「足るを知る」は危険な言葉

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3分間ラーニング

休日出勤が増えてきたため、ジムに行く時間がとれなくて体重増加に不安を感じている桑畑@慶應MCCです。

さて、本日は有名なコピペ(?)から。

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メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、漁師は、

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって...ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。



「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。 自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。 その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。 きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう!」
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「幸せってなんなんだろう?」

ということが論点になった際によく使われる寓話です。
ご存じの方も多いでしょう。

リタイア後に悠々自適の生活を送るためにエリートとして身を粉にして働く。
しかしその悠々自適の生活を今すでに(レベルの差こそあれ)送れている人々がいる・・・

どちらかと言えばこの寓話はMBAエリートを皮肉っているわけですが、私がもうひとつ考えたのは「『足るを知る』って言うけど、それってある意味危険だよなあ」ということでした。

この漁師は、身の程をわきまえていると言えます。現状の「質素だけど束縛されない暮らし」に満足し、高望みなどしていません。
この漁師の親や周りの人々もそうだったのでしょう。

しかし、MBAエリートである旅行者は、そんな漁師の「高望みしない姿勢」を「もったいない」と感じます。

そりゃあ君が幸せなら僕がお節介をやく必要はないかもしれない。
でも、もったいない。
君には、もっと上を目指せる資質と環境があるのだから。

この旅行者も決して間違ってはいないはずなのです。
(まあ、単に漁師に偉そうにしたかっただけんもしれませんが(笑))



以前Twitterで「なんでもおいしく食べられるのって、本当に美味いモノを知らないってことでもあるよなあ」とツイートしたら、「それってどちらが幸せなんでしょう」とリプライがありました。

『足るを知る』
確かになんでもないことに感動できたり、ちょっとしたことに感謝できることって素晴らしいことだと思います。

しかし、講師としての性(さが)かもしれませんが、やはりお節介をやきたくなるのです。

「もっと上を見よう」と。

私は、「やっぱり足るを知ることが大事だよね」という風潮は危険だと思うのです。

そこそこで満足してしまったら、そこから上を目指さなくなります。
別に収入(だけ)の話をしているのではありません。

個人の成長や好奇心まで、この『足るを知る』という言葉はスポイルしてしまいます。

また、「満足するヒトとしないヒト」に二分されることで、結果的に格差を助長することにすら繋がると考えています。
もちろんこの言葉を全面否定するつもりはありません。
私も「ああ、家で奥さんやムスメと馬鹿笑いしながら食べるご飯が一番いいや」と思います。

でもそれはそれ。
なんでもそこそこで「まあこれで満足しておこう」はやめませんか?



もっと美味いモノが世の中にはたくさんありますよ。

あなたならもっとスキルアップできますよ。

もっとレベルの高い仕事があなたならできますよ。

あなたなら組織を変えることができますよ。



「高望み」という言葉を使うから届かないと思ってしまうし、「野心」って言うからなんか欲深いように思ってしまうのです。

あなたには「高い目標」と「大きな志」があるだけなのですよ。

コメント(3)

こお話はすごく身に感じるところがあります。
また、会社での実例になりますが昨今は不景気でやめさせられる人が多いせいか、上の人に意見する人も少なくなりましたが一人の事務員の人曰く「自分には何の能力もないからおいてもらえるだけでいい」と。
その言葉は私からすると自己を否定しているようにきこえるけれど自分を肯定しているにすぎず満足しているのではなく、現状努力しない言い訳にしかきこえませんでした。
何もできないからおいてもらえるだけでいいなら何の為に会社に勤めて給料をもらっているのか意味がないし、そんな人が集まっていい仕事ができることもなく、やはり切磋琢磨する企業が伸びるんだと自分は思います。
現状に満足せずに努力することが企業成長の柱になるかと考えます。

スミマセン。初めて聞きました、この話。
面白いですね。
何が面白いかというと、読んだ方それぞれ感想(意見)が違うという事。当たり前ですが・・・。
私の感想は「幸せは人それぞれ」という事。
私は常に「足るを知る」を考えてる一人です。でもそれは、「事」または「もの」によって変わります。
買い物する時は、それを考えます。
でも「夢」を追って行動する時は考えない。なぜかというと私の夢には「足る」がないからです。答えはなく最終地点もありません。一つ目標に達すれば、また新たな目標ができるからです。
いつか終着地点に行きつく・・・その時は「夢」を追うのをやめた時だと思います。
話は若干それましたが、「足るを知る」はその人なり。
知りたい人が知り、そう思わない人は、貪欲に生きていくのでしょう。

てるぞうさん、そしてなつみんさん、コメントありがとうございます。

「足るを知る」

私もこの言葉を全面的に否定しているわけではありません(笑)

「現実を見る」ことは重要ですし、無理をして背伸びすることのリスクも承知しています。
実際、最近友人からの相談に「現実を見ろ。そんなに甘くないぞ」と答えたばかりです。

しかし『適度な背伸び』がなければ人は成長しませんし、夢に向かって努力するのは大切なことです。

この「夢と現実の折り合いをどうつけるか」をちゃんと立ち止まって考えるべきだと思うのです。

ですからなつみんさんの言われるように、この言葉も使いどころを誤らなければ何の問題もないのでしょうね。

これからも当ブログをよろしくお願いします。

プロフィール

桑畑 幸博

慶應丸の内シティキャンパスシニアコンサルタント。
大手ITベンダーにてシステムインテグレーションやグループウェアコンサルティング等に携わる。社内プロジェクトでコラボレーション支援の研究を行い、論旨・論点・論脈を図解しながら会議を行う手法「コラジェクタ®」を開発。現在は慶應丸の内シティキャンパスで専任講師を務める。また、ビジネス誌の図解特集におけるコメンテイターや外部セミナーでの講師、シンポジウムにおけるファシリテーター等の活動も積極的に行っている。コンピューター利用教育協議会(CIEC)、日本ファシリテーション協会(FAJ)会員。

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