2010年5月13日 3分間ラーニング, ニュースの切り口

詭弁を見抜く力

我々はどうしても他人の話に振り回されてしまいます。

それは身近な人であったり、マスコミであったり、はたまたネット上のクチコミであったり。

「自分の意見をちゃんと持っていればそんなことはない」と言う人もいますが、あらゆる分野について専門家と同等の知識を持つことが不可能な以上、「自分より詳しい人」の意見に自分の意見が左右されてしまうのは、多かれ少なかれ誰でも経験しているはずです。

また、我々には感情がありますから、どうしてもそこに訴える「こんな酷いことが許されて良いのでしょうか」といった意見には同調してしまいがちてす。

最近の普天間問題や口蹄疫についても、「他人の意見に振り回される」ことで、より問題解決をややこしくしているとも言えるでしょう。

マスコミの偏向報道が問題になり、ネットを通じて様々な意見に触れる機会が多くなった今だからこそ、「他人の発言を吟味できる力」が今求められています。

その「他人の発言を吟味できる力」の基礎となるのが、『詭弁を見抜く力』です。





『詭弁』を辞書で引くと、「間違っていることを、正しいと思わせるようにしむけた議論(大辞林 第二版より)」とありますが、乱暴な言い方をすれば『こじつけ』であり『屁理屈』です。

ただし結論が全て間違っているわけではありません。それを説明する論理展開が(しばしば意図的に)間違っているわけです。

つまり「もっともらしいが実はおかしな理屈をこねくりまわして、強引に自分の意見に同意させようとすること」が『詭弁を弄する』ことなのです。

だから相手が詭弁を弄してるのかどうかが判別できれば、他人の意見に安易に同意することも回避しやすくなります。

詭弁には様々なパターンがありますが、ここでは特に私がtwitterをはじめとしたネット上での議論で気になる事例を使って解説してみます。



事例(1):「マスメディアの役割は終わった。これからはソーシャルメディアが(以下略)」

典型的な「新しさに訴える論証」と呼ばれる詭弁です。
本来は「役割が終わったと言える理由」を必要十分な論拠で説明しなければならないのに、それを割愛し、さも常識のようにミスリードしているわけです。
「まだ○○を使っているのですか?」なども同類ですね。



事例(2):「○○議員がまた失言をした。これだから××党はろくなもんじゃない」

これは以前のエントリーでも述べた一事が万事と考える「軽率な一般化」であり、またひとりの問題を全体の問題に拡大解釈するような「連座の誤謬」と呼ばれる詭弁の一種です。

この手の詭弁は「これだからネトウヨは」「これだからゆとりは」のように頻繁に見受けられますが、私はその原因として過度なカテゴライズがあると考えます。
「ネトウヨ」「ゆとり」「○○チルドレン」「××原理主義」のように本人達の意志に無関係に強引に集団化し、レッテルを貼ってしまうわけです。
カテゴライズすることでわかりやすくするという効果は理解できますが、こうした(特にマスメディアによる)レッテル貼りが、我々の認識を誤った方に導いていることも否定できません。



事例(3):「谷亮子の出馬を批判するヤツがいるが、それだったら堀内や中畑はどうなんだ。だいたい世界王者は日本の野球選手と格が違う」

これは「論理のすり替え」と呼ばれる詭弁です。
選挙(政治)という論点に対して、世界王者かどうかはなんの関係もありません。
また、これは第3者に対する論評ですが、相手に対して「そう言うお前はどうなんだ。自分が出来ないことを人に要求するな」というこれまたよく見かける論法は、論理のすり替えの中でも「おまえだって論法」と呼ばれる、やはり詭弁の一種です。



事例(4):「不起訴になったんだから別に国会で証言しなくてもいいはず」「そのような小沢を擁護する意見が今の独裁政治を(以下略)」

これも論理のすり替えの一種ですが、このように相手の発言を自分の都合の良いように解釈して反論し、論破したかのように見せかけるのを「わら人形論法」と呼びます。
上記の最初の発言は別に小沢幹事長を擁護しているのではなく、あくまでも一般論のはずですから。
しかしこうした論法も政治やイデオロギーの議論で良く耳にしますね。



いかがでしょうか。この他にも様々な詭弁のパターンがあり、とてもここでは全て紹介し切れませんので、またニュースなどで気になった詭弁があれば紹介させていただきたいと思います。




ところで、上の方の私の主張「相手が詭弁を弄してるのかどうかが判別できれば、他人の意見に安易に同意することも回避しやすくなります」も、「回避できます」と言い切ってしまうと「後件肯定の虚偽」と呼ばれる詭弁になってしまうのに気づかれましたか?

A「他人の意見に振り回されてしまうのは、詭弁を見抜くことができないからだ」
B「よって詭弁を見抜くことができれば、他人の意見に振り回されなくなる」

そう、「逆は必ずしも真ならず」です。

Aがたとえ正しくても、他人の意見に振り回される理由がこのひとつだけとは限りません。
詭弁が見抜けたとしても、立場上その意見に振り回されてしまうこともあるでしょう。
だから私は「回避しやすくなる」と主張したのです。

お互いに詭弁を見抜けるように、また詭弁を弄することのないように気をつけたいものですね。

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