誰が「くだらない議論」にしてしまうのか


3分間ラーニング, ニュースの切り口

自称「議論研究家」の私にとって、なかなか興味深いネタを提供してくれるTwitter。そこで今日も「くだらない議論」を目にしました。

発端は、ある編集者(Aさんとします)が「献本へのお礼を直接でなくSNSに流すのは、自分にはコネがあるということを言いたいだけとしか思えない」というツイートでした。
その意見に反応したのが同業の編集者(Bさん)。「その解釈は狭量だ」と意見します。

その後のやり取りの中、Aさんのこの発言から、「まともな議論」が一気に「くだらない議論」に突入します。「(前略)そんなこともわからないんだったら、出版やめて、クッキーでも焼いてフリマで売ってろ

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このAさんの発言のスクショとともにBさんが噛みつきます。
「こういう閉鎖的で性差別的な発言が感情的な口調ででてくるところがザ・日本の出版界ですね」

ここから先は...
はい、皆さんの予想通りです。当初の論点である「献本お礼ツイートの是非」から外れ、以下のような「外野からの発言」が相次ぐ、つまり「炎上」することとなりました。

「女性編集者とわかってのこれは明らかな性差別」
「性差別から来る発言だと俺は思わなくて単純な職業差別だと思う」
「クリエイティブな行動全てを蔑んでると感じた」
「クッキー馬鹿にしてるんですか? 謝罪してください」

もちろん中には「女性差別というより、商業ベースにのらない素人商売という意味合いだと思いますけどね」という冷静な発言もありますが、概ねAさんへの批判が続きました。



さて、この議論、あなたはどう見ますか?

当初の議論にはあまり問題は無いのです。(「何も」でなく「あまり」と表現した理由は後述します)

論点は明確に「献本お礼ツイートの是非」であり、おふたりとも自分の考えを述べただけで、乱暴に言えば「価値観の違いから意見は対立しているが、どちらも間違ったことは言っていない」のです。

では、なぜ比較的まともな議論が、このような「くだらない議論」になってしまったのか? 誰に問題があったのか?

私に言わせれば
・AさんとBさん、双方に問題がある・
・加えて、乱入してきた外野の多くの人々にも問題がある。
です。

まず、Aさんの問題は何か。

「クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」という、なかなかパンチの効いた一節にみんな注目していますが、それ以上に問題なのがその前の「そんなこともわからないんだったら」です。

これはつまり「自分は正しく、お前は間違っている」ということの表明であり、他の議論でもありがちな「マウンティング目的の発言」に他なりません。これでは相手がヒートアップするのも必定です。。
Aさん自身、「これは文学と社会学の対立」と言っているように、そもそもの立脚点と視点が違うわけですから、そこを議論の中で「自分はこういう視点で」ときちんと説明すべきでした。
結局面倒くさくなってBさんをブロックしたわけですから、最初から面倒くさいことにならないようにすれば良かったのです。(あるいは最初からスルー)

次にBさんの問題。

これはもう「論点ずらし」であることは明白です。当初の「献本お礼ツイートの是非」という論点から、「性差別」に論点をずらし、そこから「個人攻撃」と「業界批判」に持って行く。
日常の会議でも、不用意な一言をあげつらって「そもそも君は」とか「だからこの会社は」といった論点ずらしは、皆さんも何度も目にしているはずです。

BさんがAさんの発言を性差別と解釈したとしても、そこはさらっと触れる程度にして、たとえば「編集は捨てること、というのが献本お礼ツイートとどう関係するのですか?」のように相互理解を深める質問をすべきでした。

まあ、そもそも相互理解をしたいかどうかもあるでしょうが、その気が無いのであれば、最初のAさんのツイートへの反論も、「議論する気などなく、単に噛みつきたかった」ということになってしまいます。

...ということで、当初は比較的まともな議論でしたが、それでも決して良い議論ではありません。

そして最後に外野の問題。

そろそろ、SNSで「自分もそう思う」「俺も俺も」という『行き過ぎた"Me too"』は控えるべきでしょう。

わざわざ「自分もあなたを許さない」とネガティヴな発言をすることのメリットって何でしょう。

ポジティブな発言なら良いのです。
Twitterでアップしたマンガに多くの「尊い...」とか「控えめに言って天才」というリプライがつくのは作者さんも嬉しいでしょうし、次の仕事にも繋がるのなら、それは喜ばしいことです。
デメリットはネットワークトラフィックくらいしかありませんし(笑)

重要なのは「ディスプレイの向こうには『人』がいる」という事実を意識すること。
相手を喜ばすのは良いですが、自分の発言が相手を怒らせたり悲しませたりする、という現実に対する「想像力」がなさ過ぎなのです。

ヘイト発言や差別発言も、この想像力のなさが要因です。
どんなに「良かれ」と思っていても、自分の奥底に「ストレス発散」や「マウンティング」、はたまた「ふざけたいだけ」という身勝手目的がないか、言われた人はどう感じるか、それをリターンキーを叩く前に、今一度考えるべきです。

もちろんこんなことを偉そうに言っている私にも同じことが言えます。
誰しも「くだらない議論」はしたくないのにそうなってしまう。
お互いに気をつけましょう。



最後に...

やはりネット、特にSNSでは議論の難易度が跳ね上がる、ということも今回感じました。
具体的には「テキストだけのやり取りの限界」ともに「ファシリテーター不在」がその要因でしょう。

こうした分野でテクノロジーをとう使うか。
それも私たちの課題ですね。

プロフィール

桑畑 幸博

慶應丸の内シティキャンパスシニアコンサルタント。
大手ITベンダーにてシステムインテグレーションやグループウェアコンサルティング等に携わる。社内プロジェクトでコラボレーション支援の研究を行い、論旨・論点・論脈を図解しながら会議を行う手法「コラジェクタ®」を開発。現在は慶應丸の内シティキャンパスで専任講師を務める。また、ビジネス誌の図解特集におけるコメンテイターや外部セミナーでの講師、シンポジウムにおけるファシリテーター等の活動も積極的に行っている。コンピューター利用教育協議会(CIEC)、日本ファシリテーション協会(FAJ)会員。

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