2010年4月アーカイブ

「今回のアンケート、4.5だって。前回と同じの高得点だから問題ないな」

こんな発言をあなたも聞いた/したことがあるでしょう。

しかし、アンケート点数の平均が前回と同じだからといって、本当にそれで「問題ない」と言い切れるのでしょうか?

たとえばこのケースを、ある研修の受講満足度アンケートだと考えてみましょう。
研修の参加者が2回とも20人、点数は同じ5段階評価だとして、第1回は

<5点:10人><4点:10人><3点:0人><2点:0人><1点:0人>

だったので、平均点が4.5だったと仮定しましょう。
そして第2回は、以下の評価だったとしたら?

<5点:17人><4点:0人><3点:1人><2点:0人><1点:2人>

これも平均点は4.5ですね。

では、この2回の詳細データを見て、あなたは「平均点が同じだから問題ない」と言えますか?

「マスメディアはもはや不要」

と言う人がいます。それも結構な数。

論拠はだいたいこんな感じ。

◆テレビのニュースや新聞など見なくてもネットで情報が取れる。
◆Twitterの方が情報も早く、メディアの主観が入らないから事実がわかる。
◆スポンサーや国家権力に阿(おもね)ったメディアの偏向報道は酷い。
◆報道だけでなく、テレビのドラマ・バラエティなども低レベルで見る価値無し。

確かに同意できる部分もあります。
(ただ、ここでは「ネットの情報も現時点では新聞社・通信社などのマスメディアが発信地になっているものがほとんどなのですが」というツッコミは置いておきます)

だから私が気になるのは、こうした主張の論拠の正しさではありません。

私が気に入らないのは、こうした『マスメディア不要論』を唱える方から臭ってくる、「オレって優秀で、時代の先端を走っている」というある種のエリート意識なのです。

先日同僚達との会話の中で、この春の新社会人達の社会性の欠如が話題になりました。

駅など公共の場所での振る舞いに対して「それは酷い」と笑い、「新入社員研修から見える最近の傾向は~」「やはりゆとり世代は~」などと話していたのですが、私はそこで疑問が出てきました。

「社会性の無さって言うけど、それって新社会人はアタリマエなんじゃないの?」

自分自身の新入社員時代を思い返してみても、最近の新人達より社会性が高かったなんてとても思えません。これは私一人だけでなく、同期入社の連中を見回しても、です。

田舎から出てきたばかりで電車の乗り方も知らない。
飲み会では大騒ぎして周りのお客さんにも迷惑をかける。
話しながら広がって歩き、交通の妨げになる。

今思い返すと恥ずかしい限りですが、これが実態です。

このブログをお読みの管理職の方、あなたは本当に最初から社会性を有していましたか?

当時からこうした行いに眉をひそめる人は多かったのでしょうが、それでもなんとなく「まあ若いんだから大目に見てやるか」と許容されてきただけではなかったのでしょうか。

では、なぜ我々は若者に寛容でなくなってきたのでしょう?

1年前、ある人に言われました。

「まだロジカルシンキングなんて言ってるの?」

私はこう答えました。

「重要なことに古いも新しいもありませんよ」

しかし「ロジカルシンキングはもう古い」と言いたい人は、意外に多いようです(笑)

「ロジックで理詰めに考えるとみんな同じ答になる。今求められるているのは斬新な発想をするためのラテラルシンキングだ!」

とか

「ロジックツリーで要素分解して単純化できない現代の複雑な問題を解決するには、要素間の関係性に着目したシステムシンキングが必要!」

とか

「ロジックだけでは人は動かない。物語仕立てでイメージをふくらませるナラティブシンキングがこれからのトレンド!」

などなど・・・

私も時々こうした『トレンドの思考法』について質問されるのですが、いい機会なので本日は私自身の見解を明確にしておきたいと思います。

私は「一事が万事」という言葉が嫌いです。

なぜならば、それは思考停止のひとつである『軽率な一般化』を意味するからです。
たとえば、ひとつの行いだけを見てその人を「あいつはこういうヤツだ」と決めつける行為などがそれに該当します。

まあ、「一事が万事と一般的に見られがちなので、自分の言動や行動には注意しなければ」のように使うのであれば問題ないのですが、こうした使い方をする人は希でしょう。

さて、私たちは、しばしば少ないサンプルからこうした『軽率な一般化』を行ってしまいます。
私自身も、たとえば民主党の生方副幹事長解任騒ぎなどのニュースから、「やはり小沢幹事長の恐怖政治が」と考え、その後で「いかんいかん。このことだけで決めつけるところだった」と自身の思考停止を反省することはよくあります。

そしてこうした『軽率な一般化』は、前述のような「人を見かけだけで判断してしまう」「ひとつのニュースだけで一事が万事と決めつけてしまう」ようなケースだけでなく、我々が仕事の場面で行う様々な分析・判断でも起こりえます。(というか確実に常態化しています)

本来もっと広く情報を集めて考え、なんらかの答を導き出す場面で、身近かつ極端な数少ない事例を一般論にすり替えてしまうわけですね。

その具体例として、私が研修・セミナーで行っているフェルミ推定の演習でお話ししましょう。

プロフィール

桑畑 幸博

慶應丸の内シティキャンパスシニアコンサルタント。
大手ITベンダーにてシステムインテグレーションやグループウェアコンサルティング等に携わる。社内プロジェクトでコラボレーション支援の研究を行い、論旨・論点・論脈を図解しながら会議を行う手法「コラジェクタ®」を開発。現在は慶應丸の内シティキャンパス で専任講師を務める。また、ビジネス誌の図解特集におけるコメンテイターや外部セミナーでの講師、シンポジウムにおけるファシリテーター等の活動も積極的に行っている。コンピューター利用教育協議会(CIEC)、日本ファシリテーション協会(FAJ)会員。

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