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1/14開催講演でのQ&A

1月14日に開催した、川上真史先生とマリンバ奏者の塚越慎子さん、そして声楽家でフリーアナウンサーの田幸知有紗さんによる講演での質疑応答は、講演の最後にお時間が取れず、ご質問のある方はアンケートもしくはMCCの事務局へ質問をお寄せいただくよう、お答えは追ってさせていただく旨、ご案内させていただいておりました。

質問はメールとアンケートとで3件お寄せいただきました。

お待たせしましたが、講師からいただいたお返事をQ&A形式でお伝えします。
はじめの2つの質問には川上先生が答えられ、3つめの質問は塚越さんに関する質問でしたので、塚越さんが答えてくださいました。

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日本人は多元的である  篠田謙一さん

西洋文明に絶望し、親友ゴッホとも断絶した失意の画家ゴーギャンが、最後の楽園タヒチに移り住んだのは1891年のことである。
ゴーギャンはそこで畢生の大作『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を仕上げた。

photo_instructor_685.jpg篠田謙一先生に話を伺うと、ゴーギャンの発問に対する答えは、DNA解析によって科学的に解明されてきたようだ。

私たち人類(ホモ・サピエンス)は、いつ頃、どこで生まれ、どんな旅を経て、いまに至ったのか。おおよその旅路が分かってきた。


<ホモサピエンス世界拡散の図>

世界拡散.png

20万年前に東アフリカ(エチオピア辺り)で誕生した私たちの先祖は、6万年前にアフリカの大地を旅立った。最初に出発した集団は150人程度という見積りまで出されているというから驚きだ。
人類はやがて、4万年前には欧州、日本列島へ、1.5万年前にアメリカ大陸の南端へ 1000年~800年前には、ハワイ、ニュージーランドへと辿り着いて、現在にいたっている。
ゴーギャンが訪れたタヒチは、人類の旅の終焉地でもある。旅を逆から辿ろうとしたならば、彼は的確な選択をしたと言えるのかもしれない。

さて、篠田先生によれば、遺伝子コードを分析することにより解明された先祖を共有する集団グループを「ハプログループ」というらしい。
世界には、約100のハプログループがあるという。
日本人の遺伝子コードを分析すると、20近くのハプログループが存在していることがわかった。なんと日本人は世界でもっとも多元的な構造だったのだ。

アフリカ、中東地域を経て、海洋アジア沿岸を通って南から波状的にやってきた集団。
中東から中央アジアへ移り、モンゴルから中国東北部を経由して、北から渡ってきた集団。
それらが縄文以前の原日本人を構成していた。

3000年前に、中国南部で生まれた稲作技術を携えて、朝鮮半島をへて渡来した弥生人の集団が加わった。彼らは列島中に広がり日本人のマジョリティとなった。

やがて、オホーツク沿岸部から海獣を追って辿り着いた小さな集団が北海道から東北北部に住み着いた。
これらの移動が、一度ではなく、何度も波状的に発生し、列島内で交配して出来上がったのが日本人である。

日本文化を語る時に、その地理的特性が指摘される。
ユーラシア大陸の東端で、島国。東西の文化がそこに集積され、発酵して出来上がったのが日本文化である。複雑かつ豊潤な所以である。
日本人はDNA的にも、その多様性が確認されたということだ。

日本人は単一民族、同質集団、閉鎖的社会等々。
それらはすべて後天的な環境要因であって、生来的な特質ではない。
日本人は先天的には、多元的で多様な存在である。

篠田先生は言う。
「日本、韓国、中国東北部は、遺伝子的に極めて近い関係にある」

ホモサピエンス20万年の歴史からみれば、ほんのわずか前に分かれた近しい親戚筋である。
同じ遺伝子をもち、DNA的には親戚関係である東アジアの人々が、温暖化で海面が100Mも上昇すれば消えてしまう小さな島嶼を巡って争うことの、なんと小さなことか。

いま、私たち(日本人、中国人、韓国人)に必要なのは、DNA的世界観を共有することではないか。

つながる時代の経済 國領二郎さん

慶應SFCには、インターネットの黎明期から今日に至るまで、その啓蒙と普及、そしてインターネットが実現する社会のあり方について、提言を続けてきた研究者が何人かいる。
村井純先生はインターネット技術の専門家、金子郁容先生はインターネットとボランタリーな社会システムの思いを巡らし、國領二郎先生はインターネットによる経営や経済社会の変化を研究してきた。

photo_instructor_702.jpgそんな国領先生によれば、ITの分野では、パソコン登場以来の大変化が起きているという。
「クラウドコンピューティング」である。
PCによって、大組織でしか出来なかった大量情報の管理・分析がパーソナルな手許で可能になった。クラウドの実現により、手許におく必要さえなくなった。クラウドを通じてネットワーク化されたビッグデータが簡単に手に入る時代がやってくる。

もしチャンドラーが生きていれば、150年に一度の産業モデルの大変化が起きていると言うだろう。
国領先生は、そう言う。
1850年代にアメリカで生まれ世界を席巻した大量生産・大量販売モデルから、つながっている個客への継続サービスモデルへの変化である。

大量生産・大量販売モデルは、鉄道と電信による商圏の飛躍的拡大によって実現した。
顔見知りの間で行われるクローズドな取引から、名も知らぬ遠い地の人々に、これまでとは比較にならない大量のモノが売れるようになった。
未知の取引関係に対する信頼を担保するためにブランドが生まれ、定価販売が慣行となり、マスメディアよる広告がそれを加速させた。

販売とは、モノやサービスの所有権を移転することで、買った人はそれを独占所有できることに価値を見いだす経済システムである。

つながる時代の産業モデルは、大きく異なる。
特定個人の情報を深く追究することで、親しい関係ではなくとも、個のニーズを正確に捉えることができる。なんでも知っている執事の如くに、その人が欲しているものを、欲している時に提供できるようになる。
また、ある集団や地域のビヘイビアをかなり精緻に予測できるようになる。道路の渋滞、地域ごとの電力使用量がリアルタイムに把握できる。

そこでは、販売の意味が、所有権の移転ではなく、利用する権利を渡すという考え方に変わるだろう。音楽や電子書籍の世界で起きていることがあらゆる業界に起きてくる。
国領先生は、そう予言する。

限られた財やサービスを、多数の人がそれぞれの都合に合わせて便利に使い分けることが、システムとして可能になる。スマートグリッドが実現すれば、電気料金もホテルや飛行機のチケットのように受給バランスによって柔軟に変わりうる。

いいことばかりではない。
国領先生によれば、つながる時代を立体的に理解するためには、二つのインパクトを認識する必要があるという。

1)可視化のインパクト
つながることであらゆることが見えてくる。過去も、いまも、未来も。
分析できる過去データはPOSとはケタ違いになる。
ネットーク化されたセンサーを使えば、いま起きていることが瞬時にわかる。
未来の予測精度も飛躍的に高まる。
見えないものがみえることで新たな価値が発生するだろう。

同じ衝撃が、マイナスのインパクトとして押し寄せてくる。
1億総可視化社会の中で、新しいプライバシー問題が発生している。
あらゆるものをつなごうという哲学のもとで広がったインターネットが、わざわざつながりにくくするサービスをウリにするようになる。SNSはその典型である。

ポイントになるのは、「見せてもらえる特権」を持てるかどうかだという。
つながる産業モデルで生き残る企業の条件は、情報を預けるに足る存在として認めてもらえるかどうか。人や企業に対する信頼を担保できるかが成否を分けていく。

誰にも見せる世界、許し合った仲間にだけ見せる世界、誰にも見せない個人世界。
この三つの空間を適切に使いこなせるリテラシーが求められる。
確かに、企業、個人いずれも、ネット不祥事の多くは、三つの空間を使いこなせないことに起因している。

2)創発性のインパクト
つながる時代のイノベーションは創発型である。
多くの要因、多様性が複雑に絡まり合い、影響しあっている。その渾沌の中から、一気にエネルギーの向きが一定方向に揃った時に、思いもかけない価値が創出される。

創発はコントロールできない。
起きるかもしれないし、起きないかもしれない。創発が起きる可能性を高めることしかできない。そこを理解しないといけない。

創発プロセスをマネジメントするには、多様性が集まる場、つながりやすいインターフェース、コミュニケーションを促進するしかけが必要である。
そして、なにより冗長性に対する耐性がないといけない。ムダを許容できないといけない。
「効率的、無駄なく創発を起こす」という概念はありえない。

切れていた時代から、つながる時代。
その変化を理解することよりも、その変化に適応することの方が難しいのかもしれない。

おもしろがり、楽しんでのめり込む 山崎亮さん

「コミュニティ」

学術的な定義を別にすれば、「ある"何か"を共有する複数の人々のゆるやかな集合体」と言ったところか。
自治会、商店街、青年会、隣組といった「地域コミュニティ」
趣味、関心、社会問題、何かのOB・OG会、SNSのグループのような「テーマコミュニティ」
に大別される。
会社の中で横断的な組織変革活動に取り組む人々、MCCのような学習機関に一定期間通学して共に学ぶ集団も、立派なコミュニティである。

photo_instructor_701.jpg山崎亮さんが専門とする「コミュニティデザイン」というのは
デザインの力で人の集団が持つ課題解決力を高めようという支援、を意味する。
唯一絶対の正解がない問題に対して、トップダウンではなく、当事者の参画によって、アイデアを出し合い、解決策を決め、継続的な取り組みに責任をもつ。
さまざまな分野・領域で求められている合意形成と主体性形成の方法論である。

...というふうに書いてきて、山崎さんの実際の取り組みを、上手く言い表せていないことに気づいてしまった。
山崎さんの「コミュニティデザイン」は、参加者が、自分達でおもしろがり、楽しんでのめり込む。いわば"サークルや学園祭のノリ"を再現することのようだ。

お金にならない、評価にもつながらない。現実的な利益はほとんどない。
にもかかわらず、そこにのめり込むことで、自分の役割が生まれ、忘れられない体験ができ、仲間と一体感が生まれ、多くの人から感謝される。

例えば、講演で山崎さんが紹介してくれた「観音寺まちなか活性プロジェクト」の事例

「観音寺、今宵もはじまりました」でググってみて欲しい。
四国香川の小さな街の人々が、"サークルや学園祭のノリ"で商店街の活性化を楽しみながら取り組んでいる雰囲気がわかるだろう。

とはいえ、メンバー全員が、最初から"サークルや学園祭のノリ"になってもらうことは不可能だ。言い出した人が損をする。たいへんな思いをするのはいつも同じ人。そんな現象が起こる。
コミュニティに関わろうとする人の多くが抱える悩みだ。

山崎さんは言う。
1000人に1人熱い人がいれば、コミュニティは変わる
人口5000人の村に5人、"サークルや学園祭のノリ"で取り組んでもらえる人を見つければ、後は続いていく。
継続のコツも、大学の部活やサークルのノウハウと一緒だという。
部費を集める、部室を持つ、新入生勧誘には力を入れる。卒業もある。役員の任期も決める。試合や発表会をやる。会報誌をつくる。
誰だって、一度や二度はやったことがあることばかりだ。

山崎さんが代表を務めるstudio-Lのコンセプトは、「人と人をつなぐ会社」である。
「人と人をつなぐって、いかにも胡散臭いでしょ。誰がこんな会社に発注すんねんって思いませんか」
人懐っこい顔で冗談を飛ばし、会場の笑いを取る山崎さんだが、実は全国から仕事の依頼が殺到して受けられない状態が続いているという。
回り出せば誰もが動かせる歯車も、最初のひと押しを押せる人は、なかなかいない。
そういうことなのかもしれない。

問題を問題にするために 安田菜津紀さん

photo_instructor_700.jpg安田菜津紀さんは、1987年生まれ、26歳の若きフォトジャーナリストである。
16歳の時、NPO「国境なき子供たち」の友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされている子供達を取材したことをきっかけに、この道を志向したという。
中学校時代に父親、兄を相次いで亡くし、家計を支えてくれていた母親は安田さんが高校生の時、乳がんを患った。
やむなく生活保護の申請を考えた時に、制度を巡るさまざまな問題に当事者として直面した経験もある。

カンボジアの貧困と日本の貧困。理由も実態も悲惨の度合いも違うけれど、貧困に起因する本質的な問題は同じだと安田さんは言う。

貧困とは何か。それは「機会の欠如」ではないか。
貧困が、本人の努力だけでは越えられない壁を作ってしまう。その壁が、大人だけでなく、子供達が持つ可能性を奪ってしまう。だから貧困は連鎖する。その構造は、世界も日本も同じではないか。

安田さんは、母親の知識と周囲の支えがあって、奨学金と学費免除を受けて大学に進学し、希望する職業につくことが出来た。
一方で、同じ年齢の若者が、同じような家庭の貧困をきっかけに、さまざまな機会を失い、いつのまにかネットカフェ難民に堕ちていく。
自分と彼らの道を分けたものは、ほんのわずかな違いしかない。しかし、そこには、本人の努力や才能で片付けられない大きな問題が隠されている。
その問題に向ける強いまなざしが、安田菜津紀というフォトジャーナリストの原点である。
http://www.aftermode.com/gallery_natsuki.html

3年前、もうひとつの原点が加わった。
東日本大震災の津波被害で、入籍間もないご主人(フォトジャーナリスト 佐藤慧氏)の陸前高田の実家が被災した。
義父(医師)は、翌朝、孤立した市民病院の屋上からヘリコプターで救助された。寒空の屋上で過ごした一夜のうちに、何人もの重症患者が息を引き取るのを看取るしかなかった。
義母は津波に流され行方不明になった。一ヶ月後、愛犬のリードを握りしめたままの亡骸が発見された。
夫婦は、被災地の復興のプロセスを記録し、発表し続けることを誓った。
単なる復興賛歌ではない。被災地に暮らす人々の迷いや悩み、苦しみにもしっかりと寄り添いながら、人の数だけ存在するさまざまな思いを記録する。
http://f311.jp/

ジャーナリストの仕事は、問題を問題にすることだと思う。
貧困も被災も、それだけでは問題にならない。
多くの人に知られることではじめて問題になる。
「なんとかしなければならない」「どこかがおかしい」「何かが間違っている」という声が沸き起こることで、問題解決の歯車が回り出す。
汚職であれ、貧困であれ、災害被災であれ、その構造は同じである。

問題を問題にするために、多くの人に知ってもらう。
安田菜津紀さんの写真やレポートには、そんな思いが込められている。

教養とは感じること、楽しむこと 川上さん・マリンバ奏者 塚越さん・声楽家 田幸さん

shinji_kawakami.jpgnoriko_tsukagoshi.jpgtiasa_takou.jpg

人材コンサルタントでご自身フルート演奏も楽しまれている川上真史先生。
世界トップのマリンバ奏者である、塚越(つかごし)慎子さん。
声楽家でフリーアナウンサーの、田幸(たこう)知有紗さん。

教養について、皆さんで考えてみましょう。それが今日のテーマでした。
ぜいたくにもお3方にご登壇いただいて。マリンバ、歌、フルートの演奏と解説つきで。音楽を例に。
教養とはなんでしょうか。グローバルで活躍できる人材に求められる教養、自分を魅力づけられる教養、教養とはなんでしょうか。
その前に教養にかんする誤解を解いておきましょうか。講演は冒頭、川上先生のミニ講義で始まりました。

皆さん、教養という言葉を聞いて、どんなことを思われますか。本を読むこと、いろいろなことを詳しく知っていること、知っているほど偉い、そんなふうに捉えてはいませんか。でもそれは勘違いです。どきり、としました。勘違いしていました私も。
あなたは、クラシック音楽はお好きですか、そう問われたらどう感じますか。クラシック音楽は背筋をぴんと伸ばして、かしこまって聴くもの、それがふさわしいもの、と思い込んではいませんか。残念ながら教育でそうすりこまれてしまってもいるようです。でもそれは間違いです。そうだなあ、思い当たりました私も。
教養とはなんでしょうか。感じてみましょう、体験してみましょう、楽しんでみましょう。今回の演奏つき講演会は、そんな川上先生と演奏家の皆さんからのメッセージでもありました。

守りの教養・攻めの教養
感覚、情動、感情

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この世のなかに、くだらないものなんてない!  出雲充さん

今期の夕学 第2回に登壇された楠木健先生の名著『ストーリーとしての競争戦略』の中に「クリティカルコア」というキー概念が紹介されている。

小説にせよ、映画にせよ、演劇にせよ、よいストーリーに共通するのは、ストーリーの読者(聴衆)を「グイっ」と引き込んでいくドライバーが仕込まれている。
「えっなんで!」「どうして、そうなるんだ!」「これからどうなる?」と思わせる大胆なスートーリーチェンジが行われる、というものだ。

芥川賞作家で大手商社マンでもある磯崎憲一郎氏の言を借りれば、
「ンなこたぁないだろう。でもひょっとして...」という表現になる。

楠木先生によると「クリティカルコア」の条件は、そこに非合理性が埋め込まれていることだという。
一見するとムダで、バカげたことに思える。
ところが、その非合理性が、一貫性のある動画に流し込まれると、ストーリー全体の合理性を産み出していくのである。
非合理と合理の不思議な結合、それがイケてるストーリーに不可欠の要素だという。

photo_instructor_705.jpgユーグレナ社長出雲充(みつる)氏「ミドリムシで地球を救う」という信念は、見事な「クリティカルコア」であろう。

ミドリムシが地球の問題を解決する。
「そんなバカな話があるか」、と誰だって思う。
しかし、東大農学部出身の出雲さんが熱く語る、ミドリムシならでは効能を聞くと、これこそが次世代型のサスティナブルビジョンだ、と納得させられる。

和名ミドリムシ:学術名ユーグレナは、体長0.1ミリの水中に棲む微生物、藻類の仲間である。キャベツの葉につく青虫ではない。
ミドリムシは光合成を行う。したがって植物である。
一方で、自ら行動し移動する。つまり動物でもある。
植物であり、動物でもあるミドリムシは、栄養素の点からみると、植物と動物の良いところ併せ持った究極のハイブリッド生物だという。
野菜・肉・魚に含まれるそれぞれに特有な59種類の栄養素を持つ。

ミドリムシの栄養食品化。それがユーグレナをマザース上場まで成長させたビジネスモデルである。

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わからないまま放置する、第三の関わり方。東 浩紀さん。

hiroki_azuma.jpg

「包摂 inclusion」「排除 exclusion」

東さんは、ホワイトボードに大きくこの文字を書いて、2つの言葉を線でつないだ。
この2つは対立する。どちらか、である。
線を加え、三角形をつくった。包摂でも、排除でもない、第三の関わり方、第三の選択がある。

理解はできないが、ゆるく、うすく、存在を認める、放置する。
東さんのメッセージの軸は、この第三の関わり、にあった。

21世紀は、9.11のテロリズムで始まった。
包摂か、排除か。社会的か、反社会的か。
思想的対立の時代である。

しかし、そもそも社会と関わらない、脱社会的存在がある。
社会的でもない、反社会的でもない、脱社会。社会的に受け入れたり折り合っていけなかったりするが、反社会的だといってその枠組みのなかで修正し適応させようとしても難しいことがある。宮台真司さんは援助交際をする少女たちを、東さんはオタクを例に、脱社会を論じた。東さんの著書『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会(講談社新書、2001年)は話題となった。いまでもいちばん多く読まれている著書だそうだ。

脱社会的存在を、脱社会的存在のまま、放置し、受け入れる社会。そんな寛容な社会をつくることを、真剣に考えていくことが大切である。これが東さんの論であった。

放置し、認める、という第三の関わり。理解はできないが、気持ちはわからないが、ゆるく、うすく、認める、という新しい関係。包摂しないが、排除もしない、「放置する」、という第三の選択ともいえる。
目の覚めるような、斬新さと鋭さをもった、しかし、とても優しい、主張だと私は思った。寛容なという言葉も響いた。感性的に優しくていい社会になりそうだなと共感した。

この"第三"の考えは、後半、民主主義の話題に展開する。

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航海を続けよう。どんな風も前に進む風。ひらまつ 平松博利さん。

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風を求めて、航海を続ける。

平松さんは海の男だった。
フランス料理のミシュラン1つ星シェフ。高級レストラン群を経営しかつ驚くべき増収増益を続ける、超優良企業の経営者。あの"ひらまつ"の平松さん。さわやかで、たくましく、かっこよくて、ほんとうに太陽の陽射しや潮風が似合いそうな方だった。

先を見て、信念をもって、航海を続ける、船長であれ。先の見えない時代だからこそ。それが経営者の役割である。コロンブスは大陸を発見したから偉大なのではなく、航海を続けたから偉大なのだから。こんなメッセージで講演は始まった。
これが、ひらまつのブランド戦略であり、超優良企業ひらまつの経営戦略であり、強さ逞しさの秘訣だった。平松さんの人材育成論であり、生き方論でもあった。

まさに平松さんのフィロソフィー。

一歩踏み出そう。できると信じて、西へ西へ進もう。航海を続けよう。苦労や努力はいらない、全力投球でいまを生きよう、楽しもう。講演のさいごもメッセージだった。そして、ご自身、常にそうでいらっしゃることが、お話、姿勢、視線から、ぐんぐんと伝わってきた。

エネルギーが伝わってくる。よし、私なりに目の前の海を進もう、と元気づけられる。
惹きつけられる。「こんな方となら一緒に冒険の旅をしたい」と思わせる。
そして、古典から学び、ご自身のものとして編集して、平松さんのフィロソフィーにされていた。
まさに名経営者、名リーダー。

昇り坂の儒家、下り坂の老荘
追い風の儒家、向かい風の老荘

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実践的「働く大人の学び」論  菊池桃子さん

1984年デビューの女性アイドルにはこんな人達がいた。

菊池桃子、辻沢杏子、岡田有希子、仙道敦子、倉沢淳美、渡辺典子、荻野目洋子、セイントフォー、長山洋子、少女隊etc。

こうしてみると、先日お亡くなりなった島倉千代子さんではないけれど、まさに「人生いろいろ」である。 芸能界の厳しさを知らされる思いがする。

photo_instructor_684.jpgご本人の話によれば、菊池桃子さんを支えるファンは卒業をしないという特徴があるらしい。年齢でいえばご本人と同じ45歳+-5歳、40歳~50歳。デビュー当時にファンになり、そのまま年を重ねているということだ。
歓声や紙テープはないけれど、いつも温かい目で活躍を見守り続けている。
きょうの夕学に来てくれた人々は、まさにそういう人々であった。

「長い間応援してもらうためには、ファンの皆さんと一緒に自分も成長していかなければなりません」

菊池桃子さんはそう言う。
就職、恋愛、結婚、出産、育児という人生イベントをくぐり抜け、人間として成長していくファンの方々と一緒に、自分も成長し変わっていかねばならない。

ただ、ファンに言わせれば、成長を感じられる一方で、何があってもけっして変わらないイメージもまた菊池桃子さんの魅力なのではないか。

清楚、清潔。それでいて前向き、芯の強さがある。

デビュー当時のイメージは30年経ったいまもまったく変わらない。
変わらないのは、それがイメージではなく、人間としての本質部分だからなのかもしれない。
ファンならよくご存じのことと思うが、菊池桃子さんの30年はけっして平穏な人生ではなかった。ご本人が清潔な笑顔の裏で抱えた悩みや葛藤の大きさは計り知れない。
その荒波の中で人間として成長しつつ、それでいて本質を失うことがない。
それが、ファンが菊池桃子さんを温かく見守り続ける理由なのではないか。

「人生の正午」 40歳を前にして、菊池さんは、もう一度学び直すことを志した。
「障害を持った娘さんにとって一番のキャリアカウンセラーになる」
それが学びの目的であった。

選んだのは法政大学大学院 諏訪康雄ゼミ。雇用政策とキャリア論の大家である。授業が始まるのは夜6時半から。企業の人事マン、教員、厚労省の官僚等々のゼミ仲間15人と机を並べた。
当時は朝の情報番組をやっていたという。子供達のお弁当作りも手が抜けないので起きるのは早朝4時。芸能人、母親、大学院生の三足の草鞋を履く三年間だったという。
そこで何を得ることが出来たのか。菊池さんは実感の貼り付いた自分の言葉で語ってくれた。
それは紛れもない実践的「働く大人の学び」論であった。

菊池さんは、大学院時代に始めた新聞切り抜きスクラップをいまも欠かさず実践している。
気になるキーワードをいくつか決めて、関連する記事を集めていく。ただそれだけのことではあるが、毎日続けていくと時代や社会の動きが見えてくるという。
ボストンコンサルティングの代表だった内田一成さん(現早稲田ビジネススクール教授)が仮説思考のひとつとして実践している「20の引き出し」と同じ手法であろう。

大学院まで行かずとも、新聞さえあれば「働く大人の学び」は実践できる。
菊池さんが言いたかったことはそういうことであろう。

菊池桃子ファン(40歳~50歳)が歩んだこの30年は、日本という国が緩やかな衰退の時期を迎えた時代と重なっている。
失われた5年が10年に、そして20年になった。「下り坂を生きる」という感覚を日本人がようやく受け入れられるようになった時に、自分自身も「人生の正午」を過ぎようとしている。

そんな人にとって、同じ時代に、自分達よりもはるかに大きな振幅で波瀾万丈をくぐり抜け、それでもなお前向きに、志をもって人生の午後を生きようとしている菊池桃子さんを再確認していただけたことは、十分に意義のある一夜になったのではないだろうか。

個別政策は全て間違っている。しかし出てきた結果は正しい  小幡績さん

photo_instructor_698.jpg小幡先生は、今年4冊の本を出した。
「私がひとりで言っていることですが...」という自虐ネタを振ったうえで、ご本人曰く

オバタの四本の矢!!

1月に『リフレはヤバイ』
5月に『ハイブリッド・バブル』
8月に『成長戦略のまやかし』
10月に『やわらかな雇用成長戦略』

いずれもアベノミクス批判を展開している。
前の二冊では、リフレ政策と金融緩和の誤りと危険性を説き、必然の結果として起きた国債と株式の価格上昇をバブルだと断じた。
アベノミクス一の矢、二の矢への反論展開であった。

後の二冊では、官僚主導型の成長戦略の不毛性を訴え、小幡案の成長戦略を提案した。
アベノミクス三の矢への批判と代替案の提示と言えるだろう。

きょうの講演は、この4冊の本の主張をベースにしたものであった。

当初は賑やかだった反アベノミクス論者が、株価上場と円安の進展によって声を潜めていく中で、一人気を吐き、意気軒昂に見える小幡先生には、株価や円が乱高下する度に経済記者がやってきたと言う。
「いよいよアベノミクスの化けの皮がはがれ始めた!」というコメントを期待してのことである。

はぐらかすわけではないけれど、小幡先生の返答は相手の期待とは異なるようだ。

個別政策は全て間違っている。しかし出てきた結果は正しい。
これが、アベノミクスへの小幡先生の評価である。

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私たちが知りうる宇宙には限界がある 池内了先生

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楽屋で池内先生にご挨拶をした。まっすぐでお優しい視線を返してくださって、吸い込まれる気持ちがした。
科学と社会の接点を常にきびしく見つめ、物事を追求されていらっしゃる。科学の終焉というタイトルもご著書も、先生の選ばれる言葉はきびしいものも多い。だから先生も、きびしい方なのではないかと、私は内心ちょっとどきどきしていた。しかし池内先生は、科学初心者である私の稚拙な疑問にも、好奇心から思わずでた反応にも、まっすぐな視線と丁寧な言葉を、常に返してくださった。そんなところもすべてが池内先生のメッセージであったような気がした。視線も言葉もとてもお優しい先生だった。

そして講演。池内先生のご研究の専門は宇宙であるが、近年は科学と社会の接点にある問題についても深く考え、哲学的な問いや社会論についても発言され、そして啓蒙的な活動もされている。池内先生はこうはっきりとおっしゃる。

私たちが知りうる宇宙には、限界がある。

それは「光の速さ」X「宇宙が生まれてからの時間」なのであるが、

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自分の脳で考える おもてなしとサービスということ 宮崎辰さん

講演前、楽屋に入ると、宮崎さんはすでに少し前に到着されていて、舞台上でデモンストレーション用の丸テーブルと椅子を並べられていた。「おー」感嘆。立ち姿、所作がなんて美しい方だろうと思った。

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次に、品よく、おすまししているテーブルと椅子の姿に驚いた。ふだん使いのとりたてて特徴のないものなのだが、宮崎さんの手によって整えられた家具はいつもとまったく違う美しい表情をしていた。

ご挨拶しながら、素直にいまの感想を言うと、宮崎さんは小さく微笑まれて(ような気がした)、手元の紙ナプキンをこう、ではなく、こう、と動かして見せて、「そうなんです。ほんの小さな差。それこそが大事なのです。」とおっしゃった。

宮崎辰さんは、恵比寿にある三つ星レストラン、ジョエルロブションプルミエ メートル ドテルである。
メートルとは、レストランにおけるサービスのプロフェッショナル、と説明される。私も講演の冒頭でそう紹介した。しかし宮崎さんのお話を伺ってわかったのは、メートルとは、 "サービス"と"おもてなし"のプロフェッショナルである、ということだった。

サービスとおもてなしは違う。宮崎さんはこう説明される。

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自分のアイデアで社会を変える。  駒崎弘樹さん

社会起業家という言葉をはじめて聞いたのは7年前の夕学だった。この言葉と概念が日本で広がるうえで大きな役割を果たした慶應SFCの金子郁容先生に教えていただいたのが最初だった。
日本の社会起業家の実例として、金子先生が真っ先にあげたのが、起業間もない頃の駒崎弘樹さんであった。
http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2006/07/post_121.html
その時、金子先生は4つの条件を使って社会起業家を定義した。

1. 社会をより良くしようというミッション性が明確にある。
2. 経済的リターン(利潤)と社会的リターンの両立ができること。
3. 継続的な事業として社会の問題を解決していくこと。
4. イノベーションを実践していること

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今回、駒崎さんの講演を聴いて、社会起業家に対する私の認識が、7年前に出来上がった枠組みに縛られていたことに気づいた。
社会起業家というのは(特に日本では)、小さくてもキラリと光る「草の根型」の組織を起こし、営む人達である。そう思い込んでいた。

駒崎さんは、もっとスケールが大きくて、したたかな人であった。
自分の力が及ぶ範囲でコツコツと社会を変えると同時に、自分がテコになりもっと大きな範囲で社会を変えていこうとしている。
草の根型ではなく、「レバレッジモデル」と言った方がいいかもしれない。

確かに、駒崎さんのフローレンスは、病児保育という日常の問題に目を向けた草の根型からはじまった。生まれ育った東京下町江東区ではじめたビジネスモデルである。

子育て経験豊富な主婦を組織化し、地域医療機関と連携してレスキューネットを構築する。利用者は掛け捨ての月会費を払うことで、いざという時にレスキューネットを利用できる。利用者の使い勝手のよさ、会費による安定収入を両立した画期的なアイデアである。

フローレンス設立から2年、悪戦苦闘の末なんとかモデルが回り始めた頃に、厚労省の役人が「話を聞かせて欲しい」とやってきた。
それから数ヶ月後、「緊急サポートネットワーク事業」という業務委託事業を、国が開始するという記事が大手新聞に掲載された。

「やられた!」 「国(厚労省)にアイデアをパクられた」
駒崎さんは憤慨したという。

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生きるらしく生きる 長谷部葉子さん

「コンテキストのズレを解消することに慣れていない」

かつて夕学で、劇作家の平田オリザさんは、日本人のコミュニケーション上のウィークポイントをこのように表現した。
コンテキストとは、「国柄や地域・文化によって異なる個性」と言い換えることが出来る。「その人の価値観」と言ってもよいだろう。
私たちは、よく知らない人、わからない人と、目的が不明確なまま関係を形成していくことが決定的に苦手である。
要は異文化との接点を上手くやるコツがわからないわけだ。
http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2010/04/post_362.html

photo_instructor_703.jpg「異文化との接点を上手くやるコツ」
これを研究・教育の主軸にして、徹底的な実践主義で取り組んでいるのが慶應SFCの長谷部葉子先生である。

異文化との接点といっても、相手が外国人とは限らない。コンテキストのズレ、価値観の違いは、同じ場所に生きる人、例えば家族間であっても生じる。
価値観が違えば、思い描く絵も違う。同じものを見てもイメージする世界は異なる。だからこそすり合わせと共有化が必要になる。
「異文化との接点を上手くやるコツ」というのは、価値観が多様化した成熟社会で生きる私たちにとって必須の基本リテラシーと言えるだろう。

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日本の美、共存の美 高階秀爾先生

こんにちは。慶應MCC 湯川です。第11回目 11月15日は高階秀彌先生にご登壇いただきました。

文字と絵、意味と音、言葉とイメージが、ひとつの画面に共存し、互いに響き合いながら、美を奏でている。それが日本の美。高階先生のお話は余韻の残る豊かなお話でした。

高階先生のお話は、「古今和歌集」から始まりました。西洋美術の権威である高階先生からこれほどまでに和歌や日本美術のお話を伺うとは。意外で驚きでした。けれども綴られるお話に、西洋の美術と日本の美術、ともに造詣の深い高階先生だから、のお話であることがわかっていきました。日本の共存する美、対する西洋の美は、分け、分かれ、揃える美。

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日本語はまさに共存する美の代表です。
漢字とかな。意味を表う漢字と、音を表すかな。まったく違うシステムが共存して、多彩な表現を生んでいます。音を掛け、意味を掛け、場面と意味を掛けて。左右上下対称の漢字と、非対称のかなは、造形の美もまた生み出します。共存する言葉、ゆえに複雑ですが、ゆえに実に豊かさも生み出しているのですね。

和歌は、共存する美の典型だとわかりました。

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こころを苗にして育てる  安藤忠雄さん

「なんでこんな国になったのか」

photo_instructor_694.jpg安藤忠雄さんは、いつになく厳しいトーンで話しはじめた。
夕学四度目の登壇となる安藤さん、これまでの講演でも日本という国の社会システム、日本人の意識に対して警鐘を鳴らすことが多かったが、今回はこれまでにもまして思いが強かったのではないか。

2020年東京オリンピックが決まったが、安藤さんが監修するオリンピックスタジアム建設の入札に建築会社が乗り気にならないという。
理由は「現場の人が集まらない」ということらしい。
現場監督、大工、左官、建築資材・部品の加工工場等々で働く人がいない。
世界一と言って過言ではない日本の土木建設業。その現場力を支える肝心の人間がいなくなってしまった。
東北復興の需給が逼迫しているという事情はあるけれど、ホテルなどのサービス業でも人不足に悩んでいる。
「額に汗して働く人々」がいつの間にかいなくなってしまった。
「なんでこんな国になったのか」

それほど大きくもない自治体が、2つも3つもオペラハウスを建てようとする。
広大な敷地を持つ郊外キャンパスをほったらかしにして、大学は都心に回帰する。
そこにこれまで投下した資源はどうするのか。
「なんでこんな国になったのか」

経営者はゴルフばかりしている。
ホワイトカラーは勉強ばかりしている。
「なんでこんな国になったのか」

安藤さんが尊ぶスピリットは、ご自身が愛読しているというサムエル・ウルマンの『青春』になぞらえて言えば、「理想を追い求める」ことだ。
(詳しくはこちら(前回)の夕学ブログをご覧ください)
そのスピリットがいまも安藤さんを突き動かしていることは、きょうの講演でもよくわかった。
それだけに、日本人が「野生」「挑戦」「勇気」「構想力」を失いかけていることが歯がゆくてしかたがないのだろう。

「でも絶望することはない。こころはしっかりと残っている」
毒舌ながらもその心底に温かさを持つのが安藤忠雄さんである。

東日本大震災で親御さんを亡くした遺児のための育英基金を立ち上げたところ、たちまち40億円の寄付が集まった。
「日本をなんとかしたい」という人々のこころは失われていない。

「人々のこころ」を種や苗にして、時間をかけて豊かな森に育てようというのが、安藤さんのライフワークのひとつである。

長年の煙害のために全島が禿山だった直島は、20年掛けて日本有数のミュージアムアイランドに変わった。

東京湾では、かつてのゴミの島が「海の森」に変わろうとしている。
自然が持つ生命力を上手に活かしてあげれば、森は自ら育っていく。
「野生」の力を信じて、「勇気」をもって「挑戦」し、「構想力」を駆使して考えれば、荒涼たる大地を緑に変えることができる。

毒舌とユーモアを絶妙のバランスで組み合わせて送られた安藤さんのメッセージはそういうことだったと思う。


丸の内の会場で募った震災遺児育英基金の募金額は70,253円でした。
MCCより安藤忠雄事務所に送金させていただきました。皆さまのご協力に心から御礼申し上げます。

「夢があれば道理は引っ込むⅡ」  三浦雄一郎さん

まずはこちらのブログを読んでいただきたい。
5年前、三浦雄一郎さんが75歳で二度目のエベレスト登頂に成功した後に夕学に来ていただいた際のものである。

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「年を取ったら無理をするな」というけれど、
私にとっては、それは間違い。
「年を取っても無理をする」でないと冒険は出来ない。
夢中にさえなれれば道理も引っ込む

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photo_instructor_686.jpg三浦さんのこの言葉は、夕学13年の歴史の中でも、とりわけ印象深い名言のひとつである。

5年前の宣言通りに、今年5月三浦さんは80歳で三度目のエベレスト登頂に成功した。自身の持つ世界最高齢登頂記録の更新であった。
本日の講演を伺うと、三浦さんにとっての5年間は、やっぱり「年を取っても無理をする」5年間であったようだ。

二度目の登頂の翌年、76歳の冬にスキーのジャンプで転倒し、大腿骨、骨盤四箇所骨折という大怪我を負った。医者は5ヶ月の入院治療を宣言したという。
普通の76歳の老人であれば、ここまでの大怪我を負うと、そのまま寝たきりになってしまうだろう。三浦さんは、「治る」という確信、「治してみせる」という意志の強さが半端ではなかった。
サムゲタン風に煮込んだ鮭の頭を一日一匹、それも中骨ごと食べるというノルマを自身に課し、サントリーのセサミンをがぶ飲みするという我流治療法で治してしまった。
医者は「10代の回復力だ」と驚嘆したという。
2ヶ月半で復帰、一年後は普通にトレーニングが出来るようになった。

今年の1月には、持病の不整脈で4度目の心臓手術をした。
心臓にメスを入れるのだから、これも普通であれば復帰まで半年はかかる。
にもかかわらず、2ヶ月後にはヒマラヤに出発してしまった。
現地での高地順応フェーズをリハビリ兼用にするという荒技であった。

無理するばかりではなかった。マイナス材料をプラスに転化する発想の転換もやった。
1日のルートを半分に分けて、倍のペースで登る決断をした。
「年寄り半日仕事」
そんな格言を口にしながら、疲労を蓄積しないようにゆっくりと山頂を目指したという。
面白いもので、二倍の時間がかかるはずのものが、ベースキャンプを過ぎた頃から、通常のペースに追いつきはじめたという。
通常のルートだと、疲労がたまり高地にいくほど順応に時間がかかる。三浦さんはゆっくり登ったので、そのロスが少なくてすむ。結果的には、通常ルートの登攀とほぼ同じ日程で登ることができた。
8,000Mを越えてから、ウニの手巻き寿司、お茶会を楽しむ余裕もあった。

家族を中心にしたチームの結束もあった。
次男の豪太氏が常に父に付き添い、長男の雄大氏は、ベースキャンプで通信と情報発信を担当。日常のマネジメントを担当する長女の恵美里さん、妻の朋子さんは、いつも健全なるブレーキ役を務めてきた。
80歳の父の冒険を、40~50代の息子・娘達がチームで支える姿は、理想的な家族像でもある。

「三浦さんの次の挑戦は何ですか?」
この問いを待っていたかのように、三浦さんは楽しそうに夢を語ってくれた。
5年後85歳で、ヒマラヤにある世界で6番目の高峰「チョ・オユー(8,201 M)」に挑戦することである。
チョ・オユーは、8000M級の山で唯一、山頂からスキーで滑り降りることができる山だという。
プロスキーヤー三浦雄一郎氏が、原点であるスキーを履いての挑戦である。

「夢中にさえなれれば道理も引っ込む」

5年後もこの言葉を聞けることを楽しみに待ちたい。

世界を知るためには宗教を知らねばならない 橋爪大三郎さん

photo_instructor_693.jpg世界の人口は約70億人と言われる。
橋爪大三郎先生によると、おおざっぱにみて、その9割(約63億人)は同じ宗教を中心に形成されている4つの文明圏に収斂できるという。
・キリスト教圏(欧州、米国大陸) 25億人
・イスラム教圏(中東、北アフリカ、海洋アジア) 15億人
・ヒンドゥー教圏(インド) 10億人
・儒教圏(中国) 13億人

宗教とは何か、という哲学的問いは横に置いておくとして、宗教がもたらす機能(働き)は何かを考えてみると、
「宗教は同質性を高める」というのが橋爪先生の解説である。
同一の宗教圏で生きる人々は、無意識のうちに同じように考え、同じように行動する傾向が強まる。あらゆる場面で人々の思考と行動を規定するもの。それが宗教である。

同質性が高い社会とは、予測可能性が高い社会である。
見知らぬ人、初めての関係であっても、相手の考え方、行動原理が読めるのでトラブルが起きづらい。
4つの宗教が数千年の歴史を経て、世界に拡大していったのは、宗教が持つトラブル回避効果を、人々が強く認識していたからであろう。

橋爪先生がよく指摘することは、
宗教というレンズを通してみると日本は世界の異端である、という事実である。
神社で初詣、葬式はお寺、年末の楽しみはクリスマスといったように、宗教は都合よく利用させてもらうにかぎるという認識がマジョリティである。
従って、宗教が人々の思考と行動を規定するという感覚がいまひとつわからない。

逆に、オカルト教や過激新興宗教が引き起こすセンセーショナルな事件のイメージが強いので、「宗教にはまると恐い」と極端に考えてしまう。

翻って、日本(特に日本経済、企業活動)が抱える最大のテーマは何かと言えば、いわずとしれた「グローバル化」である。
世界に出て行こう、世界でビジネスを広げようとするならば、世界を知らねばならない。

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長期投資とは成熟経済の生き様である 澤上篤人さん

photo_instructor_692.jpg長期投資の実践家であり熱き啓蒙家、さわかみ投信の澤上篤人会長
2006年5月以来2度目の夕学登壇になる。
いまにして思えば、前回はさわかみファンドの認知が一気に広まっていた頃であった。
2003年5月に400億円だった総資産額は、3年間で5倍近くにまで増えて、1,920億円にまで急増していた。

現時点(2013年10月29日)の総資産額は3000億円強。その間リーマンショック、東日本大震災、民主党政権による政治経済迷走等が連続して起こり、資産運用環境は順調ではなかったことを考えると、ペースは落ちたとはいえ着実に浸透しているといえるかもしれない。
なによりも澤上さんの話を聞くと、私たちの資産運用行動が、日本経済のありように繋がっているだな、ということがストンと腹に落ちていくのが不思議である。

「最初は恐い話からはじめます」

「1975年に23%を付けたものが、バブル崩壊時には15%、それがいま(2013年)ついに0%を割ろうとしている」

澤上さんが持ち出したのは、日本の家計貯蓄率の話である。
我が国の政府債務が対GDP比で200%に達するにも関わらず財政破綻が起きないのは、債務の多くを国内の金融資産(約1500兆円)が支えているからだと言われる。その半分を家庭の貯蓄が占めている。その額約790兆円。

「このペースだと、まもなく預貯金を食いつぶす時代に入り、30年もすればゼロになるだろう。その時に何が起きるか」

とはいえ怯えてはいけない。成熟時代に合わせた、お金の遣い方を身につけることで、将来を変えることができる。790兆円という金額はGDPの1.7倍の規模である。

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「殻」があるから成長する。「殻」があるからじり貧化する。 高橋伸夫さん

「工業化社会はT型フォードによって花開いた」と言われている。

T型フォード.bmp
この自動車がもたらしたインパクトはそれほど大きかったのである。
T型フォードは、1908年から27年にかけての20年間に渡って、単一車種として驚異的な1500万台を生産し、モータリゼーション社会を実現する原動力になった。

T型フォードといえば、単一モデル、部品共通化、移動式組み立てラインに代表されるフォードシステムが想起される。

photo_instructor_691.jpgしかしながら高橋伸夫先生によれば、ヘンリー・フォードは最初からフォードシステムによるT型を作ろうとしたわけではないようだ。

フォードが、まだ若き技術者に過ぎなかった頃、自動車は「馬なし馬車」と呼ばれていた。
馬に変わる動力も蒸気機関、ガソリンエンジン、電気モーターなどが乱立しており、いずれも「オモチャ」の域を出ることができなかった。

フォードは、技術者であると同時に、自分で自動車を作り、レーサーとして自動車レースで優勝するほどの「自動車マニア」だった。
フォード自動車は、自動車好きの青年技術者が、自分の納得できる自動車を作るために作った会社であったのだ。

フォードは、T型に至るまで、Aからはじまって8つのモデルを次々と開発・発売していった。そのプロセスは、現代の経営学コンセプトでいう「ユーザーイノベーション」に近いものだったと、高橋先生は言う。

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組織の老化への向き合い方 細谷功さん

photo_instructor_689.jpg人間が生物である以上、老化は避けられない。
・お腹が出てくる。
・二の腕がたるむ
・頭髪が薄くなる。
・目尻のシワが目立つようになる。
・イスから立ち上がるときに「よっこらしょ」と口にしている
・「最近の若いヤツは...」と言い出す etc
個人差こそあれ、40歳を越えれば、誰もがこのような老化現象を迎える。
老化は不可逆的な変化であって、けっして戻すことはできない。

「複数の人間が、共通の目的のもとに、調整された諸活動を行う」場と定義される組織においても、人間と同じような不可逆的な老化現象が起きる。ところが人間と少し違うところがあって、その違いゆえに組織の老化は始末が悪い。

それが細谷功氏の問題意識であった。

・定例会議が多い
・やるリスクは真っ先に論じられるが「やらないリスク」が論じられることはない
・「できない理由」が得意な社員が多い
・簡単な経費の使用にも複雑な承認プロセスが必要である
・個性的な人が少ない金太郎飴集団である
・仕事は誰がやっても同じアウトプットが出るよう「組織化」されている
・「変わった人」は迫害される企業文化である etc

上記が細谷さん流の組織老化チェックリストである。
一瞥したところ、マイナスのことばかりに見えるが、そう単純なものではない。
組織の老化とは、組織の経験学習の蓄積である。さまざまな成功や失敗の上に積み重ねてきた「資産」でもある。
ある時点までは蓄積には意味があった。組織の成果につながる対応であった。
ところが、ある時点で臨界点に達して、「資産」が「負債」に転化をはじめる。
そこが組織の老化がはじまる時である。

人間の場合、臨界点のタイミングは年齢というわかりやすい目安がある。
「俺も来年は後厄だしな...」などと人知れずつぶやきつつも、少しずつ老化という現実を受け入れはじめる。
昼食のメニューを決めるときに、「ちょっと待てよ」とカロリー計算をするようになる。
万歩計を買い、ジムにも通うようになる。
自分の手柄より若い人を育てることに意識をむけるようになる。
人生とは何か、幸せとは何か、を再考すべく座禅を組んだりもする。

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「会所」という学習の場 桝野俊明さん

photo_instructor_688.jpg住職、作庭デザイナー、造園設計会社の経営、美大教授、文筆家。5つの仕事・役割を兼ねる桝野俊明氏。その活動の中心には「禅」がある。

桝野先生によれば、「禅」は日本的なるもの、特に中世以降の日本文化、に多大な影響を与えた思想であるとのこと。その影響力は日本古来の「カミ観念」以上といってよいだろう。
大人の学びをプロデュースすることを生業とする立場からみると、中世社会の学習システムを駆動させるエンジンのような役割を担っていたようだ。

禅というのは、「本来の自己」と出会うことだ、桝野先生はいう。
自己の内面世界を深く見つめ、自分の中にある真理をつかみ取ることだ。禅ではそれを「悟り」と呼ぶ。
何かをつかみ取った時、真理に気づいた時、人間はそれを他の人々に表現したくなる。目には見えないものを形に置き換えて表したくなる。
禅僧も同じであった。
絵が上手い人間は悟りの瞬間を絵に描いた。
文学的素養がある人は書に表した。
立体的な芸術に秀でた人は庭を造った。
雪舟(水墨画)夢窓疎石(作庭)も、そういう禅僧達のひとりであった。

自分のつかみ取ったものを他の人に表現したいと考えた禅僧達は、おのずと集まりサロンのような場ができていった。禅ではそれを「会所」と呼んだ。
彼らは、それぞれの表現を見せ合い、重ね合わせ、溶け込ませながら、静かな議論に花を咲かせたに違いない。
言い方は悪いけれど、「会所」というのは、表現欲求に突き動かされた禅僧達が作った知的梁山泊のような場所だったのかもしれない。私が思うには、これは素晴らしき「学習の場」である。

やがて「会所」には禅僧のみならず、武士や文化人も顔を出すようになった。
桝野先生が「一休文化学校」と呼ぶ、大徳寺の一休禅師のもとには、連歌の飯尾宗祇能の金春禅竹茶の湯の村田珠光が集い、禅の思想をそれぞれの表現芸術に移し替えていった。
俳諧、能、生け花、茶道、枯山水の庭、水墨画...この時代以降に完成をみた日本文化の多くは、禅の思想を根本の支えとしている。

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「偶然」と「誤解」の安倍外交 佐藤優さん

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今期第一回目の「夕学五十講」 タイトルは「安倍外交は国益を体現できているか」
講演者の佐藤優氏は言う。
質問型の演題に答えを出すことからはじめるとすれば「体現できている」、となる。
ただしそれは「偶然」と「誤解」の上に成り立ったガラス細工の国益でしかない。

なぜ、「偶然」と「誤解」なのか、佐藤氏は、シリア問題を題材に独自の見立てを披露してくれた。

毒ガス攻撃はシリア政府によるものだと断定し、オバマ大統領が軍事介入に踏み切る決意を示したことで、一気に緊張関係が高まったシリア問題は、英国、日本の協力を得られず窮地に陥った米国が、プーチンの大岡裁き的な提案に助けられて、国連安保理に問題解決を委ねるという形で決着しつつある。

佐藤さんの連載「インテリジェンスの教室」風にシリア問題に関わる8月末~9月初旬の事実関係を整理すると次のようになる。

・8月26日 米国はダマスカスでの毒ガス攻撃がシリア政府によるものだと断定し、「シリアはレッドラインを越えた」と軍事介入に踏み切る決意を示した。

・8月29日 英国の下院は、シリアへの軍事介入に参加する前提となる議案を否決した。オバマはシリア攻撃に対する国際世論の厳しさに動揺をはじめた。

・9月3日 安倍首相はオバマとの電話会談で「国連安全保障理事会の決議を得る努力も継続してほしい」と伝え、5日サンクトペテルブルクのG20サミットの場でも軍事介入への同意を求めるオバマに言質を与えなかった。

・9月7日 安倍首相はサミットを中座し、オリンピック開催国を決めるIOC総会に出るためにブエノスアイレスへ飛んでしまった。結果として、オバマは安倍首相を直接口説く(恫喝する)機会を失った。
一方、プーチン大統領は、オバマとの会見で「シリア政府に対し化学兵器を国際管理下に置くよう提案した」と告げ、軍事介入を思いとどまるように要請した。

・9月10日 安倍首相はプーチンとの電話会談でロシアの提案を支持する旨を伝えた。

・9月11日 プーチンは『ニューヨークタイムス』に寄稿し、米国世論に直接訴えるという掟破りのやり方で、オバマの軍事介入に正面から反対した。

・米国は軍事介入を思い止めざるをえず、問題解決は国連安保理に委ねられた。結果として、オバマは国際的・国内的な威信を失い、プーチンのそれは高まることとなった。

この間に安倍首相は、オバマに対して軍事介入支援の言質を与えることなく、ロシアの側面支援をすることで米国の暴走を止め、世界平和と日本のエネルギー確保に貢献した、というのが、結果論としての「国益体現」だと佐藤氏は見立てた。

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キーエンスが500社あれば日本は変わる  延岡健太郎さん

日本の「ものづくり」の危機が叫ばれるようになって久しい。
その危機感は、いつもひとつの結論に行き着く。

日本のものづくり能力はいまも素晴らしい。しかし優れたものづくりだけでは勝てない。ものづくりに加えて、新しい価値をつくりこまねばならない。

新しい価値に関わる、キーワードも流布している。
意味、感動、経験等々
マーケティングでは、「ブランド・エクイティ」「インサイト」「経験的価値」などの概念が語られてきた。

これらはたいへん重要な概念であることは間違いないが、消費財のものづくりでは説得力を持つ一方で、日本の製造業の根幹を支える生産財のものづくりにはピンとこない。
「抽象的過ぎて、よくわからない話」とされてしまう。

製造業の製品開発マネジメントの研究を専門にしてきた延岡先生は、生産財における「価値づくり」を主眼に据えて、独自の定義を掲げている。
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価値=営業利益+人件費+研究開発費+その他
・高い営業利益を確保すること
・従業員に十分な給与を支払うこと
・長期的視野に立って必要な研究開発費を投資すること
・その上でたっぷりと法人税・所得税を払うこと
言い換えれば、社会に貢献すること。それが「価値づくり」である。

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災害は減らすことができる 大木聖子さん

photo_instructor_663.jpg地震も台風も自然現象であって、それだけでは災害ではない。
人や社会があるから災害が発生する。
だとすれば
人間が変わったり、社会を強くすることで、災害は減らすことができる。

それが、学際的な立ち位置で地震学を研究する大木聖子さんの考え方である。
地震に対する人間の意識と行動を変えること、地震に対して社会を強くすること、そのために災害情報の流し方、防災教育、災害科学コミュニケーションの等々の研究と実践を行っている。

講演は、人間が持つ特徴を説明するところから始まった。
「地震に対する人間の意識と行動を変えること」が大木さんの地震学の目的ではあるが、人間には変えられないものもある。
生物としての人間が、環境変化に適応し、生命を繋いできた過程で、何万年もかけて身につけた心理的特徴は簡単には変えられない。
それを心理学では「認知バイアス」というが、大木さんによれば、地震に対してもいくつかの「認知バイアス」に縛られているのが人間のようだ。

正常性バイアス 「まあ、大丈夫だろう」
何か緊急事態が発生しても、大丈夫だ、落ち着こう、という自己抑制的な心理が働くこと。
地震速報を聞いた時、私たち人間は無意識にそう思い込もうとする特性を持っている。

同調バイアス 「みんな逃げていないし」
いざ、という時に自分以外の周りの大勢に合わせようという心理が働くこと。
逃げた方がいいかな、と感じても、周囲が逃げなければそれに従おうとするのが人間というものだ。

「まあ、大丈夫だろう」と「みんな逃げていないし」が組み合わさると大惨事に陥る可能性が高まる。

「認知バイアス」は変えることは出来ない。しかしそういうバイアスがあることを知っていれば、いざという時に自分を客観視できるかもしれない。
大丈夫と思う自分を疑う、周囲に合わせようという自分を否定することで、「地震に対する人間の意識と行動を変えること」ができる。

地震が起きたら、まず逃げる。誰よりも先に、皆に声を掛けながら。
結果として何も起きなければ、それが一番いいのだから。
大木さんの最初のアドバイスである。

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シチューではなく、サラダを  坂井直樹さん

「日本にはいいデザイナーがたくさんいる。にもかかわらず日本企業はデザインで負けている」

photo_instructor_674.jpg坂井直樹さんの危機意識は、この言葉に集約されそうだ。
45年間デザインの世界で生きてきた自らの経験・知見を活かして、ビジネス・経営とデザインの結節点を大きく、強くする。
それが、坂井さんの社会的使命感なのかもしれない。
だから、実務家に向けてデザインの意義を語るし、大学でデザインマネジメントを教える。

坂井さんによれば、デザインの歴史は工業化社会の到来とともに始まったという。
産業革命を経て、人間の手に頼っていた「工芸」が、機械による「工業」に変わった。
当初、機械は「不器用な手」と評された。大量生産は可能になったが、工芸品が持っていた美しさ・繊細さが失われてしまった。どれもこれも同じような見栄えで美しくない。機械はなんと不器用なのか。ということであろう。

機械の不器用さを埋めるために生まれたのがデザインという概念であった。
デザインとは、言い換えれば「美を数値化する」ことである。
アーティスティックな感性を、直線の長さ、交差角度、曲線の関数といった数値に置き換え、工業化社会の大量生産システムに組み込むことがデザインであった。

デザインは生産性向上のツールであり、技術と不可分の関係にあった。ということは、技術がそうであるようにデザインは経営機能の一部とさえ言えるかもしれない。
80年代の日本企業の躍進を分析した米国のMBA教育がManagement of technology(技術経営)というコンセプトを作り出したように、現在の日本の経営教育にManagement of design(デザイン経営)という概念が必要なのかもしれない。

坂井さんによれば、ジェームズ・ダイソンも、F・A・ポルシェも、エンツォ・フェラーリもエンジニアでありデザイナーであり、経営者であったという。

さて、デザインが味気ない機械の造成物に美という魅力を付加するツールであったように、グローバル化する社会にあって、ダイバーシティをベースにしたデザインは、世界で求められるデザインを産み出すためのツールであり、仕事のやり方である。

シチューのようにさまざまな素材を煮込んで別の味に統合するのではなく、サラダのように素材の味を活かしつつ全体のアンサンブルを形成すること。
それがダイバーシティをベースにしたデザインの目的である。

坂井さんのクリエイティブ人生はダイバーシティをベースにしたデザインを先取りした45年間でもあったようだ。

坂井さんを一躍有名にした日産「PAO」のコンセプトメイクは、ファッションの経験しかない、女性だけのチームで作られた。しかも経営者(坂井さん)は免許さえ持っていなかった。
自動車の世界から見れば異質性の塊のようなチームが、自動車の基本モデリングを四角型から丸型に変えてしまった。

現在、坂井さんのチームが「PAO」のコンセプトメイクをした時代に比べると、ダイバーシティをベースにしたデザインの環境は格段に整っている。
SNSを使えば世界の異質性を取り込むことが簡単にできる。あとはやり方に慣れるだけ、慣れるということは実践すること以外にない。とにかくやってみることである。

「日本人はインプットに熱心だから...」

冒頭でさりげなく発したひと言は、坂井さんから日本社会に向けた、アイロニカルなメッセージでもあった。

どうすればいいか、どうやって障害を乗り越えるかを考えることは重要だが、「これで大丈夫」という答えは見つからない。
だとすれば、まずはやってみるしかない。

海陽学園という試み 中島尚正さん

photo_instructor_669.jpgきょうの講演者、中島尚正先生が学校長を務める海陽学園の設立は2006年。
学園のサイトでは、「将来の日本を牽引する人材」の育成を目標に掲げている。
日本の教育の危機感をもった中部財界が音頭を取った。トヨタ・JR東海・中部電力が40億円ずつ。他に80社が1億円ずつを寄付して計200億円の基金をもとにして生まれた次代のリーダー育成の場である。

完全全寮制で中高一貫教育。男子のみ一学年120名の生徒達が三河湾を望む13万平米のキャンパスで寝食をともにしている。
学費は280万円。私立の二倍以上になる。

全人教育を謳うだけあって生活指導は厳しい。
ケータイ、ゲームは禁止、PCのネット接続も制限する。マンガやテレビも限られた時間しか許されない。24時間定められたスケジュールをこなさねばならない。年に数週間の休暇以外は、その生活が6年間続くことになる。


全寮制という教育システムは、「リーダーの全人教育」の方法として有効だとされて、英国のパブリックスクール、米国のボーディングスクール、日本では戦前の陸軍幼年学校、海軍兵学校がそうであった。私も受講者の質問で初めて知ったが、都立秋川高校(1965年開校)という学校もあったそうな。

しかし、日本では現在完全全寮制はほとんど存在しない。秋川高校も2001年に閉校した。
コストの問題が一番のネックになるようだ。
中島先生によれば、多感な少年に全人教育を施すためには、一人の寮長(舎監)が面倒を見ることができる生徒は20人程度だという。
300人の生徒がいれば、15人の舎監が必要になる。それだけで億単位の費用。しかも誰でもよいわけではない。

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縮小社会への適応力が必要だ 萱野稔人さん

photo_instructor_665.jpg猛暑突入を避けたかのように15日までイギリスに出掛けていたという萱野稔人先生。「日本のナショナリズム」について話して欲しい、という学者仲間の招請を受けた講演旅行とのこと。

萱野先生によれば、英国では、日本のナショナリズム、ことに東アジア情勢の不安定化に連動して起きている動きに関心が高いという。
竹島、尖閣諸島をめぐる日韓・日中の軋轢、新大久保でのヘイトスピーチ、安倍首相の発言、橋下大阪市長の慰安婦問題発言等々、当事者である日本人以上に緊張感を持って状況をみている。

それはなぜか。
日本のナショナリズムは、欧州のナショナリズムと同じなのか、違うのかを見極めたい。
英国の知識人は、そう考えているようだ。

英国では、2年前の統一地方選で極右政党の「英国国民党」が大躍進した。フランス、ドイツ、オランダでも極右政党の動きは活発である。移民排斥、死刑復活、反EU等々、彼らの主張はよく似ている。

萱野さんの見立てでは、
日本と欧州で起きているナショナリズムの伸長は構造的類似性がある、という。

いずれも、縮小社会にあって、これ以上限られたパイを奪われたくない、寄生されたくない、という国民意識に起因している。
低所得者層を中心に沸き起こったその意識運動が、欧州では移民排斥へ、日本では反韓・反中へ向かっているという図式である。

萱野先生によれば、現代のナショナリズムは、かつてのような無知・無教養に起因するのではなく、縮小社会のリアリズムを反映した根の深いものだ。縮小社会が構造的な問題である以上、人権や人類愛などの普遍的価値を説いたところで、問題の根っこはなくならない。

では、世界の先進国を覆う縮小化の波はなぜ起きたのか。たまたまなのか、避けられないのか。文明論的な巨視的な分析が必要である。

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「調べて書く」のではなく「頭にあるものを書く」 小田嶋隆さん

photo_instructor_666.jpg当代きっての人気コラムニスト小田嶋隆氏によれば、コラムというのは「枠組み」ということらしい。
新聞紙面の一画に罫線囲みのスペースを与えられ、その「枠組み」に収まる範囲で文章を書くことを求められる。罫線囲みは、新聞オピニオンとは一線を画すという、新聞社側の宣言でもある。

つまりこの中に書かれていることは我々(新聞社)の統一見解ではありませんよ、という逃げを打たれているに等しい。

新聞紙面の別枠、体制内の反体制派。
言いたい放題、やりたい放題の反体制派ではない。ましてや過激派ではない。
ある秩序を受け入れ、しかしその範囲内で誰も言わないことを言う。
それが、コラムニストの立ち位置ということになる。

言い方を変えれば、コラムがコラムである所以は、そこに独自な視点があるかどうかである。
小田嶋さんは、コラムの世界で30年近く生きてきた「コラム道」の求道者である。

「調べて書く」のではなく「頭にあるものを書く」

小田嶋さんのコラム作法はそういうものだという。

ネット社会では知識人・業界人と一般の人々との情報非対称性はぐんと縮まった。
「ネェネェこれ知っている」的なモノ書きが生きていける場所はなくなった。調べなければ書けない程度のコラムでは、人のこころを動かせない。

「頭にあるものを書く」とは、脳の中で眠っていた記憶に新しい命を吹き込む作業のようだ。
小田嶋さんの脳の中には若い頃に読んだ本、経験した出来事、聞いた話など、何十年もかけてコツコツと蓄えてきた雑多な記憶が詰め込まれている。
これらの記憶は、いわば発酵食品における微生物の働きをする。

素材となるのは、旬なネタ、例えばニュースや事件やスキャンダルかもしれない。いずれにしろ素材以上のものではない。
ところが、小田嶋隆という醸造機に放り込まれて、何十年も住み着いている麹菌が植え付けられ発酵することで、豊潤な香漂うお酒に姿を変える。

「頭にあるものを書く」ということは、そういうことである。

小田嶋さんによれば、人間の脳内では、ひとつの記憶にいくつもの雑多な関連記憶がヒモ付されて格納されている。
一見無関係で脈絡ないようにみえて、その人の中では独自な編集がほどこされ、ひと連なりのエピソード体系として「ある意味」を形成している。
その人ならではの色彩豊かな「知の体系」である。

この「知の体系」は、ゴツゴツして手垢にまみれているかもしれない。
デジタル処理を施し、共通フォーマットに落とすことが出来ない。クラウドにあげていつでも、誰とでも共有化することが出来ない。断じて、そういう類の情報ではない。

だからこそ、人のこころに訴える。
読者がそれぞれに持っている「知の体系」を刺激して共感を呼ぶ。

800字、1200字、2000字のコラムの中に、書き手の歩いてきた人生の軌跡を探すことができる。

ひとつの道に頼らない生き方 安藤美冬さん

「この道より我をいかす道なし。この道を歩く」

この名言を残したのは武者小路実篤だという。
実篤がこの言葉に込めた本意は、何だろうか。

ひとつの道をとことん突き詰める。

という意味だと言う人が多いかもしれない。
その背景には、ひとつの仕事に打ち込んで、その道を極めることを尊ぶ日本社会の気風があるのではないだろうか。
ひとつの仕事は、ひとつの会社、ひとつの場所、ひとつのチームと同義語になることもあり、例えばプロ野球の世界では、フリーエージェントの権利があっても、そのままチームに残る道を選ぶ選手の方がファンの声援が温かいような気がする。(私の気のせいかもしれないが)

私は二度転職した経験があるが、最初の時(30歳)に、転職をする(した)という話をすると、多くの人から、そこはかとない憐れみの表情を浮かべられたことをよく憶えている。

兼職や兼業ということのイメージもよくない。
「二足の草鞋を履く」ということわざがあるが、調べてみたら、江戸時代、博徒が十手を握り捕吏になることを言ったようで、同じ人が普通は両立しないような仕事を一人ですることをいうらしい。
二つのことを掛け持ちすることは、無理のあること、普通ではないこととされていたようだ。

photo_instructor_670.jpg安藤美冬さんが、30歳で集英社を辞めノマドワーカーの道を選んだのは、上記の気風に対する逆張りの戦略であった。

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人生の北極星  宮本亜門さん

photo_instructor_658.jpg8年振りとなる宮本亜門さんの夕学。
パッション、ユーモア、温かさ、頭の回転の速さ どれをとっても超一流。講演者としても卓越したパフォーマーである。

規格外であることを強みに転化してきた人

亜門さんをひと言で表現するとしたら、そう言えるのではないか。

亜門さんのお話を聞くと、御両親もどちらかと言えば規格外の人であったようだ。 
慶應を卒業後、紆余曲折を経て新橋演舞場前で喫茶店を経営するお父上。
SKDダンサーとして舞台に立っていたというお母上。
ふたりとも子供愛もたっぷりで、亜門さんには、規格外のコップが溢れるくらいの愛情量を注いで育てたようだ。
父は、母校の慶應への入学を期待し、母は、3歳から藤間流の踊りを習わせた。
規格外の両親を受けて、亜門少年も規格外に育った。

子供の頃の趣味は毛虫採集。好きな昔話は楢山節考。
中学校では、お茶や仏像巡りに没頭した。

多感な高校時代は反動が訪れた。
自分が他人と違うことを過剰に意識し、引きこもりになった。
ただし、このままで終わってしまったら、普通の引きこもり少年である。
亜門少年の場合、立ち直り方も規格外だったようだ。

慶應病院の医師のカウンセリングをきっかけに自信を取り戻した亜門少年は、演劇の世界に飛び込む。
カウンセリングで気づいたことは、「新しいこと、面白いことを多くの人に伝えたい」という願望が自分の中にあるということだったようだ。演劇は、その願望を叶えるフィールドとして最高の場所だった。

出演者、振付師を経てロンドン、ニューヨークに留学し演出家としてデビューを果たす。
蛹が蝶に変わるように、劇的な変態を見せたということか。
以降の活躍は多くの人々が知るところである。

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まずはじめに自分が社会に働きかけるかどうか 三宅秀道さん

一年間に7万8千点の書籍が出版されていると聞くが、著者がそれまでの人生をかけて、渾身の力を注ぎ込んだ本というのはめったにあるものではない。
三宅秀道氏の『新しい市場のつくり方』という本は、その"めったにない"本と言えるだろう。
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三宅氏は、弱冠40歳の若手経営学者である。早稲田商学部で経営史を学び、商学研究科ではベンチャー論を選び、東大ものづくり経営研究センターでは藤本隆宏氏のもとで製品開発論を叩き込まれ、東大駒場で文化人類学にも関心を持ったという変わり種である。

photo_instructor_668.jpgそう聞くと現代の高等遊民かと思ってしまうが、実際は苦労人で、学費や生活費を稼ぐために企業や市役所で嘱託として働いたという経歴を持つ。そのせいか40歳にしては少し老けて見える(笑)(※たいへん失礼致しました!)

この本は、そんな三宅先生が、18年間のアカデミックキャリアの全てを込めて書き上げた本だという。それがよく伝わるのは帯書きの藤本先生の推薦文だと思うので、そのまま掲載したい。

本書は要注意の本だ。一見軽そうに見えて論理は重厚。事例は軟派だが解釈は硬派。ラテン野郎の与太話かと思いきや、実はゲルマン魂の高踏派。幻惑されてはいけない。 むしろシュンペーター、ドラッカーの筋が好きな人にはよくわかろう。 問題開発、認知開発、必然的偶然などの新概念も並び、類書はありそうでない。 商品開発の根本に戻り、イノベーションの王道を行かんとの志を持つ人々に本書を勧める。
とある。 恩師として最高級の褒め言葉だと思う。

確かにこの本には、そして三宅先生の講演には、理論の説明はほとんどなかった。ひとりでも多くの人に読んでもらうため、理解してもらうために、背景理論の説明を我慢して、我慢して後ろに隠したのだろう。学者としては難しい作業だったと思う。
「B級グルメ」のような経営書と自称しているが、あえてB級料理に仕上げるために、かなりの苦心と試行錯誤があったに違いない。
そんな苦労や思いの熱量が行間から匂い立ってくるような本である。

本の紹介が長くなり過ぎたが、ほとんど無名の若手経営学者を夕学にお呼びした理由にもなると思ったので書かせていただいた。

さて、この本をモチーフにした講演は三宅先生の軽妙な語り口とよく練り込まれた論理展開もあって、楽しい講演になったが、伝えたかったメッセージは、随分と骨太である。

「企業の目的は顧客の創造である」
と喝破したドラッカーと同じことを、違う言い方で伝えたように思う。

企業の目的は「新しい市場」を創造すること。
それはスティーブ・ジョブズやラリー・ペイジのようなひと握りの天才経営者でなくとも、豊富な資金や人材を有する大企業でなくとも、たとえ、社員8人の家族企業であっても同じこと。

むしろ技術や資金や組織能力がない方は、失うものやこだわりがないぶん柔軟になれるかもしれない。
どこか知らないところに「成功する商品」「新しい市場」が存在しているわけではない。
要は、まずはじめに自分が社会に働きかけるかどうか。
働きかけた結果として起きる小さな反作用を逃さずに掴まえて、更に大きな働きかけを返すことが出来るかどうか。
それを何度も何度も繰り返すことが出来るかどうか。

それが人々の意識を変え、ニーズを喚起し、社会や文化を変えて、新しい市場を作り出す。

そういうことだと思う。

「新しい学びの文化をつくる」ことを標榜している慶應MCCにとっても、ズシンと思いメッセージであった。

人生に正解はない、働き方にも正解はない。  古市憲寿さん

作家 山本一力氏の代表作『あかね空』は、江戸時代の起業物語としても読める。
京都生まれの主人公栄吉は、二十五歳で江戸に出て、深川の三軒長屋で豆腐屋を始める。数え十二で修業を始めて以来コツコツ貯めた十五両が元手で、あとは自分の腕と出入りの大豆問屋の紹介人脈だけを頼りに単身江戸へと乗り込んだのだ。
いまでいえば、大阪で板前修業を重ねた高卒の若者が貯金百万円を資金に、東京下町のアパートの一室で弁当屋を始めるようなものかもしれない。
ちょっと無謀な挑戦に思える。

ところがおもしろいことに、栄吉の周囲の人々は、彼の挑戦に驚くことなく「若いのにたいしたものだ」と評価し応援してくれる。
長屋の隣人(大工)は祝儀代わりに豆腐製造用の大桝をただ同然で設えてくれた。長屋に出入りしていた棒手振りの豆腐屋もライバルでありながら陰で支えてくれる。
栄吉も、大工も、棒手振りも皆同じ「働き方」で生きている。「雇われないで生きる」人々である。
栄吉は起業家、大工はひとり親方の自営業、棒手振りはフリーエージェント的営業マンといったことろか。
江戸時代の日本は、それが当たり前の生き方であった。

photo_instructor_656.jpg古市憲寿さんによれば、この感覚はなんと1970年代まで通用していたらしい。
『ドラえもん』の第一回(1970年)には、未来からやってきたドラえもんが、のび太がどんな人生を送るかを彼に教えてくれる場面がある。なんとのび太は、就職できずに、仕方なく会社を興し、しかもなんとか7年間も持ちこたえていた(結果的に潰れたけれど)。
あの、のび太でさえ起業家になれる。しかも作者(藤子不二雄)も、読者も、それが不自然なこととは認識していない。
生きていくために会社を興すという生き方は、つい40年前までは、ごく普通の感覚であったということだ。

起業家、ノマドワーカー、フリ-エージェントは、皆同じ範疇に入る人達である。組織に雇われないで生きることを選んだ人達である。
日本では、雇われていないで生きること・働くことがマジョリティである時代が随分と長く続いていたことになる。

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相手がしゃべりたくなる対象になれるかどうか  阿川佐和子さん

新書では、何年かに一度驚異的なベストセラーが誕生する。
永六輔『大往生』1994年
養老孟司『バカの壁』2002年
藤原正彦『国家の品格』2005年
姜 尚中『悩む力』2008年
などの本が社会現象化に近いブームを巻き起こしてきた。こうしてもみると、いずれの本も、功成り名を遂げている著者であり、ご本人の専門から少しずらしたテーマながらも、この人がこのテーマを書くのならぜひ読んでみたい、と思わせる絶妙な企画がなされている。
上記の方々のうち、夕学がスタートした2001年以降の著者には、すべて夕学に登壇をいただいてきた。

photo_instructor_664.jpg阿川佐和子さんの『聞く力』は、2012年1月に刊行されて現在141万部。いまも売れ続けているという。
直裁かつ洒脱な文章が魅力の作家・エッセイストであり、一方で雑誌・テレビで毎月8人の著名人と対談、討論をするという阿川佐和子さんが、「聞く」というテーマで書き下ろしたこの本も、読んでみたいと思わせるテーマと著者の組み合わせである。

ちなみに、阿川さんによれば、ベストセラーを書いた人は皆同じ事を言うという。
「自分の本が、なぜこんなに売れたのかよくわからない。わかっていれば次の本も売れたはず...(笑)」
阿川さんらしいウイットに富んだ逸話である。

さて、講演では阿川さんが考える「聞く力」のコアエッセンスを、ご自身のテレビ・雑誌のエピソード、失敗談を交えながら楽しく語っていただいた。

阿川さんは言う
「インタビューは生ものである」相手との相性、タイミングによってフィットする話法やHow toは変わる。ましてや、どういう質問をするかではない。「相手がしゃべりたくなる対象になれるかどうか」につきる、と。

そのために、阿川さんは、事前に質問をある程度は用意するものの、それにこだわらないように心がけているという。
質問リストにこだわると、用意した質問ができたかどうかということばかりが気になり、相手の話にのめり込めない。それが相手にも伝わってしまう。結果として表面的な部分で終わってしまうことがある。

いま、このタイミングで気になること、聞きたいと思うことに遭遇したら、それをしっかりと掴まえて突破口にすると、思わぬ展開に転ぶこともある、という。

「相手がしゃべりたくなる対象になれるかどうか」ということは、
「相手が話したいと(潜在的に)思っていることに気づくかどうか」ということなのかもしれない。
言うならば、それが「聞く力」のカンドコロとも言えるだろう。

お父上(作家の阿川弘之氏)の友人である故遠藤周作氏の逸話も面白かった。
対談は、具体性に富んでいないとダメだ、という。
あるエピソードや経験をきっかけにして、「なんで」「どうして」「その後どうした」と繋ぎたくなるような具体性があると、対談は豊かになる。

ただし、具体性に富んだ話ほど、脱線も多いし、一見くだらない話もたくさん混じり込む。その中から、「宝モノ」を見つけ出せるかどうかは、読者や聴衆の力量にもよる。
「聞く力」ならぬ「聴く力」が重要なのかもしれない。

中国はいま  国分良成さん

photo_instructor_655.jpg意図したわけではないけれど、習近平の訪米が大きな話題になった直後のタイミングに設定された国分良成先生の講演は、実にタイムリーな企画となった。
昨年の反日暴動と尖閣問題の緊迫化を経て、日中関係はかつてない相互不信状態に陥っている。
「中国はとても大切な国ではあるけれど、いったい何を考えているのか理解できない」
それが我々一般人の率直な感覚である。
この時期に、現代中国研究の第一人者の講演は願ってもない機会である。

今朝の新聞では、米中首脳会議で習近平が、尖閣は中国にとって「核心的利益」であると表明したという記事が掲載されている。
奇しくも、国分先生の現代中国解説も「核心的利益」とは何かに言及することから始まった。
「核心」という言葉の含意は「ひとつに絞る」ということ。つまりいろいろと大切なことはあるけれど、その中からもっとも大事なひとつに絞り集中する。それ以外は妥協や手打ちもやむなしと割り切る。
それが「核心的利益」の意味だという。

では、現代の中国における「核心的利益」とは何か。
それは、現体制(共産党による一党独裁支配体制)の維持に他ならないと国分先生は喝破する。中国共産党が国家を率い、軍を統べる「党国体制」を維持することこそが、もっとも大事な利益だという。

見方を変えれば、それだけ危機的状況に陥っているのかもしれない。現体制による反政府勢力に対する強圧的な抑え込みは、文革時代や天安門事件後を彷彿とさせるほど異常なものだという。無理に無理を重ねている状態だと、国分先生は見ている。

なぜ、そこまで強圧的になるのか。
理由は、この20年間党国体制で推進してきた「社会主義市場経済体制」の限界がはっきりと見えてきたことに他ならない。

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ミシマ社という名の実験  三島邦弘さん

「原点回帰の出版社」 「一冊入魂」 「ほがらかな出版社」

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いずれも、三島邦弘さんが7年前にたったひとりでミシマ社を始めた頃から謳っているコピーである。
「キャッチコピーではありません」
三島さんは、そう言う。

キャッチコピーという言葉には、人目を惹くために、実体よりも大きく美しく見せようという虚飾の芳香がまとわりついているけれど、自分達は違う。
本当にそれにこだわっている等身大の自己を表現する、実感を込めた言葉である。
既存の出版社で失われつつある「大切なもの」を追究し、なおかつ持続可能な経営体を目指そうという「実験」だという。

無骨で一徹、でも明るく楽天的。
スマートでも、雄弁でもないけれど、素の人間として人から愛され、信頼される。三島邦弘さんとは、そんな人である。

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拉致と決断  蓮池薫さん

東大でバリアフリーを研究する全盲ろうの研究者福島智先生は、かつて夕学でつぎのように話してくれた

生きる意味=苦悩+希望

「苦悩」の中に「希望」を抱くこと、そこに人生の意味があると。

同時代の日本人の中で、福島さんの言葉を自分の実体験に照らし合わせて理解できるであろう、数少ない人のひとりが、蓮池薫さんではないだろうか。
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蓮池さんの24年間は、絶望的な環境の中に希望を見いだすことであったという。それが生きる意味であり、生き抜く力であったのではないかと思う。

蓮池さんにとって、希望の中身は時とともに変わった。
拉致当初は、生きること、死んでたまるかという思い、いわば生存本能を失わないことこそが希望であった。
そのためには、自己の置かれた環境を冷静に把握し、適応する必要がある。蓮池さんには、それを可能にする理性と意志の強さがあった。
自らの運命を得体の知れぬ他者に委ねることへの恐怖や屈辱に耐える力があった。

やがて、結婚し子供が生まれたことで、希望の中身は変わった。
家族を守ること、子供達を育て上げること、つまり良き父親であることが希望となった。平和と飽食ボケした私たちには想像すらもできないが、激烈な北朝鮮の社会条件、生活条件の中で、拉致された日本人が家族を守り、子供達を普通に育てることは、とてつもなく困難なことではなかったか。
何があろうとも、どこに行こうとも、疑われるような行為だけは絶対にしない。日本帰国への思いを絶ち、ひたすら現状に順応することが必要だった。

子供達にさえ拉致の事実を隠し、出自を偽り、日本語を一切教えなかった。日本人である子供達に、日本人であることを隠して生活することの辛さを考えると胸をつぶされる思いがする。それが良き父親でるために必要なことであっただけに蓮池さん夫婦が抱えねばならなかった精神的葛藤、不条理の重さは筆舌に尽くしがたい。

蓮池さんは、この24年間を「最悪の状態を想定し、それを免れるために考えをめぐらし、行動した時期だった」と述懐してくれた。

2000年代になって、蓮池さんの周りに吹く風が大きく変わった。
2002年の一時帰国は蓮池さん夫妻にとって、想像すらできなかった一大転機であったという。日本に戻った蓮池さん夫妻は、当初は北朝鮮に戻るつもりであった。残された子供達を守るためには、なんとしても戻らねばならないと思ったからだ。

しかし、風向きの変化は、蓮池さんの希望の質を変えた。
最悪の事態から逃れるにはどうすればいいかという消極思考から、最良の結果を勝ち取るためにどう振る舞えばよいかという積極思考への変化である。
自分達の帰国を待ち望んでいた日本の家族(父母、兄)と北で新たに生まれた家族(子供達)が日本の地でひとつになれること、それが蓮池さんの希望となった。

北朝鮮に戻らず、子供達を日本へ取り戻す。
蓮池さんの決断は、「ふたつの家族を日本でつなぐ」という希望に支えられたものであった。


蓮池さんは、拉致された時の状況をつぶさに語ってくれた。なぜ拉致を企てたのかという北朝鮮の思惑も推察してくれた。常時監視のもとで送った招待所での生活、90年代以降にひどくなった食糧事情の実態なども詳しく話してくれた。
興味がある方は、是非とも迫真の手記『拉致と決断』を読むことをお薦めしたい。

帰国から10年、蓮池さんのお子さん達は、柏崎を離れ、東京、韓国を行き来しながら暮らしているという。
北朝鮮の政治体制が未来永劫続くはずがない。そう遠くない将来に南北の統一が実現するかもしれない。その時、北朝鮮を故郷にもち、たくさんの友人がいる日本人として、子供達が東アジアをつなぐ役割を果たして欲しい。それが蓮池さん夫妻の願いではないだろうか。

いけばなは「移ろい」の芸術  笹岡隆甫さん

photo_instructor_673.jpg笹岡隆甫さんは、華道 未生流笹岡の血筋に生まれ、3歳から祖父の指導を受けてきた。小さな子供が、ままごとやプラモデルで遊ぶように、いけばなと親しんで育ったという。

二代目家元の祖父は母方にあたる。父親は数学者で、ご自身も建築学者を夢見て京大大学院まで進んでいる。根っからの理系人間でもある。

25歳で、天命に身を委ね、華道に専念することになったが、理系的思考はいまも健在である。「いけばな」とは何かを、分かりやすく論理的に説明することに長けている。
「なぜ」「いつから」「どういう経緯で」という、素人の素朴な疑問に丁寧に答えることができる。

日本文化の伝承者には、この手の質問が苦手の人が多いようだ
ものごころついた頃から、当たり前のようにやってきたことゆえに、理由など気にしたことがないからだろう。
「昔からそうやっているから...」という答え方が多くなる。

笹岡さんの特性は、日本の伝統文化の伝道者として、新しい時代に不可欠な能力だと思う。


笹岡さんは、「いけばな」について、実にいろいろな話をしてくれた。
皆さんには、是非ご著書『いけばな 知性を愛でる日本の美』(新潮新書)を読んで欲しい。

このブログでは、印象に残ったことをひとつだけ紹介したい。

いけばなは「移ろい」の芸術

「移ろい」とは時間の経過、プロセスのことである。
いけばなとよく似た西洋芸術にフラワーアレンジメントがある。この両者は同じ花の芸術であっても、拠って立つ考え方が違うようだ。
フラワーアレンジメントは、花が美しく見える最高の一瞬を、スナップショットとして切り取ったようなもの。瞬間の芸術とも言える。

いけばなは違う。
例えば、意図的に配置したつぼみが、いつどうやって開いていくのか、葉の色はどう変わっていくのか、その変化を見届けること。「移ろい」を愛でていく芸術である。
はかなく、もろく、だからこそ深みのある世界なのかもしれない。

未生流という流派は、「未だ生まれず」という言葉に由来している。生まれてくる前段階の花を見ることを重んじている。
「見えないものを見る」日本文化に共通するキーワードである。

「見えないものを見る」という知的営みは、深みがある一方で、伝わりにくさ、はかなさという欠点を併せ持つ。
ロジカルに伝えにくい、先入観にとらわれやすい。
日本人でさえ、日本文化の特徴は語れない。
外国人は、わずかな知識・経験のフレームに頼って理解しがちである。

だからこそ、笹岡さんのような方が大切だと思う。
暮らしの中に日本の伝統文化を埋め込んだ環境で生まれ育った。
数学者の父をもち、建築学者を志したこともあるというとびっきりの理系人間でもある。
日本文化を世界に語る、論理と表現力を持っている。
これから10年後、いや30年後、40年後が楽しみな若き華道家である。

「トレンダーズがあったから、女性にとって日本の社会はよくなった」と思われたい 経沢香保子さん

photo_instructor_659.jpgトレンダーズ社の起業と慶應MCCの開設は期せずして同じ2000年である。
売上高推移グラフを拝見すると、つい3年前まで事業規模は並んでいたようだ。いやむしろMCCの方が少しだけ大きかったかもしれない。ところがたった3年でウン倍の差がついてしまった。これもひとえに経営能力の差だと認めるしかない(MCCも少しずつ成長はしているのですが...)

トレンダーズ社を率いる経沢香保子社長は、いまや最年少上場企業女性社長だという。
全3800社の上場企業のうち女性社長は26人しかいないというからその稀少性は特筆すべきものがある。
トレンダーズの成功は、その稀少性を逆手にとったことにある。
女性の社長が少ないということは男発想の経営が行われているということ
一方、現代の消費社会の中核はF1層(20歳から34歳までの女性層)である
つまり、男発想の事業戦略と女発想の消費ニーズにギャップがある
ここにビジネスチャンスがあるはず!
それがトレンダーズ社の戦略であった

女性消費のオピニオンリーダーを組織化しようという創設当初からトレンダーズの戦略は、ソーシャルメディアというフォローウインドを見事につかまえて結実した。

女性起業家の星として、早くからカリスマ的な存在であった経沢さんだが、設立当初から上場を目指していたわけではないようだ。
ベストセラーになった著書『自分の会社をつくるということ』は、女性の新しい働き方を提示するライフスタイル提唱本であった。

トレンダーズ社の経営を「目指せ上場」モードに切り替えたきっかけは、8年前に最初のお子さんを出産されたことだったという。
難病を抱えて生まれたお子さんと向き合った経験が、「日本の女性のあり方を進化させる」ような会社にしようと決意を促すことになった。
自らの環境を前向きに捉え、そこから使命感を紡ぎ出す力が、経沢さんにはあった。
3度の出産、お子さんの介護と死別、離婚と再婚etc。それらの困難を糧に変えていける発想と思考と行動ができた、ということであろう。

経沢さんの真骨頂は、50分間とたっぷりと時間を費やした質疑応答にあったと思う。
全ての質問が想定できていたとは思わない。問われて初めて考えるような事柄もあったのではないか。それらの問いに対して、瞬時に自分の考えをまとめ、よどみなく、そして自信を持って、的確に表現できる能力は特筆ものだ。
39歳の若さながら、いい意味での「凄み」さえ感じさせた。
新世代の女性リーダーとして活躍が期待される存在である。

女性向けのソーシャルメディアマーケティングで成功したトレンダーズ社が、いま注力しているのは、女性ライフスタイル支援事業だという。
「仕事」「美」「パートナー」という現代女性の幸せの三種の神器を提供しようというサービスである。
「あれもこれも欲しい」というのが女性の本性。だから多くの女性が「仕事」「美」「パートナー」のバランスで悩む。そこにビジネスチャンスがある、ということだろうか。

「トレンダーズがあったから、女性にとって日本の社会はよくなった」と思われたい。
このビジョンを掲げる経沢さんにとって、大きなブルーオーシャンが広がっているのかもしれない。

辺境生物が教えてくれること 長沼毅さん

スティーブン・スピルバーグ監督の映画『ジュラシック・パーク』は、バイオテクノロジーを駆使して蘇らせた恐竜の楽園が制御不能に陥るというSF映画である。
映画の中に、2億年前の恐竜をどうやって甦らせたのかという謎を解説する部分がある。
恐竜が闊歩するジュラ紀に、一匹の蚊が木の樹液に絡め取られ、琥珀の中に閉じ込められてしまう。その蚊が吸っていた恐竜の血液からDNAを採取し、恐竜を再生させるというストーリーである。
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photo_instructor_662.jpg長沼毅先生の研究は、これとよく似ている(本人がそう言っている)
長沼先生によれば、琥珀が古代生物のDNAを現代に甦らせるタイムカプセルの役割を果たすというのは映画で言う通りだという。
DNAは生物よりもはるかに長い期間にわたって保存される。
湿った状態で室温保管でも千年から万年単位
乾燥状態にして低温保存すれば百万年単位
冷凍状態で保存すれば千万年単位の寿命
生物としての寿命は短いが、生命の原型というのはなかなかしぶとい。

タイムカプセルの役割を果たすのは琥珀だけではないという。
南極の氷床、シベリアやグリーンランドの永久凍土、砂漠にある岩塩なども同じ役割を果たす。岩塩は億万年単位の時間を閉じ込めることができるとのこと。
琥珀の中に2億年前の恐竜のDNAが保たれるということが可能かどうかは知らないが、少なくとも、数千万年昔の古代生物のDNAが存在していてもおかしくはない。
現に長沼先生は、それを探している。恐竜ではなく微生物のDNAという違いはあるが。

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理想的な師弟関係 栄和人監督&吉田沙保里選手

photo_instructor_660.jpg夫婦であれ、コンビであれ、他人同士の「関係性」を長続きさせるには、ふたりの「相性」が重要であろう。師弟関係の場合はそれに加えて、どちらかの絶対的支配や無条件崇拝だと長続きしない。
栄和人監督・吉田沙保里選手の師弟は相性ピッタリの絶妙な関係である。その上、互いを尊重しつつ補いあう理想的なパートナーシップが感じられる。
吉田選手の生活全般の面倒をみるという監督の奥様が加わったトライアングルになると信頼&協働関係はよい強固になるに違いない。

ふたりはよく似ている。
根っからの陽性人間である。笑う時は爆笑、泣くときは号泣、目立つことが大好き、気のおもむくままに行動するが、周囲がその天衣無縫さを受け止めてくれる人間的魅力を持つ。
一般論からいえば、そういうタイプの人は、「攻めには強いが守りに弱い」「精神的プレッシャーをものともしないが、油断という大敵を抱えがち」である。
吉田沙保里選手にもそういう面があるのかもしれない。

ふたりの違いがあるとすれば、栄監督には「いちばん大事な試合に負けた」という、貴重な挫折経験があることであろう。
その経験が、吉田選手の持つ「強者特有の脆弱性」を補完しているように思う。
吉田さんの明るさ、真っ直ぐさを誰よりも愛しつつも、あえて悲観的に、用心深く、耳の痛いことを言う役割を引き受ける。

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お金は大事だ、よく考えよう  橘玲さん

photo_instructor_672.jpg「未来は誰にも予想できない。なぜなら市場は複雑系の"小さな世界"だから」
「無数の参加者が、それぞれの思惑で勝手に行動する。こういう現象を予測することは原理的に不可能なこと」

橘玲さんは、そう前置きしたうえで、市場でどんな事が起きり得るのか、将来のシナリオは限定できる、という。


1.楽観シナリオ アベノミクスが成功し、経済成長がはじまる。
2.悲観シナリオ デフレ不況がまだまだ続く
3.破滅シナリオ 日本国の財政が破綻する
のいずれかである。

シナリオに沿った資産防衛策を考える際に、橘さんの基本スタンスは明解である。

「マクシミン戦略」
最悪の事態を想定して、その場合の最善の対策を考える、ことである。
マクシミン戦略は、極めて保守的な戦略であり、間違っても大富豪にはなり得ないが、リスク耐性の低い個人には相応しい戦略だというのが、橘さんの見解である。

さらに、もうひとつ考慮しておくべきことは、
経済には強い粘性がある、という特性だという。
ある日突然経済が悪化することはない。かならず兆候があり、段階を踏んで悪くなる。その変化を見落としさえしなければ、手は打てるということである。

もし仮に、日本が財政破綻するとしても、下記の段階を踏んでいくだろう。
第1ステージ 金利が上昇する(国債の下落)
第2ステージ 深刻な金融危機が発生する
最終ステージ 財政破綻が起きる ハイパーインフレとなり、預金が封鎖され、日本がIMF管理下に置かれる

仮に破滅シナリオを歩むとしても、いまがどの段階なのかを見極めて、適切な手を打てば大切な資産は防衛できる、ということだ。
これが、橘さんの考える「先の見えない時代の生き方」である。

さて、それでは各シナリオに応じて、私たちはどのようにして資産を守ればよいのだろうか。

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監督選定の基準はただひとつ「ファンサービスが出来ること」  藤井純一さん

9年前2004年に巻き起こったプロ野球再編騒動を憶えているだろうか。
オリックスと近鉄の統合(現オリックス)に端を発し、セ・パの複数球団が経営統合し、10球団or8球団で1リーグ制に移行しようという構想が表面化したものだ。
慢性的な経営悪化に悩み続けてきた多くの球団が、いよいよ赤字を抱えきれなくなってきたという背景があった。

同じ年に日本ハムファイターズは北海道へのホーム移転を決断した。
合併と方向性は異なったが、移転を決意させた理由はまったく同じであった。
球団は2003年一年間で46億円の赤字を出した。広告宣伝費として補填をする日本ハム本社内にも投資効果への疑問の声が渦巻いていた。
チームは20年以上優勝から遠ざかり、人気も低迷していた。観客が267人しか入らない試合もあったという。

そこに送り込まれたのが藤井純一氏である。
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ファイターズと同様に日本ハムがスポンサーであるJリーグのセレッソ大阪を再建した手腕を買われての任命であったと思う。
2005年に役員として入り、翌2006年からは社長に就任する。

藤井さんの再建コンセプトは明確であった。
ファイターズに「経営」を導入することである。
企業の広告塔として発展してきた牧歌的時代が長い日本のプロ野球には「球団経営」という発想が薄い。ファイターズも業績さえ社員は知らなかったという。

「経営」の要諦は二つだと言われている。
「組織」を組むこと、「戦略」を立てること。

セレッソ大阪でプロスポーツ経営に通じていた藤井さんは、それを果敢に実施した。

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現状は1986年に似ている 山崎元さん

photo_instructor_671.jpg「経済誌の記事やオンラインメルマガで注目されて、それをベースに本を書き、テレビで名を売って、講演で稼ぐ。
それが経済評論家のひとつのビジネスモデルだとしたら、自分にはあてはまりませんね」

山崎さんは、控室で穏やかな表情でそう語った。
アベノミクスについて早い時期から肯定的な論評を発表し、市場の反応を先取りするような予想を展開してきた山崎さんには、さぞかし講演の依頼も多いかと思ったら、そうでもないようだ。

「経済講演のスポンサーは金融機関が多いと思いますが、わたしは彼らに嫌われていますからね」

・現在の投資信託にはろくなものがない
・生命保険は不要、特に医療保険は入らない方がいい
といった、歯に衣着せぬ刺激的発言をしてきたから、というのが本人の弁であった。

温厚で紳士的ではあるけれど、自分の信じたことは一歩も引かないし、言うべきことは遠慮なく言う。

それが山崎元さんなのかもしれない。


さて、きょうのお話の中心は、「アベノミクスはなせ効いたのか」というロジックの解説であった。
アベノミクス第一幕の演目は、「インフレ目標付き金融緩和策」であったが、それは概ね適切かつ必要な政策であった、というのが山崎さんの意見である。

成功要因は、インフレ「期待」への働きかけが効いたということ。言い方を変えれば、「働きかけの本気度」を市場が信じたということであろう。

2%と言う高いインフレ目標(過去20年間に2%を越えたのは、たった1年だけ)
筋金入りのインフレ目標論者が日銀総裁、副総裁になったこと
2%を達成できなければ辞任という発言を岩田副総裁が明言したこと

等々の効果によって「こいつは本気だな」と市場が信じたということであろう。

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戦わずして勝つためのインテリジェンス 手嶋龍一さん

インテリジェンスとは、西洋流「孫子の兵法」である

photo_instructor_654.jpg手嶋龍一さんのインテリジェンス論を聞いた私の感想である。

「孫子の兵法」は、非戦・非攻の思想、つまり"戦わずして勝つこと"に本質がある。
兵を損傷することなく、国土を痛めることなく、財貨を費やすことなく、求めるものを手にいれる。そのために孫子は、「謀」「間」といった情報戦の意義と方法をつまびらかに説いたのだ。


孫子は「間に五有り」と説く。情報には五つあるという意味である。
因間、内間、反間、死間、生間の五つ。

・因間-その地に精通した者がもたらす地元情報
・内間-官僚・知識人が知っている専門家情報
・反間-心理の裏側や内面をなど見えないものから読み取る情報
・死間-偽りの噂を流して、相手の出方を探る攪乱情報
・生間-現場を自分の目で見てきたものだけが知る現場情報

まったく異なる出自と文脈で形成される五間(五種類の情報)を統合し、的確な意思決定につなげることが「戦わずして勝つこと」に通ずる。

インテリジェンスも同じであろう。
手嶋さんの定義に基づけば、インテリジェンスとは、
「膨大な一般情報(インフォメーション)から、情報の原石を選り抜き、真贋を確かめ、分析を加え、全体像を描き出す」こと。
巨大で精巧なジグソーパズルによく似ている。

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