マクロな視点とミクロな視点、そして優先順位


3分間ラーニング, ニュースの切り口

Aさん:「新型コロナウイルスの感染拡大は、確かに第三波の様相を呈している。しかし、第一波のPCR検査数と重症者率と比較すると、現在が危機的な状況とは言えない」

Bさん:「感染して亡くなった人の苦しみと遺族の悲しみを、お前はわかっていない!」



この流れ、Twitterでは何度も繰り返されています。
そしてBさんの発言の後には、しばしばこんなリプが付きます。

Cさん:「マクロとミクロをごっちゃにするな」

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言うまでもなく、Aさんは「マクロな視点」で主張しています。
「新型コロナウイルスの感染拡大」というテーマに対して、客観的なデータを元に全体を総合的に見た上で判断しています。

それに対してBさんが「ミクロな視点」で同じ「新型コロナウイルスの感染拡大」というテーマに対して主張していることも明らかです。
コロナウイルスに感染した人と家族という「個人」にフォーカスしているわけですね。

まあ、「お前はわかっていない」という主張はほとんど「言いがかり」ですし、Cさんが指摘するようにAさんのマクロな視点での主張に対してミクロな視点で反論しても、視点が異なるから異なる意見になっているだけなので、的外れな批判と言われても仕方ありません。

しかし、Aさんのマクロな視点での考え方も、そしてBさんのミクロな視点での考え方も、どちらかが「正しい」とは言えないのも事実です。
というか、どちらの視点も「間違ってはいない」のです。

「木を見て森を見ず」とは、小さいことだけに心を奪われていて、全体を把握できていないことのたとえであり、まさに「ミクロな視点だけでマクロな視点が欠けている」ことを諫める慣用句です。

しかし、その反対に「森を見て木を見ず」という慣用句はありません。(ミクロな視点も重要、という文脈で「木を見て~」との対比で使われることはありますが)

これは何を意味するのか?
そう、私たちはどうしても「ミクロな視点だけでマクロな視点が欠けている」状態になりがちということです。

重要なのは、どちらの視点でも見ること。
そして、今はどちらの視点で見て、語ることが「適切」なのかを見極めることです。



では、どうしたらマクロとミクロ両方の視点で状況や事象を見ることができるのか。そしてそれを適切に使い分けることができるのか。
「マクロな視点=森を見る」と「ミクロな視点=木を見る」という慣用句のたとえから考えてみましょう。

「森を見る」のと「木を見る」の違いは見る範囲、つまり「視野」です。そして視野の違いが生まれる理由は「対象との距離」、遠くから見るから広い範囲が見えるのですね。
ここで「マクロな視点」とは「広い視野で見る=遠くから見る」ことだとわかります。
遠くから見るから視野が広くなり、全体像をつかむことができます。「この森の紅葉化率は60%だな」という具合ですね。

しかし視野が広いことにはデメリットもあります。それは広い範囲が見えてしまうことで情報量が多く、どこから見て良いかわからなくなること。つまり情報の整理に時間がかかり、視点が定まらないことです。
また、遠くから見ていることで「細かい部分が見えない」のも大きなデメリット。「あの木の根元に生えている草は?」と聞かれても「遠すぎて見えない」のですね。

だから森に近づき、一本の木をしっかり見ようとする、あるいは望遠鏡で見る。そうすると視野は必然的に狭まりますが、そのきの根本に生えているのがどのような草なのかがわかるわけで、これが「ミクロな視点」です。

このように、マクロ/ミクロの視点を切り替えるためには対象との距離を変えれば良いのです。

仕事に置き換えて考えてみましょう。
仕事の無駄を省くために効率化を妨げる要因を見つけたい場合、まずは「自分の部署」という狭い視野で見てみる。足下から問題を見つけようとする。
しかしそれで終わっては自部署の問題が他部署と共通とは限りませんから、視野を広げてみる。「全社」という視野で見ると他部署との比較ができますから、そこから問題が見えてくることもあるでしょうし、「業界」というさらに広い視野で見れば、競合他社との比較で自社の問題が見えてくるかもしれません。
もちろん、まずは広い視野から始め、それを狭めていくのもアリです。

これが「マクロな視点とミクロな視点の切り替え」です。

自部署という狭い視野だけで「ここが問題」と決めつけるのが「木を見て森を見ず」であり、競合他社との比較から「我が社はここが問題」と決めつけるのが「森を見て木を見ず」です。
しばしば諸外国との比較論だけで「日本はダメ」と言う人がいますが、それもまた「森を見て木を見ず」になっているケースも多いのです。



では、マクロ/ミクロな視点はどうやって使い分けるべきか。
具体例として、コロナ禍に対する政策について論じる場面で考えてみましょう。

使い分けのポイントは、『優先順位』です。
政策に限らず、組織や個人の活動には必ず複数の目的があり、その目的の何が重要で何は最悪切り捨てても構わないのか、それを明確にすることです。

たとえばコロナ禍の現状であれば、「コロナの死者を増やさない」ことと、「コロナを含め、死者を増やさない」ことは目的が異なります。また、「雇用を守る」ことと「若年層の雇用を守る」のも、実は異なる目的です。
他にも「経済を回す」「最も影響の大きい飲食・観光ビジネスを回復させる」「医療従事者の負担を減らす」「高齢者の命を守る」なども全て別の目的です。

こうした様々な目的の『優先順位』をつける。
そうすることで自ずと広い視野で見る(マクロな視点)べきか、あるいは狭い視野で見る(ミクロな視点)べきかは明らかになってきます。

冒頭に紹介したAさんは「コロナを含め、死者を増やさない」「経済を回す」の優先順位が高く、だからこそマクロな視点で語っていたわけですし、Bさんは「コロナの死者を増やさない」「高齢者の命を守る」の優先順位を高くしてミクロな視点で語っていたと言えます。

だからどちらも間違ってはいないのです。

しかし、どちらも間違ってはいないとしても、「適切なのはどちらかか」は議論すべきです。もちろん、最終的には「1年たたないとわからない」場合もあるでしょう。
しかし、国も、また会社という組織も、そして私たち個人も「こういう優先順位だから」という根拠を示すことが必要です。

当然その優先順位に異論がある場合もあるでしょう。しかしそれでも国や組織のトップはそれを押し通すことが必要なケースは多いのです。できるだけの説得は試みながら。
それでも異論があるなら出ていくしかないのです。

現在のコロナ関連の政策で言えば、政府の一番問題はこの『優先順位』を明確にしないことにあると私は考えます。
そしてそれはコロナ関連の政策だけでなく、企業の戦略や日々の業務についても同じだと思うのです。


プロフィール

桑畑 幸博

慶應丸の内シティキャンパスシニアコンサルタント。
大手ITベンダーにてシステムインテグレーションやグループウェアコンサルティング等に携わる。社内プロジェクトでコラボレーション支援の研究を行い、論旨・論点・論脈を図解しながら会議を行う手法「コラジェクタ®」を開発。現在は慶應丸の内シティキャンパスで専任講師を務める。また、ビジネス誌の図解特集におけるコメンテイターや外部セミナーでの講師、シンポジウムにおけるファシリテーター等の活動も積極的に行っている。コンピューター利用教育協議会(CIEC)、日本ファシリテーション協会(FAJ)会員。

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