2009年8月21日 ニュースの切り口

もっと考えるべき・伝えるべきことがあるはず

ここのところ、芸能界の薬物事件が連日メディアを賑わせています。

しかし押尾学の事件では死者が出ているにも関わらず、メディアは圧倒的に酒井法子を中心に取り上げています。
確かに芸能人としての知名度や、『夫が逮捕→失踪(自殺でもしやしないかと皆が心配)→逮捕状→出頭・逮捕』というドタバタは、格好のネタでしょう。

しかしながらことテレビに関しては、どの局の報道を見てもその切り口に大差ないことに正直辟易しています。

「いつ頃からやっていたのか」「なぜクスリに手を出したのか」「復帰は可能か」etc..
ネタに困ったらしい某番組では、薬物検査の専門家を登場させて「どのように検査すれば何が分かるのか」を解説していましたし、驚いたのは“あぶり”等の薬物摂取の方法までスタジオで懇切丁寧に紹介するような「視聴者に悪影響を与える可能性のある」番組まである始末。

ということで、今回はこの芸能人の薬物事件の報道をケースに、こうした事件において本来メディアが伝えるべきこと、そしてメディアだけでなく我々が社会的事件に接した際に考えるべきことについて考えてみたいと思います。

私は、ヒトコトで言えば今回の報道からもわかるように、最大の問題は番組の作り手、つまりメディアが「この報道が視聴者にどうプラスか」を深く考えていない点にあると考えています。





メディアはしばしば「視聴者のニーズ」を口にします。
「我々は視聴者が知りたい情報を伝えるのがミッションだ」と。

ではこう問いましょう。
「それは本当に視聴者に訊いたのですか?」
「たぶんこんなことが知りたいだろう」と勝手にニーズを捏造していませんか?

確かに我々視聴者には多かれ少なかれ野次馬根性があります。それが自分の好きな(好きだった)芸能人のネタならなおさらです。
これが結婚や離婚といったプライベートなネタであれば、私も口やかましく言うつもりはありません。しかし今回は『犯罪』ネタであることに注意すべきでしょう。

つまり我々の社会生活に何ら影響を与えない単なる私生活のゴシップと、大きな影響を与える犯罪ネタは分けて考えるべきなのです。

だからメディアも今回のネタでも、申し訳程度にこう付け加えています。
「薬物ってコワイですねえ」「ええ、決して手を出してはいけませんね」

しかしそんなことは、子供でも分かっている「今さら言うまでもない」ことであり、そのために今回のネタを使う必要は無いはず。
結局の所メディアは、「華やかな芸能人の裏の生活」を野次馬根性の旺盛な視聴者に晒すことで、視聴率を上げることにしか興味がないとしか思えないのです。

本来報道すべきは「事件の構造」です。

たとえばそれは酒井法子と押尾学の事件との関係性であり、芸能人の薬物事件とその他の薬物事件との関係性です。

なぜならば今のようなゴシップ的な報道に終始していては、視聴者は「対岸の火事(ヒトゴト)」という視点しか持てないからです。
「クスリはコワイですねえ」のヒトコトを加えるくらいではこれは払拭できません。

今回の事件の本質は何か。
それが我々一般市民にどう関係してくるのか。
今回の事件から我々が何を学び、どう社会生活に活かすべきなのか。

これが“報道”を担うメディア存在意義であり、機能だと思うのです。

ですからまずメディアに求めたいのは、「視野を広げた報道」です。

ひとつひとつの事件を別物として報道するだけでなく、複数の事件とその周辺情報の相関性を目に見える形で視聴者に伝え、「これは対岸の火事ではない」ことをアピールすることです。

今回のネタである薬物に関しても、入手ルートなどを辿れば他の事件、たとえば一時期問題になっていた「大学のキャンパス内での薬物の取引」との関係性も見つかるかもしれません。(あくまで可能性の話ですが)
もしそうした関係性が見つかり、それを報道した時、初めて視聴者は「自分や自分の家族・知人も決して関係のない話ではない」ことに気づくはずです。

「そんな堅い話は視聴者は望んでいない」「そういうのはNHKに任せておけば」という反論もあるかもしれません。

しかしその反論からは『メディアの存在意義とプライド』は全く感じられません。
そもそも、テレビ局が視聴率を気にする最大の要因である「スポンサーの出してくれるお金」は、元々は視聴者がスポンサー企業の商品・サービスを購入したお金であることを今一度思い出すべきです。

また、「いや、テレビはこれで良い。そうした本質に迫る報道は新聞や雑誌などの役割だから」という反論も出ることでしょう。

でもそれって、完全に視聴者を馬鹿にしていませんか?

「君達のような程度の低い人々は、こういうゴシップを求めているのだろう?」
といった考えが全くないと、胸を張って言えますか?

都合の良いときには「世論は我々が創った」と誇らしげに語り、都合が悪くなると「求められているものを提供しただけ」と居直るのだけはやめてほしいのです。

しつこいようですが、「この報道内容と伝え方で、視聴者にどう貢献できるのか」を考えてから番組を作ってほしいのです。


しかしメディアがそのような報道姿勢なのは、なにもメディアだけの責任ではありません。

やはりそのような「ゴシップのごとく扱われる社会性の高い事件の報道」を、野次馬根性のみで見てしまう我々視聴者にも問題があります。

だからと言って私は「くだらない番組を見るな」と言いたいのではありません。
「少なくとも見た以上は自分の頭で考え、何かに活かしましょう」と言いたいのです。

もちろんどう活かすかはひとりひとり違うはずです。

今回の薬物事件で言えば、我が子や教え子の行動チェックや指導に活かすことができるかもしれません。また、不謹慎ですが酒井法子の失踪のプロセスから計画性の重要性を学ぶことも可能でしょう。

知識はそれ自体を知っているだけでは意味がありません。

その知識をどう活かすか、それが重要ですから。

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