、この句を詠むと、芭蕉もラップに聞こえてくるから不思議だ。
最後の1小節は無言ではあるが、韻律はしっかりと刻まれる。だから余韻が残るというわけだ。

現代の、唄の詩人達=ソングライターたちもこの系譜を受け継いでいるのだ。

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波に乗りながら、波をおこす 阿部秀司さん

「夢に満ちてはいるけれど難しい」それが映画ビジネスであろう。
とりわけ、アニメ以外の「邦画」にそれがあてはまるようだ。

言語と文化の壁があるので、マーケットが国内に限定される。
ハリウッド映画は別格としても、例えばデンマークのような小国でも映画産業が盛んであるのは、最初から5億人のEUマーケットを視野に入れることができるからだ言われている。
競合は激化する一方である。テレビ、ネット、ゲーム、カラオケ、ケータイetc...。娯楽は次々と生まれている。
技術革新は進み(CG・3D)、最新の表現方法を追いかければ巨額の投資が必要になる。

市場は頭打ちで、費用と投資は右肩上がり。どんどん儲かりにくくなっている。

映画業界も、手をこまねいていた訳ではない、時代に適応すべく変化してきた。
コンテンツの二次利用、三次利用モデルを確立し、興行だけでなく、DVD・テレビ放映権までを含めて、製作費を回収しようとしてきた。
テレビ番組を映画化するという手法を見いだし、企画のリスク低減とメディア連動型マーケティング展開でヒットを飛ばした。
制作委員会方式という投資スタイルを作り、リスク分散型の製作方式を産み出した。
近年では、コミックやベストセラー本を原作とすることで、企画リスクを更に抑えようとしている

しかし、いずれも絶対的なモデルではない。失敗もたくさんある。パッケージは売れなくなった。製作委員会の組成も簡単ではない。原作の映画化権利獲得競争は激化する。
映画製作プロデューサーの仕事は、難しくなるばかりといったところか。

阿部秀司さんは、構造的変革期にある映画業界において、新しい波に積極的に乗りながら、自らも波をおこしてきた人である。
きょうの話を聴くと、成功パターンを作りつつも、それに安住せずに、いつも新しい切り口を取り入れるイノベーターであろうとしている方のようである。

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「お座敷」は、日本文化の集約センター 紗幸さん

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文化人類学(社会人類学)とは、人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的なありかたを研究する学問である。
そのために、文化人類学者は、対象とする人々や社会にその一員として入り込み、共に暮らし、同化することで、さまざまな生活事象を体験・観察し記録していくのである。
例えば、アマゾン奥地で、原始的狩猟・採集生活を続ける原住民族を調査するために、彼らと一緒に茅葺きの小屋に寝起きし、キャッサバやピラニア、昆虫を食べ、幻覚剤に酔い、死と再生の祭りに参加する。
それが文化人類学者である。

15歳の時、一年間の交換留学生としてオーストラリアからやってきた紗幸さんは、もう一年、さらに一年と滞在期間を延ばして慶應大学を卒業した。
その後は、オックスフォード大学でMBAと人類学の博士号を取って学者になった。
もう一つの顔では、テレビプロデューサーとして比較文化ドキュメンタリー制作にも携わってきた。

日本文化に親和性を持ち、人類学者で、ドキュメンタリー制作者、という紗幸さんが、そのクロス領域として、日本の花柳界に興味関心を持ったのは自然なことだったのかもしれない。
外国人が日本で一度会ってみたいと思う人気No1は、いまも「ゲイシャ」であり、日本文化の象徴として、純粋な興味関心の対象である。
花柳界は、前近代的な因習が色濃く残り、猥雑な側面もあったので、日本の学者が研究対象とすることは少なかった。
しかしながら、花柳界の、ある側面を切り離して捉えることができれば、日本を代表する文化であることは誰もが認めることであろう。
日本人と外国人の両義的存在である紗幸さんは、それが躊躇なく出来た。

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B to H(human,heart)のマーケティング 魚谷雅彦さん

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ブランド論の知見によれば、ブランドには二つの機能がある。
ひとつは「識別機能」 目印、保証、安心の証である。
「中身はよくわからんけども、このブランドなら大丈夫だろう」と思わせてくれる働きである。商品・サービスそのものの基本価値が蓄積されて構成される伝統的な機能である。

もうひとつは、「想起機能」
そのブランドを見ることで、なんらかの(良い)イメージが想い起こされるというものだ。
商品・サービスに付随した付加的活動の集積によって構成される機能である。

魚谷さんは、前者を「INTRINSIC」、後者を「EXTRINSIC」と呼び、ブランドは両者のバランスの妙だという。

コカ・コーラは、「INTRINSIC」な価値が100年以上変わらないユニークなブランドだが、それでいて6兆円のブランド価値と評価される(2009年 インターブランド社)所以は、「EXTRINSIC」な価値を絶えず確信し続け、鮮度を保ってきた証左であろう。

魚谷雅彦氏という存在も、日本コカ・コーラというブランドの「EXTRINSIC」価値を高める役割を果たしていると考えると分かり易い。
186センチの長身にロンドンストライプの紺のスーツと明るいエンジのネクタイがよく似合う。オープンで包容力があり、誰の話にも耳を傾けてくれ、明るく励ましてくれる。
うつむき加減が続く日本社会に求められているリーダーの理想像である。

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文明論という「視座」で電子書籍を読み解く 佐々木俊尚さん

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佐々木俊尚さんが会場入りする前に、控え室で旧知の出版社編集長と電子書籍事情について雑談をした。
衝撃的なiPadの登場から一年。昨年末には各社の電子書籍端末や配信サービスが出揃い。電子書籍市場が花開くと言われた。半年経過時点で、業界人の見方はどうなのか。


「騒がれたほどには売れていない」

それが衆目の一致する意見だという。

「紙の本の20分の1ですね」

編集長によれば、紙の書籍で100部売れる大ベストセラーで5万ダウンロードが、現時点での電子書籍市場の相場だという。
理由はいろいろと言われている。
出版業界の閉鎖構造がどうのこうの、端末の使い勝手がどうのこうの、値段がどうのこうのetc。

「それらは、すべで本質論ではない」

それが佐々木さんの見解である。
電子書籍やタブレットの登場は、ビジネス戦略や出版・書店業界の再編といった文脈で理解すると本質を見誤る。視野を目一杯広げて、壮大な「文明論」として位置づければ、自ずと見えてくるものがあるという。

書籍を、「知の伝播システム」として意味づけたときに、システムを構成するのは、コンテンツ=本の中身、コンテナ=配信システム、コンベヤ=媒体の三層であると佐々木さんはいう。
この中で、コンテンツ=本の中身は「知」そのものであり、最も重要なことは言うまでもない。
また、コンベヤ=メディアは、歴史を紐解けば多くの変遷をとげてきた。古代の粘土板・石版からはじまり、竹簡、パピルス、羊皮紙、紙、そして電子書籍端末、やがては電子ペーパー... 進化するのが当たり前のものであった。iPadもキンドルもそのひとつと考えれば、革新的な製品ではあっても、文明のパラダイムシフトを促すほどの変化ではない。

むしろ、コンテナ=配信システムが大きく変わろうとしていることの意味を考えるべきだという。

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コストマネジメントという専門性 栗谷仁さん

「経営の目的は何か」
所説あることは承知しているが、最も狭義の考え方に則れば、「利益の最大化」ということで衆目の意見は一致するだろう。
そして、下記のシンプルな計算式にも異論は生じない。

利益=売上-コスト

二元論的に言えば、利益を上げるということは、「売上を上げるか」、「コストを下げる」かの選択である(正確には、両方を同時にやるという選択肢もあるが)

MBAには、「売上」を上げるために必要な知識を学ぶ科目は多い。経営戦略、マーケティング、人材マネジメントetc。
一方で、「コスト」を下げることにフォーカスした科目はない。栗谷氏が卒業したハーバードのMBAにも「コストマネジメント」という科目はなかったという。

コスト削減には、マイナスのイメージが強い。「人減らし」「下請けいじめ」という言葉がすぐに連想されることでもわかるだろう。
しかし、それでいいのかという思いも強い。

「欲張らない」「ほどほどに」「節度を持って」
それが世界の経済社会の共通認識になりつつある成熟化の時代には、売上を上げること以上に、コストを下げることに、陽の目があたってもいいのではなだろうか。
前向き、論理的にコストを考える。「コストマネジメント」の思考法が、求められる時代になったと思う。

ATカーニー社の調べては、10産業×上位5社=50社の平均値を取ると、会社の総コストの11.1%を、間接材コストが占めている。(ちなみに人件費は6.4%)
「そのうちの10%は削減できる」
それが、多くのコスト削減コンサルティングを手がけてきたATカーニー社の経験則だという。

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人権アクティビストという仕事 土井香苗さん

1996年 ひとりの女性(当時21歳)が、アフリカのエリトリアという国に渡った。
エリトリアは、1993年にエチオピアから独立したばかりの若い国。女性の名は、土井香苗さん、東大法学部三年で司法試験に合格してすぐのことであった。
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中高生時代から、世界のどこかで苦しむ人達の力になりたいと考えていた土井さんは、ピースボートのボランティアに名乗りをあげ、まだ湯気が立ち昇っているようなアフリカの新国に赴いた。
一年間、エリトリア法務省で刑法作成の手伝いをしながら、国作りに情熱を燃やす多くの若者達と出会った。
そこは、国家の草創期の熱に溢れ、知的梁山泊のような雰囲気に満ちていたという。

ところが、帰国後弁護士になった土井さんに届いたのは、エリトリアが戦争を再開し、2001年に独裁国家に転じたという情報であった。
共に学び、議論した若者の多くが、弾圧・拘束され、収容キャンプに送られた。処刑された者もいたという。
国家は、人権を守ることもあれば、蹂躙することもある。だからこそ、厳しくウォッチし続けなければならない。
その決意が、土井さんが、人権弁護士になった理由、ヒューマンライツウォッチの活動に入った理由であるという。


「人権」という言葉は、幸いなことに、現代の日本では深く議論する必要がない概念である。年末に行われる人権啓発運動には、「思いやり」「優しさ」といったほのぼのとした言葉が頻出している。
しかし、土井さんは言う。

「そんな甘っちょろいものではない」

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「母-オモニ-なるもの」 姜尚中さん

姜尚中先生は、政治学者ながら、NHK日曜美術館の司会を務めていた(3月まで)。
番組で取り上げた絵画の中でも、暗示的であったという意味で強い印象が残るという一枚の絵画の話から、講演ははじまった。
16世紀ネーデルランドの画家ブリューゲルの「死の勝利」という絵である。
brueghel_death00.jpgのサムネール画像


そこには、全ての者に訪れ蹂躙する死の圧倒的な存在と、それに対する人々の儚い抵抗が描かれている。

先月末、姜先生は、テレビ番組の取材で福島第二原発の30キロ圏内を訪れたという。そこで見た光景は、「死の勝利」を彷彿させる衝撃的なものだった。見渡す限り広がるガレキの山を眼前にして、自然の圧倒的な力の前に、人間がいかに無力な存在でしかないかを感ぜざるを得なかったという。

「前向きのオプティミズムの柱が、ポッキリと折れたような気がする」

3.11の衝撃について、姜先生は、そう語る。
前向きのオプティミズムとは、開発・発展・成長への傾斜であり、人間の欲望をエネルギー源とする進歩的社会観である。
戦後の日本を支えてきた観念と言ってもいい。 それがポッキリと折れてしまった。

今回の震災が我々に突きつけた問題は三つあるという。
1)科学への信頼
2)不可知・不可分なるものの受容
3)歴史の忘却 
の三つである。

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「人口の波」が日本を襲う 藻谷浩介さん

東日本大震災で、我々が強烈に思い知らされたのは、巨大な「波」の力であった。
先人達によって語り伝えられてきた知恵と近代科学技術の集積(と信じてきた)多くのものが、巨大な津波に飲み込まれ、流れ去っていく光景を目にした時、圧倒的な「波」の前に、多くの人々が無力感を感じたのではないだろうか。

藻谷浩介氏は、津波とは異なる、もうひとつの「波」が、日本列島全体に押し寄せている、否、すでに飲み込まれつつある、と指摘する。
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それが「人口の波」である。
一瞬にうちに押し寄せ、引き去っていった海の「波」とは違い、「人口の波」は、100年という長い年月をかけて、ひたひたと押し寄せている。それゆえ我々は、「波」の到来に気づかない、いや「波」の恐ろしさに鈍感にならざるをえない。

海の「波」は、押し寄せると同時に、破壊をはじめたが、「人口の波」は、最高到達点に達するまでは、破壊ではなく、創造と発展をもたらしてくれた。ある局面までは、天恵であった。
ところが、一線を越えた時に、巨大な引き潮となって、衰退という黒い海原へ人々を引きずり込んでいく。
「人口の波」は、いま(2011年)最高到達点に達しつつある。
巨大な引き潮が、日本経済を飲み込み始めている。
藻谷さんの指摘は、そういうことではなかったか。

「引用はご自由」にというお言葉をいただいたので、藻谷さんが使用された12枚のスライドを下記に添付する。
人口の波(藻谷浩介氏発表資料より引用).ppt

スライドショーにして、最初のページから「Enter」キーをポンポンと叩いてみて欲しい。
パラパラマンガのように「人口の波」が左から右へと押し寄せていくのが分かるであろう。

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