2008年11月アーカイブ

前回のエントリーでは、

「反対語を小学校で学ぶのは、実は論理思考力のトレーニングのため」

ということをお話しさせていただきました。


しかし反対語とくれば、もうひとつ、そう“類義語”も考えなければなりません。
はい、やはり類義語を考えるのも論理思考のトレーニングなのですね。

しかし、似たような意味を持つ言葉を考えて答えるだけでは、論理思考のトレーニングとしては少々物足りないと言わざるを得ません。

たとえば、「『馬の耳に念仏』の類義語は?」と問われたら何を答えますか?

『猫に小判』『豚に真珠』などが出てくるはずです。

これでも確かに「言葉の意味を考える」点においては論理思考が必要です。しかしこの問いかけでは、結局のところ「知識(ボキャブラリー)の数」を評価することに主眼が置かれてしまいます。
まあ、それはそれで大切なことではありますが。

では、どうすれば類義語を考えることで論理思考をトレーニングすることができるのでしょうか。

ネットでなかなか興味深い議論を見つけました。

A.『白い』の反対語は『黒い』? それとも『赤い』?

B.『水』の反対語は『油』? それとも『湯』?


どうも小学校の教科書では、Aは『黒い』でも『赤い』でも正解。Bは『油』が正解、となっているようです。

その正解に疑問を持った方が、塾の先生に「なんで?」と聞いたらしいのですが、「正解が決まっているから仕方がない」と言われたそうです。


皆さんはどう思われますか?

この時点で学校教育の問題点を指摘するのはやめておきます。

まずは上記の議論を論理的に分析してみましょう。

つい先日まで「暑いなあ」と思っていたら、最近急激に寒くなりました。
私も代役のいない仕事柄、健康には注意してますが、皆さんも風邪などめさぬよう・・・


さて、「分けて考えよう」編も今回で最終回。
前回は、「なぜ私たちは勉強しないといけないのでしょうか?!」という抽象的な問いに対しては、『分解して考える』のが効果的だとお話ししました。

抽象的な“勉強”というテーマを、数学・社会など「教科別に」分けたり、あるいは小学校・大学のように「年代別に」分けることで、具体的にこの問いについて考え、そして答を伝えることができるようになります。

そもそも我々がよく使う“分析”という言葉は、「刀を使って」切る“分”と、「木を斧で」ほぐす“析”で構成されています。どちらの文字にも刃物が入ってますね。
つまり“分析”とは、大きなモノの中から何かを見つけるために、刃物で細かく分ける作業を意味するのです。

ここからも、「分解して考える」ことが、いかに基本かつ重要かがわかります。
ちなみに、“分解”の“解”にも、ちゃんと刀が入ってます。


では、もうひとつの分け方である『分類して考える』。
「細かくたくさんのモノゴトをいくつかにまとめる」、この“分類”を思考に応用するとはどういうことなのでしょうか。


プロフィール

桑畑 幸博

慶應丸の内シティキャンパスシニアコンサルタント。
大手ITベンダーにてシステムインテグレーションやグループウェアコンサルティング等に携わる。社内プロジェクトでコラボレーション支援の研究を行い、論旨・論点・論脈を図解しながら会議を行う手法「コラジェクタ®」を開発。現在は慶應丸の内シティキャンパスで専任講師を務める。また、ビジネス誌の図解特集におけるコメンテイターや外部セミナーでの講師、シンポジウムにおけるファシリテーター等の活動も積極的に行っている。コンピューター利用教育協議会(CIEC)、日本ファシリテーション協会(FAJ)会員。

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