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      <title>ファカルティズ・コラム－ビジネス・スキルを高めるヒント集－</title>
      <link>http://www.keiomcc.net/faculty-blog/</link>
      <description>慶應MCCのシニアコンサルタントが、仕事や生活に役立つ思考・コミュニケーションスキルのヒントを紹介します。

　　（コメント，ＴＢはスパム対策のため承認制となっております）</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2011</copyright>
      <lastBuildDate>Thu, 22 Dec 2011 16:33:04 +0900</lastBuildDate>
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         <title>『常』を疑う</title>
         <description><![CDATA[今年ももう残すところあとわずか。

本ブログもこれが2011年最後のエントリーです。
あなたにとって今年はどんな年でしたか？

「良い年のわけがないだろう」

という声が聞こえてきそうですね。
確かに今年は異常な年だったと言えるかもしれません。

東日本大震災とそれに端を発した原発事故。
天災としては台風による水害やタイの洪水、ニュージーランドの地震などもありました。

社会という視点では中東から拡大したジャスミン革命、そしてカダフィやビンラディン、金正日の死。
ジョブズの死も単なる企業経営者の死というより、ひとつの社会現象とすら言えます。

経済に目を転じれば円高、そしてユーロ危機。
TPP問題も国民的議論になりました。

なでしこJAPANやサッカーアジアカップ優勝などの明るいニュースもありましたが、やはり東日本大震災が私たちに与えた傷は大きく、全般的に暗い1年となってしまった感は否めません。

<BR>
しかし、今年を「大変なことが多い異常な年だった」と言うのは簡単ですが、本当に今年は『異常な年』だったのでしょうか。
これまでの年は本当に平穏無事だったのでしょうか。

今回は2011年の終わりに対して、この『異常』ということ、もっと根本的には『常』ということについて考えてみたいと思います。]]></description>
         <link>http://www.keiomcc.net/faculty-blog/2011/12/post_223.html</link>
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Thu, 22 Dec 2011 16:33:04 +0900</pubDate>
      </item>
      
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         <title>量が質を生む</title>
         <description>前回のエントリーから2週間も空いてしまいました。
おかげさまで忙しくさせていただいており、肉体的精神的にキツい日々が続いていました。

とはいえ、今週も土曜日まで研修のお仕事をいただいていますが、なんとかブログをかけるくらいの余裕はできました。
しかし毎日長文のブログが書ける人はすごいなあ、としみじみ思います。

余談はこのくらいにして本題に入りましょう。

今回は前回の『イノベーションと進化論』の流れで、ブレインストーミングなどでよく言われる『量が質を生む』ということについて考えてみたいと思います。
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Thu, 15 Dec 2011 16:21:48 +0900</pubDate>
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         <title>イノベーションと進化論</title>
         <description>「イノベーションが必要だ」

よく聞く言葉です。

この“イノベーション”。直訳すれば「新しく取り入れたもの／刷新・革新」ですが、広義には『変革』全般を指すこともれば、「新商品や新技術の開発」とかなり限定的に使わけることもあります。
ちなみに「新商品や新技術の開発」という定義は、ある英語の文献中で使われていた“innovation”を“技術革新”と訳したのが定着したようです。

ここでは本来の意味も勘案し、またビジネス用途に特化した形でこの言葉を「新しい技術や知識、考え方などを取り入れて新たな価値を創造し、組織や社会に大きな変革をもたらすこと」と定義ししたいと思います。

さて、ビジネスにおいてなぜイノベーションが必要なのでしょう？

「そんなの当たり前」でなく、今更ながらこの「そもそも論」を考えてみてください。
それにこの言葉、以前より多く使われるようになっていませんか？
だとすれば最近とみにこのイノベーションの必要性が増している、とも言えそうです。

では、それはなぜなのでしょうか？

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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Mon, 28 Nov 2011 18:17:18 +0900</pubDate>
      </item>
      
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         <title>学びの消化不良</title>
         <description>本日は2011年11月11日。
東日本大震災から8ヶ月目ですが、それ以外でもちょっとイベントのような日でもあります。

そう、本日11時11分11秒は、「201111111111」と１が10個も並ぶのです。
twitterなどのネットでは、その瞬間多くの方が一斉に「201111111111」とタイプしました。

私もやろうと思っていたのですが、仕事をしていたらその時を逃してしまいました（笑）

閑話休題。

本日のメインテーマはこの件ではありませんでした（笑）

はい、タイトルの『消化不良』についてです。
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Fri, 11 Nov 2011 17:42:52 +0900</pubDate>
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         <title>アポトーシスとしての撤退の美学</title>
         <description>&quot;アポトーシス&quot;という言葉をご存じでしょうか。

これは「プログラミングされた細胞死」を意味します。

オタマジャクシからカエルに変態する際に尻尾がなくなるのは、このアポトーシスという働きによります。
大人、つまりカエルに成長するにしたがって、地上での生活に必要な脚が形作られ、不要な尻尾がアポトーシスによって消えていくわけです。

これは私たち人も同様です。
人間の指の形成過程も、はじめ指の間が埋まった状態で形成し、それからアポトーシスによって指の間の細胞が予定死して指ができます。
人間の胎児が、魚のような初期段階から、徐々に動物、人間らしくなっていくのはご存じでしょう。

さて、このアポトーシス。これは動植物という「リアルな」生命体だけで考えるべきではありません。
組織という「バーチャルな」生命体でも同じ事が言えるのではないでしょうか。
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Fri, 04 Nov 2011 17:25:24 +0900</pubDate>
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         <title>ブレインライティングのススメ</title>
         <description>会議やワークショップのファシリテーターの重要なミッションのひとつに、「全参加者から意見を引き出す」があります。そしてここでのポイントは「全ての」参加者から引き出すこと。

そもそもその場に参加している以上、会議やワークショップに貢献するのは参加者の使命。
逆から見れば、「全員に貢献させる」ファシリテーションが、ファシリテーターには求められます。

会議に出席はしていても、ヒトコトも話さない人がいます。こういう人はその場に何も貢献していません。
「いや、自分がその場で目を光らせているから、ちゃんと会議が進むんだ」と宣う偉い人もいますが、「あなたがいるから（そしてそうして目を光らせているから）意見が出ない」と言ってやりたいくらいです（笑）

2時間何も言わずに座っているだけなら、職場で別の仕事をやってもらった方がよっぽど生産性が上がります。

このように、「全参加者から意見を引き出す」ことはファシリテーターとしての最低限の役目とも言えるわけですが、これが口で言うほど簡単ではありません。
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Fri, 28 Oct 2011 17:53:44 +0900</pubDate>
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         <title>ジョブズは何を残したかったのか（後編）</title>
         <description>スティーブ・ジョブズの2005年のスタンフォード大学卒業式でのスピーチから何を学ぶことができるのか...その後編です。

少しおさらいをしておくと、ジョブズの論点は以下の３つでした。

(1) connecting dots
(2) love and lost
(3) death

前回は(1)の&quot;connecting dots&quot;から、点と点を繋ぐためのセレンデピティ（幸運をつかむ力）についてお話ししました。

今回は残りの２つ、&quot;love and lost&quot;と&quot;deathh&quot;について。
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Fri, 21 Oct 2011 17:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
      
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         <title>ジョブズは何を残したかったのか（前編）</title>
         <description>Appleの創業者であり、経営者としてもカリスマであったスティーブ・ジョブズ氏が亡くなられました。

各界の著名人が追悼のメッセージを述べ、銀座のアップルストアでは献花する人が後を絶たず、また本日発売の &quot;iPhone 4S&quot;の4Sも「&quot;for steve&quot;だ」と言われるくらい、彼の死は大きな衝撃と哀しみをもって受け取られています。

私はAppleファンではありませんが、iPodは家族トータルで計6台を所有していましたし、また仕事柄経営者としても注目していましたので、やはり衝撃でした。

さて、様々な人達が彼の死を悼み、様々なメディアで彼の業績や人となりについて語っていますが、その際よく取り上げられるのが、彼が2005年のスタンフォード大学で行った、卒業式での祝辞（スピーチ）です。

今さら間はありますが、私も社会人教育としての切り口で、彼、スティーブ・ジョブズが何を言いたかったのか、そして何を残そうとしたのかについて、２回に渡って解釈していこうと思います。

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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Fri, 14 Oct 2011 16:00:06 +0900</pubDate>
      </item>
      
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         <title>カードゲームで戦略思考をトレーニングする</title>
         <description>２週間ぶりのエントリー。
なのにゲームの話で恐縮です。

しかし私としてはなかなか気づきの多い体験でしたので、まあ少しお付き合いください。

『バトルスピリッツ』というカードゲームをご存じでしょうか。

大まかに言うと、赤・白・青・緑・黄・紫という６つの属性を持つ「スピリット（攻撃・防御用のメインカード）」、「マジック（様々な効果の魔法カード）」、「ネクサス（配置することで場全体に影響を与え続けるカード）」の３種類のカードを、手持ちのコア（プレイヤーのライフやカードのレベルなどのカウンター）の組み合わせを駆使して召喚・配置・攻撃を繰り返して相手のライフを破壊する、というゲームです。

こんな説明ではわかりにくいですよね（笑）

ＴＶアニメとの連動商品なので、そちら（日曜朝７時）を見ていただければ一目瞭然なのですが、このゲームを私は最近始めました。

はい、いつものようにムスメに誘われたからです。

しかしこれがやってみると奥が深い。
ラッキーで相手に勝てることは決してない、非常に戦略性の高いゲームなのです。
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Fri, 07 Oct 2011 21:19:22 +0900</pubDate>
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         <title>後悔を少しでも減らすには</title>
         <description>昨日の台風、みなさん大丈夫でしたか？

ここ首都圏においては、ビジネスパーソンの帰宅時を台風が直撃したため、多くの交通機関がストップし、3.11以来の大量の帰宅難民がニュースとなりました。

ご多分に漏れず私もそのひとり。
通勤の足である東西線は元々風に弱く（江戸川を渡る橋があるため）、今回も早々と止まりました（笑）

私は3.11の経験と台風のスピードから「待っていれば夜遅くには動き出すだろう」と考え、どうせその日の内に終わらせなければならない仕事もあったので、職場で待つことにしました。
結果的に予想より少し遅かったものの22時過ぎには電車も動きだし、無事日付が変わる前には帰宅することができました。

その点私はラッキーな部類でしたが、私の奥さんは別ルートで帰宅を試み、トータル5時間かけて家に帰り着いたとのこと。「もう疲れた！」といささかオカンムリでした（笑）
ただそれでもその日のうちに帰り着けただけラッキーだったのかもしれません。テレビで、またtwitterでは同情するしかない人達がたくさん取り上げられていました。

そして今日、twitterで知人達と「昨日どうした？」という話になったのですが...
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Thu, 22 Sep 2011 16:05:43 +0900</pubDate>
      </item>
      
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         <title>陰謀論が好きな人たちへ</title>
         <description>私もやっているtwitter。
ソーシャルメディアとしての注目度はfacebookに抜かれてしまった感はありますが、まだまだユーザー数は増加しており、そこでの情報、およびそれをきっかけとした事件は連日のようにマスメディアでも取り上げられています。

今やメディアとして確固たる地位を築いたと言えるでしょう。

ところがこのtwitter、一方では『バカ発見器』というありがたくないレッテルも貼られています。

目の前（タイムライン）を流れていく情報に対する意見、またはふと思いついたことをヒトリゴトのように140文字以内でつぶやくという手軽さから、深く考えずに不用意あるいは不勉強なままツイートしてしまうことによって実現する、twitterならではの機能（？）と言えるでしょう。

</description>
         <link>http://www.keiomcc.net/faculty-blog/2011/09/post_212.html</link>
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         <category>ニュースの切り口</category>
         <pubDate>Fri, 16 Sep 2011 17:58:36 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>「さっきは面白いと思ったんだけどなあ」について分析してみる</title>
         <description><![CDATA[以前私がtwitterでフォローしている方が、

<big>「頭の中で温めた内容を、喋ったり書いたりすると、メチャクチャつまらなく凡庸な印象を受ける。何なんだろ、このでかいギャップは？表現の問題？そもそも中身が無い？中身の無いアイディアも頭の中では刺激的なのか？」</big>

とツイートされました。

そして私も「あるある！」と思いました。
仕事だけでなく、皆さんもこんな経験ありませんか？

人の話やあるニュースをモノスゴく面白いと思った。だから知人にも教えてあげようとしたら...相手はたいして反応してくれない。そればかりか話している自分もノレない。あまり面白い話とは思えなくなっている。

「なんでさっきはあんなに面白いと思ったんだろう？」

他人のつぶやきをきっかけにちょっと考えてみました。
]]></description>
         <link>http://www.keiomcc.net/faculty-blog/2011/09/post_211.html</link>
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Mon, 05 Sep 2011 16:31:47 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>英語の勉強会で気づいた『聞き方を変える』ことの意味と方法論</title>
         <description>「何を今ごろ」と言われそうですが、遅ればせながら英語を勉強中です。

こういう仕事をしている以上、読み・書き・会話の様々な場面で英語力が必要なのはわかってはいても、学生時代からの苦手意識が邪魔して見て見ぬふりをしてきました。

いや、やろうとして本を買って勉強を始めたこともあったのです。でも続かない（笑）

しかし所属している日本ファシリテーション協会（FAJ）が海外のファシリテーターのコミュニティと交流を持つようになったことから、その活動のメンバーとして加わりました。
そして近い将来日本で国際的なカンファレンスを開催するところまで話は進み、さすがの私も重い腰を上げたわけです。

そのカンファレンスでプレゼンター＆コーディネーターをやりたい。

しかしその想いだけではどうしようもありません。危機感だけが膨らむ中、なんとありがたいことにファシリテーター仲間からのお誘いがありました。

「一緒に英語を勉強しませんか？」

これは飛びつくしかないでしょう（笑）
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Thu, 25 Aug 2011 17:25:55 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>なぜ私たちは&quot;苦労自慢&quot;をしたがるのか</title>
         <description>皆さんは、「今考えると、なんて恥ずかしい行為をしていたのか...」という経験がありますか。

いや、そういう経験が無い人はいないかもしれませんね。

かく言う私もたくさんあります（笑）

そして思い返せば、そうした『今考えると恥ずかしい経験』の多くが&quot;自慢話&quot;であることに軽い目まいすら覚えます。

さらに言うと、特に恥ずかしいのが&quot;苦労自慢&quot;。
「なぜ、自慢にもならないことを自慢していたのだろう？」

ということで、今回はこの&quot;苦労自慢&quot;について考えてみようと思います。

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         <link>http://www.keiomcc.net/faculty-blog/2011/08/post_209.html</link>
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Fri, 12 Aug 2011 19:31:40 +0900</pubDate>
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         <title>こんな時だからこそ『選択の自由と責任』を考える</title>
         <description>仕事にしろプライベートにしろ、私たちは常に様々な選択を迫られます。

「今日のお昼ご飯は何を食べよう？」
「仕事辞めちゃおうかな...」

緊急度と重要度の違いこそあれ、日々こうした様々な問いを立て（時には与えられ）て、何かを選択しながら私たちは生きています。

そして選択の後でしばしば行うのが、「この選択は正しかったのか？」というリフレクション。
しかし、次に同じような選択機会があるならこのリフレクションは意味を持ちますが、その機会がなさそうならこれは時間の無駄です。

まさに『覆水盆に返らず』。

であれば、その選択の正誤という結果をリフレクションするより、「選択の仕方は適切だったのか？」と選択のプロセスをリフレクションした方が、今後の選択のために有効ではないでしょうか。
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         <link>http://www.keiomcc.net/faculty-blog/2011/08/post_208.html</link>
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         <category>3分間ラーニング</category>
         <pubDate>Fri, 05 Aug 2011 13:17:05 +0900</pubDate>
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